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さよなら ラプンツェル

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 似合うかな、と先輩はわらった。
 中学時代によく訪れたファミレスで、馴染みのある座席にすわって、あのときと同じジュースを飲んでいたけれど、わたしは懐かしさに浸ることなんてできなかった。
「髪、切っちゃったんですね」
「うん、そうなの。思いきってね」
挨拶を忘れたわたしを咎めることなく、あとからやってきた先輩は向かい側に腰を下ろした。茶色い髪が、わたしの目の前でさらさらと揺れる。それは記憶なかの半分ほどの長さもなくて、わたしは思わず言葉に出していた。 
「……どうして切ったんですか?」
 先輩の目がゆっくりと開いた。
「やっぱり似合わなかったかな? 自分でもイマイチかなぁ、とは思ったの」
「あぁ、え、似合っているとは思います。ただちょっと、うん、びっくりして」
ショートカットにした髪をつまんだ先輩は、やっぱりわたしの知っている先輩とは違っている。髪の長さだけじゃない。もっと、狼狽えてくれてもよかったんだ。わたしが手放しに先輩を褒めなかったことは、今日がはじめてなんだから。
「実は、大学の友達がね、リョーコは短いのも似合うんじゃないのって言ってくれたの。それで、ここにくる前に、いつもの美容院で」
 そう言って彼女は眉を下げたけれど、わたしには、ちっとも後悔をしているようには見えなかった。

                ***

 諒子先輩は、わたしの憧れだ。
 年上なのに偉そうにしないし、物腰はやわらかいし、大学に入学したあとだって、今でも会って話をしてくれる。
 わたしが先輩とはじめて喋ったのは、中学一年生のときだ。誰もいないと思っていた昼休みの図書室で、後ろから「ねぇ」と声をかけてきたのが先輩だった。
「一年生? いつもここにいるよね? それ、面白いとは思うけど、続きは置いてないの」
 呆然とするわたしをよそに、先輩は気の毒そうな顔で、たった今まで読んでいた小説を指さしていた。わたしはそのときから、先輩がクラスでも関心を集めるひとだと知っていたので、交わりそうになった視線をとっさにずらした。なにも口にしないわたしを不思議そうに見つめたあと、先輩は言った。
「ここにはね、みんなに邪魔されないとっておきの場所があるんだよ」
 案内されたのは、カウンターの奥にある管理室だった。古い参考書や新しく入ってきた本を置いておくための場所で、先輩はそこでみんなよりも一足先に新刊を読んでいるらしい。
 「どうやってここに入れたの」と聞くと、先輩は笑って手をつき出した。手のひらには、小さな鍵がのっていた。
「盗んだわけじゃないよ。管理人さんに渡されたの。ここで読んでるなんて、誰も思わないでしょう?」
人目にうつるのが嫌だから、と先輩は言った。
誰かの話を聞きながらだったり、それに対して相づちをうって読書をしたりしなくてはいけないことが、先輩には耐えがたい苦痛らしい。
わたしは、いつも先輩と一緒にいる上級生たちを思い起こしてみた。彼女たちは要領が良くて、身だしなみには人一倍に気を使っているけれど、確かに誰ひとりとして静かに読書を終えることはできないと思った。
先輩の意外な一面を知ることができて、わたしはちょっぴり嬉しかった。
「ひとりで読む方が、好きかもしれないです……わたしも」
本当はそんなことなかったけれど、気がついたらそう口にしていた。先輩の顔を見ると、どこか感動しているような印象をうけた。 
それから、わたしたちはお昼休みを一緒に過ごすようになった。

 長く過ごしていくにつれて、先輩は案外、いい加減な性格だということにわたしは気がついた。それにオシャレだったり、流行りのアイドルだったりに全く興味はなくて、静かに本を読むことが好きらしい。
「髪の手入れひとつにも手間がかかるから、本当はもうやめたいんだけど」
 先輩は、いつも近くにいる彼女たちに合わせて、服装やことばを変える必要があるのだと言った。自分が間違った行動をとったときに、空気が「コチン」と音を立てるのが聞こえるそうだ。
一人きりのわたしには理解しづらかったが、わたしは先輩の手入れされた長い髪が嫌いではなかったので、「似合っていますよ」と言ってみた。
 先輩はいつもよりうすい笑みを見せた。それから、「どうして髪を伸ばさないの?」とわたしに聞いてきた。
 とくに理由はなかったので、わたしはその日から髪を伸ばしてみることにしたんだ。

                ***

 ファミレスを出て駅へむかう途中、飲み物を買ってくると言ってわたしは先輩と距離をとった。喉が渇いていたからじゃない。ちょっとだけ、自分の時間が欲しかった。自販機にもたれたまましゃがみ込むと、先輩と出会うまえの感覚が足先からゆっくりと這い上がってくる感じがした。
 自分以外の誰かから興味をもってもらうには、魅力のある人にならないとだめだ。先輩はそれを人だったけれど、わたしにはそれがなかった。
 髪なんて伸ばして、馬鹿みたいじゃないか。これじゃあまるで、わたしが先輩自身になりたかったみたいだ。それとも、ひょっとして、わたしは思い込んでおきたかったのかもしれない。先輩は、同じような人間だってことにしておきたかった。人づきあいが苦手で、他人の良いところなんてひとつも見つけられない卑屈なわたしがもうひとり居るって分かったら、それだけで安堵することができたから。
 このまま逃げ出してしまいたい気持ちにかられたけれど、流石にそんなことは出来なかったので、ふたり分の缶ジュースを手にして先輩のもとへ戻ることにした。先輩はわたしを見つけると、ベンチから笑顔で手を振った。
 わたしが好きなのは彼女自身なのか、それとも、一緒にいてくれる先輩という存在なのか、そんな疑問が頭をもたげた。
 
「もう一度考えてみたんですけど、やっぱり長いほうが似合ってたと思います」
 戻ってきたわたしが突然そう口にしたので、先輩ははじめ、理解が追い付いていないようだった。ただ、数秒たつとファミレスでの会話を思い出したようで、まるで知らないものを見ているような眼差しをわたしに向けた。
「そ、そうだね。やっぱり、髪は伸ばそうと思っているの」
 今までにそんなこと言ってみたことがなかったから、さぞや驚いたことだろう。わたしはひとつ、先輩に質問してみることにした。
「諒子先輩はどっちが好きですか?」
 「え?」と先輩が聞き返す。
「似合ってるとか、すすめられたとかじゃなくて、わたしは、先輩が好きなほうの髪型がいいです」
 そう言ったら、先輩は今までに見たこともないくらいに顔をくしゃくしゃにした。泣いているのかと心配になって顔を覗き込んだら、ちゃんと笑っていたから、わたしは胸をなでおろした。
「本当はずっと、そんなことを思ってくれていたの?」
 先輩は見たこともないあたたかい笑みをつくってわたしを見ていた。わたしの知っている先輩よりも化粧は薄くなっていたし、肌はちょっと日に焼けていたけれど、あまり気にはならなかった。   
 先輩にとってわたしは数ある友人や後輩のなかのひとりなのだと、わたしはようやく気がついた。

                ***

 あれから数日たって、わたしは大きな決心をした。
短くなった自分の髪を、わたしはつまみ上げる。
 何となく伸ばしはじめたのだから、理由なく切ったところで差しつかえはないはずだ。
 ふと、脳裏に先輩の姿が浮かび上がった。
「さようなら、ラプンツェル」
 わたしはつぶやいた。
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