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第一話 主の誕生
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戦争において未だ剣や槍が主役である時代の片隅、ひっそりとその迷宮は生まれた。
◆
木々の間から漏れてくる日の光は弱まり、闇が足下まで忍び寄る。立ち並ぶ丘の北から東の斜面はもう闇に覆われている。そんな足下が危うい所を避けるとすれば、南から西の斜面を伝うようにして歩かなければならない。
歩く足が伝えてくるのはふかふかとした柔らかい感触。厚く腐葉土が堆積しているのだ。
柔らかいのも善し悪しである。踏みしめても頼りなく、いつ滑って転倒してしまうか判ったものではない。その一方、転倒しても何も無い所であれば掠り傷も負わない。
問題はその何も無い所であればの部分。腐葉土に隠れた尖った枯れ枝の上に転倒すれば惨事に見舞われかねない。そしてひと度転倒すれば数本は枯れ枝を身体の下敷きにする。惨事に至らないのは尖った先が上を向いていることが然程多くないからだ。だからと転倒を繰り返せばいつかは惨事を引き当てることになる。
そんな貧乏くじを引き当てないためにもできる限り明るい場所を歩くのである。
しかし、駆け出しの冒険者ザムトにとっての喫緊の課題はそこではない。
「このままじゃ今日は野宿だ」
焦げ茶色の髪を掻き回しながら溜め息のような呟きを吐いた。
いつもに増してボサボサ髪が鬱陶しい。自分でナイフを使って切っているために短くもできず、長さも揃っていない。
深い皺になるほどに眉間が寄り、普段なら僅かに垂れて見える目も今は吊り上がって見える。口元も歪みっぱなしだ。
疲労困憊であった。
疲労は徒労によってより強く感じるものだ。ザムトは今日、そのただ中にある。
どう過ごそうとも時間は等しく過ぎていく。今日と言う日の終わりも刻々と近付く。
生業とするのは狩猟。ところが今日は未だに獲物が無いのだ。当然、収入も得られない。更に問題なのが似たような日々がここ数日続いていることだ。
懐具合が終焉間際であった。今夜の宿を取ってしまえば明日には断食の運命が待つ。
空腹を抱えていては獲物も追えず、その先に待つのは人生終焉の危機。
故にこのままでは野宿するしかないのである。
冒険者とは、派遣労働者又は日雇い労働者、或いは自由労働者と言い換える事ができる。
仕事の斡旋所たる冒険者組合に登録し、組合に持ち込まれた依頼を請け負う、或いは狩猟などによって得たものを一括して買い取って貰う事で収入を得るのだ。
ザムトの場合は後者。不本意なのは、未だ拠点を得られていないために比較的収入の良い革や膠を作れない事である。
収入が少ないために日々の生活に追われ、生活に追われるために収入を増やせない悪循環となっている。
ハジリは交易の町で、西に南から北へと流れるメナート川を利用した水運によって栄えている。
メナート川は大山脈に端を発する大河で、ハジリ付近では水深五メートルを超える。北へと流れた後で西へと曲がり、セーベリート王国の首都セベレスの北を更に西へと流れて海に注ぐ。
水運の南端であるハジリは、同じく南端である対岸の町サガンや、セベレスとの交易が最も盛んだ。
南端なのは町の南に広大な森が広がる事による。
森は大陸を東西に貫くかの如く横たわる南の大山脈まで途切れない。その森の奥深くは強力な魔物の跋扈する世界だと言われる。噂のようになっているのは、奥深くへ行って帰って来た者を誰も知らないからである。
そんな森でもハジリ付近に強い魔物は全く居ない。
このメナート川沿いを俗に「南の森」と言う。
町の北には農地と草原と荒れ地が広がり、川から数キロメートル離れるだけでもう荒れ地となる。
町の東は数キロメートル先で森が南から迫り出している。その部分を俗に「東の森」と言う。
東の森を迂回するような形で俗に「東の街道」と呼ばれる街道が有り、隣国マグノサリア公国やロスタナ王国との主要な貿易路の一つとなっている。
また、東の森の中には丘が幾つか有り、ザムトが足を踏み入れているのもその中の一つである。
「こんな事なら南に行くんだった」
ザムトには後悔の念から、詮無い事を呟いた。
今は第一八週。週七日、年五三週で成り立つ一年の中で最も乾燥する時期で、動物は川が有り、水場も多い南の森へと集まる。しかし、その動物を狙う猟師も自然と南へと集まるため、猟がままならない。兎やキジバトを一羽仕留められるかどうかになってしまう。
それがここ数日である。
それならばと東の森に来てみたのだが、水場も無い場所の事、空振った。
だが、時間が時間だけに帰路に就く。暗闇で無理をして怪我してしまっては、それこそ人生の終焉である。それでも「何か無いか」と周囲に注意を怠らない。
洞窟だ。
思いが通じたのか、見つけた。慎重に中を覗く。西日に照らされた洞窟の奥、一〇〇キログラムを超えるだろう猪の姿が見える。
思わずガッツポーズを決めたくなったが自重。慎重に行動する。ここで取り逃がしては元も子もない。
一度深呼吸をして弓に矢を番える。狙うのは目。そして洞窟の入り口に飛び出しざまに矢を放つ。
ピギィイイ!
矢は狙い通りに突き刺さり、猪は地に倒れ臥す。ザムトは剣に持ち替え一気に駆け寄って猪の首を切り裂いた。
「やった! これで一週間は食い繋げる!」
しかし、ザムトは見落としていた。猪の陰に隠れるように存在していた魔石を。
やばい、早く洞窟の外に、と走り出した時にはもう遅かった。
事切れた猪から抜け出した何かがザムトに取り憑き、入り込む。
「ぐああ! 俺の身体が変わっていく!」
絶叫。
「よりによって、迷宮の主だったとは!」
取り憑いたのは迷宮精霊。迷宮と言う名の魔物の一部である。
こうして、ザムトは永遠、あるいは滅ぼされるまで迷宮に囚われ続ける事となった。
◆
迷宮、それは魔物である。魔素が澱む地において稀に自然発生する。
迷宮は外殻としての破壊不可能な洞窟、本体たる核石と呼ばれる魔石、その核石を守護する迷宮精霊とで構成される。
迷宮が死ぬのは核石が洞窟外に持ち出された場合と核石が破壊された場合のみで、その阻止の担い手が迷宮精霊である。
迷宮精霊そのものは脆弱ながら、核石が健在である限り不死であり、核石に触れた者に取り憑いて守護者と成す。そして取り憑いた者が死ぬまで離れない。
取り憑かれた者は俗に「迷宮の主」と呼ばれる。
迷宮の主は不死ではないが不老。迷宮の一部であるために飲食や睡眠などを必要としない。迷宮自身に害される事もない。
その一方、迷宮から外に出られず、解放されるのは死ぬ時のみ。そして、迷宮が死ぬ時には運命を共にする。
迷宮精霊の生存本能に影響されて核石の守護を至上命題とし、自らの死を望む事も無い。
主の死因となり得るのは迷宮の死を除けば事故、あるいは侵入者や外部からの攻撃のいずれかである。
何者かによって迷宮の主が殺害された場合、迷宮精霊はその殺害者に取り憑く。その繰り返しをする事によって迷宮はより強大な守護者を得るのだ。
迷宮の主の身体能力は主になった時点では以前と変わらない。鍛練により向上可能だが、特殊な場合を除けば主だからと言って向上し易い事も無い。従って、より強い侵入者の前には容易に倒されてしまう。それを避けるには、主は迷宮をより強大にしなければならない。
洞窟は迷宮にとっての消化器官の役割を担う。
消化と言っても、分解するのは死んで腐敗し始めたものだけで、加工によって腐敗しなくなったものは分解できない。これを逆に見れば、迷宮内で生き物が生活可能な事を意味している。
この事は迷宮にとって都合が良い。内部で生き物が生活すれば、そこから吐き出される魔素を余すところ無く吸収できるからである。一種の共生関係だ。
また、主にとって快適な環境を指向すると共に、主はその意のままにその構造を改変可能。但し、拡張は地下に限られ、構築にも維持にも魔力を必要とする。
迷宮の糧は魔素。空中に漂う魔素を核石で吸収する。
魔素は外界からもたらされ、魔素から魔力が得られる。この魔力が迷宮、ひいては魔物の力の源となる。
魔素は生き物の生命活動によって吐き出され、あらゆる場所に存在する。呼吸によって空中に、排泄や生き物の死によって土にと言う具合である。
但し、生き物が迷宮内で死んだ場合には、その肉体自体が魔素になって洞窟内の空中に散る。
風によって吹き込んだ魔素や、生き物の生き死により生まれた魔素は洞窟の空中を核石へと運ばれる。故に核石は外界から開かれた場所に存在しなければならない。
これは迷宮の致命的弱点ともなっている。
迷宮はその在り方からすると不滅にも見えるが、人にとって核石は極めて貴重で魅力的な存在である。その内包する魔力が強大な事もさることながら、強大な魔力に耐え得る魔石である事が貴重な所以である。
そのため、過去には発生して間もない主が脆弱な迷宮を中心に核石の略奪が横行した。
結果、現存する迷宮は攻略がほぼ不可能な強大なもののみとなっている。
◆
木々の間から漏れてくる日の光は弱まり、闇が足下まで忍び寄る。立ち並ぶ丘の北から東の斜面はもう闇に覆われている。そんな足下が危うい所を避けるとすれば、南から西の斜面を伝うようにして歩かなければならない。
歩く足が伝えてくるのはふかふかとした柔らかい感触。厚く腐葉土が堆積しているのだ。
柔らかいのも善し悪しである。踏みしめても頼りなく、いつ滑って転倒してしまうか判ったものではない。その一方、転倒しても何も無い所であれば掠り傷も負わない。
問題はその何も無い所であればの部分。腐葉土に隠れた尖った枯れ枝の上に転倒すれば惨事に見舞われかねない。そしてひと度転倒すれば数本は枯れ枝を身体の下敷きにする。惨事に至らないのは尖った先が上を向いていることが然程多くないからだ。だからと転倒を繰り返せばいつかは惨事を引き当てることになる。
そんな貧乏くじを引き当てないためにもできる限り明るい場所を歩くのである。
しかし、駆け出しの冒険者ザムトにとっての喫緊の課題はそこではない。
「このままじゃ今日は野宿だ」
焦げ茶色の髪を掻き回しながら溜め息のような呟きを吐いた。
いつもに増してボサボサ髪が鬱陶しい。自分でナイフを使って切っているために短くもできず、長さも揃っていない。
深い皺になるほどに眉間が寄り、普段なら僅かに垂れて見える目も今は吊り上がって見える。口元も歪みっぱなしだ。
疲労困憊であった。
疲労は徒労によってより強く感じるものだ。ザムトは今日、そのただ中にある。
どう過ごそうとも時間は等しく過ぎていく。今日と言う日の終わりも刻々と近付く。
生業とするのは狩猟。ところが今日は未だに獲物が無いのだ。当然、収入も得られない。更に問題なのが似たような日々がここ数日続いていることだ。
懐具合が終焉間際であった。今夜の宿を取ってしまえば明日には断食の運命が待つ。
空腹を抱えていては獲物も追えず、その先に待つのは人生終焉の危機。
故にこのままでは野宿するしかないのである。
冒険者とは、派遣労働者又は日雇い労働者、或いは自由労働者と言い換える事ができる。
仕事の斡旋所たる冒険者組合に登録し、組合に持ち込まれた依頼を請け負う、或いは狩猟などによって得たものを一括して買い取って貰う事で収入を得るのだ。
ザムトの場合は後者。不本意なのは、未だ拠点を得られていないために比較的収入の良い革や膠を作れない事である。
収入が少ないために日々の生活に追われ、生活に追われるために収入を増やせない悪循環となっている。
ハジリは交易の町で、西に南から北へと流れるメナート川を利用した水運によって栄えている。
メナート川は大山脈に端を発する大河で、ハジリ付近では水深五メートルを超える。北へと流れた後で西へと曲がり、セーベリート王国の首都セベレスの北を更に西へと流れて海に注ぐ。
水運の南端であるハジリは、同じく南端である対岸の町サガンや、セベレスとの交易が最も盛んだ。
南端なのは町の南に広大な森が広がる事による。
森は大陸を東西に貫くかの如く横たわる南の大山脈まで途切れない。その森の奥深くは強力な魔物の跋扈する世界だと言われる。噂のようになっているのは、奥深くへ行って帰って来た者を誰も知らないからである。
そんな森でもハジリ付近に強い魔物は全く居ない。
このメナート川沿いを俗に「南の森」と言う。
町の北には農地と草原と荒れ地が広がり、川から数キロメートル離れるだけでもう荒れ地となる。
町の東は数キロメートル先で森が南から迫り出している。その部分を俗に「東の森」と言う。
東の森を迂回するような形で俗に「東の街道」と呼ばれる街道が有り、隣国マグノサリア公国やロスタナ王国との主要な貿易路の一つとなっている。
また、東の森の中には丘が幾つか有り、ザムトが足を踏み入れているのもその中の一つである。
「こんな事なら南に行くんだった」
ザムトには後悔の念から、詮無い事を呟いた。
今は第一八週。週七日、年五三週で成り立つ一年の中で最も乾燥する時期で、動物は川が有り、水場も多い南の森へと集まる。しかし、その動物を狙う猟師も自然と南へと集まるため、猟がままならない。兎やキジバトを一羽仕留められるかどうかになってしまう。
それがここ数日である。
それならばと東の森に来てみたのだが、水場も無い場所の事、空振った。
だが、時間が時間だけに帰路に就く。暗闇で無理をして怪我してしまっては、それこそ人生の終焉である。それでも「何か無いか」と周囲に注意を怠らない。
洞窟だ。
思いが通じたのか、見つけた。慎重に中を覗く。西日に照らされた洞窟の奥、一〇〇キログラムを超えるだろう猪の姿が見える。
思わずガッツポーズを決めたくなったが自重。慎重に行動する。ここで取り逃がしては元も子もない。
一度深呼吸をして弓に矢を番える。狙うのは目。そして洞窟の入り口に飛び出しざまに矢を放つ。
ピギィイイ!
矢は狙い通りに突き刺さり、猪は地に倒れ臥す。ザムトは剣に持ち替え一気に駆け寄って猪の首を切り裂いた。
「やった! これで一週間は食い繋げる!」
しかし、ザムトは見落としていた。猪の陰に隠れるように存在していた魔石を。
やばい、早く洞窟の外に、と走り出した時にはもう遅かった。
事切れた猪から抜け出した何かがザムトに取り憑き、入り込む。
「ぐああ! 俺の身体が変わっていく!」
絶叫。
「よりによって、迷宮の主だったとは!」
取り憑いたのは迷宮精霊。迷宮と言う名の魔物の一部である。
こうして、ザムトは永遠、あるいは滅ぼされるまで迷宮に囚われ続ける事となった。
◆
迷宮、それは魔物である。魔素が澱む地において稀に自然発生する。
迷宮は外殻としての破壊不可能な洞窟、本体たる核石と呼ばれる魔石、その核石を守護する迷宮精霊とで構成される。
迷宮が死ぬのは核石が洞窟外に持ち出された場合と核石が破壊された場合のみで、その阻止の担い手が迷宮精霊である。
迷宮精霊そのものは脆弱ながら、核石が健在である限り不死であり、核石に触れた者に取り憑いて守護者と成す。そして取り憑いた者が死ぬまで離れない。
取り憑かれた者は俗に「迷宮の主」と呼ばれる。
迷宮の主は不死ではないが不老。迷宮の一部であるために飲食や睡眠などを必要としない。迷宮自身に害される事もない。
その一方、迷宮から外に出られず、解放されるのは死ぬ時のみ。そして、迷宮が死ぬ時には運命を共にする。
迷宮精霊の生存本能に影響されて核石の守護を至上命題とし、自らの死を望む事も無い。
主の死因となり得るのは迷宮の死を除けば事故、あるいは侵入者や外部からの攻撃のいずれかである。
何者かによって迷宮の主が殺害された場合、迷宮精霊はその殺害者に取り憑く。その繰り返しをする事によって迷宮はより強大な守護者を得るのだ。
迷宮の主の身体能力は主になった時点では以前と変わらない。鍛練により向上可能だが、特殊な場合を除けば主だからと言って向上し易い事も無い。従って、より強い侵入者の前には容易に倒されてしまう。それを避けるには、主は迷宮をより強大にしなければならない。
洞窟は迷宮にとっての消化器官の役割を担う。
消化と言っても、分解するのは死んで腐敗し始めたものだけで、加工によって腐敗しなくなったものは分解できない。これを逆に見れば、迷宮内で生き物が生活可能な事を意味している。
この事は迷宮にとって都合が良い。内部で生き物が生活すれば、そこから吐き出される魔素を余すところ無く吸収できるからである。一種の共生関係だ。
また、主にとって快適な環境を指向すると共に、主はその意のままにその構造を改変可能。但し、拡張は地下に限られ、構築にも維持にも魔力を必要とする。
迷宮の糧は魔素。空中に漂う魔素を核石で吸収する。
魔素は外界からもたらされ、魔素から魔力が得られる。この魔力が迷宮、ひいては魔物の力の源となる。
魔素は生き物の生命活動によって吐き出され、あらゆる場所に存在する。呼吸によって空中に、排泄や生き物の死によって土にと言う具合である。
但し、生き物が迷宮内で死んだ場合には、その肉体自体が魔素になって洞窟内の空中に散る。
風によって吹き込んだ魔素や、生き物の生き死により生まれた魔素は洞窟の空中を核石へと運ばれる。故に核石は外界から開かれた場所に存在しなければならない。
これは迷宮の致命的弱点ともなっている。
迷宮はその在り方からすると不滅にも見えるが、人にとって核石は極めて貴重で魅力的な存在である。その内包する魔力が強大な事もさることながら、強大な魔力に耐え得る魔石である事が貴重な所以である。
そのため、過去には発生して間もない主が脆弱な迷宮を中心に核石の略奪が横行した。
結果、現存する迷宮は攻略がほぼ不可能な強大なもののみとなっている。
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