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四一 開店しても客は無し

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 雨上がりの快晴、開店日和だ。
 薩摩揚げ二種類とチーカマをそれぞれ二〇〇個ずつ用意している。それぞれ半分に切ったものを、切り口がお客さんに見えやすいように盛りつけて見本にする。
 商品と釣り銭を指差し確認したら、正午前には開店である。
「よう。あんた、今からなのかい?」
「あ、はい」
 お隣の屋台の店主が話し掛けてきた。
 屋台には仕切りがあるが、あたしの肩くらいまでしかない。一四〇センチメートルくらいだろうか。そのため、上から覗けば隣の店舗が丸見えだ。
「屋台は有るのにいつまでも店を開かないから、何をしているのかと思ったよ」
「ちょっと準備に手間取りまして……」
「ふーん。それでいつもこんな時間からなのかい?」
「そうです」
「遅すぎじゃないか? 一番売り上げがいいのはもっと早い時間だぞ?」
「え!?」
 衝撃の事実に、一瞬思考停止してしまった。
「知らなかったのか? 魚を買うには朝早くじゃなけりゃいいのが無いからな。その帰りに寄っていく客が多いんで、九時前が一番売り上げが良いんだ」
「そうなんですか……。だけど、あたしの場合はその魚を材料に調理したものを売るので、調理の時間のことを考えるとこれ以上は早くできそうにないです」
「そうなのか? 確かに魚だと鮮度が大切だろうな」
「はい……」
 そこまででお隣さんとの会話は止まった。
 お隣さんはパン屋さんだ。毎日の食卓に上がるだろう柔らかそうなパンも有れば、保存重視らしき見るからにカッチカチなパンも売っている。店頭がスッカスカに見えるのは、話からすると売れてしまった後なのだろう。
 あたしのお隣さんは、通りに向かって右側のこのパン屋さんだけだ。反対側は空きスペースで、あたしの屋台はほんとに端っこなのである。

 最初に場所を見た時から覚悟はしていた。開店から一時間ほど経ってもお客さんが全く来ない。市場の端っこなためか、屋台の前を通る人自体が居ないのだ。しかし、屋台から首を覗かせて表の通りを見てみると、人通りは少なくはない。単に屋台の方に入って来ないのである。パン屋さんの一仕事終えた風な様子からすれば、いつもこんな風なのだろう。
 それでも、時間帯の話を聞くまでなら焦りを感じなかったかも知れない。だが、聞いてしまったために何か居たたまれない。
 クーロンスでの、来ないお客さんを待ち続けた日々が思い出されてしまう。あの時は気付かなかったが、もしかするとあの時も営業時間帯に問題が有ったのかも知れない。
 それでもクーロンスでは最終的に利益が出るまでになったのだ。ここで焦ってはいけない。そう、自分に言い聞かせた。

「ねぇちゃん、こんな所に居たのか」
「あ、いらっしゃいませ」
 リアルドさんだった。
「これが、ねぇちゃんの商品か」
 リアルドさんは見本を凝視した。
「はい、薩摩揚げが二種類とチーカマです。どれも材料は魚ですよ」
「何でこれは黒いんだ?」
「それは、材料にしているのが鰯だからです」
「鰯って、あの安っぽい?」
「はい」
「一つ五〇ゴールドなら試しても良いか。判った。二つずつくれ」
「ありがとうございます」

 包み紙の代わりには、また大豆粉のクレープを使っている。
 この世界の物作りは殆どが手作業だ。糸車や織機のような機械は有るが、全て人の手で動かすために生産性が悪い。紙も同様に全て手漉きであるため高価なのである。
 それが判っているから、クレープを焼くのは仕方がないとは思う。しかし、正直なところ負担になっている。クレープを焼く時間が有れば、できればチーカマを焼く時間に充てたいのだ。
 他に包み紙の代わりになるものが無いかと考えつつ周りを見回してみる。すると、少し離れた屋台でバナナを売っているのが見えて、何か引っ掛かるものを感じた。

「いらっしゃいませーっ! 薩摩揚げにチーカマでーすっ!」
 人が通る度に呼び込みを掛けてみるが、調子は芳しくない。一瞥して通り過ぎる人はまだ良い方だ。殆ど見向きもされていない。
 何となく、他の屋台の呼び込みの声にあたしの声がかき消されている気がしないでもない。
 この市場では楽器や物を鳴らすのは禁止されているが、呼び込みは自由にできる。
 そうなると、地声の大きい人が有利だ。それに負けじと声を張り上げると、直ぐに喉が痛くなってしまったので止めた。ハスキーにはなりたくはない。そう、市場はハスキーな声で溢れている。
 そうして、周りに圧倒されつつ、時間は過ぎていった。

 午後五時を周り、店仕舞いをする屋台も出始めた。街灯が無いために日の光が有る内に片付けてしまうのだろう。あたしの場合は片付けるものが殆ど無く、魔光石も有るので暗くなっても大丈夫だ。だから、日が沈むまでは粘ってみるつもりでいる。
「代理人さんじゃない?」
「え?」
 魔法使い風の女性が話し掛けてきた。
「代理人さんはこんな所でお店をやっていたのね」
「あ、今日からなんです」
 直ぐには誰だったか思い出せなかったが、「代理人さん」と言う言い方で思い出した。バッテンの家を撤去してくれたパーティの紅一点だ。
「そうなの? まあ、これも何かの縁だし、一つずつ貰うわ」
「ありがとうございます」
 ぱくっ。
 彼女はその場で薩摩揚げを囓った。
「あら、結構美味しいわね」
「ありがとうございます」
 美味しいと言って貰えると何より嬉しい。
 しかし、彼女は薩摩揚げを食べながら怪訝な表情になった。
「あ、これは……」
「あの、どうかなさいましたか?」
「何でもないわ」
 そう彼女は言ったが、残りの薩摩揚げとチーカマを食べた後で眉間に皺を寄せられると、何か変なものでも混じっていたのかと不安になってしまう。
「これって、本当に五〇ゴールドよね?」
「はい」
「そう。じゃあ、後、二〇個ずつ頂戴」
「あ、はい。ありがとうございます」
 表情とは懸け離れた展開だっただけに、一瞬呆けてしまった。
「代理人さんは、毎日ここで店を出しているの?」
「水曜と日曜を定休にしようと思っています。ただ明日は、今日の明日で休むのも変ですから営業するつもりです」
「何時くらいに店を開けるの?」
「一一時過ぎくらいでしょうか」
「そう、憶えておくわ」
 彼女はそう言い残した。
 その後、日が暮れるまでお客さんは来なかった。
 覚悟はしていたもののやっぱり辛い。ただ、クーロンスの時よりは増しだった。

 自宅に帰ると、買い置きしていたキャベツが目に入った。夕食にするつもりだったが今から料理する気力が湧かない。
 ケチャップを作って貰ったら、ロールキャベツにするのもいいな。
 牛と豚の合い挽き肉の方が良いが、豚だけの挽肉でも大丈夫だ。豚と鶏の合い挽きでも良いかも知れない。想像すると少しワクワクする。
 あっ。
 ロールキャベツに思いを馳せていて気付いた。バナナを見て引っ掛かったのは葉っぱだ。バナナの葉っぱは包み紙代わりにしたり、お皿の代わりにしたりと、使い方色々だった筈だ。バナナの葉っぱを大量に仕入れられるならクレープを焼かなくても大丈夫になる。今度、探してみなければなるまい。

  ◆

 開店二日目は、店を開ける前に他の屋台を回ってみる。
 有った!
 バナナの葉っぱである。幅三〇センチメートル、長さ一メートル程の葉っぱが、一〇枚の束売りで一束三〇〇円だ。なんとそれは、あたしの屋台から見えるバナナ屋さんの屋台でだった。葉っぱは店の奥に積んでいて、遠目には全く判らなかったのだ。
 でも、あまり遠くまでうろうろせずに済んでホッとした。
 このバナナの葉っぱを必要に応じて切って使えば良い。後は、洗う時に人目に付かないように注意するだけだ。
 そして今日は商品の種類が倍増している。実のところ、昨日の売れ残りをフリーズドライにしているだけだったりする。だけど、一個一〇〇円と、値段は倍だ。あたしってば、なんて阿漕。
 フリーズドライにしているのは、三種類がそれぞれ一五〇個である。残りはあたしの昨日の夕食と今日の朝食になった。
 その所為か、なんとなく暫く薩摩揚げを食べなくても良い感じになってしまった。大誤算である。

「これは乾燥しているの?」
「いらっしゃいませ。はい、それは乾燥させた薩摩揚げとチーカマです」
 昨日の魔法使いさんが乾燥薩摩揚げを真剣に検分している。
「昨日は無かったようだけど?」
「実は、昨日の売れ残りを乾燥させたものです」
「それなのに、値段は倍の一〇〇ゴールドなのね」
「はい」
「ちゃっかりしてるわ」
「あはは……」
「だけど、その分手間も掛かっているのも事実よね。取りあえずその乾燥したのを一つずつ頂戴」
「ありがとうございます」
 ガリッ。ガリガリガリ。
 魔法使いさんは直ぐに乾燥薩摩揚げを囓った。
「もっと硬いと思っていたのだけど、普通にかみ砕けるわ」
「はい。お湯で戻すのも簡単ですよ」
「そうなの? 一体どうやって乾燥させたのかしら?」
「それは、企業秘密です」
 口に人差し指を当てて言うと、軽く肩を竦められた。
「それもそうね」
 それだけ言うと、魔法使いさんは目を瞑って何か考え込むような仕草をした。
 数秒間そうした後で、魔法使いさんは目を開けた。
「この、乾燥しているものは、後幾つ有るのかしら?」
「ここに有る在庫は、一四九個ずつです」
「そう。それなら全部頂戴」
「全部ですか?」
 少々想定外の事態である。
「そうよ? 駄目かしら?」
「いえ、駄目じゃないんですが、まとめてお渡しできる袋が無いものですから……」
「そう。なら、ちょっと待ってて」
「はい」

 魔法使いさんは何処かへ行き、麻袋を持って戻ってきた。買ってきたのだろう。
「これで良いかしら?」
「はい、勿論です」
 あたしは袋と代金を受け取ると、乾燥薩摩揚げと乾燥チーカマを袋に全部詰めて手渡した。
「ミクーナ! 探したぞ!」
 その声に魔法使いさんが反応して振り向いた。
「どうかしたの? レクバ」
「待ち合わせに来ないから探したに決まってるだろ」
「もうそんな時間だった?」
「『もう』じゃねぇよ。みんな待ってるんだぞ?」
「それは悪いことをしたわね。移動には魔法を使ってあげるから、それでチャラにして頂戴」
 レクバと呼ばれた戦士風の人は眉根を寄せた。彼はバッテンの家の撤去の時にリーダーをしていた人だ。
「いつもは頼んでも嫌がる癖に、気持ち悪いな」
「使わなくて良いのならそれでも良いわよ?」
「いや、そこは使ってくれ」
「素直で宜しい」
「ん? もしかしてご機嫌なのか?」
「あら? よく判ったわね」
 彼女はご機嫌だったんだ……。不愉快そうな顔をしている時以外はずっと無表情に見えるから、全然判らなかった。
「そりゃ、いつも『魔力の無駄遣いだ』って言ってるお前が、素直に魔法を使うって言うんだからな。雪でも降らなきゃいいんだが」
「ま、失礼な。だけど、雪って何よ?」
「雪を知らないのか? 白くて、冷たくて、ふわふわしていたり……。説明しようと思うと難しいな」
「さっぱり判らないわね」
「この町に住んでたら雪なんて見ないからなぁ」
 レクバさんは説明を捻り出そうと首を捻っているが、捻り出せそうにないようだ。あたしにも無理だ。知らない人に説明するのは難しいよね。
「今度、メプサカスにでも見に行くか」
「それは楽しみね」
「素直すぎて不気味だな」
「貴方、ほんとに失礼ね」
「それはともかく、急ごうぜ」
「ええ」
 話は纏まったようだ。
 きっと、あたしはミクーナさんのご機嫌のお裾分けを頂いたのだろう。だけど、大人買いを想定していなかった。紙袋はやはり調達せねばなるまい。
 そして、二日目のお客さんはミクーナさんきりだった。

  ◆

 開店三日目、今日は開店前に紙を二〇枚買ってきている。暇な時を見計らって袋を作るつもりなのだ。
 大人買いの人に対応するには、袋じゃないと間に合わない。そのため、紙二枚を貼り合わせた大きな袋のみを用意する。そして今回は、大人買いの場合にのみ無料で袋を付ける形になる。
 糊はご飯粒を擂り潰して練ったものを使う。口に入っても安心だし、接着力も悪くない。
 二枚を重ね合わせ、長辺と短辺の片側を一センチメートルずつ折る。その紙の一枚をひっくり返して裏返せば、紙が無駄に重なるのを隅の一センチメートル角に抑えることができる寸法である。
 当然ながらこの作業は開店直後から始めた。紙を一通り折ったら、次にご飯粒を練る。これは念入りに練らないといけない。滑らかでなければ、紙を貼った時の出来上がりがかなり悪くなってしまう。
 黙々と練っていると、無の境地に至れそうな気分にもなる。お客さんが来ても気付かない、なんてことにはならないけどね。
 糊を十分に練ったら、手早く紙に塗って貼り合わせる。ぐずぐずしていると糊が乾いてしまう。紙が皺皺にならないように水気をできる限り少なくしているので、悠長にはしていられないのである。
 そんな訳で、殆どの時間を糊を練るのに費やした袋作りだった。
 良いのか悪いのか、袋作りが中断されることも無かった。

 そして今日は結局、一日中袋作りをしていても大丈夫な日だった。

  ◆

 開店四日目、空は青い。
 真剣に営業時間を考えないといけない。乾燥薩摩揚げと乾燥チーカマの在庫ばかりが増える日々になっては、クーロンスの時の二の舞だ。お隣のパン屋さんの言う通りにもっと朝早くから営業するべきだろう。
 しかしそれには、もっと早くから、あるいはもっと速く調理をしなければいけない。つまり、朝早くから揚げるか、一度に大量に揚げられるようにするかが必要だ。
 人参と玉葱とチーズの下拵えを仕入の前にこなし、朝六時に魚を仕入れたとして、下処理サービスで捌いて貰うのに一時間、自宅に戻って擂り身を作り、薩摩揚げとチーカマの成型するのに一時間、そこから揚げたり焼いたりを三〇分程度で済ませられれば、九時前に開店できる。
 しかし、薩摩揚げは低めの温度でじっくり揚げなければいけないので、一回揚げるのに三、四分は必要だ。今は一度に一〇個ずつ揚げているので三時間弱を要している。三〇分で全て揚げるには、一度に一〇〇個くらいを揚げられるようでなければならない。そんな大きさの鍋も無ければ、そうした場合の油代も問題だ。大量生産は無理なのである。
 揚げるのに要する時間から逆算すると、朝の六時前には揚げ始めなければいけない。そうすると、前日に仕入れた魚を使うことになる。それならいっそ、前の日に作って冷蔵した方が早い。
 平たく言えば、前の日の魚を使って大丈夫かどうかである。特に鰯が不安だ。
 冷凍するしかないかな……。
 クーロンスでは最初こそ冷凍していたものの、自然に冷凍される気温ではなくなった頃から氷漬けにしていた。やはり、冷凍では味が落ちてしまっていたのだ。あの時は皮付きのままの魚だったから良かったが、フィレを氷漬けにするのはどうかと思う。
 氷漬けではなく冷蔵庫のようにするのが良いのだけど、魔法だけでは調節が難しい。冷やせば良い冷凍や、その場の体感温度で調整できる室温と比べると、感覚が掴みにくいのである。それに気温の影響も受けるため、一時間、二時間のことであれば大丈夫でも、一日中だと冷えてなかったり冷えすぎたりと言うことになる。
 チーズや野菜については、涼しければ大丈夫なのでなんとかなっている。

 そして、そんな考えに耽ることができるほどに今日は暇だった。

  ◆

 開店五日目は、魚を少し多めに仕入れ、一部を氷漬けにしてみることにした。
 朝、籠に氷を入れて魚のフィレを並べ、更に上から氷を乗せておく。籠を使うのは、氷が溶けた水に魚のフィレが浸かってしまわないようにするためだ。
 結果は、予想通りに氷焼けして水っぽくなっていた。氷焼けの方は、冷凍に似たようなものだから我慢もできる。しかし、水っぽくなるのはいただけない。擂り身がゆるゆるになってしまって、薩摩揚げの見た目も悪くなってしまう。
 これは、本格的な氷室を作るかどうかしなければいけない。しかし、氷室を作る場所が問題である。大きくもなるし、何より氷が溶けた水をどうするかが難しい。

 そして今日も、乾燥薩摩揚げと乾燥チーカマの在庫が合計六〇〇個増えた。
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