魔王へのレクイエム

浜柔

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第九章 魔王はここに

第百十一話

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 家の扉がノックに応えるように音も無く開く。その向こうにはアルルが佇んでいた。どこか遠い目をした後、誰も家に足を踏み入れていないにも拘わらず、誰かが入ったかのような仕草を見せて奥へと歩いて行く。
 オリエは入るのを一瞬躊躇ったが、アルルが廊下を曲がったところで慌てて追い掛けた。
 アルルは誰かの寝室らしき部屋のドアの前で止まり、ドアの方を向く。そしてまた振り向いたところで掻き消えた。
 オリエはそのドアまで走る。魔王の気配がますます強く感じられた。万が一にも罠が無いかと周囲を一通り確認してから「こっちだ」と皆を呼ぶ。
 皆が近くまで来たところでドアレバーに手を掛ける。
「開けるぞ」
 エミリーが頷き、その直後にオリエがレバーを回してドアを押し開ける。そしてすかさず身構えた。
 何も起きはしなかった。
「階段?」
 ドアの向こうは下り階段であった。
「降りるぞ」
 オリエは声を掛けてから降り始め、皆もその後に続く。
 下り階段は大きな螺旋階段になり、城の塔一つ分くらいを下った所で終わりを迎えた。正面にはまた扉だ。
 オリエは迷わず扉を開けた。その向こうの気配はよく知るものだったからだ。ドアを潜り抜ける。
 その先の広間に魔王は居た。魔王の座る向きから判断すると、いつも通っていた出入り口とはほぼ反対側だ。
「魔王! 久しいな! すまんが場所を借りる」
「その扉は……」
 魔王から驚く気配が零れた。だが、オリエに続いて広間に入った一同を見て、驚きの気配が強く溢れた。
「貴様は!」
 シーリスは魔王の声を聞き流してルセアをオリエが敷いた敷物の上に下ろして寝かせる。ルセアが微かに苦悶の表情を浮かべたが、どうにか無事だ。
 そしてその直後、シーリスは再び膝を突いた。更に両手を突いて切れ切れの荒い息をする。
『シーリス様!』
 サーシャが駆け付ける。暫くの間おろおろした後、シーリスの横に座り込んだ。
『シーリス様、お座りになって私に寄り掛かってくださいませ』
 シーリスはその厚意を無下にはしなかった。

 僅かに時間は前後し、サーシャがおろおろする傍らで、ルセア目掛けてスライムが躙り寄る。
「てめぇ! 所構わずサカってんじゃねぇぞ!」
 エミリーが魔法で吹き飛ばした。
 ところがスライムはバラバラにされても尚、ルセアに向かって躙り寄る。
「いい加減にしねぇとマジで消し炭にすんぞ、こらっ!」
「待て! エミリー、ここはカーミットに任せてやってくれ」
 スライムに向けて更に魔法を放とうとするエミリーをオリエが羽交い締めにして止めた。
「何、寝言言ってんだ! キャッキャウフフやってるんじゃねぇぞ! 命が懸かってんだぞ!」
「だからこそだ! 頼むから」
「ちっ、わーったよ……」
 あまりに真剣なオリエの声にエミリーは頷かざるを得なかった。
 バラバラになって小さくなったスライムは、それぞれにルセアの左頬、左脇腹、左腕の傷を覆う。未だ刺さったままだった木片を溶かし、左腕を縛っていた紐も溶かす。そしてルセアの欠けてしまった肉体をそのスライムの身で埋めた。
 ただ、千切れ飛んだ左腕の先は、ルセアの身体に繋げるのではなく、溶かしてしまう。
 それを見たエミリーがまたいきり立つ。
「おい! 腕を溶かしてるじゃねぇか! 本当に大丈夫なんだろうな!?」
「エミリーさん」
 答えたのはゴンドラを発ってから初めて声を出したリリナだ。表情には安堵を浮かべている。
「残念ですけど、左腕はもう繋げられませんでした。時間が経ちすぎてしまったのです。でも……」
 リリナは左腕の保存も試みていたが、治癒魔法だけではここに来るまでの時間がどうにもならなかったのだ。途中で気付いていても、左腕を諦める踏ん切りが付かなかった。
 説明を聞いたエミリーも納得するしかない。だが、リリナがやけにリラックスしているのが気になった。そこを追及すると、リリナが「見てください」とルセアの顔を指し示す。
 ここに来るまで苦悶に歪んでいた表情が、穏やかなものになっている。
「カーミットさんが手伝ってくださいます」
 今まで治癒魔法で行っていたルセアの生命維持をスライムが肩代わりしてくれているのだと言う。左腕にも溶かした腕の代わりに腕の形になってくっついている。
 こればかりはエミリーも驚かずにいられなかった。一方でオリエが「な? 言っただろ?」とドヤ顔をする。そのせいで感動が半減してしまった。
「さあ、あたくしももう一踏ん張りですわ」
 リリナは両腕で微かな力瘤を作ると、またルセアへと治癒魔法を掛け始める。最初に変化が現れたのは左頬。傷口の周辺から順次スライムがルセアの肉に変わって行く。最後は傷跡も残らず消えた。その次は左脇腹。同じようにスライムがルセアの肉に変わって傷跡も残さなかった。最後に左腕。繋がったスライムが肩の側からゆるりゆるりと腕に変わって行く。
 エミリーも驚愕を隠すことができない。
「腕が再生する……だと?」
 そして終には傷一つ無い左腕がルセアに戻り、ルセアは穏やかな寝息を立てた。

 サーシャにもたれ掛かった直後に気を失ったシーリスは、暫くして意識を取り戻した。ルセアが治療される様子をぼんやり眺め、その傷が完全に癒えたのを見て心の底から安堵した。
 これでもう憂いは無い。脂汗を流しながらもまた立ち上がる。
「待たせたわね、魔王。五百年ぶりってことになるのかしら?」
「貴様を待った覚えは無い」
 シーリスは先程の無視した件を言ったのだが、魔王は五百年の方で受け取ったらしい。
「さっきは再会を喜んでくれてたんじゃないのかしら?」
「世迷い言を」
「まあ、いいわ」
 本題ではないところで会話の齟齬を追及しても無意味だと悟ってシーリスは一旦話を切った。
「お届け物が有るのよ」
 魔王が疑問の気配を発するが、シーリスはそれには応えずにサーシャを見やる。
『サーシャ、記憶結晶を願いたし』
『は、はい!』
 サーシャは一瞬、動転したが、このために付いて来たことを思いだし、抱えたカバンから記憶結晶を取り出す。シーリスより二歩ばかり前に出て蓋を開け、魔力を注ぐ。
 この時、サーシャは誰かの声を聞いたような気がした。
 そして記憶結晶は小さな人影を映し出す。

「ハニャト……。いえ、ハニャトではないのかも知れませんね。
 でもハニャトならいいな。それなら私がハニャトを守れたってことだから。
 だからハニャトだと思って話します。

 これをハニャトが見ているのなら、きっと私はもうこの世に居ないのでしょう。
 でも悲しまないで。悲しんでいては幸せが遠のいてしまうから。
 望んでもいないのにこの世界に連れてこられたハニャトには幸せになる権利が有ります。もしも他に誰も認めなくても私が認めます。きっとお師匠様も認めてくれる筈です。
 だから幸せを手放さないで。

 戦いももう終わっていることでしょう。もしも次が有ったとしても、これ以上ハニャトが戦う必要なんてありません。囮になるなんて以ての外です。この世界の戦いはこの世界の人だけでやればいいんです。
 ハヤトは戦いから逃げていい。もしも他に誰も許さなくても私が許します。きっとお師匠様も許してくれる筈です。
 だから自分の命を第一に考えるのよ?

 私はもう傍に居られないけど、ハニャトには未来が残されている。
 きっと何だってできるわ。沢山の楽しいことだってきっと。

 そして願わくばハニャトの前途に光があらんことを。
 そして願わくばハニャトが安らかに暮らせますように」
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