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体験しました『認知症』

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 その日、久しぶりに従妹と待ち合わせ、九十二歳の伯母が入所している高齢者施設に向かった。今までは、とても喜んでくれたので、つい急ぎ足になっていた。ただ、最近は、話しがかみわないことが多く、心配になっていた。その日は、私たちが誰か全く分からなかった。
「もう来たってしょうがないね。遠いところ、折角出て来ても無駄やわ」
「そやねえ、張り合いがないね。昔の話もよく分からないし」
 帰り道、そんなことを言い合って以来、足が遠のいている。

 七十一才の私、年を重ねる毎に、体中がガタピシ音をたてている。これからの老いの下り坂に、どんな病気や怪我が待ち受けているか、とても気がかりである。その中でも一番は『認知症』だ。
『なりたくない』『なってはいけない』『なったら終わり』
 そんな声ばかりが聞こえてくる。そして、介護の大変さも耳にし、本を読んだりする度に、心が縮み上がる。

 そんなある時、市政だよりで『認知症VR(バーチャルリアル)体験プロジェクト』という小さなコラムが目に留まった。早速、しあわせの村の、シルバーカレッジに申し込んだ。
(認知症になったらどんな感じなのだろう。世界は違って見えてしまうのだろうか)
 是非とも、その体験をしてみたいと思ったのだ。

 当日、案内に従って広い部屋に入った。テーブルが八客くらい、そこに4・5人用のゴーグルとヘッドホンが用意されていた。その上、厚紙の面白眼鏡まで置いてある。猫にしようか、アイドル風にしようか迷ったけれど、怒れるおっちゃん風を選んだ。机上のプリントには、『他人事で見ていたことも一人称で体験してみると全く違って見えるはず。あなたのアングルをシフトする』と印刷されている。なんだか分かったような分からないような。三々五々集まって来た方は概ね高齢者。前の席に座った若い方は、
「介護の仕事をしているので、体験してみたかったから」
 そうおっしゃった。

 機械の説明の後、早速バーチャル体験だ。立ってゴーグルとヘッドホンをつける。かなりの重さでドキドキする。 突然、映像が映った。私は高いビルの上に立っていた。
(こわい!)
 思わずテーブルをつかむ。後ろから優しい明るい男性の声がする。
「大丈夫ですよ。降りてください」
(えっ、こんな高いところから?こわい、やめて)
 周りを見ると高いビルばかり。ゆらゆらして少し吐き気がする。それなのに後ろから繰り返し声がする。
「どうされました?さあ降りましょう」
 そして、突然目の前ににこやかな女性が現れる。
「おかえりなさい」
 映像はそこで切れた。機械をはずしてほっと座る。
 説明されると、単に、デイサービスの車から降りるだけだったようだ。距離感をつかめなくなっていることが原因という。

 VR体験二編目。高齢の女性が電車に乗っている映像が映る。
(どうしよう、どうしよう)
 そんな心の声が音声としてリアルに聞こえる。彼女はどこで乗り換えるんだったのか、どうしても思い出せず、不安げにキョロキョロ辺りを見回している。
(分からないわ。困ったわ。もうここで降りよう)
 不安が高まり、とうとう知らない駅で降りる。駅員さんに聞いても要領を得ない。不安が一層高まったとき、やさしい声がする
「どうされましたか?」
 そこでほっとするところで終了。
 この二編は、神経細胞が死滅し減少することに因るというアルツハイマー型と呼ばれる認知症だ。

 三編目は、レビー小体が異常蓄積されて起こる症状の一つ「幻視」だった。
 友人を訪ねて、マンションの一室ににこやかに迎え入れられる。しかし、人があちこちにいる。ただ、だまって。出されたケーキの上には、小さな虫がウジャウジャ這っている。やっと終わり、器械をもぎ取る。とにかくこわくて気持ちが悪かった。

 その後、いろいろ話を聞いて分かったことで、大切なことは『認知症を開放する』ということらしい。周りの人にオープンにすること。そして周りも「違う」と頭ごなしに否定せずに、まず本人に「どうして?」たずねることが大切という。
 中核症状である記憶や判断推理の障害よりもむしろ問題になるのは、周囲の人とのかかわりの中で起きてくる症状だということだ。認知症になり、記憶がなくなっても、心までなくなるわけではない。
 そこまではなんとか理解できた。でも、介護の立場に立った時、寄り添うことができるだろうか?ただ、こんな不安や恐怖で心が絞めつけられている本人が一番つらいということが、このVR体験で実感した。


 翌日、私は伯母の施設に行くため小さな花束を持って、バスに乗っていた。
 昨日の『体験』の帰り道、どうしても会いたくなったのだ。
 私が『知らない人』でもいいではないか?あんなにかわいがってもらったんだもの。うんと笑顔で話を聞こう。伯母が少女だった時の話に、相槌をうとう。
『認知症』の人もたくさんの不安と戦っているのだ。それを少しでも和らげることができれば十分でないか。
 そう思いながら車窓を眺めていた。ちらちらと舞い始めた風花が、伯母の笑い顔が見えた。

  おしまい
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