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三三 裏に隠れる思惑に

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「はあ……」
 溜め息は、目の前の海の波間にただ消え行く。

 あの時一旦西門に向かったが、せめておかみさんと旦那さんに挨拶をと、途中で酒場へ進路を変えた。
 そこに待ち受けていたのは兵士の一団だった。あたしの店に訪れた兵士とは違い、問答無用で拘束しようとしてきたためにおかみさん達に挨拶することは叶わなかった。
 西門に着くと、馴染みの門番さんが並んでいる人達を無視して先に通してくれた。町から出て一度だけ振り返ると、門番さんが手を振ってくれた。
 そして、王都はクーロンスから見て南西に有るため、途中から東へと迂回して辿り着いたのがこの海岸だ。

 どうしてあたしの力を欲するのか、理由を知りたくないと言えば嘘になる。一度王都に行って調べるべきかと頭を過ぎって足を止めてしまった。
 だが、知ったところで何かが変わることもない。今はこの国を離れるのを急ごう。
 そう決めた矢先だった。
 ギンゴン、ギンゴン、ギンゴン。
 通話石が鳴った。
「はい」
 恐る恐る応答してみると、相手は何も言わない。
 無言電話?
 血の気が引いた。
 無言電話で連想されるのはストーカーだ。何者かがあたしを追ってこようとしているのかも知れない。考えてみれば、番号の知れ渡っている通話石を持ったままだと容易に居場所を特定される。
 暫し、通話石と海を見比べた。
「とりゃっ!」
 未練を振り払い、通話石を思い切り沖合へと投げ入れた。

 海岸沿いを南に走る。町が有れば迂回して南へとひた走る。
 国境には検問が有るが、それは街道沿いだけのこと。原野や森を駆け抜けていけば問題ない。
 そうして、日が沈んだ頃に隣国の町に着いた。
 一夜の宿のベッドの中で、同じことが起きないようにするにはどうするかを考える。
 本を正せば人前で力を使ってしまったのがいけなかった。その所為で、あたしの力を利用しようとした輩が近付いて来たのだろう。だったら人前では力を使わないように気を付ければ良い。
 そう心に決めて眠りに就いた。

  ◆

「あれ?」
 起きたら見知らぬ天井だ。飛び起きて周りを見回した。
 暫く呆けた後、昨日の事を思い出した。
「はあぁ……」
 脱力して、溜め息が出た。
 一からやり直しである。だけどまあ、一年前のこの世界に来た時よりはマシだ。最小限の着替えも有れば、日用品も有る。お金も三八〇万ゴールドほど残っている。それに加えて料理道具も有る。これならきっと何とかなる。
「ふんっ!」
 気合いを入れてみた。

  ◆

「千佳さん?」
「はい?」
 宿屋の一階の食堂で朝食を摂っていると、声を掛けられたので振り返った。
「やはり、千佳さんでした」
「ランドルさん?」
「はい。相席しても宜しいですか?」
「はい、どうぞ」
 ランドルさんはあたしの前に座り、朝食の注文をした。
「驚きました。私は出来るだけ急いだつもりだったのですが、それでもここまで一ヶ月掛かったのですよ?」
「はは……」
 若干、冷や汗である。
「まあ、熟達した風の魔法の使い手なら、一日で一〇〇〇イグを走るそうです」
「そうなんですか?」
「他にも、風で支えて重い荷物も運べるそうです」
「へぇ……」
 感心するあたしを見て、ランドルさんは肩を竦めた。
 そんな話をしている内にランドルさんの朝食が届いた。既に出来上がっている炙ったハムやスープをよそうだけなので、直ぐに出てくるのだ。
 そして、店の人が立ち去るのを待ってランドルさんは口を開いた。
「何故、貴女はここにいらっしゃるのですか?」
「それが、左大臣と名乗る人が来て『国王の招聘だから直ぐに馬車に乗れ』って言われて、それを断ったら『打ち首だー』とか『引っ捕らえろー』とか言うので逃げてきたんです」
「何ですか? それは……」
「あたしの方が聞きたいです」
「もう少し詳しく話していただけますか?」
 あたしに協力的だった兵士達のことも含めて経緯を話すと、ランドルさんは暫く考え込んだ。そして軽く唸ってから口を開く。
「どうやら、事態は深刻なようですね」
「深刻?」
 コテンと首を傾げると、ランドルさんに微笑まれた。
「私がこの町に辿り着くまでの一ヶ月の間に聞いた噂には、戦争が起きるのではないかと囁くものも有ります」
「戦争!?」
 思わず大きな声が出た。周りからの視線が集まってしまったので愛想笑いで誤魔化す。かなり睨まれた。
「すみません、続きをお願いします」
 声を潜めて言った。
「国が少々強引な手段で兵士を集めているようです。腕に覚えの有りそうな者を片っ端から勧誘しているのだとか。断った者は後日遺体で見つかったり、自宅が謎の出火で全焼したりするのだそうです。幾度かはその場で手討ちにされたとも言われています」
「そんな……」
「しかし、それは表面的な噂に過ぎません」
「と、言いますと?」
「『国が』って少々漠然としていると思いませんか?」
「それは、確かに……」
「それに、国王自らがそんなことをする筈がないのです。リドルが黙っていませんからね」
「おかみさんが?」
「リドルは、言うなれば国王直属なのですよ。そして、国王を諫められる数少ない人物でもあります」
「そんなに凄い人だったんですか……」
 あたしが呆けたように呟くと、ランドルさんは頷いた。
「現役の頃は『閃光』なんて二つ名で呼ばれ、冒険者の憧れだったものです」
「『閃光』ですか?」
「はい。その速さによって、剣筋が一条の光にしか見えないために『閃光』です」
「へぇ……」
「多分今でも、ギルダースとエクローネを含めたクーロンスの冒険者全員を一度に相手取ってもリドルが勝ちます」
「ええ!?」
「そんな彼女を敵に回すほど国王は愚かではありませんし、そこまで愚かな王であればリドルの方から袂を分かっている筈です」
「それでは一体誰が?」
「その前に、街道の怪童の噂はご存じですか?」
「え!? あ、はい……」
 いきなりそんな噂を出されたらびっくりだよ。
「その力は、未だ真価を見せていないものの、垣間見せた範囲でも凄まじいものです」
「はあ……」
 顰めっ面になっているのが自分で判る。
「リドルに勝るとも劣らないものだと考えられませんか?」
「それは……」
 多分、おかみさんには迫力で負けてしまう。
「そんな怪童に王太子は目を付けました」
「はあ……」
「何故だと思いますか?」
「多分、迷宮を攻略するためではないかと……」
 ランドルさんは大きく頷いた。
「普通ならそう考えます」
「え?」
「しかし、あの男にとっては迷宮も単なる道具です」
 あれ? 王太子を『あの男』って言った?
「あの男が望んでいるのは人々からの賞賛だけです。そのための演出や小細工には力を入れますが、それ以外については無能どころか害悪でしかありません」
「はいっ?」
「幾度となく無計画な探索で犠牲者を出しました。きっと表沙汰にならないようにすると思いますが、ここ数年で最大の犠牲者でしょう。ところが、あの男は冒険者や兵士の前で演説し、『犠牲が出たのは犠牲者本人の責任だ』と言い放ちました。そして『自分はそれを寛大に許すのだ』と言います。無論、反発が起きますが、それを態度に示した者は次の無計画な探索へと送り出されるのです」
「そんな、酷い……」
「つまり、行っていたのは迷宮を利用した反対勢力の粛正、或いはその芽を摘むことです。勿論、あの男自身にそんな知恵は働きません。計画も実行も側近どもの仕業です。ですが、その側近を侍らせているのはあの男に他なりません」
 ランドルさんは、水を一口飲んだ。
「そんな彼らにとって最も邪魔な存在はリドルです。彼らとしては彼女を排除したい。すると、どうするか……」
「殺し屋を雇う?」
「はい。しかし、並みの殺し屋の一人や二人じゃ、どうにもなりません。となれば、数を揃えるか、リドルに対抗できるだけの力を持った者を手駒にするかでしょう」
「それじゃ、兵士を集めていると言うのは?」
「その通りです。それと同時に、単独でリドルに対抗できる可能性がある者へも食指を延ばそうとしました」
「それが、怪童ですか?」
 ランドルさんはまた大きく頷いた。
「そして、怪童を手駒にできないとなれば、怪童は彼らにとって極めて厄介な不確定要素となります」
「厄介ですか……」
「はい。そのため、少なくとも二人を同時に相手取る可能性を排除しようとするでしょう」
「もしかして、殺される?」
「恐らくは試みます」
 何だか口の中が苦く感じる。
「そうまでする目的って……?」
「恐らくは、王位の簒奪です」
「ええ!? でも、王太子なら黙っていても王位に就けるじゃないですか」
「王太子は、そうです。ですが、それを操ろうとしている者達には年齢的に時間が有りません」
「操るって……」
「とても騙しやすかったことでしょう。あの男が王太子なのは、単に国王の長子であると言う理由でしかなく、中身は暗愚ですから」
「騙しているのは側近達ですか?」
「はい。しかし、側近だけではありません。そんな王太子派とも言える集団の筆頭は左大臣です」
「え? え? それじゃ、もし馬車に乗っていたら?」
「逃げて正解でしたね」
 あたしはすっかり冷めてしまったスープを啜って、朝食の続きを摂った。
 ランドルさんの話を全て信じることはできないだろう。何より半分はランドルさんの想像でしかない。
 ふと、疑問が浮かんだ。
「あの、ランドルさんは王太子に批判的に見えますが、何故無事だったんですか?」
「それですか……。それは、私が迷宮に行った理由が関係しています」
「あれですか」
「はい。あれの元締めも左大臣なのです。勿論、証拠は残っていませんが、あの事件の真相はギルドを利用した左大臣による公金横領です。まず、補助金の一部はギルドの帳簿に載せることもなく左大臣の懐に入ります。ギルドの使途不明金の行き先も左大臣ですし、借入金の借入先も最終的には左大臣です。素材の買い取りで誤魔化したお金の大半も、ギルド長から上納金として左大臣へと送られていたようです」
 開いた口が塞がらなかった。
「そしてどうやら、それを私が喋ったことは伝わってなかったようで、お仲間と思われていました」
「よく判りました」
「それで思い出しましたけど、迷宮は今、少し大変な筈です」
「何か有ったのですか?」
「交代要員の筈の兵士達が、王太子の帰路の護衛だと称して半分ほど取って返してしまったのです」
「それって……」
「今は拠点防衛で手一杯なのではないでしょうか」
「それで……」
 昨日の迷宮九〇階の光景が頭を過ぎる。そう、まだ昨日のことだ。
 それをランドルさんに話すと、ランドルさんは眉間に深く皺を作った。
「残念ながら、彼らの無事を祈るしかできません」
 何だかもやもやする。
「あの、もし……」
「おかしなことは考えない方が良いです」
「え?」
「迷宮はクーロンスの産業そのものですし、迷宮で産出される魔石は重要な資源です。もし、迷宮が本当に攻略されてしまえば、魔石が不足して国内が混乱します。そして、何よりクーロンスの住民が飢えることになります。住民の殆どは他の町に市民登録する程の蓄えは有りません。それ以前に、旅費すら危ぶまれる者が大半でしょう」
 市民登録の費用、一〇〇〇万円を思い出してハッとした。だけど問題はそこじゃない。
「迷宮が攻略されたからと言って、クーロンスの人達が飢えるなんて変じゃありませんか?」
「既に攻略された迷宮の例では、迷宮から魔物が消え失せました。つまり、魔石が手に入らなくなります。それでも他の産業が有るのなら良いのですが、クーロンスには、特に冬場には迷宮しか産業が無いと言って良い状態です」
 冬の迷宮を思い出し、思わず眉間に力が入ってしまった。
「それなら何故、迷宮攻略が国家事業なのですか?」
「言い伝えによる通説が理由でしょう。迷宮を攻略しなければ、いつか邪神が復活してしまうと言われているものです」
「その話に根拠は無いと?」
「有りません。しかし、信じている者も多いのです。その不安を打ち消すためには対策している振りも必要です」
「振りですか」
 何だか身も蓋もない。
「はい。しかし、言い伝えが真実かどうかを確認する必要も有りますから、最深部を目指しているのもまた事実です」
「それってつまり?」
「最深部の探索だけをして攻略はしない、と言うのが基本的な方針です」
「何だか釈然としません」
「そうかも知れませんね。しかし、攻略が必要なら、ランク2の三人を送り込むことで一日に一階ずつの攻略は可能でしょう。既に攻略済みの迷宮が一〇〇階だったことを考えれば、一〇日で終わってしまいます」
「そう言われれば……」
「あの町は危険と隣り合わせでなければ生きていけないのですよ。それでも尚、迷宮に派遣されている者達を救おうとするならば、一生を迷宮の中で過ごすことになるでしょう。それができますか?」
 あたしは首を横に振った。
「判りました」
 納得したくないが、納得するしかない。
「そう言えば、貴女はエクローネと親しくしていたように見受けられましたが、彼女は町の住民を全力で守る一方で、町の住民のためなら余所者を利用することを躊躇わないところが有ります。果たして、貴女は彼女にとって町の住人なのでしょうか? それとも?」
「え?」
 それだけ言い残してランドルさんは立ち去っていった。多分、あたしとエクローネさんが既に絶交状態なのを知らなかったのだ。
 今となっては、エクローネさんのことはもう、あたしの中で「そんな人も居たね」程度になってしまっている。

 そして、あたしは南へと旅立った。
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