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餅配り

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 今日は近所に新年の餅を配りに来ていた。

 まず向かうは、いつも世話になっている『ガマ仙人』の薬局だ。診療所で必要なものは『啼々夜草』のような特殊なものを除けば、たいていのものをこの『ガマ仙人』の薬局で購入しているのだ。


「あけましておめでとうございます!ガマおじさん」


 店に入るなり、楓が元気よく挨拶した。が、今日はさすがに薬局は休みだ。店の扉は開いていたが、灯りはついていないし、店には誰もいない。そして返事もない。

「おっちゃんいないのか?」

 ゴンがカウンターから店の奥を覗いた。俺たちの診療所と同じように、この薬局の奥は天界にある『ガマ仙人』の家につながっているのだ。
 ゴンが声をかけてから少し間があって、突然、蛙がカウンターの下から、にゅっと姿を現した。

「うわ、びっくりしたぁ!」

 ゴンは急に出てきた蛙に驚いて後ろにのけぞった。こいつは『ガマ仙人』の薬局で働いている『蛙』である。妖力が低いので人の姿にはなれないが、俺の腰くらいの身長で、二本足でペタペタと歩き、人の言葉を話す。

「…何しに来た」

『蛙』の抑揚のない声は、少し煩わしそうにも聞こえる。

「あけましておめでとう。今日は、餅を配りに来たんだ」

「…」

『蛙』は俺をじっと見つめるばかりで、返事はない。

「もし仙人が中にいるなら、呼んできてくれるかな?一応新年の挨拶をしたいから」

 すると『蛙』は小さくうなずいて、奥に引っ込んでいった。


「あいつ、全然愛想ないよな…」

『蛙』が奥に引っ込んだのを確認してから、ゴンが言った。

「そうよねー。今まで私もけっこう頑張ったんだけど、中々心開いてくれないのよね」

「人見知りなんじゃないか?」

「ええー?そうかなあ。だって顔見知りになって、けっこう経つぞ?」

「たぶん蛙だから笑ったりとかできないんだよ。表情筋とか、なさそうじゃない?」

「もしくは、妖力が低すぎるのかもな。それで言葉数が少ないっていうなら、分かる」

 三人でコソコソ話をしていると、さきほどの『蛙』が『ガマ仙人』を連れて戻って来た。
 胡麻塩頭をぼりぼりかきながら出てきた『ガマ仙人』は、酒を飲んでいる最中だったようで、鼻が赤く染まっている。

「なんだ、また今年も餅配ってんのか。お前さんもよくやるねえ、この寒い中」

『ガマ仙人』はカウンターにもたれかかり、俺たちが持ってきた餅をつまんで、その表面を舐めるように眺めながら言った。

「また配ってるって…いつも『餅くれよ』って言いに来るのはどこの誰だよ?」

「そりゃあれだ、俺じゃなくて、こいつがお前んとこの餅が食いたいって言うんだよ。なあ?与三郎。こいつは珍しく、お前さんには懐いてんだ」

 仙人はそういって『蛙』に微笑んだ。蛙は仙人の顔を見て、それから俺の顔をじっと見つめた。

 俺はこの『蛙』に懐かれている…のだろうか…。

 やはり表情のない『蛙』の顔から感情を読み取ることはできなかった。

 実は仙人の所で働いている『蛙』は、何度か代替わりしている。
 昔、仙人の家に上げてもらったときに、数枚の『蛙』の遺影が飾ってあるのを見たことがあった。どの『蛙』も正直同じ顔にしか見えなかったが、全部違う『蛙』だという。そしてあの有名な「鳥獣戯画」に描かれている『蛙』はご先祖様なのだそうだ。とにかく『ガマ仙人』というだけあって、この薬局で働くことができる妖は『蛙』だけらしい。

「けどあれだ、お前さんのところも賑やかになって良かったな。瑞穂お前、毎年独りで餅配ってたのによぉ」

 そういって『仙人』はわざとらしく泣きまねをする。

「けどさ仙人。そのせいで俺たちは正月だってのに炬燵でのんびりも出来ないんだよ」

 ゴンが悲劇の主人公よろしく言った。

「お前ついさっきまでずっと炬燵でゴロゴロしてただろ」

「そうよ、ゴンはずっと炬燵の中に引きこもって、家事も全然してくれないじゃない!」

「俺は寒いの苦手なんだよ。楓だって正月用の紅白饅頭ひとりで全部食べちまったくせに!」

 正月から早々、また二人の喧嘩が始まってしまった。

「おうおう元気なこった。そらお前たち、おじさんがこれをやるから仲直りしな」

 そう言って『ガマ仙人』はおもむろに懐に手を突っ込むと、なにやら小さな袋を取り出し二人に渡した。その袋の中に入っていたのは紫苑の花をあしらった飴細工で、その小さな薄紫色の花びらを光に透かすと、空気の泡がぽつぽつと閉じ込められているのが見えた。その泡は、まるで花の時が止まっていることを表しているようだった。

 ゴンも楓もこの飴細工にはすっかり心を奪われてしまったらしく、言い争いのことなど吹っ飛んだ様子である。

「…おいらも、欲しい」

 ずっと黙って話を聞いていた『蛙』が口を開いた。そんな『蛙』に『ガマ仙人』がなにか声をかけようとしたとき、「あんたいつまで油売ってんだ!」と店の奥から怒鳴り声が聞こえてきた。そして大きな足音を立てながら、女が奥の通路から姿を現した。

「あら瑞穂先生、嬢ちゃんとゴン坊も。明けましておめでとう」

 店の奥から出てきたこの女は『ガマ仙人』の妻で、このひともまた『仙人』だった。

「先生たちだって忙しいんだから、いつまでも話し込んでるんじゃないよ。それにあんた薬湯の仕込み終わったのかい⁉あれは四、五日かかるから、今日取りかかってくれって言っただろ」

「三が日は仕事はしねえ!正月くらい休ませろってんだ」

「何言ってんだ薬湯煮詰めるくらい仕事のうちに入るもんか。どうせ家で寝っ転がってるんだから、片手間にできるだろ」

「そういう問題じゃねえ。気が休まらねえって言ってんだよ!」

『ガマ仙人』と妻は、楓とゴンの喧嘩など比べものにならないほど激しい怒鳴り合いを始めた。俺たちはその迫力に圧倒され、そっと店からお暇した。


「ねえねえ、この瑞穂のおもちって食べたら何かご利益があるの?」

『ガマ仙人』の薬局を後にし、再び荷車を牽いて次のあやかしのところに向かっていた。

「まあ、食べたらちょっとは元気になるんじゃないか」

「そんな感じなの?めちゃくちゃ寿命が延びるとか、そういうご利益ないの?」

「お前は漫画の読みすぎだ。そんな都合のいいものはありません。ちょっと活力が出るかも。くらいだ」

「瑞穂、ここはもう『百歳若返ります!』とか言って売ったらいいんだよ。そう言われたら効果がある気がするもんなんだって」

「俺はそんな詐欺まがいのことはやらねーよ。お前らは神様に何をやらせようとしてんだ」

「そうだよね瑞穂って神様だったもんね」

「おい、そこは忘れるなよ。それになあ、この餅は売るんじゃなくて『稲の神様』として恵みを分け与えるという深―い意味があるんだよ。分かったか?分かったらゴン、お前も荷車を押せ。お前が乗るための荷車じゃない」

 次に向かうのは『一つ眼女』のところだ。緩やかな坂を上った先に『一つ眼女』が住み着いている民家があった。この『一つ眼女』はゴンに診療所のバイト募集の件を伝えてくれたあやかしで、このあやかしのおかげで俺たちはゴンと出会い、そして『神堕ち』に食われずに済んだのだ。

「今年も餅を配りに来たんだ、受け取ってくれ」

 民家の軒先で、物干し竿に干してある洗濯物のしわを伸ばしている最中の『一つ眼女』に声をかけた。『一つ眼女』は大きな眼を洗濯物に近づけて一つ一つのしわに集中していたが、俺が声をかけるとハッと顔を上げてこちらを振り返った。

「去年は君のおかげで命拾いしたよ。君がゴンにうちのこと教えてくれたおかげで、俺と楓は『神堕ち』に食われなくてすんだんだ。ありがとう」

「せんせ!あたしゃ、そんな感謝されるようなことはしてないよ。たまたまゴンちゃんがうちに居た時だったからね。食い扶持がないって言うから、せんせのところ紹介したまでさ」

「腹が減りすぎて動けなくなってるところを彼女が助けてくれたんだよ。それでちょっとの間、置いてもらってたってわけ」

 ゴンが『一つ眼女』の家に居たなんていう話を聞くのは初めてだった。そういえば俺は、ゴンがうちに来るまでどこで何をしてきたのかということを全く知らない。楓についてだってそうだ。成り行きで二人ともうちに居るようになったが、よく考えてみるとこれまでどうやって生きてきたのか聞いたことはなかった。

「うちに来る前とはいえゴンが世話になったな。ありがとう」

「何言ってんの、いつもお世話になってるのはこっちだよ瑞穂せんせ。せんせのお陰でこの前のひどい目の腫れもすっかりひいたよ。それにゴンちゃんみたいな可愛らしいにゃんこならいつでも大歓迎さ」

 そう言ってにっこり笑うと『一つ眼女』は洗濯物のしわ伸ばしの作業に戻った。そして、この民家の唯一の住人である腰の曲がった人間の婆さんが家の中から出てきたが、『一つ眼女』には気づかない。そんな婆さんが庭仕事をする傍らで、『一つ眼女』は黙々と洗濯物のしわを伸ばし続けるのだった。



「ねえ、なんか寒くない?」

 楓も静かだなと思っていたら、隣で小刻みに震えだしていた。

「なんだお前またどこかで術をかけられてきたんじゃないだろうな」

「そんなんじゃないよ。なんか頭も痛い」

 ゴンが楓の額に手を当てた。

「熱つ!おい瑞穂、こいつ熱あるぞ」

 なんてこった。明日から診療所を開けるというのに。明日の仕事を想像すると俺も一緒に寝込んでしまいたくなった。





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