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第1章
第2話 アレクシス王太子との午後
(エリアナ 16歳・エリアナ視点)
朝の光が、白いカーテンをやわらかく透かしていた。
エリアナは椅子に腰掛け、鏡越しに自分の髪を見ている。背後では、侍女のミレーヌが慣れた手つきで、艶やかな栗毛に櫛を通していた。
「今日は、少し編み込みを入れますか? それとも、少しだけ毛先を整えて動きを出しましょうか」
「うーん……」
エリアナは首を傾け、少し考える。鏡の中の自分と目が合い、肩をすくめた。
「アレクシス殿下が散歩もしたいとのことでしたので。風に吹かれても手ぐしで直せるよう、あまり固めすぎないで。低めの位置でリボンでまとめてちょうだい」
「では、そのように」
ミレーヌは笑い、指先でさらりと髪を束ねる。飾りは控えめなリボンだけ。けれど、丁寧に梳き上げられたストレートの栗毛は、彼女が動くたびに背中でとろけるような光の帯を作り、絹の重なりのような音を立てる。
「楽しみですね」
不意にそう言われ、エリアナは目を瞬かせた。
「……顔に出てます?」
「ええ、朝から。お嬢様が幸せそうで、私も嬉しいですわ」
ミレーヌは何でもないことのように言う。その声に微かな陰りがあることに、エリアナは気づかなかった。ミレーヌは、王都の空気が少しずつ淀み始めていることを、侍女同士のネットワークですでに察知していたのかもしれない。
エリアナは少しだけ頬を押さえ、それから諦めたように笑った。
「楽しみです」
◇◇◇
庭園に出ると、紅茶の香りが先に届いた。白い卓布の上に陽が落ち、影がやわらかく揺れている。王太子アレクシスはすでに席に着いていて、 エリアナの姿を見ると、静かに立ち上がった。
視線が、風に遊ぶ彼女の長い髪に留まる。
「飾らないその髪、朝の光によく合っている。今日の君は、いつもより近くに感じられるね」
思いがけない言葉に、エリアナは一瞬、足を止めた。
「……ありがとうございます」
ほどけそうなほど緩く結んだ髪を、無防備に褒められた気恥ずかしさに、エリアナは指先でリボンの末端をそっとなぞった。アレクシスは気づいたふうもなく、椅子を引いた。
カップが置かれ、紅茶が注がれる。湯気とともに、少し甘い香りが立った。エリアナは一口含み、目を細める。
「今日の香りは、好みに合ったようで良かった」
アレクシスがそう言ってから、少し間を置く。
「実は、先ほど持ってきたものなんだ」
エリアナは顔を上げた。
「紅茶を?」
「うん。好みを聞いたことがあったから」
言いながら、どこか照れたように視線を外す。
「早めに来て、侍女にお願いして淹れてもらった」
少し照れたようなその言い方に、エリアナの胸が、きゅっと鳴った。
「……そうだったんですね」
アレクシスの誠実さは、いつも一点の曇りもなかった。エリアナもまた、その甘やかさにただ身を委ねていた。
「とても、おいしいです」
その声は、少しだけ柔らかかった。
◇◇◇
紅茶の話は、しばらく続いた。どこで飲んだことがあるか、 どんな香りが好きか。取り留めのない話が、心地よく続いた。
「それなら、次はもう少し軽いものがいいかもしれない」
「え、もう考えているんですか」
「念のため」
そう言って、アレクシスは穏やかに笑う。エリアナは頬が緩み過ぎないように、カップを口に運んで隠した。
「君が楽しそうだと、こちらまで嬉しくなる」
不意に、そんなふうに言われた。 エリアナは、言葉に詰まった。
「……ずるいです」
小さく、そう言ってから、ようやく笑う。アレクシスも、声を立てずに笑った。
◇◇◇
「少し歩こうか」
ちょうど話題が途切れたところでアレクシスが立ち上がり、庭園に誘う。砂利の小道を進むと、足元が少し不安定になる。
「気をつけて」
差し出された大きな掌。エリアナは誘惑に負けそうになる心を律し、エスコートを受けるための最低限の指先だけを、そっと預けた。
触れた手はすぐに離れたけれど――
「ありがとうございます」
小さくそう言って、指先を離す。
それ以上、手を預けることはしなかった。父の「線を引け」という教えが、無意識にエリアナの心を制御していた。アレクシスの隣にいたいと思いながら、どこかで彼に縋りすぎることを恐れていた。
アレクシスは何も言わず、エリアナが砂利の小道を抜けるのを待った。彼はいつだって優しく、エリアナが立ち上がるのを待ってくれる。
噴水のそばで立ち止まる。水音が静かに響く。
「今日は、いい午後ですね」
エリアナがそう言うと、アレクシスは頷いた。
「ああ。とても」
二人の間に、穏やかな沈黙が落ちた。道はまだ平坦で、どこまでも穏やかに見えていた。その「線」を越えた先に何が待ち構えているのか、二人が知るには、まだ少しだけ時間が必要だった。
朝の光が、白いカーテンをやわらかく透かしていた。
エリアナは椅子に腰掛け、鏡越しに自分の髪を見ている。背後では、侍女のミレーヌが慣れた手つきで、艶やかな栗毛に櫛を通していた。
「今日は、少し編み込みを入れますか? それとも、少しだけ毛先を整えて動きを出しましょうか」
「うーん……」
エリアナは首を傾け、少し考える。鏡の中の自分と目が合い、肩をすくめた。
「アレクシス殿下が散歩もしたいとのことでしたので。風に吹かれても手ぐしで直せるよう、あまり固めすぎないで。低めの位置でリボンでまとめてちょうだい」
「では、そのように」
ミレーヌは笑い、指先でさらりと髪を束ねる。飾りは控えめなリボンだけ。けれど、丁寧に梳き上げられたストレートの栗毛は、彼女が動くたびに背中でとろけるような光の帯を作り、絹の重なりのような音を立てる。
「楽しみですね」
不意にそう言われ、エリアナは目を瞬かせた。
「……顔に出てます?」
「ええ、朝から。お嬢様が幸せそうで、私も嬉しいですわ」
ミレーヌは何でもないことのように言う。その声に微かな陰りがあることに、エリアナは気づかなかった。ミレーヌは、王都の空気が少しずつ淀み始めていることを、侍女同士のネットワークですでに察知していたのかもしれない。
エリアナは少しだけ頬を押さえ、それから諦めたように笑った。
「楽しみです」
◇◇◇
庭園に出ると、紅茶の香りが先に届いた。白い卓布の上に陽が落ち、影がやわらかく揺れている。王太子アレクシスはすでに席に着いていて、 エリアナの姿を見ると、静かに立ち上がった。
視線が、風に遊ぶ彼女の長い髪に留まる。
「飾らないその髪、朝の光によく合っている。今日の君は、いつもより近くに感じられるね」
思いがけない言葉に、エリアナは一瞬、足を止めた。
「……ありがとうございます」
ほどけそうなほど緩く結んだ髪を、無防備に褒められた気恥ずかしさに、エリアナは指先でリボンの末端をそっとなぞった。アレクシスは気づいたふうもなく、椅子を引いた。
カップが置かれ、紅茶が注がれる。湯気とともに、少し甘い香りが立った。エリアナは一口含み、目を細める。
「今日の香りは、好みに合ったようで良かった」
アレクシスがそう言ってから、少し間を置く。
「実は、先ほど持ってきたものなんだ」
エリアナは顔を上げた。
「紅茶を?」
「うん。好みを聞いたことがあったから」
言いながら、どこか照れたように視線を外す。
「早めに来て、侍女にお願いして淹れてもらった」
少し照れたようなその言い方に、エリアナの胸が、きゅっと鳴った。
「……そうだったんですね」
アレクシスの誠実さは、いつも一点の曇りもなかった。エリアナもまた、その甘やかさにただ身を委ねていた。
「とても、おいしいです」
その声は、少しだけ柔らかかった。
◇◇◇
紅茶の話は、しばらく続いた。どこで飲んだことがあるか、 どんな香りが好きか。取り留めのない話が、心地よく続いた。
「それなら、次はもう少し軽いものがいいかもしれない」
「え、もう考えているんですか」
「念のため」
そう言って、アレクシスは穏やかに笑う。エリアナは頬が緩み過ぎないように、カップを口に運んで隠した。
「君が楽しそうだと、こちらまで嬉しくなる」
不意に、そんなふうに言われた。 エリアナは、言葉に詰まった。
「……ずるいです」
小さく、そう言ってから、ようやく笑う。アレクシスも、声を立てずに笑った。
◇◇◇
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ちょうど話題が途切れたところでアレクシスが立ち上がり、庭園に誘う。砂利の小道を進むと、足元が少し不安定になる。
「気をつけて」
差し出された大きな掌。エリアナは誘惑に負けそうになる心を律し、エスコートを受けるための最低限の指先だけを、そっと預けた。
触れた手はすぐに離れたけれど――
「ありがとうございます」
小さくそう言って、指先を離す。
それ以上、手を預けることはしなかった。父の「線を引け」という教えが、無意識にエリアナの心を制御していた。アレクシスの隣にいたいと思いながら、どこかで彼に縋りすぎることを恐れていた。
アレクシスは何も言わず、エリアナが砂利の小道を抜けるのを待った。彼はいつだって優しく、エリアナが立ち上がるのを待ってくれる。
噴水のそばで立ち止まる。水音が静かに響く。
「今日は、いい午後ですね」
エリアナがそう言うと、アレクシスは頷いた。
「ああ。とても」
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