安池小学校三年二組

はまだかよこ

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安池小学校三年二組

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 昭和四十六年四月一日、私は石膏を塗りたくったように固まったまま、教育委員会の大会議室にいた。えらい方々の長い講話は、全く耳に入らなった。ついに辞令を受け取るときが来た。ガチガチのまま小さな紙を押し頂いて、そっと見た。
「姫路市立安池小学校教諭に任命する」
(えっ、安池小学校ってどこ?)
 すぐに着任する学校へ向かうようにとの指示があり、教えられたバスに乗った。バスは駅前を過ぎると、次第にビルの代わりに田畑が増えた狭い道を進んで行く。半時間くらい経ち不安で気分が悪くなってきた頃、やっとメモの停留所に着いた。すぐ前が校門、運動場の向こうに、懐かしいかおり漂う木造二階建ての校舎が見えた。
「さあ、今日からここであなたは先生だよ」
 そう、校門が両手を広げて迎えてくれた気がした。でも、すぐに新しい緊張が襲ってきて、つりそうな足をなんとか前に運んだ。

 こうして私の教師生活が始まった。

 始業式の日は、青空が私をやわらかく包んでくれた。大正時代に建てられた講堂で、四人掛けの長椅子に座った子供たちの前に立ったときは、無理やり笑顔をつくっていた。でも正直言うと、嬉しさと恐ろしさで胃はねじれていたのだ。三年二組、男子十八名、女子二十三名が私のクラスだ。

 自分ではまだピンとこないのに
「先生!せんせい!せんせー!」
 そう呼ばれ続けているうちに馴染んできた。無我夢中で、毎日が暴風雨のように過ぎていった。疲れ果てて眠っても、夢にまで子供たちが登場して騒いでくれた。
 典生君の作文に
『ぼくはしゅくだいをわすれました。先生にまどふきをさせられました。先生は、ぼくがちゃんとするか、なまいきそうにこしに手をあてて見ていました』
 とあった。新米教師には、威厳のかけらもなかったのだろう。

  四月の終わりになると、家庭訪問だ。もともと方向音痴な上、校区のことが全く分からない私に、子供たちの案内は頼もしい限りだった。勉強から解放され、うれしそうに何人もぞろぞろついてきた。
「次は明信君のとこや。ぼく、近道教えたる」
 そう言うと、農業用水路の側道を駆けだした。家庭調査の用紙を見ていた私は慌てた。
「こんな道、おうちの方が書かれた地図にないよ」
「大丈夫、いつも通ってる近道やから」
「そうやそうや、こっちが近い」
 子供たちは口を揃えていうと、みんな走り出した。しかたなく私も、塀に手と体を這わせて、必死であとを付いて行った。
「せんせー、はよはよ、ここやでー」
 子どもたちの声に混じって、悲鳴が聞こえた。
「キャー、先生!こんな裏口から。いやどないしょー、きたなくしてて。まあこんな狭い道を」
 塀の向こうで、明信君のお母さんがおろおろと言った。
「すみません、こっちへまわって頂けますか?」
 ギャングエイジの子供たちには普通の道も、私にはまるで獣道であった。特にその日は、社会人らしく見られたいと、低めのヒール靴にタイトスカートのスーツだったのだ。お母さんに案内されて、箒目もくっきりとした庭に周り、改めて引き戸を開けた玄関には、みごとな花が生けられていた。間の悪いお母さんと私は大笑いして、おかげですっかり打ち解けた。

 次々と訪問している間、子どもたちはずっと遊びながら待っていた。
「お待ちどうさま、次は理恵子ちゃんのおうちだね」
 手をつないだ理恵子ちゃんに言うと、思いがけない言葉が出た。
「理恵、大きくなったら先生になりたい」
(おー!もしかして、私の姿を見てそう思ってくれたのかしら)
 私は溢れる感激を隠して尋ねてみた。
「どうして先生になりたいの?」
「だって先生になったら、いっぱいジュースが飲めるもん」
 吹き出すのをなんとかこらえた。次々に出てくる飲み物を断れず、飲み干していた私を見ていたのだ。

 次の日も子供たちとワイワイ歩いていた。
「ひとみちゃんとこは、この山の向こうやで。ちょっと遠いで。ぼくらいっつもここで遊んでるんや」
 その丘は竹林になっていて、風にそよぐ葉ずれが心地よかった。校区は農村から住宅地へ変わろうとしていた。分譲地が開発され新しい家が建ち始めていたが、大方は田や畑で、小さな店がちらほらあるだけの、のどかな地域だった。
「ここでタケノコ取れるねん、なあ」
「そうやで、こないだもようけ取ったなあ」
 私は慌てて注意した。
「あかんでしょ、どなたかの山でしょう」
「いいや、ここはええんやで、誰がとってもええねん。ずっとそうやもん」
「あっ、顔出してる、これ取ろう」
 そう言うなり、その辺の木切れで掘り始めた。街で育った私は、筍掘りというものを知らなかった。のぞきこんでいると、突然怒鳴り声がした。
「こらあー!また来とんな!何年生や?先生に言うぞ!」
 どこからか現れたおじさんが走って来たときには、もう子供たちの姿はなかった。私は、出来ることなら筍になって、土に埋まってしまいたかった。
「申し訳ありません。担任です」
「えーっ!先生かいな。先生がついとってどもならんな」
「本当に本当に申し訳ございません」
 ひたすら謝る私を、おじさんは呆れ果てて見ていた。
「まあ、しゃあないな。ちょっと待っとり」
 そう言って向こうの小屋に入ってしまった。
(明日、校長室で叱られるだろうなあ。あー)
 手遅れとは思いながら、土を手で戻している私に、さっきのおじさんが、新聞紙でくるんだ物を押し付けた。
「新しい先生やな、まあ元気な子らばっかや、よろしく頼むわな。これ持って帰って」
 新聞紙からはみ出した筍の香りが、胸にしみた。いつの間にか子供たちも戻って来て、また一緒に下って行った。腕白坊主たちは、私を見上げて言った。
「先生、怒られた?ごめんな」

 
  つい先日、車で近くを通り、学校の前まで回り道をしてみた。折角勤めたのにすぐ退職してしまい、その後一度も訪れることもなく、大方半世紀が過ぎていた。
 四階建ての校舎が、元の場所に堂々と建っていた。大きくて立派な体育館も並んでいた。休み時間だったのか、子供たちが運動場で走り回っていた。でも、あの日私を笑って迎えてくれた校門は、背丈ほどある頑丈な門塀を閉ざし、冷たく拒んだ。もう一つの門には、なんと守衛室のようなものまであり、警備員がいた。
 帰りの車から見るその地区は、あの丘も田畑もなく、以前の面影はもうなかった。マンションが立ち並ぶ道沿いに、大小さまざまな塾の看板がたくさん目についた。
(あの時の子どもたちはどうしてるかなあ。みんな元気だといいな。もう孫ができた子もいるんだもんなあ。そうだ、帰ったらあの文集を読んでみよう)
 くすぐったい想いが、胸に次々湧くに任せて帰途についた。

   おしまい
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