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秋の夜長

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 呪いの沼にはまった『天狗』の治療は思いのほか俺の身体に負担をかけたらしく、その後三日間ほどは、ろくに動くことが出来なかった。
 その間はさすがに往診には行けなかったが、それでもなんとか診療所での診察はこなしているうちに、徐々に体力も戻ってきて普段と変わらない日常が戻って来ていた。


 そして今日も診察を終えた後はいつも通り、夕飯をすませて、ゴンの『火の玉』で火入れした炬燵《こたつ》で、三人暖をとっていた。

『火の玉』というのは作った本人が消さない限り、数時間は燃え続けるものなので、適当な瓶にでも入れて炬燵の中に入れておけば熱源として利用できる。
 だから、ゴンがうちに来てからは『炬燵石《こたついし》』を使うことはなかった。家にひとり火を扱える妖《あやかし》がいると節約になって助かるものだ。

「ゴンはさ、どうして『猫又』なのに『火の玉』を作るのが上手なの?猫の妖《あやかし》ってあんまりそういうイメージないんだけど」

 楓が炬燵で蜜柑をむきながらゴンに聞いた。

「そりゃぁ、俺は狐に育てられたからな」

「あ、前にちらっと言ってた師匠さん?じゃその狐の師匠さんに、妖術の使い方を教えてもらったの?」

「そう。俺が使う妖術は全部『妖狐』の師匠から教えてもらった。その中でも『火の玉』は一番得意なんだ」

 そう言って、ゴンは再び小さな『火の玉』を掌の上にぼぅっと出した。

「狐の妖術というと、化けたりするのもできるのか?」

「ああ、『変化《へんげ》の術』は苦手なんだ。やっぱりあれは狐とか狸じゃないと難しいな」

「そしたら三味線は?猫って三味線弾くの上手なんでしょ。私『猫又』が三味線弾いてる昔の絵見たことあるよ」

「いやぁ、俺は芸事もさっぱりだな。師匠も音楽とかは、あんまり得意じゃなかったし」

 ゴンは昔のことを思い出した様子で苦笑いした。

「俺は琵琶なら弾けるぞ」

「え、本当に?琵琶っていったらギターみたいなやつよね」

 楓はギターを弾く真似をして見せた。

「最近は時間がなくてあまり触ってなかったが、昔はよく弾いたもんだ」

「瑞穂、女の子に聞かせるために頑張って練習したんだろ」

 そう言うゴンは上から見下ろすように、にやついた顔をこちらに向けてきた。

「そ、そんなんじゃない。琵琶はあれだ…神の嗜みとして、なんとなくやってただけだ…」

 確かに女性に琵琶を聞かせたこともあったが、別にそれだけのためにやっていたわけではない…うん。

「聞かせてよ琵琶。まだあるんでしょ?」

「あるはずだけど、どこにしまったかなぁ。しばらく触ってないから」

 俺は思い当たるところを探してみた。だが琵琶は中々見つからなかった。あんな大きなものなのに、一体どこにしまい込んだのだろう…。
 結局、家中探し回って、楓が寝ている部屋(物置)にある葛籠《つづら》の中から出てきた。

 俺は楓の部屋(物置)から引っ張り出してきた琵琶を縁側に持って行った。琵琶は月光を浴びると機嫌がよくなって、良い音を出してくれるのだ。
 随分久しぶりに弾くのでうまく弾けるか不安だったが、久々に響かせた琵琶の音色は昔と変わらず美しかった。

「へぇ、けっこう上手いな瑞穂」

 ゴンは炬燵に半身入ったまま畳の上に寝転がり、両手で頬杖をついて琵琶の音色を聞いていた。

「私も弾いてみたい。ねえ、いいでしょ?」

 一曲弾き終えた後、楓にも琵琶を弾かせてやった。
 楓は恐る恐る琵琶を抱えて、弦を適当に弾いてみせる。

「え、楓も上手いじゃんか。弾いたことあったのか?」

「ううん、触るのも初めてだよ。もしかして私…音楽の才能があったのかな⁉」

「この琵琶は妖《あやかし》の一種だから、誰が弾いてもだいたい良い音を返してくれるんだ」

 まだ『付喪神』にはなっていないが、この琵琶はれっきとした妖《あやかし》だった。だから弾き手の感情に合わせて、琵琶自身がある程度音を奏でてくれるのだ。ただやはり奏者の力量も少しは影響する。

「なんだよ、誰でも弾けるのか。じゃ俺も今度雨音が来たときに聞かせてあげよ」

 今日の琵琶は特にご機嫌な様子で、いつまでも美しい音色を奏でてくれた。


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