番に忘れられたけど、推しとして支える事にした ~16年越しの巣作りを~

墨尽(ぼくじん)

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 いったいどうしたと言うのか。

 ルキウスの執務室で、ロジェはひとり唸っていた。
 目の前には立派な机があり、備えられた執務道具は一級品だ。これらは全てロジェの為に用意された物であるという。

 今までは応接机で事務作業をしていたため、ロジェ専用の机と言うものは無かった。道具は最低限のものを持参して、ルキウスの執務室で仕事をしていたのだ。

 しかし今、ぴっかぴかの机には、いかにも柔らかそうな椅子が備えられている。
 座ると、信じられないほどの柔らかさに包まれた。こんなものに座って仕事をすれば、居眠り止む無しである。
 ルキウスの近くに立つザザドが、ロジェへ向けて呆れた表情を浮かべる。

「え? アースターさんは結局、荷物を取りに行けなかったんですか?」
「ええ。居室に行く前に閣下からここへ連行されまして……」
「暫くはここの仮眠室を使え。鍵もかかる。身の回りの物は全て用意してやる。問題あるか? ないな」
「…………」

 もはや拒否権などないような口ぶりに、ロジェは黙り込むしかない。

 ルキウスの様子がどうもおかしいと気付いたのは、先ほど強制連行された時からだ。
 馬に乗せられた後は、まるで壊れ物を扱うかのように運搬された。以前との変わりようと言ったらない。
 デレ満載の優しさに包まれて、情緒が爆発するかと思った。

 黙り込んでしまったロジェを気遣ってか、ルキウスが書類から顔を上げる。

「……心配しなくても、身体が治れば居室に行かせてやる。数日だけ我慢しろ」
「えっと、はい……」
「今日はもう休め」
「え? 俺、もう働けますよ。こんなに良い環境を用意して貰ったのに……」

 昨日は晩餐会で一日が潰れてしまったので、仕事が溜まっているはずだ。
 机の上の書類に手を伸ばすと、ルキウスからその場を凍り付かせそうな舌打ちが飛んできた。先ほどの態度からすれば、温度差がありすぎて風邪を引きそうだ。

「馬鹿猫。また連行してやろうか?」
「いやっ、遠慮しておきます……!」

 さっと手を引っ込め、ロジェは口を引き結ぶ。同時に、執務室の扉が叩かれ、ルトルクが顔を出した。
 相変わらず眠そうな眼だが、今日は少しばかり表情が強張っているように見えた。
 ルトルクはルキウスの前まで進み、書類を差し出す。

「……ロジェ・ウォーレンの、件、です」
「……っ⁉」

 どくり、と心臓が激しく鳴る。跳ね上がりそうになった身体を、ロジェは咄嗟に抑え込んだ。
 ばくばく暴れ続ける心臓の音を聞きながら、ルトルクの言葉を脳内で反芻する。

 ロジェ・ウォーレン。
 彼は確かにそう言った。掠れて聞き取りにくい声だったが、確かに聞こえた。
 
「早かったな」

 ルキウスが当たり前のように書類を受け取り、ロジェは更に追い詰められた。
 どうして。どういうことだ。
 混乱に吞まれたロジェが息を詰めていると、ザザドが眉根を寄せた。

「殿下。まさかお調べになるおつもりですか?」
「ああ。彼がもし生きていれば、記憶や感情を呼び起すきっかけになるかもしれん」
「……彼に会うことで、何か弊害があるかもしれませんよ。それに……」

 ザザドの視線が、ロジェへと向けられる。
 その視線が何を意味しているのか、混乱しているロジェには分からなかった。
 ただ、ザザドの視線にはこちらを労わるような気遣いが感じられる。

「殿下にはもう、必要ないのでは? 以前と比べ、随分と感情も豊かになりましたし……」
「いや……だからこそ最近は、もどかしく思う事が多い。感情が不完全なことが以前よりも弊害になっている」
「しかし……」

 難色を示すザザドを置いて、ルキウスは書類に目を通した。緑の眼がゆっくりと文字を辿り、睫毛が少しだけ下がる。

「……なるほど。やはりウォーレン家でロジェは亡くなったことになっているのか。……となると、あの噂が気になるな」
「スヴェラお嬢様の話を信じるつもりですか?」
「もちろん鵜呑みにする訳じゃない。警戒すべき部分も大いにある」

(……やっぱり、スヴェラ嬢が絡んでたか……。何のつもりだ……?)

 16年前の悲劇によって、多くの若者が命を落とした。ほとんどの遺体は損傷が激しく、家族の元に帰ってきた遺体は極僅かだと聞く。
 例に漏れず、ロジェも事件当初は遺体が発見されず、『行方不明』とされていた。

 生存を信じて何年も捜索した遺族も多いが、しかしロジェの実家は息子の死を直ぐに受け入れたらしい。
 早々に死亡届を提出し、彼らは多額の弔慰金を手に入れた。いるかいないか分からなかった妾腹の子が、初めて役に立ったぐらいにしか思っていないだろう。

 実家の者らはロジェを死んだと思っている。そしてロジェも実質いなくなり、シン・アースターとなった。
 そんな状態でなぜ、ロジェが生きているという噂が流れているのか。

「死んだことにして、別人として生きているかもしれないな」

 ルキウスの言葉に、ロジェの思考が止まった。背中を流れていく汗の感触が、更に緊張感を煽る。

 王都に出向すると決めた時から、ロジェはあらゆる事態を想定して準備してきた。
 シン・アースターが素性を偽っているとバレた場合や、ルキウスが万が一ロジェを思い出した場合など。事前に可能性を洗い出し、それらに対策できるように足元は固めてある。
  
 しかし今の状況は、全くの想定外だった。16年間誰も目を向けなかった『ロジェ・ウォーレン』の情報が第三者からもたらされるなんて思わなかったのだ。
 
「と、なると……そうせざるを得なかった理由があるはずだ。……重傷を負って、どこかに匿われたか、もしくは事件の衝撃で記憶を失ったという可能性もある」
「しかしもう16年前ですよ? 長い年月です」
「確かに16年は長い。……だが俺のように、未だに呪いを背負っている者はいる」

 今にも「やめてくれ」と叫び出しそうになって、ロジェは唇を噛み締めた。
 このまま調べが続いて、自分シンがロジェ・ウォーレンだと露見してしまえば、確実に事態は拗れてしまうだろう。

 しかしロジェは今、自身が焦燥感よりも深い悲しみに襲われていることに驚いていた。
 ルキウスが『ロジェ・ウォーレン』を他人事のように語ることが、これほど辛いなんて思わなかったのだ。

 もうロジェの記憶が無いのは分かっている。感情に左右されずこれからの事を冷静に考えるべきだ。分かっているのに、思考は情にかき回されて使い物にならない。

 ルキウスが淡々と言葉を続ける。

が死んでいるか生きているか分からないが、調べる価値はある」
「……っ」
「……? シン、どうした」
「い、いえ……」

 動揺する自分が情けなくて、ロジェは思わず顔を伏せた。

 16年かけて自分を納得させてきたのに、実際に触れてみると、こんなにも辛い。
 14年前、剣の大会で彼と再会した時も、そして今になっても、ルキウスの中にロジェがいないことに打ちひしがれてしまう。

 ルキウスが席を立ち、こちらに向かってくる足音が聞こえる。しかしロジェは俯いたまま顔を上げることが出来なかった。

「シン、顔色が悪いぞ。……まったく、無理するな」
「……」
「ほら、来い」

 執務机に置かれたままのロジェの手を、ルキウスは優しく握った。
 ゆっくりと引き寄せられ、大きな胸に抱き込まれる。そのまま横抱きにされても、抵抗する気は起きなかった。
 ルキウスの胸に耳をぴったりと当てると、彼の低く優しい声が潜り込んでくる。
  
「……ザザド。少し外す」
「分かりました」

 ルキウスがゆっくりと歩き出した。
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