迷宮精霊

浜柔

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第四八話 地獄の獄卒

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 セーベリート歴五五二年第一七週木曜朝、開拓地北の荒れ地――。

「迷宮はあの城壁の中か?」
「いえ、城壁で囲まれているのは開拓地で、迷宮はその南の丘になります」
「ここから視認可能か?」
「いえ、この時間ですと、迷宮は視認できません。夜明けと日暮れに色が変化するそうで、その際に虹色に輝くとのことです」
「それ以外に確認の方法は有るか?」
「麓の不自然な積まれ方をした土砂によって特定可能です」
「城壁を破る必要性は有るか?」
「出入り口を城壁内に作られれば厄介となります。予め制圧しておくのが宜しいでしょう」
 望遠鏡を覗きつつ周囲に響く声で質疑応答をしていたのは迷宮制圧旅団の旅団長と参謀である。チドルサ伯爵領軍の二人による既知の事項についての茶番のようなやりとりは、同道しているツベラルカ伯爵領軍団長、テラド子爵領軍団長との意識合わせを兼ねたものだ。この後で改めて開く軍議の中では大事なことであっても一度言うだけで済ませようとの腹づもりであった。
 迷宮制圧旅団の兵力は三軍合わせておよそ三万。この兵力をもって迷宮を攻略するのではなく、迷宮周辺を制圧して迷宮を無力化するのが目的である。あわよくば迷宮の主の討伐をすべく準備もしている。

 一般に、出入り口を塞がれた迷宮は同じ場所、あるいはその近傍に新たな出入り口を設ける。出入り口が塞がると言うことは迷宮にとっては窒息しているようなものであるため、早急にその状態から脱しようとするのだ。地表に近い回廊が元の出入り口付近であることも関係している。
 出入り口を設けるには迷宮の主がその場所に出向く必要があり、開けた瞬間には迷宮の主が外から視認可能となる。
 そこを外から強力な弩や魔法を放って倒す。完全には位置を特定できないため、監視用と討伐用にそれぞれ大規模な人員を必要とする。組織的な準備が必要なことから軍ならではの迷宮攻略法となっている。
 ただ、迷宮の主が元魔物や元動物なら確度が高いこの方法も、元人であるこの迷宮に通じるかは未知数である。

 総兵力三万の内、五千が別働隊としてハジリ近傍の出入り口の制圧に赴いている。ハジリの制圧も視野に入れてのことだ。
 行く手に立ち塞がるのは全裸の女が二一名。
「あれが噂の裸刹隊とやらか?」
「遠目だとはっきりしませんな。他にも痴女が大勢居るって話ですし」
「向こうからもこっちが見えているだろうに、逃げもしないんだから間違いないだろうよ」
「確かにこっちの様子を窺っているようですな」
「どうせなら生け捕りにしたいものだな」
「ええ。ヒーヒー言わせるのが楽しみないい身体をしてますな」
 別働隊の隊長と副隊長はクツクツと笑いながら女を捕らえた後のことを夢想した。

 一方の待ち構えている女達は別働隊隊長が睨んだ通りに裸刹隊である。
「あれだけ居れば選り取り見取りだな」
 誰かがじゅるっと涎を啜った。
「待ちきれないわ」
 話し掛けられた隊員が答えつつ身体をくねらせた。
 そんな隊員を振り返る女が一人。
「貴女達、浮かれ過ぎよ」
「ミランダ隊長ほどじゃありませんよ」
「ほんと。はち切れんばかりに乳首を膨らませて、足首まで蜜を滴らせながら言われても説得力ありませんわ」
「仕方ないでしょう? あれだけの数の男に犯されるところを想像したら身体が疼くのです」
「隊長は犯されるのがお好みなんですか? あたしは色男を犯す方が好みなんですけど」
「貴女はまだまだね。臭い醜男に縛られ、犬のように扱われて鞭打たれた挙げ句に犯されるのが最高に興奮するのです!」
「お見それしました。隊長のそのヘンタイぶりには及びません」
「はい。まるで経験が有るかのように具体的でした」
「有りますよ。何年も前になりますが」
「隊長は昔からヘンタイだったんですね……」
「そんなに褒められると照れるではありませんか」
 ミランダは我慢しきれないとばかりに空いた手で自らの胸を揉みし抱き、乳首を抓む。
 カトラでも居れば「褒め言葉じゃないから」と突っ込みが入るところであるが、裸刹隊だけの場に一般常識は通用しない。ましてやミランダの部下は元娼婦やそれに近い冒険者なため、話が下品な方向へ行きやすい。
「照れる隊長もとてもヘンタイです」
「いやん」
「うひひ」
「ふふふ」
 嫌らしく笑って顔を見合わせる三人。ふと、ミランダが真顔になった。
「折角だから全員捕まえて後でじっくり楽しみたいものだけど……」
「いいじゃないですか、それ!」
「わたしも賛成です」
「駄目よ。姐さんにしかられちゃうじゃない」
 横で聞き耳を立てるだけだった他の隊員が口を挟んだ。
「『ご飯の面倒は誰がみると思ってるの! 拾ってきた場所に捨ててらっしゃい!』って」
「犬猫じゃあるまいし……」
「だけど姐さんなら言いそうだわ」
「だったらあたしらで面倒を見るって言えば」
「誰がご飯を作るのよ?」
「そりゃ……姐さん?」
「駄目じゃない」
「ほんとだ……」
「それに、今サシャ様を刺激するのは大変危険です」
「急に人が増えたせいで、朝から晩まで料理していても間に合わないんでしたっけ?」
「それでここのところパンとシチューだけなのか」
「知らなかったの?」
「てっきり誰かが悪さして減らされてるのかと思ってた」
「呆れたわ」
「でもさ、だったらあいつら、ここに来たことだけで姐さんの逆鱗に触れるんじゃないか?」
 その言葉に一同は「あっ」と声を上げて顔を見合わせた。
 フィーリアを除く裸刹隊員全員がハジリ近くに来ているのは、開拓地にリタ、イリス、コロン、カトラ、アーシア、そして何よりサシャが居るためである。サシャが動くことを前提にして他の者も動いていたのだ。
「……一度見てみたいわ。前の時は焼け跡も残ってなくて話を聞くだけだったから」
「直接見たのは姐御とアーシア嬢だけらしいもんな。冒険者の何人かは焼け跡を見たらしいけど」
 そんな事を話していると、周りから「あたしも見たい」と幾つも声が掛かった。
「それならお嬢かアーシア嬢に頼んでこっちに居ても見られるように頼んでみない?」
「いいね、それ。どうせならあっちの連中にも見えるようにしてやれば戦意なんて消えて無くなるだろ」
「あたし達もちびっちゃうかもだけどね」
「違いない」
 隊員達は「きゃはは」と笑いつつ顔を見合わせた。
「どうでしょう? ミランダ隊長」
「そうですね。許可します。誰か伝令に走りなさい」
「了解しました!」
 一人が意気揚々と開拓地へと向かった。

 裸刹隊員が望んだのは遠見の魔法を応用した投影魔法である。イリスが複数のゴーレムを使って農作業をする際に作業に手抜かりがないかを監視する目的で開発した。
 開拓は今やその殆どをコロンとイリスの魔法によって行われており、リタ、ハーデン、ゲランは二人の補佐や作付け計画の立案、あるいは新しい魔法の発想をイリスに与える役割となっている。
 尤も、作付けなどはコロンの方が詳しいため、ハーデンとゲランの立場は既に無い。リタも屋台街で事件が有った場合の調停役をする以外は男二人と大差ない。

 遠目に見れば、裸刹隊の緊張感の無さは絶望的な兵力差を前にして現実逃避をしているかのようである。五千の兵団を前に乳房を見せ付けるように揉みしだいたり、股を開いて見せたりと、娼婦の如き振る舞いは貞操と引き替えに命乞いをしているに違いない。
 常識的に考えればそうなる。単に男を前にして発情しているなどとは思考の片隅にも浮かばないのだ。
「どうやら連中は命が惜しいようですな」
「必死だな。それに免じて交渉くらいはしてやろう」
 そうして別働隊隊長は交渉旗を掲げて歩み出た。
 応じて進み出たのはセシリアである。今回の敵の第一目標がフィーリアだと思われたために迷宮で待機しており、フィーリア不在時にはセシリアが裸刹隊全体の指揮を執ることになっている。
 別働隊隊長としては意外であった。交渉に応じる余裕も持っていないと予想していたのだ。
「悪いことは言わん。温和しく降伏すれば後でじっくり可愛がってやる。そんな形の好き者に相応しくな」
「その『好き者に相応しく』と言う部分には大変心惹かれます。ご提案ですが、その部分だけをこの場で行うだけでお引き取り願えませんでしょうか?」
 セシリアは誘うように乳房を揉みしだいた。
「五千の兵士を咥え込もうと言うのか?」
「はい。期待に乳首も膨れようと言うものです」
「見たままのヘンタイか」
「お褒めいただきありがとうございます」
「褒めてなどいない」
 あまりのヘンタイぶりに別働隊隊長は却って冷めた。ヘンタイを抱くほど女に不自由はしていないのだ。降伏するなら兵士達の慰み者に、しないなら殺せば良い。
「それで降伏はするのか?」
「いいえ。降伏するのはあなた方です」
「股を開くしか能の無い痴女が二〇人ばかりでこの数に敵うと思っているのか?」
「『股を開くしか能の無い痴女』だなんて、なんて胸に突き刺さるお言葉。感じてしまいます」
 頬に手を当てて腰をくねらせるセシリア。別働隊隊長からすれば気持ち悪さの方が先に立った。
「後悔するなよ?」
「殿方の命が失われるのは少し切ないです」
「ふん。口の減らない女だ」
 そう言い残して別働隊隊長は踵を返す。
 だがその時、ピチャピチャとした水音が聞こえた。半ば無意識に視線をそちらへ向ければ、突如、幅一〇〇メートルに渡って地面から水が迫り上がる。
 別働隊がどよめいた。
「何が起こった!?」
「見ていれば判ります」
「お前達の仕業か!?」
「いいえ。ですが、迷宮の仲間ですから、あなた方からすれば私達に違いはありません」
 そうこう話している内に水の膜に映像が映し出された。開拓地の様子である。
「こちらで戦うのは、あちらの趨勢を見てからでも遅くないと思いませんか?」
 躊躇いを見透かされたような提案に、別働隊隊長は眉を顰めながらも頷いた。

「すげー!」
「さすがお嬢!」
 裸刹隊は大いに盛り上がった。映っているのは広角に捉えられた二万五千の軍隊と、開拓地を囲む壁の上に立つカトラ、アーシア、イリス、リタ、コロンである。何気にイリスが二本の指を立ててポーズを決めている。
「あ、姐さんは居ないや」
「大将なんだから遅れてくるんじゃないの?」
「ただでさえ過剰戦力なんだから、このまま来ないかもね」
「そりゃ姐御一人でも負けるところなんて想像できないけど、時間は掛かるだろ」
「おーい、朝飯持ってきたぞー」
 伝令に走っていた隊員が朝食のサンドイッチを運んできた。
「帰る途中で姐さんに渡されたんだ」
「ありがたや」
「やっぱり姐さんだ」
「朝飯の仕度をしていたから出て来てなかったんだな」
「そう言ってたら姐さんだ」
 サシャが壁の上の五人に朝食を配達したところである。

 迷宮制圧旅団の旅団長は地団駄を踏んでいた。
「奴らはピクニックでもしているつもりか!」
 牽引式魔導砲の準備に手間取っている間に、壁の上の女達が寛いだ様子を醸しているのだ。真剣に戦争をしに来ている立場からは巫山戯ているようにしか見えない。
「拡声魔法を用意しろ!」
 拡声魔法は交渉ではなく一方的に通達する場合に使われる。

『城壁の上の者達に告ぐ。命が惜しくば即刻その場から立ち去れ! 一時間だけ待ってやる』
「あんなこと言ってるわよ?」
「悠長なもんじゃのう」
「ん。元々何週間掛かるか判らない悠長なことをしようとしている」
 イリスは目前に迫る軍が為すだろう行いを説明した。
「そんなのに付き合ってる暇は無いんですけど」
「竈の方はまだ出来ないのかい?」
「ジムさんは頑張ってくれてますけど、火加減調節に鍋の方を動かす仕組みですから大掛かりになってしまって」
「旦那の魔法陣も微妙な調節には向かないからね」
「火を点けたままじゃ組み立てることもできませんし」
「薪は使わないのかい?」
「娘子軍から一〇人ほど料理担当に回って貰ってますけど、どこのお嬢様だったんでしょうね」
 サシャのこめかみが引き攣った。
「聞いた話じゃ、身の上はあたしと似たり寄ったり……あ、そりゃ駄目だね」
 何故? と言った表情を向ける一同にカトラは苦笑いを零した。
「薪も食べ物もただじゃないから、売り飛ばすつもりの娘に台所仕事なんて教えないのさ。あたしが習ったのも娼婦になってからだよ」
「す、すいません……」
「気にするんじゃないよ。今となっちゃ笑い話さ」
 カトラは呵々と笑った。
「時間を掛けてられないなら、やる事は決まってるわね! イリス!」
 リタが沈み掛けた空気を振り払うように言い、それに応えてイリスが拡声魔法を展開した。

『一時間も待つ必要はないわ! 命が惜しかったら今すぐ回れ右して帰りなさい!』
 その宣言に旅団長と参謀は不快げな表情を隠さなかった。
「奴らは立場を判ってないようですね」
「お望み通り直ぐに攻撃してやろうではないか。魔導砲準備」
「魔導砲準備!」
 旅団長の指示を副官が声を張り上げて復唱した。
 直ぐに各魔導砲担当から「準備良し!」と声が上がる。
「撃て」
「てーっ!」
 直後、魔導砲が火を噴いた。

『どりゃーっ!』
 長さ二キロメートルに渡る壁の外側にもう一つ同じ長さの壁が迫り上がり、魔導砲から放たれた魔法の悉くを遮る。
「出たーっ!」
「お婆ちゃんの『どりゃー』は一味違うわ!」
 裸刹隊は大興奮であった。

「何だ、あの幼女は……。土竜などと言う魔法が聞いたことがないぞ」
「土竜?」
 戦きを隠せない別働隊隊長の呟きに、セシリアは首を傾げた。

 幾度となく放たれる砲撃は正面突破を目指しているらしく、コロンの魔法で作った防御壁へと次々に撃ち込まれる。放置していれば容易に突破されるだけの勢いだ。
 しかし、砲撃で崩されるよりもコロンが修復する方が速い。
 暫くすると曲射が加わり始めた。防御壁の上を山なりの弾道で術者であるコロンを狙おうとするものだ。
 これらにはアーシアの水魔法やイリスの魔法で対応する。
 防御自体は余裕である。
 ただ、サシャのご機嫌は急降下している。
 余裕で防いでも、土埃や水飛沫は飛び散るのだ。それらは壁の上の六人に降り注ぐ。
「うわーん。どろどろー」
「これは敵わんのう」
「許すまじ」
 全裸のカトラとリタは多少泥まみれになってもどこ吹く風であるが、服を着ているアーシア、コロン、イリスは不快感を口に出した。中でも何故かお気に入りの服を着て来ているイリスの苛立ちが大きい。
 口には出さないがサシャもであった。右から土埃が来ては左に身体を揺らし、左から水飛沫が来れば右に身体を揺らす。
 やがてサシャの身体から湯気が立ち上り始めた。
「イリスさん、拡声魔法」
「ん」
 イリスが拡声魔法を展開した。

『いい加減にしなさい!』
「はい!」
 裸刹隊員達は一斉に直立不動となった。
 直後、我に返って腹筋が痙攣したような込み上げる笑いに顔を歪める。
「あんた達……何してんのよ。叱られたのはあんた達じゃないでしょ」
「お漏らしした奴に言われたくないよ」
「これは感じただけよ」
 任務遂行中ならこうはならないのだが、今現在はその任務を放り出しているような状態で、若干の後ろめたさがあることから反応してしまったのだ。
「だけどさ、姐さんの一喝ってビビッと来るよな」
「そうそう、身体の芯が疼いちゃうと言うか」
「知ってるわよ。あんたってこの間はわざと叱られてたでしょ」
「バレてたの?」
「叱られてるのに、あんなに嬉しそうにしていて判らない方が変よ」
「姐さんも心底呆れた風にしてた」
「そ、そうだったのね……」
 その時、サシャが裸刹隊の方を向いた。そしてゆっくりと動いた口は「全員、晩ご飯抜き」の軌跡を辿った。
「ええ!」
「もしかしてこっちの声も向こうに聞こえてる!?」
「お嬢の魔法だった!」
「ま、待ってください、姐さん! 晩ご飯抜きは勘弁してください!」
「足を舐めろと言われれば舐めますから!」
「むしろ舐めさせて!」
「お前は黙ってろ!」

 裸刹隊の様子にカトラが肩を振るわせた。
「あっはっは、微笑ましいじゃないか」
「笑い事じゃありません。半分以上わたしより年上ですよ?」
「そうだった」
 尚も笑いが治まりそうにないカトラの様子に、サシャも毒気を抜かれてしまった。
「もういいです。晩ご飯抜きは取り消します」
 途端、裸刹隊から歓声が上がった。

 サシャの一喝は迷宮制圧旅団には通じなかった。動きを止めることなく次の行動に移る。
「両翼から一万ずつを回り込ませろ!」
 相手に敗北感を与えるべく正面突破を目指したが、それは諦めざるを得ないと判断しでのことだ。
 命令に従い、兵士達が移動を始める。その支援も兼ねて弾幕を厚くする。
 だが、新たに作られた壁付近まで移動したところで足を止めた。止めざるを得なかった。
 行く手を遮ったのは、突如として巻き起こった天にも届こうかと言う紅蓮。
 槍を投げつけてみれば一瞬で灰になる。一時撤退して本隊と合流するより無かった。

「コロンちゃん、暫く代わります」
 コロンが端から防御壁の上部を崩し、その隙間を埋めるようにサシャが炎の範囲を広げる。土の壁は防御力は高くても視界が悪いため、その確保を意図してのことだ。
 副次的効果も有った。防御壁を登っていた兵士が居たのだ。壁を崩す時に一緒に落ちた者、炎に巻かれた者が居る。
 彼らの目的が偵察か、狙撃か、はたまた別の事か。いずれにせよ、それを事前に防いだのである。
 ただ、この事を切っ掛けにして砲撃が熱狂的になった。「仇を取れ」と唱和するような声まで聞こえる。
 同僚の弔いのつもりなのかと推測はすれど、攻め込まれた方としては理不尽この上ない。防御をしているだけ所に勝手に突っ込んで来て勝手に死んだのだ。復讐される謂われが無い。
「なんか腹立つわね」
「苛っと来ますよね」
 リタの呟きに応えるようにサシャが青筋を立てながら言った。
「ま、まあ、サシャは少し落ち着こうか」
「え? 落ち着いてますよ?」
 引き攣った笑みを浮かべるサシャに皆が一斉に引いた。カトラさえも。

 魔導砲から放たれる魔法は炎の壁で燃やされるかのように掻き消えていく。どれだけ魔導砲が放たれても炎の壁は小揺るぎもしない。
「非常識な!」
 別働隊隊長は動揺を隠すこともできずに慄いた。
「ここに居るあなた方は運が良いです。こうして待機していれば、少なくとも死なずに済みますから」
「死? 死ぬと言うのか!? 二万五千の兵達が!」
「それについては成り行き次第ですが、別に不可能なことではないのです」
「何……だと……?」
 条件次第ではカトラ一人で全滅させられる。人一人に近距離攻撃で同時に攻撃できるのがせいぜい一〇人とすれば力比べにもならない。間断の無い遠距離攻撃であれば全てを躱しきれなくなるが、数発程度では行動不能になるものでもなく、そこいらの小石を投げつけるだけで一般兵の弓や魔法よりも高威力の反撃が可能だ。
 ただ、同時に交戦できないことは相手方の遊兵の存在も意味する。その遊兵が別所での破壊活動へと目的を切り替えた場合にカトラ単独では対応が困難になる。それを防ぐためのコロンやアーシア達なのである。
 それに加え、サシャの魔法がその本領を発揮するのは防御ではない。

『いい加減にしなさい。今直ぐ攻撃を止めて帰りなさい。これ以上は本気で怒りますよ?』
 その兵士はその声を聞いた時、思わず後退った。後ろに居た者にぶつかって「何してるんだ」と押し返されても足は勝手に下がろうとする。ぶつかった相手が堪らず体を躱したことで転倒した挙げ句、そこから動けなくなった。
『防ぐばかりで何ができる。いつまでその防御が続けられるか見せて貰おう』
 止めろ。相手を挑発するな。あんな出鱈目な魔法士相手に虚勢を張るなんて馬鹿じゃないのか。
 遠くからでも見える炎の壁の出鱈目さは筆舌に尽くしがたい。しかし、声に出せば処刑されかねないだけに、兵士は心の中だけで叫び続けた。

『もう一度言います。今直ぐ攻撃を止めて帰りなさい』
『そっちこそ降伏したらどうだ?』
『判りました。引くつもりが無いのでしたら、全力で反撃させていただきます』
 セシリアの身体がピクンと跳ねた。今の時点で裸刹隊から見てさえ常識外れの魔法がまだ全力ではないと言うのだ。
 裸刹隊にも魔法の素養の有る者が四人居るが、せいぜい敵の百人を吹き飛ばす程度の威力である。世間的には大魔法士の範疇であり、戦闘では心強いものだが、裸刹隊同士での模擬戦ではそれほどアドバンテージになるものではない。
 これには他の裸刹隊員に遅れないように体力面重視で鍛練した事情も有る。
 この事情故に級の割りには弱い魔法を使う裸刹隊であるものの、コロンの魔法なら見知っていることも有って常識の範囲で捉えられる。土の壁は一旦造れば永続であるため、魔力を一度に行き渡らせずとも良い。
 だが、炎の壁は一度に魔力を行き渡らせなければならない。それをサシャはコロンの土の壁を上回る範囲で展開したのだ。それだけでも足が震える思いだった。
「全力ではないだと?」
 傍観者となったことで少しだけ冷静に判断できるのだろう別働隊隊長が声を震わせるように呟いた。

「コロンちゃん、アーシア、少しお願い」
 コロンが「どりゃーっ」と防御壁を再構築して長さと高さを増やす。正面だけは高さを変えずに視界を確保したままだ。
 サシャが魔法を止めた途端に魔導砲の魔法が防御壁を越えて来るのをアーシアの魔法で食い止める。
 一度深呼吸したサシャが右手を構えて魔力を籠め始めた時、サシャから湯気が立ち上るのをカトラは見た。
「サシャ、待った!」
「はい?」
 きょとんと振り向くサシャにカトラは苦笑いを返す。
「服を脱いでから魔法を使った方がいいと思うんだけどね」
「ど、どうして!?」
「何となくだけど、そのまま魔法を使うと、素っ裸で迷宮に戻ることになるんじゃないか?」
「それこそどうして!?」
「服が燃えちゃわないか?」
「え? あ!」
 サシャにも自覚は有るのだ。
「で、でも、みんなが見ている前で服を脱ぐのは……」
「平気、平気。みんな大歓迎に決まってるわ!」
 リタがどや顔で言い、イリスが同意するように親指を立てた。
「歓迎とかの問題じゃありません! 恥ずかしいんです!」
「誰だって最初は恥ずかしいのよ!」
 リタが以前より豊かになった胸を張るが、羞恥心の欠片も見えない。
「説得力有りません!」
「だけどそのままじゃ、服が一着無くなる上に素っ裸で迷宮まで歩くことになるよ?」
「それもいいわね! そうよ。そのままサシャも痴女の仲間入りをすればいいんだわ!」
「リタさんは人を痴女にしようとするのを止めてください!」
「痴女は出費も少なくてお得なのに……」
 リタが拗ねたように言った。痴女の出費が総じて食費のみであるのは事実なのだ。
「うう……、仕方ありません……」
 サシャはシャツの裾に手を掛けた。

「ストリップが本気なのか?」
「命乞いでもしようと言うのでしょうか」
 旅団長と参謀は自らの常識で判断しようと試みていた。
 望遠鏡の先の女はシャツ、スカート、靴を傍に立つ全裸の女に脱ぎながら渡し、自らも全裸になった。
 そして左腕で胸を隠しつつ斜に構えて右腕を突き出す。

 転倒したまま動けなくなっていた兵士は足下に光の線が走るのを見た。本能的に足を引っ込める。
 よくよく見ると、光の線はずっと向こうまで続いている。円を描いているのか右は左に曲がり、左は右に曲がっている。自分が円の外側らしいことに酷く安堵した。
 次の瞬間、光の線が強く輝く。
 魔法陣。本能がそう告げた刹那であった。
 灼熱が生まれた。
 目の前で同僚が瞬く間に灰になる。何か叫ぼうとしていたようにも見えたが、声になる前に灰になった。
 我が身は発作を起こしたように震えて言うことを聞かない。浅く激しくなった息が苦しい。後退っていなければ自分もあの中に居たのだと思うと、心の奥底から恐怖が湧いてくる。
「ひいいいいっ!」
 無意識のまま悲鳴が出た。それでも声を出したせいか、幾許か冷静な部分が復活し、周囲に視線を走らせる。
 無事な仲間を求めてのことだったが、直ぐに後悔した。
 光の線をまたいでいたのだろう、半身を失って死んだ者が見える。だがそれは即死している分だけ幸運だったかも知れない。片足だけが魔法陣に入っていたと思われる、片腕、片足と胴の一部を失って激しく痙攣を繰り返す者も居る。
 地獄であった。悲鳴と呻き声だけがその場を支配した。
 そしてまた、左翼に展開していた部隊の方に光の柱が立ち上り、続けて右翼に展開していた部隊の方に光の柱が立ち上った。

 光の柱が立ち上った時、裸刹隊は仰向けに転がって脚を跳ね上げるようにして開き、幾度か揺らいだスクリーンの向こうのサシャへ向けて後ろ手に股の奥まで開いて晒した。
 これは半ば野生に戻った裸刹隊流の絶対服従のポーズである。当然ながら裸刹隊以外には通用しないので、普段ならフィーリアに対して儀礼的に行うだけである。
 ところが今回ばかりはスクリーンを通してその力を見て、八キロメートルの距離を届いた魔力の波動を感じて、本能がそのポーズを取らせた。多くの者が失禁までしている都合、サシャに見咎められれば叱られるに決まっている。それでもこうして服従のポーズを取らずにいられないし、そうするのが誇らしいのだ。
 殆ど犬のようなものであった。
「ああ……、姐さんに犯されたい」
「馬鹿、姐さんは女だぞ」

 絶対服従してしまったのはセシリアも例外ではない。
 しかしそんなセシリアの様子に注意を向ける余裕の有る者も居なかった。
「化け物か!」
「ふふ……。早く戻って救護でもしたらいかがですか?」
「糞!」
 セシリアには一瞬視線を送るだけで、するべき事を思い出したように別働隊隊長は走る。途中、何かに気付いたように立ち止まって振り向いたが、顔を顰めるだけでまた元に向き直ってそのまま走り出した。

 身体の熱をアーシアに冷やして貰い、サシャは身形を整える。
「もう、イリスさん! 人が魔法を撃つ度に変な声を出さないでください!」
「そんなの無理。探査するまでもなく感じる魔力で強姦されたのは、むしろわたし」
「人聞きが悪すぎます!」
「一度で二回、合計六回いかされたんだから、これはもう強姦」
 スクリーンが揺らいだのはイリスが絶頂を迎えたためだった。
「もう!」
「イリスだけじゃないわよ」
 リタは座り込んで少し息を荒くしていた。この場ではイリスの次に魔力が低く、サシャの魔力に当てられたのだ。
「ほら、あっち」
「な、な!」
 リタが指差す先、スクリーンを通して見える裸刹隊の様子にサシャは絶句する。あうあうと指を差しながらカトラの方を振り向いた。
「あれかい? 多分、サシャに絶対服従してるんだよ」
「ええ!?」
「笑えるだろ? 姫さん相手によくやってるよ」
「全然笑えません……」
「まあ、それはそれとして、あれは好意でやってるから勘弁してやっとくれよ」
「はあ……、それは、まあ……」
 嫌がらせにしか見えないが、カトラが言うのであればそうなのだろう。敬礼が一歩進んだものなのかと考えるサシャであった。

 一方、サシャの与り知らぬ所で顔色を青くする集団が有る。裸刹隊同様にイリスの魔法で戦いの様子を見ていた娘子軍と裸刹隊見習い、それにシルベルト兵で、特にサシャに食って掛かろうとした者やぞんざいな態度を示していた者が著しい。
 サシャに反抗的な態度を取った際に裸刹隊の面々から諭されていたのだが、実感が無かったため、フィーリアを差し置いて長のように扱われているサシャに却って反感を抱いていた。しかし今回の事で、サシャの怒りを買いかねない行為はギロチンに自ら首を突っ込むようなものだと悟った。
 不興を買っていないか不安で仕方がない。過去に戻れるならそんな態度を取っていた自分をぶん殴ってでも止めたい。
 そんな風に思ったのだ。

  ◆

 迷宮制圧旅団が大敗北を喫したことで、後の世に第一次迷宮戦争として記録に残される戦いは終結した。
 戦争と言うには一方的な戦いでありながらそう記されたのは、記録に残したのが攻め込んだ側だったためである。手も足も出せないままに兵力の半数を失ったと記すのは自尊心が許さなかった。そのため、具体的な経緯や結果ではなく、多大な戦果を上げたものの諸事情により撤退したとだけ記された。

 そしてこの戦いの後、「土竜の妖女」と「焦獄の魔女」の二つ名が世に轟くことになる。方や土竜を操ると言われ、方や焦熱の地獄を顕現させると言われる。
 特に焦獄の魔女については、彼女が通った後には草木一本すら残さず焼き尽くされる生ける災厄だとされ、触れてはならないものとされた。

「災厄って人聞きの悪い!」
「あそこに草の一本も生えてないのは本当だろう?」
「それは、まあ、そうなんです、けど?」
「まあ、いいじゃないか。幸いなことに迷宮とは結びついてないみたいだから」
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