失声の歌

涼雅

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「歌姫は、成長するにつれ、歌えなくなっていったんだ」

暫くの沈黙の後、団長は息を吸う

「歌姫になるはずだった彼は、徐々に、サーカス団内で追いやられるようになってしまった」

守れなかった僕の責任さ

いくらか昔、ここの近くの村に少しばかり定住していてね

道具とかの修理や仲間の休養でね。

その頃だろうか、夜になると歌姫は姿を消していたんだ

最初はすごく心配したさ、律儀な子でね、勝手にいなくなることなんか今まで無かったのだから

…孤独を知っている者は逃げ出せないと先程言っただろう?

だけど、例外がいるんだ

彼がその1人さ

『もうどうにもなってしまえと思っている者』は逃げ出せるのさ

逃げ出すことが悪いと言っているわけじゃない。

結果、現に今歌姫になれているのだから。

でも、あの時の彼にはあらゆることが重なりすぎたんだ

歌姫にならなければいけないという責任

周りからの重圧

自分の思い通りにならないという、やるせなさ

…他にもきっと彼には降り掛かっていたのだと思う

僕はそんな彼にこう言ったんだ

「必ず歌姫になろうとしなくてもいい」

「したいことをすればいいさ」

彼が少しでも楽になれれば、そう思っての言葉だった

そんなはずだったが、僕の言葉は彼にとって更に重荷になってしまったんだ

それら全てが、彼が夜になると姿を消していた理由さ

けれど、夜が耽ける前に彼は必ずサーカス団の元へ帰ってきた

きっとどこかで気晴らしをしてくれていればいい、とそう願って僕は彼を咎めなかった

いま思えば彼のことを放って置きすぎたのかもしれない

もう遅いけれど、彼の歌をもっと真摯に受け止めていたら。

そう考えずにはいられないけれど、きっとそれは僕じゃ駄目だったんだ

今更だけど、今だからわかる。

…彼の歌を聞いて、彼自身を受け止めてくれたのが、君でよかったと、心から思うよ

毎夜、どこかへ行ってしまう彼は日を重ねるごとに、楽しそうな顔をしていたんだ

あの頃は見られなくなっていた表情だった

色々なことに押し潰されそうだった彼を救ってくれたのはきっと、君だったんだろう

それを知ったのは彼の歌が幼少期のような歌唱力を取り戻していった頃だった

定住していた村から離れ、また転々としていた時、彼のポケットから紙が落ちたんだ

僕はそれを拾って彼に渡そうとした

そしたら必然的にとある文字が目に入ってしまってね

『好きだ』と力強い文字が。

衝撃だったよ

彼は滅多に人と話さない

誰かに頓着することは無かったし、興味が湧くことさえ珍しい事だったから。

それでもこの文字は誰かから向けられた言葉で、とても大切にしていることがありありと伝わってきたよ

…その紙は握り締めた跡や繰り返し折り畳まれた跡、肌身離さずずっと持っていたことが、くしゃくしゃの紙だったからわかったよ

僕は彼を変えて支えてくれた人のことを知りたくてね

少々強引な手を使ってしまったけれど、彼から君のことを知ったよ

はじめてサーカス団から抜け出して、夜の森の中で君と出会ったこと

君が失声していて、でも、君と一緒にいることがとても心地よかったこと

君が彼の歌だけではなく、彼自身のことも綺麗だと、好きだと言ってくれたこと

感謝してもしきれないんだ

君のおかげで彼が歌姫になったと言っても過言ではない

君のことをあの子の口から聞く度に僕もそんな君に会いたくなってね

時間がかかり過ぎてしまったけれど、君が歌姫と会っていたという森の近くの村を回ったよ

そして、君がいた

…彼の様子から、薄々感じていたことだったのだけれど、君と彼はあまりいい別れをしていないんじゃないかな

突然の別れだったというのもあると思うけれど、それだけではないような何かを感じてしまってね…。

彼は時々、森を眺めるんだ

この村の近くの森に限ったことではなかった

その瞳は、死を匂わせるように危なげでね。

情けないけれど、僕はそんなあの子に何も言えやしないんだ
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