迷宮精霊

浜柔

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第五一話 建国

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 セーベリート歴五五二年第二四週水曜――。

 ハジリの東の門の外に巨大な水の壁がそそり立った。幅一五〇メートル、高さ一〇〇メートルにも及び、東西に延びる通りならハジリのどこからでもその異様を目にすることができた。
 俄に騒ぎとなり、何だかんだと殆どの住民が通りへと出てそれを目の当たりにする。
 あれは一体何なのか。あんな事ができるのは迷宮のアーシア嬢だろう。そんな会話を人々がし始める中、水の壁に何かが映った。
 最初はそれが何か判らなかった人々は軽く首を傾げた。しかしそれが何か判った途端、多くの女性が金切り声で悲鳴を上げ、男は野太く嘆声を漏らし、母親は「見ちゃいけません」と手で子供の目を覆う。
 迷宮の出入り口脇にも同様の水の壁が出来ていて、それを見ていたブラムが慌ててポリーナの目を手で覆った。
 水の壁に大写しになっていたのは女の迷宮であった。

「何やってるんですか!」
 ばちーんと音が響いた。
「痛いです。サシャ様」
 頭を両手の指先で押さえたフィーリアが眦を吊り上げたサシャに涙目で訴えた。
 それに返事もせず、サシャは別の場所にビシッと指を差した。
「イリスさんも調子に乗らない!」
 すると、サッとイリスが視線を逸らし、水の壁に映っていた映像も消えた。
「ローニャさんも止めてください!」
 フィーリアの傍に控えているローニャにも水を向けるが、真っ黒なメイド服を着て真っ白なエプロンを着けたローニャはにこっと微笑むだけである。
 迷宮に戻って来たローニャが終始無表情だった以前と違って微笑むようになったことには少し嬉しいサシャであったが、逆にフィーリアを殆ど諫めなくなったことにはがっかりであった。
 こりゃだめだ、とローニャのことは諦め、張本人のフィーリアへをまた睨み据える。
 すると「あっ」と声を発して顔を赤らめたフィーリアが言う。
「お仕置きですか?」
 いそいそと立ち上がって合掌するかのように胸元で両の拳を合わせ、サシャへと尻を突き出すように向ける。上半身と首だけを曲げて期待するように眼差しをサシャへと向けつつ、小首を傾げる。
「お仕置きですか?」
「何のつもりですか!」
「以前、サシャ様にお仕置きされたミランダがとても気持ち良さそうにしていたものですから、是非とも経験いたしたく」
 思わずカトラに助けを求めるように視線を投げるサシャだったが、カトラからは苦笑いしか返ってこなかった。
 フィーリアは今や遅しと尻を振る。
「お仕置きなんてしません!」
 ヘンタイを喜ばすだけのお仕置きは意味がない上に、フィーリアが喘ぎ声を上げようものなら周囲で収拾が付かなくなる。カトラやローニャは平気でも、サシャですら引き摺られそうな淫欲への誘いに他の女達が抗えるとは思えないのだ。
「残念そうにしてもしないものはしません。とにかく、子供も見てるんですからさっきみたいなのは止めてください。そうじゃなければ向こう一ヶ月くらい晩ご飯抜きにします」
「そ、そんな!」
 火加減調節のための鍋を吊す仕組みも出来上がっていて、毎日の食事の仕度の殆どはサシャから離れて娘子軍から選ばれた料理担当に委ねられているのだが、サシャが「晩ご飯抜き」と言えばそうなってしまうのだ。
 フィーリアは抗議の声を上げてみたものの、じとっと睨むサシャは本気の目だ。
「判りました」
 神妙な面持ちで頷いた。

 フィーリアを始めとした面々が居るのは裸刹隊の開拓地の一角である。そこに仮設の演壇を設けて椅子を置き、その椅子にフィーリアは座っている。迷宮に暮らす者や屋台街で働く者はその演壇の前に立ち並ぶ。
 ここ四週間ほどで用意した大切な告知があるのだ。

 四週間には色々と変化も有った。

 フィーリアは各地に残されているシルベルト領軍と連絡を取り合った。彼らの多くは暴動が多発した南東部に滞在する。率いているのはマルガレッタの子であり、フィーリアの従兄弟達であるため、互いの安否確認が主な内容である。
 そして彼らには自治を依頼した。有り体に言えば現状維持である。

 麦芋団の開拓はいよいよコロンとイリスの魔法任せになっている。暇を持て余し気味のリタは昼間からハーデンに愛を求め、壁に囲まれて人目も気にしなくて良いことから、ハーデンもそれに応える毎日である。イリスはイリスでゲランに身体をまさぐられながらゴーレム達を操る器用さを見せている。
 その節操の無さにコロンが「どうしてこうなった」とぼやくのもご愛敬である。

 漸く心の傷も癒えてきたソレーヌは屋台街の舞台で艶技を披露する日々を過ごす。以前に比して妖艶さが格段に増した艶技は、元からの卑猥さも相まって男達の心を鷲掴みにしている。
 その様子を時折ヨハンナが見に来ては「結婚は遠そうね」と友の行く末に思いを馳せつつ溜め息を吐く。付いてきていてやたら興奮している旦那に蹴りを入れるのは忘れない。

 シルビアは恥ずかしそうに乳房や股間を手で隠すようになった。それでも全裸に変わりがない。
 サシャが「恥ずかしいなら服を着ればいいじゃないですか」と言えば、「それでは恥ずかしくなくなってしまいます」と答える。痴女の謎な理論にはさっぱりなサシャである。
 ただ、男なら誰彼構わず自ら迫って咥え込むようなことが無くなった。
 迷宮商店での仕事が無い時間の多くはポリーナの面倒をみている。読み書きや計算などの勉強もだ。

 マルガレッタは以前のシルビアのように暇さえあれば人前で痴態を晒す日々を過ごす。元々救いがたかったヘンタイは稀代のヘンタイにランクアップしつつある。

 ステラは懐いてくる痴女達を衛兵隊予備役として訓練する日々を過ごす。
 ハジリが襲撃された日以降、ステラの犯罪者らへの容赦の無さが皆の知るところとなり、ハジリでの犯罪はおろか暴力騒ぎも格段に減っている。

 そんなこんなで日々は過ぎている。

 水の壁に映像が再び映る。今度は脚を閉じて椅子に座ったフィーリアの全身だった。
「皆に伝えることがあります」
 フィーリアは静かに語り始めた。
「セーベリート王国は嘗て無い危機に直面し、大半の領土を反乱者や侵略者に奪われました。事実上、国として滅んだのです」
 一旦切って周囲に視線を巡らせる。
「しかしこのまま、侵略者、そしてその侵略者に与する反乱者に屈するなどできません。彼らは皆も知る通りに暴虐を尽くす輩です。これに屈すると言うことは、自らの未来を閉ざすに等しいのです」
 声を張る。
「だから私達は抗います! そして私達と価値を同じくする人々を救わねばなりません! そして救ったなら、迷わないように道標となる旗が必要です!」
 立ち上がって拳を振り上げる。
「私、フィーリア・セス・セーベリートがその旗印、王となります! そしてここにロストロード痴女王国の建国を宣言します!」
 拍手が鳴り響く。
 だが、裸刹隊と娘子軍だけだった。彼女らも周りの白けた様子に不安を感じて一人二人と手を止める。
 静寂が訪れた。
 心細くなったフィーリアは所在を無くした拳を降ろして胸に抱き、周囲を見回した。
 屋台街の人々が総じてぽかんとする中、頭痛がするとばかりにこめかみを押さえるサシャと、笑いを抑えきれないとばかりに肩を震わせるカトラが目に留まった。

「ほら、サシャ。姫さんが子犬みたいな目をして見てるぞ」
 カトラが肘で突きながらサシャに言った。
 サシャは仕方がないとばかりに溜め息を吐きながら歩み出る。

 屋台街の人々やハジリの住民からすれば「ロストロードって何?」「セーベリートじゃなくて?」「どうして痴女王国?」などと疑問ばかりであった。
 迷宮周辺やハジリで散々痴態を晒してきた全裸の王女が王冠を戴くでもなく言っただけでは、何かのプレイぐらいにしか思えなかったりもする。ついさっきに痴態を見たばかりなのだから尚更だ。
 どこまで本当なのか、本気なのか、人々にはまるで判断が付かなかったのである。

 サシャが壇上に上がってフィーリアの横に並び立つ。
「皆さん、このヘンタイ王女がヘンタイ女王にランクアップするのは本当です」
 フィーリアが目を見開き、口を開いてサシャを見る。
「今日、建国するのは臨時王国です。然るべき後に国の体裁が整えられた時、正式な名前に変更されます。名前の方はこんなヘンタイが女王ですから、仕方がないと諦めてください」
「サシャ様? 最近私の扱いがぞんざいになっていませんか?」
「はいはい、黙って」
 サシャは一瞥するだけでフィーリアを制した。
 フィーリアがいじいじと黄昏れるのを無視してサシャは続ける。
「もし、どこかの軍隊が攻めてきても私達が守ります。皆さんの皆さんの生活が変わることは特にありませんが、細かい事は各組合などに問い合わせてください。以上です」
 叫声が轟いた。「姐さーん」とそこかしこから声援が響く。
 屋台街やハジリの民衆からすれば、サシャの方が余程女王様であった。
 フィーリアが「あれ?」と首を傾げる所にマルガレッタが近付く。
「殿下、いえ陛下。素晴らしかったです。今のはとても恥ずかしかったです。さすが痴女の王。この上ない恥ずかしさでございました。あまりの恥ずかしさに他人事ながら思わず逝ってしまったほどです」
 それだけを言い、熱い吐息を漏らしながらマルガレッタはその場を去った。
 他の者も三々五々に散っていく。
 最後に残されたのはフィーリアとローニャであった。
「あれ?」
「姫様、ドンマイ!」
 漏らした声に答えるようなローニャの言葉を聞いて、急に激しい羞恥に襲われて何故か絶頂に達してしまうフィーリアであった。
 紛う事無きヘンタイである。

  ◆

 建国宣言の二週間あまり前、フィーリアはルシアーナとマグナートを呼び出した。付き添うのはマルガレッタである。
「私は国を興しますが、それはセーベリートの国土回復までの暫定です。国土回復を為し、国情が安定したら、ルシアーナ、貴女に国を預けます」
「何を仰るんですか、お姉様! お兄様が亡くなられた今、お姉様こそ王になるべきではありませんか」
 フィーリアは首を横に振る。
「本来、私のような痴女に王の資格は有りません。何ごとも無ければシルベルトに降嫁する筈でした」
 マルガレッタが同意するように頷いた。
「あの、以前から痴女だったような仰りようですが?」
「その通りです」
 迷宮を訪れる前のフィーリアは破廉恥は忌むべきとの常識の中にあったため、マルガレッタなどの信頼できる数人が知るだけだった。
 しかし、ここで話していることにこれは然程重要ではない。
 重要だったのはフィーリアの心が少し壊れていることだ。
 例えば、羞恥を感じれば隠れたくなるのが人情だが、羞恥が快楽となっているフィーリアはむしろ我が身を晒したくなる。
 例えば、襲撃者とは言えども初めて人を殺した時には吐いたが、今は殺すことに対する忌避感すら無い。
 例えば、父や母の死を哀しんだのはほんの数日だけだった。
 こうなった直接の原因は治療スライムである。治療スライムは女の身体や心の傷を治しもするが、逆に心を壊しもする。女が望む形で壊すために壊れていても気付かず、気付いても治しようがない。治るのを女自身が望みはしないし、場合によっては壊すことによってもっと酷く壊れる筈の心を守ってもいるからだ。
 フィーリア自身にも壊れている自覚が有るが、壊れてしまった今の方が幸せであり、昔に戻るつもりは無い。
「まさか、治療スライムを使ってらっしゃる他の方々もですか?」
 フィーリアは頷いた。
「程度は人にもよりますが、多かれ少なかれ壊れています」
 裸刹隊は言うに及ばず、サシャやカトラもである。人を殺すことに忌避感が無いサシャやカトラの心が壊れていない筈がないのだ。
 だからそんな者が為政者になって良い筈がないのだと付け加えた。

「マグナート様にはルシアーナの教育と補佐をお願いしたいのです。ザムト様の了承も得ております」
 マグナートの躊躇いは一瞬だけだった。目の前の王女は覚悟を決めている。それは恐らく正しい道であり、年寄りがするべきはそれを後押しするだけである。
 それ以上に、目の前の王女は何を教えるまでもなく立派に王であると思った。
「慎んでお受けいたします」
「そうそう、くれぐれもポリーナ様のこともお忘れ無きよう」
「も、もしや……」
「ホルドランス様の悪い噂も流れているようですが、私はそうは思いません。ご意志を継ぐ方が必要となりましょう。こちらが終わってからになりますので、いつになるかは判りませんが」
「それでもかたじけのうございます」
 マグナートは深々と頭を垂れた。

  ◆

 身体の火照りが治まったフィーリアは空を見上げながら言う。
「ローニャ、これから忙しくなりますね」
「はい。マグナート様がお元気な間に成し遂げたいものでございます」

 そよそよとそよぐ風が肌を撫でる。
 見上げる青空はどこまでも澄み渡る。
 あたかも二人の目指す先を表すかのように遠く。

 どこまでも遠く。
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