慟哭の螺旋(「悪役令嬢の慟哭」加筆修正版)

浜柔

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第七話 対価-3

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 この日の夕刻、駐留軍で最も高い階級となったハロルドは全兵士を詰め所に待機させ、小隊の副隊長以上を集会場を兼ねた食堂に召集した。通達するのは連隊長と第三大隊隊長の死亡、及び駐留軍のハイデンからの撤収。撤収の理由にするのは駐留費用の枯渇である。枯渇は今に始まったことではないが、見ない振りなどできない確かな理由だ。合わせて帰還した際にボナレス伯爵から未払いのままの報酬や給料が支払われるとも話す。勿論、この支払いについては嘘だ。
 また、撤収開始は明後日の予定とし、同時に撤退完了までの辞職や契約解除を認めず、今後一切の徴発を禁止する。当然ながらボナレス伯爵の指示は無かった扱いである。
 この通達を聞いて表情に安堵や歓喜を浮かべるのは第二大隊の兵士。対して不満げに聞いたのは第一大隊と第三大隊の兵士だ。特に第三大隊は金銭での繋がりでしかないため不満が口から出やすい。
「ふざけんな! 美味しい思いもできねぇまま指をくわえて撤収だと!?」
 これはあくまでこの傭兵の主観。第二大隊所属の兵士を除けば、徴発した、あるいは検問で押収した金品を多かれ少なかれ懐に入れている。つまり「美味しい思い」だ。再分配などせず、これらに関わった兵士だけで山分けすることから兵士間で格差のようなものは有るが、それだけのこと。食糧難からこのかた好き勝手できなくなったのを不満にしているのである。
 このことも有り、ハロルドは傭兵の言うことを一顧だにしない。
「これは命令だ」
「何が命令だ! 傭兵の俺には関係ねぇ!」
 無論、関係なくはない。傭兵と言えども軍に所属するなら命令遵守じゅんしゅが義務である。さもなければ収拾が付かなくなる。
 ハロルドがこれまで徴発を止めさせることができなかったのも軍規を尊重していたからなのだ。連隊長を殺害するのは簡単でも、そうしてしまえば上官殺しの逆賊となる。自らの軍人としての誇りも傷付いてしまう。だから連隊長を排除できずにいた。
 だが、その連隊長がヘンドリックによって殺害された今なら自由に駐留軍を動かせる。
 ところが傭兵が全員これを理解しているとは限らない。
「こっちで勝手にやらせて貰う!」
 傭兵が食堂から出て行こうとする。
 ハロルドはその背中に呼び掛ける。
「今後の徴発は強盗と見なす。命令違反も合わせれば極刑だ」
「やれるもんならやってみやがれ!」
 振り返って叫んだ傭兵は感情を高ぶらせて冷静な判断ができないらしい。
 だがそれはハロルドの知ったことではない。傭兵の前に進むと、表情には何の感情も見せないまま足払いを掛けてうつむけに転ばしつつ、腕をひねり上げて取り押さえた。
 腰からナイフを抜いて傭兵の首に突き付ける。そして感情のもらない声音で言う。
「いつでも首を斬れることは理解できたか?」
 何の気負いも無い言葉は底冷えするかの如く、ついうっかりだけで容易に命を刈り取りそうな響きがある。傭兵は凍えでもしたのか歯の根が合わず、カチカチと鳴る。介入しようと動きを見せた他の傭兵に対してはベックが剣の柄に手を添えて牽制しているので、傭兵を助ける者も居ない。
 ハロルドがナイフの刃を軽く押し付けると、傭兵の小さな悲鳴に合わせて首から一筋の血が流れた。
「どうなんだ?」
 血を流させて尚、ハロルドの口調には微かな揺るぎも無い。誰の目からも目の前の傭兵を殺すことに躊躇いが無いように見える。
「わ! 判った! あんたの言う通りにする!」
 傭兵は喉が動いてこれ以上傷が深くならないよう、声を掠れさせて叫んだ。
 ハロルドはゆっくりと立ち上がりつつ傭兵から手を放し、ナイフを鞘に収める。
「お前達の報酬の請求先はこの町の住民ではなくボナレス伯爵だ。心しておけ」
「まったく、敵わなねぇなぁ」
 傭兵はきびすを返したハロルドを尻目に、痛みが残るのか、捻られた腕の動きを確かめるように回しながら腰を上げる。
「……とでも言うと思ったか!」
 そして立ち上がると同時にナイフを抜いてハロルド目掛けて突き出した。
 キンと鋭い金属音が響く。ハロルドの右手には逆手のナイフ。突き出されたナイフを振り向きざまになしつつ、自らのナイフの刃で迫るナイフの刃を弾いたのだ。
 ところが傭兵がそのまま崩れ落ちるように床に臥す。ハロルドがナイフの刃を合わせただけだったにもかかわらずだ。
 奇妙な静寂の中、ハロルドは傭兵の目に突き刺さった食事用のナイフを見た。直前まで後ろを向いていたために突き刺さった瞬間は見ていない。
「何が起きた?」
 誰にともなく問いを投げた。
「お、俺は見たぞ! ナイフが浮いていた!」
 見ていた傭兵の一人が声を上げた。
 それを不十分と見てか、兵士の一人が言葉を継ぐ。
「確かに不自然な動きでした。ナイフが横滑りして彼の目の前に移動したように見えました」
 傭兵はナイフを突き出す自らの勢いによって、目前に現れたナイフに突き刺されたらしい。それを確認するハロルドの視線に、ベックもその通りだとばかりに頷いた。
のろいか」
 ハロルドはえて皆に聞こえるように呟いた。途端、室内がざわめく。話で聞いていても目の当たりにした者は少ないのだ。「そいつは呪われていたのか?」「今までの不審死も呪いのせいなのか?」などと想像も膨らんでゆき、誰かの「近くに居たらこっちまで呪われるんじゃないか?」の一言でハロルドとベックを除く皆が一斉に死んだ傭兵から距離を取る。
 伝染病じゃあるまいしとハロルドは苦笑する。だが直ぐに「これを利用しない手はない」と考える。
「呪われたのはこの男だけではないぞ!」
 むくろになった傭兵を指差しつつ声を張る。
「軍全体が呪われているのだ! このままハイデンに居続ければ全滅するまで呪われ続けるぞ!」
 これは半ば出任せである。だがハロルド自身が知らないだけで真実でもある。
 とは言え聞く側にとっては言葉の印象が全てだ。「そんな! 俺らみんながそいつみたいに殺されるって言うのか!?」「いつ来るかも判らないのか!」「早く家に帰してくれ!」などと口々に言いつのる。
「鎮まれ!」
 ハロルドの一喝で皆、口をつぐむ。
「先も言った通り、明後日出発だ! 直ぐに準備に取り掛かれ!」
 小隊長を務める兵士らは銘々に敬礼して足早に食堂から立ち去った。

 ベックを伴って自室に戻ったハロルドは一旦腰を落ち着ける。念のためにと恐る恐る確認してみれば、不可思議な現象はしずまっていたのだ。
「呪いがとんだところで役に立ったな」
「目の前で見れば誰でも逃げたくなりますからね」
「俺達もだったからな」
「まったくです」
 ハロルドはまた立ち上がる。
「さあ、そろそろ俺達も準備に取り掛かろう」
「了解」

 翌々日、ボナレス領軍は帰還の途に就いた。
 その二列縦隊で進む兵士の列をハイデンの住民は狐につままれたように見守る。ぼんやりと列の途切れるのを待つ間の悪い住民も居る。誰しもが突然の成り行きに疑問を浮かべるばかりである。
 その後、幾らか発生した脱走兵を除き、全軍がハロルドに従ってボナレス領都へと帰還する。終着点はボナレスの城館だ。
 ところがその城館に到着した時、ハロルドとベックの姿は軍列から消えていた。
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