傷のある娘と傷のある狼

秋空夕子

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第一話

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 まだ太陽が昇りきらぬ早朝。
 村で一番大きな屋敷の離れから、一人の女がふすまを開けて周囲を見渡す。
 人気がないことを確認すると、なるべく音を立てないように外に進んで井戸へと向かう。
 その顔は、隠されるように手ぬぐいで覆われているが隙間から覗く肌には痛々しい傷跡が残っていた。
 なんとか人目につくことなく井戸にたどり着いた彼女は、手ぬぐいを外し井戸の水で顔を濯ぐ。
 一息ついた様子を見せる彼女だったが、こちらに近づく足音に気づくと慌てて元いた離れに足を進めた。
「ねえ、あれ」
「ああ、美弥子様だわ……」
 足音の主らしい女中たちは彼女の存在に気づいて声を潜めるが、その言葉はしっかりと彼女の耳に届く。
「それにしても酷い顔ね」
「昔は綺麗だったそうだけど、今は見る影もないわ」
 哀れみと嘲りが含まれたその声に美弥子と呼ばれた少女の胸は、刃物が突き立てられたように痛んだ。
 離れにたどり着いた彼女は中に入ると、片隅に置かれた鏡台に向かう。
 母がこの家に嫁いだ時に父から与えられた品だという鏡台には、まるで隠すかのように大きな布がかけられている。
 引き出しを開けると、そこには一本の簪が入っていた。
「……お母さん」
 母の家系に代々伝わる品だと聞いている。
 その簪をそっと髪に挿す。
 ちゃんと挿さっているのを確認してから、鏡にかかっている布に手をかけた。
 それだけで手が震え、呼吸も荒くなっていく。
(大丈夫、大丈夫。落ち着いて……)
 手の震えと呼吸をなんとか抑えながら布をめくると、そこには傷だらけの女が映っている。
 それは紛れもなく、美弥子の顔だ。
「っ!」
 それ以上耐えきれず、簪を鏡越しに一瞥してすぐに布を戻した。
「美弥子さん、そこにいるの?」
 その時、外から声をかけられ、美弥子の肩は大きく震える。
 だが、声の主が父の後妻である義母であることに気づいて、なんとか声を発した。
「お、お義母様、どうなさいましたか?」
「先程、女中たちがあなたの姿を見かけたと話していたのを聞いてね、様子を見に来たのよ」
 開いた障子の向こうに義母が立っている。
 義母は美弥子を見ると、薄く笑みを浮かべた。
「あら、元気そうでよかったわ。しばらくあなたの顔を見ていないから、どうしているのかと思っていたのよ」
「……ご心配をおかけして、申し訳有りません」
「ふふ、これからは時々、母屋の方に顔を出してくれると嬉しいわ」
「…………」
 了承することも拒否することも出来ず、美弥子は口ごもってしまう。
 けれども義母はそのことに関して不快な様子をみせるどころか、より一層笑みを深めた。
「ああ、ごめんなさいね。あなたは人前に出るのが苦手だったわよね。まあ、そんな顔じゃあ無理もないかしら。私だってそんな顔になるぐらいなら死んだほうがましだもの」
「…………」
「あなたも、あなたのお母様も、昔はたいそう綺麗な顔をしていたのに……本当に残念でならないわ」
「…………」
「あんなことさえなければ、きっと周囲から持て囃されていたでしょうに。可哀想にね」
 義母の嫌味に、美弥子は顔を俯けることしかできない。
 口答えするだけの気概も勇気も、彼女にはなかった。
「ああけれど、どうせ外に出るならちゃんと顔は隠して頂戴。うちには化け物が住み着いているなんて噂になっても困るもの」
 言いたいことだけ言って、義母は去っていく。
 一人残された美弥子は、そっと自分の顔に指を這わした。
 ところどころ引きつり、凹凸の付いた肌の感触に、嗚咽がこみ上げる。
 この顔になってからすでに五年の歳月が経っているが、彼女は未だこの顔を受け入れられていない。



 美弥子はこの家の当主の前妻の娘である。
 彼女の母は、それはそれは美しい人だった。
 その美貌は周囲一帯の村や街にの評判になるほどで、やがては大家の息子に見初められ結婚し、娘である美弥子を生んだ。
 美弥子もそんな母の血を引いているだけあって、幼い頃から将来は母と同じく美しく育つことを予見させる愛くるしい顔立ちをしていた。
 父はそんな妻子を溺愛し、母と美弥子は幸せな日々を送っていた。
 けれど、それは突然終わりを告げる。
 五年前のある晩、暴漢が家に押し入り、二人は顔に大きな怪我を負ったのだ。
 その傷跡は怪我が治ってもなお二人の顔に残り、かつての美貌は面影を残して消え失せてしまう。
 このことが原因で、父の心は二人からたやすく離れ、彼女たちは離れに追いやられた上に後妻が迎えられ、二人の存在は完全にはみ出し者となった。
 そして、愛する夫からの仕打ちに耐えかねたのか、母の体は日に日に弱まり、失意の中で息を引き取ったのだ。
 この日以降、美弥子はずっと独りである。



 美弥子は顔を布で覆う。朝のときよりも入念に、決して隙間ができないように。
 そして、そっと家から抜け出す。
 家の中は息苦しい。ここには自分の居場所がないのだと、常に思い知らされる。
 まさしく針のむしろだ。
 けれど、それは外であっても人々の好機の目があれば変わることはない。
 だから美弥子は山に向かう。
 獣や賊に襲われる可能性がある危険な場所ではあるが、それでも美弥子にとってはひと目を気にしないでいい唯一の場所であった。
 山に入ってから、美弥子は一度だけ振り向く。
 遠くに見える生家は、幼い頃の美弥子にとって優しい場所だった。
 けれど、今はもう違う。
 たった一晩で、全てが変わってしまった。
 美弥子は唇を噛み締めて、山奥に足を進める。
(お母さん、お母さん……どうして私も連れて行ってくれなかったの? なんで私を置いていってしまったの?)
 醜い顔になった自分を愛してくれたのは、母だけだった。
 その母も自分を置いて死んでしまった。
 それからというもの、毎日生きているのが辛い。
 誰もが美弥子の顔を恐れ、嫌い、嘲り、笑う。
 それでも、母を追うことをしなかったのは、母の遺言のためだ。
『美弥子……あなたは、幸せになりなさい』
 この言葉が楔となって、彼女を現世に繋ぎ止める。
 けれども、それももう保たない。
 それは周囲から受けた仕打ちもそうだが、彼女自身も信じられていないのだ。自分が幸せになれる、ということを。
 かつて、父は確かに美弥子と母を愛していたし、周囲の人々も優しくしてくれた。
 けれども、醜くなった途端に父は心変わりをしてしまい、周囲の人も態度を変えた。
 その辛い経験が、彼女の心に深い傷を残し、ある強迫観念を抱かせている。
(無理、無理よ。私、幸せになんてなれっこない。だって、こんなにも醜い顔をしているんだもの!)
 女性が幸せになるには美しさが必要で、それを失った自分は幸せになんてなれない。
 それはまるで、呪いのように美弥子を苛む。
(会いたい、会いたいよ、お母さん……)
 母のことを思えば思うほど、母が恋しくてたまらない。
 もういっそ、母に会いに行こうか。
 そんな考えが頭に浮かんだ。
 すると、それはすごくいい考えのような気がした。
 母の遺言を破ることになるが、優しい母はきっと許してくれるに違いない。
 そう思った美弥子は、山奥へとどんどん進む。
(この先には大きな川があったはず……そこで身を投げよう)
 やがて川が見えてきたが、ふと違和感を覚えた。
(あれは……血?)
 赤い血が点々と川から岸辺を通じ森まで続いている。
 誰か怪我をした人がいるのだろうか。
 そう疑念を抱いた美弥子は、その血を辿っていく。
 血の跡を追っていくうちに、鉄の匂いが濃くなる。
 そして、その匂いの主は見つかった。
「……おお、かみ」
 そこにいたのは狼だった。ただし、ただの狼ではない。
 銀色の毛並みは真っ赤に汚れていて、その身の丈は美弥子の体より大きい。
「グルル」
 狼は美弥子の存在に気づき、牙をむき出しで唸り声をあげる。
「あっ……」
 美弥子は思わず身を竦ませた。
 幸いなことに、狼の怪我は酷いようで、起き上がる様子はない。
 今すぐここから立ち去るべきだ。
 そうわかっているのに、美弥子の体は動かず目を離さない。
 その脳裏では、こんなことを考えていた。
(この狼……このままだと死んでしまうかもしれない)
 別に、この狼が死んだところで美弥子に困ることなどない。むしろ、こんな恐ろしい猛獣は死んでくれたほうがありがたいことだ。
 けれど、傷だらけのその姿が、なんだか自分を見ているようで、可哀想になってしまった。
「…………」
 美弥子は少し考えると意を決して、己の顔に巻いていた布を解き、狼に近づく。
「大丈夫、酷いことはしないから」
 距離を詰める美弥子に狼はより一層恐ろしい形相を浮かべるが、それでも美弥子は立ち止まらなかった。
 自死を決意していたがゆえに死への恐怖が一時的に麻痺していたし、このまま狼に噛み殺されても構わないとすら思った。
 けれども、狼は美弥子に噛みつことはなく、ただ睨みつけるだけだった。
 出血が一等酷い傷口に、布を巻き付ける。
 これで少しは流血を抑えられるだろう。
(とりあえず、これでいいかしら?)
 美弥子が顔をあげると、狼がじっと彼女を見つめていた。
 今の美弥子は素顔を晒している。これで相手が人間だったら、どんな反応をされるか不安に襲われていただろうが、今目の前にいるのは狼だ。
 人の美醜など気に留めないであろうから、美弥子も気を楽にできた。
「何か、食べられるものがないか、探してくるわね」
 こちらの言っていることなどわからないだろうに、そう声をかけて美弥子は狼の傍を離れる。
 森を探し回って、手に入ったのは両手で持てるほどの木の実だけ。
 果たして狼が食べられるかはわからなかったが、試しに狼の前に置いてみると、匂いを執拗に嗅いだ後、口に含んだ。
「よかった」
 それを見て、ほっと安堵の息を吐いた。

「結局、死に損なっちゃった……」
 狼に別れを告げ、家に戻る途中で美弥子はポツリと呟いた。
 もともと衝動的な感情だったからか、狼の面倒を見ているうちに死への願望はいつの間にか薄まっている。
 しかし、完全に無くなったわけでもない。
 今すぐ死んでも構わないとすら、思う。
 だが、そんな美弥子の脳裏に狼の姿が浮かんだ。
 自分から手を差し伸べておいて、最後まで面倒を見ることなく途中で放り投げるのは、なんだか不誠実なような気がする。
 せめて、狼の怪我が治るまでは生きてみよう。
 そう思った。


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