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36 フィオレッタと文官
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フィオレッタは反射的に振り返る。そこには、王都から来ていた若い文官二人が立っていた。顔はこわばり、まるで意を決したような表情で、こちらを見つめている。
(浮かれていた)
胸がひやりと冷える。
彼らは王都から来た若手文官たち。初めて顔合わせをしたときも、驚いていたような顔をしていたと思う。だから、近づかないようにと思っていたのだけれど。
「……やはり、フィオレッタ様なのですね」
震える声でそう告げられ、もう逃げ場はないと悟る。
ここへ来て、ようやく落ち着ける場所を見つけたというのに。
悪女と噂される自分が、辺境伯領で過ごしていることが知られれば、迷惑がかかるに決まっている。
ごまかすこともできず、フィオレッタはきゅっと手を握り、静かに頷いた。
「……はい。私がフィオレッタですわ」
観念してそう答えると、文官たちの顔がクシャリと歪んだ。
「よ、良かった……ご無事で……!」
「まさか、辺境にいらっしゃったなんて……! 王都では、皆……皆、あなたが……」
言葉が続かず、文官のひとりは目元を拭う。
フィオレッタは呆然とした。
(……どういうことかしら? 私は、嫌われていたはずで)
動揺しているのは、フィオレッタだけではなかった。
彼らはまるで失われた大切な人を見つけたかのように、深い安堵を滲ませている。
「フィオレッタ様……本当に、お元気そうでよかった……!」
ひざまずきそうな勢いで頭を下げる文官たちに、フィオレッタは思わず一歩後ずさる。どうやら、彼らに悪意があったわけではないようだ。
「……知り合いの伝手でこの領に来たの。この城に来たのは、色々な偶然が重なってのことです」
「そうなんですね……! 俺も思い切って辞めてきてよかったです!」
「本当に! あんなクソみたいな職場」
「まあ」
二人はよっぽど鬱憤が溜まっていたのか、とんでもないことを口にしている。
どうやら、フィオレッタがいなくなった後の執務は大変なことになっていたようだ。
「私のことは、その名前では呼ばないでくれますか? ヴェルフリート様たちは、知らないんです」
「……えっ、そうなんですね」
「そ、それは失礼致しました……!!!」
事情を察したらしい文官たちは、さっと青ざめながらコクコクと何度も頷いている。フィオレッタも、彼らが敵ではないことに深く安堵した。
「あなたたちの働きぶりはよく覚えているわ。これからも、この城を支えてくださいね」
それは、フィオレッタにとって心からの言葉だった。この優秀な文官たちがいてくれたら。ヴェルフリートの執務は一段と効率的になるだろう。
「それは勿論ですよ。ヴェルフリート様も無口で怖いけど理不尽なことは何も仰らないし、フィオレ……フィオ様だって。全く、なんであんな根も葉もない噂が――」
「お、おいっ!」
隣の文官が慌てて肘で突く。
一人は「しまった!」という顔で口を押さえ、二人そろってバタバタと姿勢を正した。
「し、失礼しました! では、我々は執務に戻ります!」
「引き留めて申し訳ありませんでしたっ」
妙に揃った声とともに、二人は慌ただしく踵を返す。
足音を響かせながら廊下の角を曲がって消えていった。
(やはり、噂は彼らも知っていたのね)
フィオレッタはそっとため息をつき、胸のざわつきを押さえながら歩き出した。
先ほどの会話の余韻がまだ胸に残っている。驚きと、安堵と、少しの不思議と。
気を取り直して子供部屋へ向かおうと角を曲がった――その瞬間。
「フィオ様」
「……!」
正面に立っていた影に、フィオレッタは思わず胸に手を当てた。
いつの間にかそこに立っていたのは、クラウスだった。
いつもの飄々とした笑みは消えており、珍しく真面目な表情をしている。
「少し……お時間ありますか?」
低く抑えた声は、先ほどの文官たちとはまるで違う種類の緊張をはらんでいた。
(浮かれていた)
胸がひやりと冷える。
彼らは王都から来た若手文官たち。初めて顔合わせをしたときも、驚いていたような顔をしていたと思う。だから、近づかないようにと思っていたのだけれど。
「……やはり、フィオレッタ様なのですね」
震える声でそう告げられ、もう逃げ場はないと悟る。
ここへ来て、ようやく落ち着ける場所を見つけたというのに。
悪女と噂される自分が、辺境伯領で過ごしていることが知られれば、迷惑がかかるに決まっている。
ごまかすこともできず、フィオレッタはきゅっと手を握り、静かに頷いた。
「……はい。私がフィオレッタですわ」
観念してそう答えると、文官たちの顔がクシャリと歪んだ。
「よ、良かった……ご無事で……!」
「まさか、辺境にいらっしゃったなんて……! 王都では、皆……皆、あなたが……」
言葉が続かず、文官のひとりは目元を拭う。
フィオレッタは呆然とした。
(……どういうことかしら? 私は、嫌われていたはずで)
動揺しているのは、フィオレッタだけではなかった。
彼らはまるで失われた大切な人を見つけたかのように、深い安堵を滲ませている。
「フィオレッタ様……本当に、お元気そうでよかった……!」
ひざまずきそうな勢いで頭を下げる文官たちに、フィオレッタは思わず一歩後ずさる。どうやら、彼らに悪意があったわけではないようだ。
「……知り合いの伝手でこの領に来たの。この城に来たのは、色々な偶然が重なってのことです」
「そうなんですね……! 俺も思い切って辞めてきてよかったです!」
「本当に! あんなクソみたいな職場」
「まあ」
二人はよっぽど鬱憤が溜まっていたのか、とんでもないことを口にしている。
どうやら、フィオレッタがいなくなった後の執務は大変なことになっていたようだ。
「私のことは、その名前では呼ばないでくれますか? ヴェルフリート様たちは、知らないんです」
「……えっ、そうなんですね」
「そ、それは失礼致しました……!!!」
事情を察したらしい文官たちは、さっと青ざめながらコクコクと何度も頷いている。フィオレッタも、彼らが敵ではないことに深く安堵した。
「あなたたちの働きぶりはよく覚えているわ。これからも、この城を支えてくださいね」
それは、フィオレッタにとって心からの言葉だった。この優秀な文官たちがいてくれたら。ヴェルフリートの執務は一段と効率的になるだろう。
「それは勿論ですよ。ヴェルフリート様も無口で怖いけど理不尽なことは何も仰らないし、フィオレ……フィオ様だって。全く、なんであんな根も葉もない噂が――」
「お、おいっ!」
隣の文官が慌てて肘で突く。
一人は「しまった!」という顔で口を押さえ、二人そろってバタバタと姿勢を正した。
「し、失礼しました! では、我々は執務に戻ります!」
「引き留めて申し訳ありませんでしたっ」
妙に揃った声とともに、二人は慌ただしく踵を返す。
足音を響かせながら廊下の角を曲がって消えていった。
(やはり、噂は彼らも知っていたのね)
フィオレッタはそっとため息をつき、胸のざわつきを押さえながら歩き出した。
先ほどの会話の余韻がまだ胸に残っている。驚きと、安堵と、少しの不思議と。
気を取り直して子供部屋へ向かおうと角を曲がった――その瞬間。
「フィオ様」
「……!」
正面に立っていた影に、フィオレッタは思わず胸に手を当てた。
いつの間にかそこに立っていたのは、クラウスだった。
いつもの飄々とした笑みは消えており、珍しく真面目な表情をしている。
「少し……お時間ありますか?」
低く抑えた声は、先ほどの文官たちとはまるで違う種類の緊張をはらんでいた。
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