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五、おけいこ 五人の子どもたち

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 八月の初めの土曜日、二回目のおけいこがあった。
 集まった子どもは、六年生の健太、五年の大樹、三年の陽介、あおい、そして一年の彩花の五人。健太とあおいは兄妹だ。
 用意してもらった浴衣を着る。あおいだけは、ものすごくかわいいゆかたを家から着ていた。黒の縞、帯もふわふわ透けたのを二重に結んでいる。髪もお団子にして大きなリボンをつけていた。
「あおいちゃん、かわいい」
 山本さんたちが言うと
「終わったら花火大会に行くの」
 そう言ってにこにこ笑っていた。
(去年はお母さんと見に行ったなあ。お母さんの花模様の浴衣きれいだった)
 大樹は、思い出してうつむいてしまった。

「よろしくおねがいします」
 前と同じように正座してあいさつをした。
 かおり先生が言った。
「今日はまず役を決めてもらいます。台本にあるように、弁慶、牛若丸、徐福法師、桃太郎、金太郎です」
「ぼく、弁慶やってもいいですか」
 まず健太が言った。六年生で体格もいいから、みんながうなずいている。
 おけいこが始まる前に、健太がかおり先生たちに話してるのが聞こえた。
「おれ、サッカーが忙しいから嫌だったのに、妹のあおいが『やりたい、やりたい』って言って。お母さんが『どうせなら二人で』なんて言うから。無理やり申し込まされたんだ。おれ、こんなチャラいもん嫌なんだけど」
 ブスッとしながら話していたが、明るく元気がいいので、かおり先生たちは笑って聞いていた。
 
 大樹は、徐福法師をやりたいと思っていたけれど、自分から言うのはちょっと気が引けてみんなの様子を見ていた。
 先週帰った夜、お父さんとパソコンで検索したのだ。大昔、中国の秦から日本へやって来て、いろんな薬や農耕や漁業の知識を伝えた立派な人だそうだ。今も日本のあちこちの神社で祀られているとあった。知らなかった人だからやってみたいと思ったのだ。

 あおいは、
「私、牛若丸がいい。お兄ちゃんの弁慶より小さいけれど強いのがいい」
 そうはっきりと言った。
 同じ三年生のぽっちゃりした陽介は金太郎、一年生の彩花は桃太郎に決まった。
 最後に大樹が
「徐福法師をやりたいです」
 そう言って、役はスムーズに決まった。

 読み合わせをした後、先生たちが五枚のものすごく大きな鏡を出して来た。
「せりふは覚えていなくても大丈夫。そばで先生たちが言うからね。台本を見ないで鏡を見ておけいこしましょう。まず見得のところだけね」
 もじもじしていた五人も、少しづつ大きな声が出るようになってくる。
「目線を上げる、ゆっくりお腹から声を出す、それが一番大切なのよ」
 かおり先生は、にっこりしながら言った。
 
「ありがとうございました」
 正座したみんなに向かってかおり先生が言った。
「今日は役を決めてすぐのおけいこで大変だったね。みんなすごく頑張ったのでびっくりしました。来週までに自分の役のところDVDを繰り返し見てね」
「バイバイ」
 あおいは浴衣のまま、みんなのうらやましそうな視線を背に坂道を駆け下りて行った。健太とお母さんも後ろをついて行った。

 
 夏休みが終わり九月になると、衣装を着けてのけいこが始まった。山本さんやおばあちゃんたちが時間をかけて作ってくれた新しい衣装だ。
 どの子もそれぞれお母さんに着付けてもらっている。
 健太も、わざとむすっとしているが、なにかお母さんとふざけている。
(健太の家ってにぎやかなんだろうなあ)
 おばあちゃんに着付けてもらいながら、大樹はぎゅっと奥歯をかみしめた。
 五人は、弁慶を先頭に登場して、せりふを言う。自然に健太がリーダーのようになっていた。金太郎の陽介は、休み時間も健太にくっつきまわっていた。あおいと彩花はいつもおしゃべりしている。大樹だけが少し離れていた。
 大樹のお父さんは、毎回大樹とおばあさんを車に乗せて来るついでに、ホールの隅でけいこを見ていた。
 
 そのけいこが終わったときに、かおり先生が言った。
「あのう、付け打ち、お願いできませんか?」
「えっ、いや、とんでもない。ぼくは全く分からないし、ほんと、とんでもないです」
 お父さんは、汗をかきながらしどろもどろになって言った。『付け』というのは、舞台の端で、木の板を付け木で打って「バタバタバッタリ」など、大きな音で演技を誇張する大切な役だ。結局お父さんはその役を受けた。
 帰りの車の中で
「大樹があんまりがんばってるからお父さんも負けてられないと思ったんだ。さあ、大変だ。今までぼーっと見ていたけど、せりふ全部覚えないとな。おー、こりゃたいへんだ」
 そう言っったけれど、なんかうれしそうだった。
 おばあちゃんも、衣装や小道具のお手伝いで山本さんとよく一緒にいた。だから、大樹も先生たちと話すことが多かったのだ。

 
 十月の最初の土曜日、下駄をはいてのけいこがあった。ホールに傷がつかないようにマットを敷いて稽古する。歩くだけでもギクシャクした。最初、弁慶が大きく見得を切ったところでこけそうになった。みんながどっと笑った。それで健太の機嫌が悪くなってしまったようだ。ぶすっとしながらも、稽古はきちんとやった。
 休憩のとき、大樹が外へ出ようとすると、健太がそばに寄って来た。
「大樹ってばあちゃん子だな。すっげーかわいがられてるよな。母さんは仕事?」
「どうでもいいだろ、ほっとけよ」 
 大樹は顔をまっ赤にして、向こうへ行きかけた。
「なんだよ、聞いてるだけじゃん。なにカリカリしてんだよ」
 そのとき、急に大樹がつっかかっていった。不意をくって、健太は尻もちをついた。
「なんだよ!やる気か!」
 立ち上がった健太は、大樹の肩に手をかけた。
 かおり先生が走って来て
「こらこら君たち、元気が余ってるんならもっと稽古けいこ」
 笑って二人を引き離した。それからあとは、どの子も、しゃべることもなくけいこを終えた。


 次の日、大樹は電車に乗っていた。
「区民会館の図書室で勉強するね」
 そう言って出て来たけれど、本当は前に住んでいた街へ向かっていたのだ。お父さんの車だと楽だけれど、四つも乗り換えがあって面倒だ。秘密にすることもなかったけれど、なぜか言いたくなくて、うそをついてしまった。
 大樹は、むしゃくしゃしていた。「子ども歌舞伎」のせりふもしっかり覚えたし、所作も先生たちから、ほめてもらっている。でも、物足りないのだ。
(そうだ、前の学校の友だちに会いに行こう。びっくりさせてやるんだ。どんな顔するかな)
 友だちの笑顔を思い浮かべると、むしゃくしゃが薄れた。
 駅に着くと、ワクワクした。ショッピングモールをさっそうと歩いている人がかっこいい。スマホで、友だちに電話する。
「おれ、相原。今こっち来てるんだ」
「おー、久しぶり。悪い。今からサッカーの練習試合なんだ。おれ、レギュラー取ったぜ。もう集合だから切るぞ、ごめん。今度は先に連絡してくれよな」
「急にごめん、またな」
 別の友だちに電話する。
「おー、久しぶり。悪いな、今日は塾の模試なんだ。おれ、志望校ワンランク上げるんだ。またな」
 次の友だちに電話する。
「えー、連絡してくれればいいのに。おれ、店の手伝いやらされてるんだ。もういやになるよ。悪い。最近ゲームもできないな。今度はちゃんと連絡してからにしてくれよ」
 あと二人の友だちに電話したけれど、皆それぞれするべきことがあった。
 大樹は、うつむきながら海の方へ歩いて行った。ここは、高いフェンスがずっと張り巡らされていて、海へは行けない。フェンスに手をかけて、沖を通る船をぼーっと見ていた。そして、自分に言い聞かせた。
(急に来たのが勝手なんだけど、おれ、ダメだなあ。みんな自分の道を進んでるんだ。前を向かなきゃ)
 そのとき、スマホがふるえて、お父さんの慌てた声が聞こえた。
「大樹、どこにいるんだ? おばあさんに聞いて図書室へ行ったんだけど、いないから」
「ごめんなさい。今、前の家の近くで海を見てる」
 少し間があったけれど、いつもの声が聞こえた。
「迎えに行くから。そこにいるんだぞ」
(あー、おっきなカミナリ落とされるなあ。それにしてもぼく何やってんだろう。お母さん、お父さん、おばあちゃん、ごめんなさい)
 やがて、お父さんの紺の車体が見えて来て、大樹の前に停まった。
 お父さんは、ハンドルを持ったまま静かに言った。
「大樹もいろいろあるしな。でも、おばあさんに心配かけいるのは、絶対だめだ」
 大樹を、ちょっにらむと、また前を向いた。
「まあこういう気分のときもあるよな。相談してくれると、父さんもうれしいんだけどなあ」
「ごめんなさい。なんかどうでもいい気持ちで暮らしてた。だめだな」
「大樹はがんばってるよ。むしろ、がんばりすぎてる。もっと肩の力抜かないとな」
「でも『子ども歌舞伎』も何となくやってきた気がする。やらされてるとは思わないけど、なんかね」
「よくやってると思うけどなあ」
「お母さんに見てもらって恥ずかしくないくらいうまくやりたいなあってすごく思うよ、今は」
「それは思う、父さんも。だから力が入るんだ」
 車で帰ると、家まではすぐだった。ドアを開けて振り向いたら、ちょうど夕日が山に沈みかけていた。
(あーきれいだ)
 大樹は、心からそう思った。

 次の週のおけいこのとき、入って来た大樹に、健太は言った。
「先週ごめんな。おれ、知らなくてひどいこと言って、ほんとごめんな。かおり先生から電話があって」
 大樹は、一瞬肩をこわばらせたが、すっと力を抜くと、言った。
「ぼくこそ、ついかっとなってごめん」
 それから黙って向こうに行くと、おばあちゃんに手伝ってもらって、衣装を着けだした。健太もすぐ隣で着替えをした。そのとき、二人は目が合って、にこっとした。それからだ、お互いにライン交換して、いろいろ話すようになったのは。サッカーの練習にも誘われて、大樹も同じチームで、また始めることになった。

 十月の最後の土曜日、けいこはこれで終わりだ。
 いつものように正座して言った。
「ありがとうございました」
 かおり先生は、いつになく真剣な表情で言った。
「見得はお客さんに一番見てほしいかっこいいところ、おおげさなくらい、ゆっくり動いてしっかり止まってね。みんなこれだけがんばって来たから大丈夫。自信を持って。たくさん拍手をもらえるよ。おひねりも飛んでくるよ」
「あのう」
 彩花が首をかしげて言った。
 山本さんがにこっとして、
「そうよね、知らないよね。昔はお芝居みてるお客さんが、お気に入りの役者さんや場面で、紙に包んだお金を投げたの。みんなにはラッピングした飴だからね。楽しみにしてて」
 続けて山本さんが言う。
「本番でせりふを忘れても、後ろに黒子のおばちゃんがいるからね、そっと教えるから、堂々としてたらお客さんには分からないよ。目をきょときょとさせないで前を向いててね」
「はーい」
「ありがとうございましたあ」
「さようならあ」
 みんなそれぞれ駆け出していく。
 区民会館の出口で
「がんばろうぜ」
「おー」
 大樹と健太は、ハイタッチをした。
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