迷宮精霊プロトタイプ

浜柔

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12話

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 すてててててーっと迷宮を幼女が走る。誰でも入れる一階ではない、七階をである。目を疑う光景に呆然と見詰めてしまったサシャだったが、何時までも惚けている場合ではない。
「お嬢ちゃん? お嬢ちゃん?」
 声に気付いたのか幼女はキョロキョロと辺りを見回した後振り向き、サシャを見ると心持ち嬉しそうな表情をした。
「おお、サシャではないか、久しぶりじゃな」
「え!? はじめまして! だよ…ね?」
「なんじゃ? 覚えておらんのか、薄情な奴じゃな」
「ええ!? そんなこと! 言われ…ても…」
「ベーネブからおぬしらが連れてきたと言うのに、老い先短い婆なんぞ知らんと言う事じゃな」
「えええ!? お婆さん! って…誰?」
「わしの事に決まっておるじゃろうが」
「ええええ!? だって! お嬢ちゃん! 5歳位にしか! 見え…ない…よ?」
「そんな馬鹿な話が…ぬ? はて? なんじゃこりゃああぁぁぁ!!」
 幼女はサシャの台詞に、自分の身体を見た後叫んだ。
「なんじゃこの小さい手は!? これがわしの手なのか!?」
「そうだけど…?」
「ぬぅ、不思議なことが有るものじゃのう。これじゃおぬしが判らんのも無理はないのう。悪く言ってすまんかったな」
「あ…うん…それはいいんだけど…ほんとにあの時のお婆ちゃん?」
「うむ、間違いない。ベーネブのコロンじゃ」
「お姉ちゃん、今の声何?」
 アーシアが叫び声を聞きつけてやってきていた。
「その子、誰?」
「む、おぬしはスライムに入っておった娘じゃの? 出ておったのか」
「あ…うんそう。私の妹のアーシアよ」
「そうか、それは良かったのう」
「はい」
 暫しの沈黙が流れる。
「しかし弱ったのう、この姿じゃ村に帰れん。すまんが暫くここに住まわして貰えんかの?」
「え? あ…うん。大丈夫…かも?」

「婆さん、随分と寝坊助だったな」
「はじめまして。治療を終えられたのですね」
 カトラ、フィーリアを始めとしてコロンに次々と普通に挨拶をする狩りから戻った面々にサシャが焦る。
「えええええ!? 皆さん! この方が誰か! 判るん…ですか?」
「当たり前じゃないか。なんだ? サシャは婆さんだって判ってなかったのか?」
「え…あ…その…」
 カトラの即答にサシャは俯いた。
「サシャは相変わらずだねぇ。アーシア以外が目に入ってないんだから」
「め…面目ありません。だけど皆さん驚かないんですか?」
「驚いたさ、とっくの昔に」

 この頃にはアーシアの療養も終わっていた。だが、感情が抜け落ちたようになったままだった。
 アーシアの迷宮での仕事は浴場の清掃だ。療養中であっても仕事を全くしないのは良くないとして割り振られた仕事だが、それが魔法の才能の開花に繋がった。
 きっかけは隅の汚れが取れないと言うことだった。ブラシを使っていたが隅にはブラシの毛先が届かない。そこで桶で水を何度も勢いよく掛けてみたら気持ちだけ汚れが取れた。水を掛け続ければ汚れは落ちるだろうが時間が掛かり過ぎる。だから魔法を使った。桶で水を運ぶ代わりに魔法で運べばいい。その水を直接汚れに当てれば手間いらずだ。
 いつしかブラシは使わずに水圧だけで清掃をするようになっていた。
 しかし、そのアーシアの姿を見てサシャは思う。「力加減を間違えて木桶を壊さないで」と。
 そして間違って誰かに当ててしまう事は想像したくないので人の居る所ではその魔法は使わないように念を押すのだ。

   ◆

 ローニャ達の狩りの成果もあって、ザムトの迷宮の拡張は続く。
 三つの階を使った立体迷路の九階から十一階と、核石を安置する部屋のみの十二階を追加する。狭い十二階以外は八階と同じ広さである。居住区や排水処理施設は置かない。
 十二階からは三階までの階に何時でも繋げられるように細い回廊を創った後、まずは北西へその先は西へと細い回廊をひたすら延ばす。延ばす先は王都セベレスの王城で、分岐した先はシルベルト伯爵邸だ。どちらもフィーリアが親しくしている親類が住む場所だ。王都にはメリッサの家族も暮らす。
 王城は小高い丘の上に有るためその丘の途中に出入り口を創り、出入り口の近くには転移陣を配置する部屋も創る。王城内に出入り口を創るかどうかは国王の希望次第である。
 シルベルト伯爵邸は平地にあるため、屋敷の庭に出入り口を直ぐに行動が必要である。出入り口が雨によって水没したり、不審な穴として埋め立てられては元も子もない。
 新しい二つの出入り口付近と迷宮三階に繋がる場所には監視用のコウモリを距離を離して複数配置する。
 最後に回廊を三階と繋ぎ、十二階から切り離して、回廊の設置は終了である。

 平穏な中でも時折迷宮に侵入者は居る。いつも途中で引き返しているため、ザムトは労力に対して実入りが少ないからだろうと気にしなかった。

   ◆

 ある日の朝、シルベルト伯爵邸に喧騒が響いていた。夜が明けたら庭に穴が空き、中には階段が続いていたのだ。広さは人一人が通れる程度だ。穴を取り囲み、口々に「誰が何のために?」「誰か入るのか?」等を言い合っている。
 そして、伯爵が私兵に穴の警戒をさせ他の者を下がらせようとしていた所に、その者達は現れた。

「これは姫様、今日は今までにも増して麗しいお姿ですわ」
「お久しぶりです、マルガレッタ様。マルガレッタ様もお美しいですわ」
 そう言って笑い合うのはフィーリアとシルベルト伯爵夫人マルガレッタだ。フィーリアは今の普段通りの姿だが、マルガレッタの衣裳にはフィーリアにも見覚えがなかった。以前であればフィーリアの前では胸の谷間を強調するような衣裳を着けている事は有っても核心部分は隠れるものだった。だが目の前には、身体が全て透ける薄衣のドレス一枚だけを纏ったマルガレッタが座っている。その姿は年齢を感じさせない艶やかさだ。
「ふふ…。もう姫様の前で取り繕う必要が無さそうですから、衣裳は姫様に合わせてみましたの。いかがですか? こうして少しぼんやりと見える感じにもそそるものがございましょう?」
「はい、勉強になりますわ。もっと早くマルガレッタ様に教えを請うことができていればと、自分の不明を悔やんでしまいそうです」
「私も姫様もお互いに隠していたのですから仕方ありませんわ」
「それはそうと、叔父様とマルガレッタ様には私のことはこれからは『姫』ではなく『フィーリア』と呼び捨てにしていただきたいのです。もう私は姫ではありませんし…」
「そう言われましても、姫様である事は変わりありませんから、呼び捨てにするわけにはまいりません」
 シルベルト伯爵が答えた。
「あら? 私は勘当されたのではなかったのでしょうか?」
 シルベルト伯爵が何のことかと首を傾げているとローニャが進み出た。
「姫様、それは国王様の脅しと申しますか、捨て台詞のようなものでございます。表向きは病の療養中のような事になさっておいでなのではないでしょうか」
「その通りで、心の病の療養中でしたかな?」と伯爵が少し考え込む。
「心の病、ってお父様ったらあんまりですわ!」
 フィーリアが憤慨するが、ローニャがしれっと言う。
「いえ、十分心の病でございます。それも不治ですので直る見込みはございません」
「ローニャったら酷いわ!」
「ローニャ殿は相変わらずだな」
 シルベルト伯爵はしみじみと呟いた。
「一番変わったのはミランダ様かしら? 常に冷静沈着な表情をなさっておいでだったと思ったのですが、こう申してはご無礼ですが、今はなんだか常に発情してらっしゃる感じが致しますわ」
「発情…ですか?」〈はあぁぁ…〉
 首輪だけを身に付けたミランダはマルガレッタの言葉を復唱するかのように聞き返すと、熱い息を吐いた。
「これは…もしや? ミランダ様? 『この雌豚!』」
「雌豚! はあああぁぁあ!」ミランダが身悶える。
「『あなたなんて地べたを這い蹲るのがお似合いよ!』」
 ミランダは「はぅっ」と軽く声を上げると手を突いて座り込む。
「はい、私は這うのがお似合いの雌豚です」〈はぁぁぁ…〉
 ミランダの振る舞いにマルガレッタは「姫様以上ですわ」と声を上げて笑い、シルベルト伯爵は目を皿のようにして凝視していた。そして、伯爵の使用人達は変な顔をしていた。

 その後、庭に空いた穴は迷宮の出入り口である事、王宮のある丘の途中にも出入り口ができている事や、迷宮での暮らし等を話した。迷宮の出入り口の維持の相談を伯爵は快く引き受け、直ぐに土を積み上げ屋根を付けた。
 そして、伯爵から連絡を入れたい場合の方法を伝えて、フィーリアのシルベルト伯爵邸への訪問は終わった。

   ◆

 フィーリア達がシルベルト伯爵邸を訪ねている頃、メリッサは一人王都の実家へと向かっていた。
 何か熱い視線を感じる。ふっと息をついて視線を下げて自らを確認する。忘れていたのではない。いつからか、フィーリアやミランダの傍では羞恥を感じて着衣できなくなった。彼女らから肌を隠すなど自分が許せない。だから今日出掛けるときもそのままフィーリア達と転移陣まで同行し、そのまま王都まで転移してきた。
 だが、迷宮の仲間達以外に肌を晒すのはやはり恥ずかしい。恥ずかしさのあまり身体が熱くなり鼓動も早くなる。いつものように緊張で胸の先が固くなり内股に汗が流れる。次第に頭の中には靄が掛かるがそれが何故か心地良い。何をするためにここに居るのか忘れそうになったが、実家を訪問するためだったと思い出す。途中ガラの悪い男に馴れ馴れしくされたから殴っておいた。繁華街を抜けると実家も直ぐ近くだ。

「メリッサ様! なんてお姿してらっしゃるんですかぁぁ!!」
 呼び鈴に気付いて玄関の扉を開けるとそこに居た人物を暫し惚けて見詰めた後で絶叫するようにメイドが叫んだ。メリッサが子供の時からよく知るそのメイドは慌ててメリッサを家の中に引っ張り込み、メリッサが声を掛ける暇も与えず「旦那様! 奥様!」とメリッサの両親を呼びに走った。
 未だ夢心地のメリッサは「何を慌てているのかしら?」と見送った後、近くを「随分懐かしく感じるわね」と呟きつつキョロキョロと見回していると、階段から下りてきた別の見知ったメイドと目が合った。
 するとメイドが持っていた丸めたシーツ右にやったり左にやったり広げてみたりとおたおたと挙動不審な動きをする。メリッサはそれを見ていて「何をやってるのよ」と、クスッと笑ってしまった。
 笑われたメイドの方としては理不尽である。遠いシルベルト伯爵領に居るはずのメリッサが突然生まれたままの姿で立っているのだ、幽霊に遭ったような気分である。アウアウと口を広げたり窄めたりするだけで答えられずにいたメイドはまた挙動不審な動きを始めるのだった。

「メリッサ! 一体どうしたの!? 何かあったの!?」
 女性の怒声がメイドとメリッサの織りなす奇妙な時間を切り裂いた。
「母様、お久しぶりです」
「はい、お久しぶり…ではなくて、どうしてそんな格好なの!?」
「はい? いたって普通の格好ですが?」
 メリッサは自分の身体を見回して答えた。そこに男の怒声が割り込む。
「それの何処が普通か!?」
「はい? いつもこの格好ですが、可笑しいですか?」
 母親が白目を剥いてふらつく。父親は母親を支えつつ問い質す。
「もしや、その姿のまま通りを歩いてきたのではあるまいな!?」
「勿論、歩いてきたに決まっています」
「なんて恥知らずな真似をしておるのだ!? お前は!」
「恥知らずとは心外です! 恥くらい知っております! ここまで歩いてくる時の周りの視線は大変恥ずかしゅうございました!」
「そんな事を言っておるのではないわ!!」
「では、どう言う事ですか!?」
「人前を裸で歩き回るのが恥ずかしい事だと言っておるのだ!」
「フィー…いえ、姫様の傍で服を着るなど恥ずかしくてできません!」
「姫様の傍? もしやお前の格好は姫様の所為なのか!?」
 メリッサは黙って暫し考える。間違いなくフィーリアの所為ではあるのだ。
「黙る所を見ると、やはり姫様の所為なのか! なんて事だ! 姫様に仕えさせてなどいなければ、こんな事には…」
「姫様を悪く言わないでください! これこの通り、姫様のお陰で古傷もなくなったのです」
 誇らしげに胸を張って傷があった所を指差すメリッサを父親が見ると、確かに傷がない。
「むむ、言われてみると確かに……では、なぁぁい! 服を着ろ服を!」
「嫌です!」
「頼む。頼むから服を着てくれ」
「頼まれても嫌なものは嫌です」
 父親が叱っても頼んでもメリッサは言うことを聞かない。
「お前達、メリッサを部屋に閉じこめてしまえ! けして出してはならぬぞ!」
 集まっていた五人のメイドがメリッサに取り付いて引っ張っていこうとするが、ビクともしない。
「父様! 娘を部屋に閉じこめようなどと、なんて酷い事を考えるのですか!?」
「酷いのはお前だあああ!!」
「もう話になりません! 父様が認めてくださらない限りはここにはもう戻りません!」
 メリッサは取り付いたままのメイド達を一人ずつ引きはがして屋敷から出て行った。
「この大馬鹿者おおおお!!!」
 叫び声が長々と響き渡った。

 その日、新たなザムトの眷属が生まれた。
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