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01 公爵令嬢フィオレッタ
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春の陽が、ロズベルト侯爵家の庭園にやわらかく降り注ぐ。
王都でも屈指の社交家として知られる侯爵夫妻の催す春の茶会には、貴族たちが色とりどりの衣装で集い、笑い声と香水の香りが花のように咲き乱れている。
楽士の奏でる弦の音が風に乗って流れ、白砂の小径には薔薇の蕾が並ぶ。
その光景を見つめながら、公爵令嬢フィオレッタ・グラシェルは白磁のカップを指先に支え、完璧な微笑みを浮かべていた。
(ルシアン様はどちらにいるのかしら)
婚約者である第三王子ルシアンの姿が見えない。
先ほどまで隣にいたはずなのに、ふと目を離した隙にどこかへ姿を消していた。
「お姉様、ルシアン殿下はきっと侯爵夫人と挨拶をしていらっしゃるのよ。そんなに焦らなくても、すぐにお戻りになるから安心してね!」
軽やかな声でそう告げたのは、妹のエミリアだった。
淡い桃色の髪が陽を受けて光り、ふわりと揺れるたびに周囲の令息たちが目を細める。
「ええ、そうね」
フィオレッタはカップを口元に運びながら、無理に笑みを作った。焦っているつもりはないのだが、そう大きな声で言われると少し困ってしまう。
本来なら、こうした場には婚約者と来るのがマナーだ。
けれどエミリアが「ぜひお姉様と一緒に行きたいの」と言い出したとき、母も父も喜んで許可を出した。
姉妹で仲睦まじく見えるのは良いことだと、父はご満悦だった。だからここには、ルシアンとエミリアと三人で来た。
「エミリア様は天使のような御方だ……」
「本当に、姉妹でこうも違うとは」
背後から聞こえた囁きに、フィオレッタはそっと振り返った。
噴水のそばに立つ若い貴族たちが、扇の陰で笑いを噛み殺している。目が合った瞬間、彼らの笑みが凍りついた。
フィオレッタはわずかに首を傾げ、出来るだけ柔らかく微笑んだ。
深紅の髪と、ほんの少しだけつり上がった緑の瞳。妹と比べると威圧的に見えるらしく、こうした話を聞くのは今に始まったことではない。
「なにか、私の顔についているでしょうか?」
極力穏やかな声を出すと、男たちはたじろぎ、慌てて頭を下げた。
「い、いえ、とんでもない! フィオレッタ様も美しいお方だと感嘆しておりまして!」
「そ、そうですとも!」
逃げるように離れていく背を見送りながら、フィオレッタは静かに息をついた。
やはりフィオレッタの笑顔は人を畏怖させてしまうらしい。自分ではことさら柔らかく微笑んでいるつもりでも、あのように怯えられてばかりだ。
「どうしたのかしら、あの方々ったら顔色を変えてるわ」
「ただ挨拶をしただけよ」
「ふふっ、やっぱりお姉様はすごいわ。そのドレスもとてもお似合いよ!」
フィオレッタを見るエミリアは、屈託のない笑顔を浮かべている。
どう答えたらいいのか分からず、フィオレッタは曖昧に微笑んだ。
ドレスを選ぶ権利はフィオレッタにはない。
金糸の刺繍が走る紅色のドレスを纏った彼女の姿は、庭園のどの花よりも鮮やかだった。けれどその華やかさも、彼女の望んだものではない。
お茶会に着るには派手すぎるのだ。どう考えても胸元も開きすぎている。赤髪に赤いドレスだなんて、威圧的でしかない。
母と妹にはそう意見したけれど、当然のことながら採用されることはなかった。
『お姉様には、やっぱり真紅がいちばんお似合いだわ。殿下の隣に立つ方なんだら、誰より目立たなくっちゃダメよ!』そう微笑んだ妹の言葉に、母は『さすがはエミリアだわ、優しい子ね』と満足そうに頷いていた。
そうなれば、もうそれ以上意見をしても無駄なのだ。反対すればエミリアが泣いて、フィオレッタは融通の利かない意地悪な娘だと悪者扱いされる。
(これまでもずっとそうだったもの。仕方ないわ)
それでも、もう少しでそれも終わるだろう。
フィオレッタがルシアンと結婚したら、公爵家に戻ることはない。少しは心が楽になるはずだ。
「あっ、あっちにお友達がいるわ。お姉様、わたしご挨拶して来るわね!」
「ええ。気をつけてね。一緒に帰る予定だから」
「はあい。お姉様も楽しんでねえ」
そう言いながら、エミリアは軽やかに手を振った。
裾を揺らして歩き出すエミリアのもとには、すぐに令嬢たちが集まってくる。
淡い桃色の髪が陽を受けて輝き、笑顔のたびにその周りの空気までも柔らかくしていく。
若い令息たちが我先にと話しかけ、侍女たちでさえ、うっとりとその姿を見つめていた。
――まるで光の中心。
フィオレッタは遠巻きにその輪を見つめ、手にしたカップの中の茶がわずかに揺れるのを見た。
誰も悪気があるわけではない。ただ、自然とそうなるのだ。
妹が笑えば、世界が明るくなる。
フィオレッタが同じように笑えば、「可愛げがない。あなたは昔から、笑うのが下手ね」と評されるだけだというのに。
その言葉を思い出し、フィオレッタは胸の奥で小さく息を吐く。
いつからだろう。誰かに褒められるより先に、妹と比べられるようになったのは。
どれほど努力しても、父母の視線はエミリアへ向けられる。
それでも、フィオレッタは諦めなかった。
王子の婚約者として恥じぬように、学び、礼節を身につけ、すべてを完璧にしてきた。彼の隣にふさわしい人間でありたい。その想いだけで、ここまで来たのだ。
「フィオレッタ様」
名を呼ぶ声に、彼女は振り返った。ロズベルト侯爵家の侍女が、庭の奥から小走りに近づいてくる。
「殿下がお呼びです。奥の温室の方へお越しくださいとのことです」
「……ルシアン様が?」
「はい。おひとりでお待ちとのことでした」
「わかったわ。すぐに向かいますね」
侍女の言葉に、フィオレッタの胸の奥がふわりと温かくなった。
このところ、殿下とは公務や社交の場で顔を合わせるだけだった。久しぶりに、エミリアもいない場所で二人きりで話せるのかもしれない。
(ルシアン殿下……どうしたのかしら。わざわざお呼びになるなんて)
思わず指先で頬を押さえる。ほんのりと熱い。
春の日差しのせいだろうか、それとも胸の奥で小さく弾む鼓動のせいだろうか。
可憐な願いを胸に、フィオレッタは春の庭園をまっすぐに進んでいった。
王都でも屈指の社交家として知られる侯爵夫妻の催す春の茶会には、貴族たちが色とりどりの衣装で集い、笑い声と香水の香りが花のように咲き乱れている。
楽士の奏でる弦の音が風に乗って流れ、白砂の小径には薔薇の蕾が並ぶ。
その光景を見つめながら、公爵令嬢フィオレッタ・グラシェルは白磁のカップを指先に支え、完璧な微笑みを浮かべていた。
(ルシアン様はどちらにいるのかしら)
婚約者である第三王子ルシアンの姿が見えない。
先ほどまで隣にいたはずなのに、ふと目を離した隙にどこかへ姿を消していた。
「お姉様、ルシアン殿下はきっと侯爵夫人と挨拶をしていらっしゃるのよ。そんなに焦らなくても、すぐにお戻りになるから安心してね!」
軽やかな声でそう告げたのは、妹のエミリアだった。
淡い桃色の髪が陽を受けて光り、ふわりと揺れるたびに周囲の令息たちが目を細める。
「ええ、そうね」
フィオレッタはカップを口元に運びながら、無理に笑みを作った。焦っているつもりはないのだが、そう大きな声で言われると少し困ってしまう。
本来なら、こうした場には婚約者と来るのがマナーだ。
けれどエミリアが「ぜひお姉様と一緒に行きたいの」と言い出したとき、母も父も喜んで許可を出した。
姉妹で仲睦まじく見えるのは良いことだと、父はご満悦だった。だからここには、ルシアンとエミリアと三人で来た。
「エミリア様は天使のような御方だ……」
「本当に、姉妹でこうも違うとは」
背後から聞こえた囁きに、フィオレッタはそっと振り返った。
噴水のそばに立つ若い貴族たちが、扇の陰で笑いを噛み殺している。目が合った瞬間、彼らの笑みが凍りついた。
フィオレッタはわずかに首を傾げ、出来るだけ柔らかく微笑んだ。
深紅の髪と、ほんの少しだけつり上がった緑の瞳。妹と比べると威圧的に見えるらしく、こうした話を聞くのは今に始まったことではない。
「なにか、私の顔についているでしょうか?」
極力穏やかな声を出すと、男たちはたじろぎ、慌てて頭を下げた。
「い、いえ、とんでもない! フィオレッタ様も美しいお方だと感嘆しておりまして!」
「そ、そうですとも!」
逃げるように離れていく背を見送りながら、フィオレッタは静かに息をついた。
やはりフィオレッタの笑顔は人を畏怖させてしまうらしい。自分ではことさら柔らかく微笑んでいるつもりでも、あのように怯えられてばかりだ。
「どうしたのかしら、あの方々ったら顔色を変えてるわ」
「ただ挨拶をしただけよ」
「ふふっ、やっぱりお姉様はすごいわ。そのドレスもとてもお似合いよ!」
フィオレッタを見るエミリアは、屈託のない笑顔を浮かべている。
どう答えたらいいのか分からず、フィオレッタは曖昧に微笑んだ。
ドレスを選ぶ権利はフィオレッタにはない。
金糸の刺繍が走る紅色のドレスを纏った彼女の姿は、庭園のどの花よりも鮮やかだった。けれどその華やかさも、彼女の望んだものではない。
お茶会に着るには派手すぎるのだ。どう考えても胸元も開きすぎている。赤髪に赤いドレスだなんて、威圧的でしかない。
母と妹にはそう意見したけれど、当然のことながら採用されることはなかった。
『お姉様には、やっぱり真紅がいちばんお似合いだわ。殿下の隣に立つ方なんだら、誰より目立たなくっちゃダメよ!』そう微笑んだ妹の言葉に、母は『さすがはエミリアだわ、優しい子ね』と満足そうに頷いていた。
そうなれば、もうそれ以上意見をしても無駄なのだ。反対すればエミリアが泣いて、フィオレッタは融通の利かない意地悪な娘だと悪者扱いされる。
(これまでもずっとそうだったもの。仕方ないわ)
それでも、もう少しでそれも終わるだろう。
フィオレッタがルシアンと結婚したら、公爵家に戻ることはない。少しは心が楽になるはずだ。
「あっ、あっちにお友達がいるわ。お姉様、わたしご挨拶して来るわね!」
「ええ。気をつけてね。一緒に帰る予定だから」
「はあい。お姉様も楽しんでねえ」
そう言いながら、エミリアは軽やかに手を振った。
裾を揺らして歩き出すエミリアのもとには、すぐに令嬢たちが集まってくる。
淡い桃色の髪が陽を受けて輝き、笑顔のたびにその周りの空気までも柔らかくしていく。
若い令息たちが我先にと話しかけ、侍女たちでさえ、うっとりとその姿を見つめていた。
――まるで光の中心。
フィオレッタは遠巻きにその輪を見つめ、手にしたカップの中の茶がわずかに揺れるのを見た。
誰も悪気があるわけではない。ただ、自然とそうなるのだ。
妹が笑えば、世界が明るくなる。
フィオレッタが同じように笑えば、「可愛げがない。あなたは昔から、笑うのが下手ね」と評されるだけだというのに。
その言葉を思い出し、フィオレッタは胸の奥で小さく息を吐く。
いつからだろう。誰かに褒められるより先に、妹と比べられるようになったのは。
どれほど努力しても、父母の視線はエミリアへ向けられる。
それでも、フィオレッタは諦めなかった。
王子の婚約者として恥じぬように、学び、礼節を身につけ、すべてを完璧にしてきた。彼の隣にふさわしい人間でありたい。その想いだけで、ここまで来たのだ。
「フィオレッタ様」
名を呼ぶ声に、彼女は振り返った。ロズベルト侯爵家の侍女が、庭の奥から小走りに近づいてくる。
「殿下がお呼びです。奥の温室の方へお越しくださいとのことです」
「……ルシアン様が?」
「はい。おひとりでお待ちとのことでした」
「わかったわ。すぐに向かいますね」
侍女の言葉に、フィオレッタの胸の奥がふわりと温かくなった。
このところ、殿下とは公務や社交の場で顔を合わせるだけだった。久しぶりに、エミリアもいない場所で二人きりで話せるのかもしれない。
(ルシアン殿下……どうしたのかしら。わざわざお呼びになるなんて)
思わず指先で頬を押さえる。ほんのりと熱い。
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