迷宮精霊

浜柔

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第一〇話 麦芋団の迷宮探索

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 第二二週土曜朝、東の街道――。

「流れてるな」
「流れてるわね」
 街道を水が流れている。東西に通る街道の南側から流れ込んだ水が轍を伝って少し西へと流れて低い所に溜まり、溢れて北へと流れ出ている。水溜まりの深い所でも沈むのは荷車の車輪の半分に満たないため、馬車が通るだけなら大きな問題にならないだろう。
 水の流れに沿って草も萌え始めている。元から人が通るから道なのだと言った風情の街道なため、放置していれば草で道が見えなくなってしまうに違いない。
「これだけ水が溜まっていたら、もっと噂になりそうなものだがな」
「馬車が通れないならだけど、この程度じゃあまり気にしないものよ。盗賊の噂で人通りも殆ど無くなってるし」
 盗賊が出没する噂が有れば人はその街道を避ける。人通りが少くなれば噂が本当だった時に襲われやすくなるため、更にその街道を避けるようになる。そして更に、と言った具合で殆ど人通りが無くなってしまうのである。
 今の東の街道を通るとすれば、通らなければならない理由が有るか、噂を知らないか、噂を信じていないか、多少の盗賊なら撃退できるかである。
「そう言や、前に通ったのは三週くらい前だったか」
「そ。その後だし、水も急には溜まらないでしょうし」
 雑草の生育具合も、水が最近になって流れるようになったのを物語っている。
「そんじゃ、行くとするか」
 ハーデンが声を掛けて水の流れを遡って歩き出す。
 ところが、ゲランが北の荒れ地を見詰めたまま動こうとしない。
「どうした? ゲラン」
「この水が有ればここを開拓できそうに思ってな」
「流れ続ける保証は無いぞ?」
 ハーデンの言葉にゲランが消沈した顔になる。それを見たハーデンは肩を竦めて付け加える。
「まあ、流れ続けない保証も無いから、ちゃんと原因を調べなきゃな」
 途端に気合いを取り戻したゲランが「うむ」と頷いてハーデンに続いた。

 麦芋団一同は夜明けと同時に東の街道へと赴いていた。
 皆、長袖シャツに長ズボン、胸や腹などの急所を守る革の防具を身に着けていて、イリスは更にマントを羽織っている。マントは伊達ではなく、内ポケットに魔法札や幾つかの魔法で必要になる媒体を収めていて、素早く魔法を使えるようにしている。
 これは冒険者の極一般的な装いである。
 男女を問わず、怪我を避けるために長袖長ズボンを着用する。長袖は捲れば良いが半袖は伸ばせないため、服を着分けできる財力の無い者は必然的に長袖になる。但し、酒場の臨時雇いのように怪我の心配が殆ど無い仕事ばかりの者はその限りにあらず、普段から露出度の高い服を着ている場合もある。
 時には探索をするにも関わらずに露出度の高い女が居るが、得てして仲間の性欲処理係であり、生還率も悪い。そのため、裸の女を連れた冒険者は白い目で見られがちだ。他にも危険を伴う職業は有るが、冒険者は身形が特徴的な事から格段に非難を受けやすい。
 防具は良く言えばバランス重視。何も無いでは魔物相手の時などが危険で、金属製では重くて動きが阻害される上に高価だ。懐と相談しつつ、動きが損なわれない範囲で生き残る可能性の高い防具を選んだ結果が、要所のみを覆う革の防具である。

 水の流れを遡った一行は小さな池の辺に至った。
「結構広くて水も澄んでるわね。水浴びしたくなるわ」
 最も暑い時期にはまだ早いが、温暖な地域なため既に気温が高い。装備に身を包んでいると汗も噴き出す。
「気持ちは判るが後にしろ」
「はいはい」
 リタは両手を挙げて答え、さくさく歩く。
 行く手は池に水が流れ込む場所だ。そこから更に遡って丘から水が噴き出す地点に達する。
「自然に出来たようには見えないわね」
「誰かが作ったって言うのか?」
「それは洞窟を見てから判断しましょ」
 そしてまたさくさく歩く。この周辺には危険らしい危険が無いので周囲への警戒は最小限である。
 丘を西へと回り込む途中、水が流れたように湿った部分を見つけてそれを遡る。
 前方に見つけたのは洞窟の広い入り口だった。
「あれが話に有った洞窟か。どう見ても自然に出来たものじゃないな」
「もしかしたらと思って水の跡を遡って正解だったわね」
 入り口に辿り着いた一行は並んで洞窟の中を見る。光の魔法陣が視界の中だ。
「迷宮だな」
「迷宮ね。それも明らかに主は人ね」
「脇に水が流れてる」
 イリスの言葉で一同が注目する。水が流れているのは回廊の端に有る溝だ。
「誘ってるんだろうな。如何にも見つけて欲しいって感じだ」
「主が友好的ならいいんだけど」
「入ってみない事には判らんな。行こう」
 ハーデンの言葉に一同が頷き、いつもの隊列を組んで迷宮に足を踏み入れる。
 隊列はハーデン、リタ、イリス、ゲランの順だが、直ぐに隊列を崩す事になる。十字路が広すぎるのだ。
 南北の回廊には灯りが無く、奥の方は真っ暗で何も見えない。何かが潜んでいて襲撃される可能性も考えねばならない。どこからか聞こえてくる水音のために音での判断が阻害されている。
 二手に分かれて北と南をそれぞれ監視しつつ、イリスが魔法で光の玉を回廊の奥まで飛ばして状況を確認する。
 魔力探査は迷宮の壁の向こうが判らないのと、遠くまで確認しようとすると魔力消費が激しくなるので温存している。イリスが常に魔力探査可能な範囲は半径二〇メートル程で、全力なら半径一〇〇メートル程だが、距離が遠くなるにつれて加速度的に魔力消費が多くなるため、遠くへの探査を連発すると魔力が底を突きかねないのである。
「何も無さそうだな」
 いきなり襲撃される可能性は低いと見て、南の回廊を慎重に探索する。
 等間隔で空っぽの部屋が並ぶ様子に困惑を覚え、突き当たりの構造に更に困惑を深めた。一メートル程高くなった所に等間隔で細長い穴が空いている。
「ここは一体……」
「この段の上の穴って、跨ぐのに丁度いいと思わない?」
 何かに気付いたようにリタが実際に跨いで見せた。
「便所だって事か?」
「多分ね」
「何でそんなものを?」
「確証にはなってないから、もう少し調べてからね」
 リタは顎に指を当てて考えつつ答えた。
 続けて北側も探索する。リタはすたすたと無警戒に歩いていく。その様子にハーデンが眉を顰めた。
「おい、少しは警戒しろ」
「へーき、へーき、予想が正しければ何も出ないわよ。多分、入っちゃ駄目な所は目印が有る筈だし」
 回廊を奥まで進んで南側と裏返しの構造になっているのを確認すると、戻って中央回廊を進む。
 広間二つはさっと確認するだけで二本目の南北の回廊まで進む。
 北には水場が有り、南には竈が並んでいる。どちらも壁が無いので一目瞭然だ。
「これで確信したわ。主はこの迷宮に人が住むのを望んでいるのよ」
「もう少し説明してくれ」
 ハーデンが片眼だけを開けて額を人差し指で掻きながら、どや顔のリタに尋ねた。
「水、竈、寝室にできる部屋、それに便所。人が住むのでも無ければ必要の無いものが多いわ。扉が無い事を除いたら今住んでいる家より条件がいいと思わない?」
「言われてみればそうだが……」
「だから家主の印象が悪くなるような余計な事をしないように見て回りましょ。それならきっと何も起きないわ」
 今日のところは、と言うのをリタは敢えて付けなかった。誰が聞いているか判らないからだ。
 そしてその推測は正しく、ザムトが彼らを監視している。
 一行は先に南を探索し、竈と空部屋と便所を確認する。竈は一箇所だけ使った形跡が有った。
 続けて北側の流しを調べる。リタが噴き出している水を掬って舐めてみた。
「やっぱり問題無いわね」
 一言だけ言って、今度はゴクゴクと飲む。
「はーっ、美味しい!」
 手で口を拭いながらリタが良い笑顔になった。
「おいおい……」
「あんた達、ビビり過ぎよ。飲んだ感じ、汲みたての井戸水みたいね」
 三人が顔を見合わせて頷き合い、揃って水を飲み始めた。リタは回廊の北を睨む。
「わざわざあそこだけ明るくしているんだから、何か有るかも知れないわね」
 南北に走る回廊の奥は三箇所まで真っ暗で水場の奥だけ明るいのだから、誰にでも判るような事ではあった。
「そんじゃ、行ってみるか」
 ハーデンの号令で北の奥へと進む。途中に有るのは空き部屋と洗い場。灯りが点っている真下で足を止めた。
 正面が便所なのは調べなくても予想できる。左手は流しや洗い場と違って壁が有るが、奥で水が流れているのは同じだ。
 しかし、右手の部屋は今までとは様子が違って入り口からでも奇妙なスライムの存在が見て取れる。
「魔物、一一級が五、一三級が一、一五級が一」
「一一級!?」
 イリスの報告を受けて反射的に剣を抜くハーデン。だが、リタがその頭を引っぱたいた。
「余計な事をしないの!」
「いてーな、魔物が居るなら剣を構えるのは常識じゃねーか!」
「迷宮なんだから、そんな常識は捨てなさい!」
「迷宮だったら余計に必要だろうが!」
 ハーデンとリタが額を合わせて睨み合う。
「そこまでだ。リタの意見は尤もだから、今はリタに従おう」
 仲裁とリタへの支持を表明したゲランをちらっと見やると、リタはハーデンの口に吸い付いて舌をねじ込む。一瞬目を白黒させたハーデンだったが、それに応じて舌を絡め返した。
 仲直りの儀式であるが、少し副作用も有る。ハーデンの体臭がリタにとっては媚薬に近く、口を離した時にはリタの顔が上気して淫欲が押し寄せているのが傍目からも見て取れた。
「んっんん。もう、今晩は覚悟なさいよ」
「お、おう」
 ハーデンに熱い吐息混じりで言った後、リタはゲランを振り向いた。
「念のため、ゲランが先頭で盾を構えてて頂戴」
「心得た」
 部屋の奥を警戒しながら中に入る。
 だが、何も起きなければ何かが襲ってくる事もない。拍子抜けだった。
 中を見回すと、正面の壁に沿って透明で巨大なスライムが五体並んでいる。ゲランが両手を広げたよりも幅が有り、見上げる高さも有る。スライムとスライムの間には殆ど隙間が無いが、壁際には一メートル余りの余裕が有るので裏にも回り込める。
 左の奥には猫が一匹と土の人形が一体佇んでいる。
「一一級はこのスライムか。他の二体も襲ってくるつもりは無さそうだな」
「あの猫、どっかで見たような……」
「盗賊の隠れ家に居た」
 イリスが憶えていた。前回と違って猫は逃げずに佇んでいるだけである。
「何であんな所に居たんだ?」
「誰かに話を聞ければいいんだけどね」
「それはともかく、これはどうなんだ?」
 ハーデンがスライムを見て、軽く唸り声を上げた。
 スライムには入り口に最も近いものを除いて全裸の女が漂っている。順に、金髪の女、白髪の老婆、茶髪の女、金髪の女。茶髪の女には両腕が手首まで、両脚が足首までしか無い。老婆の腕と足には何かが刺さったらしい傷が有る。
 女達は一様に口も股も押し広げられた状態で、角度によっては身体の奥まで見えそうにしている。尤も、身体の向きの都合からスライムが邪魔になり、実際に見えるとすれば一番奥の金髪の女だけである。
 その事を見て取ったハーデンが奥へ行きたい素振りを見せるが、リタの半眼の睨みと奥に佇む猫の存在感とで断念した。
「で、生きてるのか?」
「ん、生きてる」
「いよいよ不思議だな」
「さあ、いつまでも見ていたってしょうがな……」
 言い掛けてリタは見た。最も奥のスライムがうにょんと変形した。
 変形した部分には女が入っていて、ゆっくりとスライムが元の姿に戻った後には女だけが床に残された。
 程なく裸の女は身体を起こして座り、暫くぼんやりした後「んんーっ」と声を出して伸びをする。そのまま勢いよく腕を振り下ろすと、豊かな乳房がぷるんと揺れた。
 ハーデンは思わず身を乗り出し、ゲランも目を見開いて凝視する。女二人がそれを見咎めてジロリと睨む。目を丸くして否定するかの如くリタに向けて手を振るハーデンと視線を明後日に逸らすゲラン。女二人は取りあえず見逃した。
 裸の女は何を思ったか、自らの乳房に手を這わして乳首を弄り始めた。
 男二人がゴクンと生唾を飲み込む。それを見咎めて女二人がその足を踏んづけた。
「いてっ!」
 声を上げたのはハーデンだけ。ゲランは口を歪めて堪えている。
 だが、裸の女が一同の存在に気付くには十分だった。
「え……あっ!」
 振り向いた裸の女が両腕で胸を隠す。
「あ……あ……」
 声を出そうとしても言葉にならないまま、裸の女は四つん這いで土の人形へと向かう。その格好だと麦芋団の面々から秘部が丸見えなのに気付いていないらしい。

 裸の女サシャは惑乱していた。
 誰も居ないと思っていた場所に人が居たのだ。それもあられもない格好で痴態を晒してしまった。「何故、人? 何故、今?」と疑問だけが頭を駆け巡り、今の状態を脱する事だけで精一杯になった。
 痴態を演じた原因は判っている。治療スライムに与えられた快感が記憶から呼び起こされたのだ。それは身体の記憶の方がより強く、知らず自らの性感帯へと指を這わせたのである。
 昨日、ベーネブ村から帰還したサシャは着ていた服の洗濯だけをし、荷役二号に服を預けて治療スライムに身を委ねた。疲労していたために前のめりに倒れ込むようにだった。
 スライムに潜った瞬間、息苦しさで焦って本能的に藻掻いた。だが、それも十数秒の事。身体の穴という穴からスライムに侵入され、口や鼻から入ったスライムが肺を埋め尽くすと息苦しさが消えた。それ以降は呼吸に合わせるようにスライムが口や鼻から出入りするようになった。
 それはあたかもスライムに口腔を犯されているような感覚だった。
 更に、スライムは身体をチリチリと焼くと同時に即座に治療する。それが掻痒のような快楽として全身を包み、特に敏感な部分に対して猛烈な快感を与えてくる。
 こんな快楽を与えられては処女でもエッチになってしまう。盗賊に散々犯されて男を刻み込まれた我が身であれば一溜まりもない。そしてもうこの快楽が忘れられない。
 そんな事を考えるサシャはほんの数分で激しい絶頂を迎え、そのまま意識を失った。
 意識を取り戻した時には既にスライムの外だった。全身が洗い流されたような爽快感も有って伸びをした。しかし、直ぐに快感が思い起こされて切なくなった。
 身体が快楽を求めて指を乳首へと導いた。
 そこに響いたのが生唾を飲み込む音と人の声。振り向けば四人の冒険者にじっと見られている。一刻も早く服を着るべく荷役二号へと這っていった。
 既に十分にエッチでありながら、そうではないつもりのサシャにとって体裁は大切なのである。
 途中、後ろで生唾を飲み込む音、打撃音、くぐもった声が連続して再度聞こえたが、気にする余裕は無かった。
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