狡猾な狼は微笑みに牙を隠す

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 それからは、四日に一度のペースで『SMルーム』へ通い出した。
 三日他のルームへ行ったら、四日目は『SMルーム』へ行く。そんなルーティンを、半年。
 あんまりに気持ち良すぎて、癖になり過ぎると本格的に現実に帰ってこられない気がして。……今更遅いかもしれないけれど。
 いつ行ってもヤジは俺を見つけるとすぐに飛んできて相手をしてくれた。「最近はずっとイサトくん待ちだよ」なんて言っているけど、他のルームで遊んだ後、寝るまでに少し時間があったから覗いてみたら、『SMルーム』の常連さんに「ヤジくん、今他の子と遊んでるよー」と教えられたりするから、リップサービスだと知っている。
『SMルーム』の人に誘われたりもするけれど、たぶん俺が好きなのはヤジとの行為だけだから、と断っている。
 ヤジがするのは、SMっぽくて、だけどSMじゃない気がする。痛くされるけど、怖いことはされない。無理やりでもないし、ヤジだけが主導権を握っているわけでもない。きっと普通のSMを好む人とヤッても満足出来ないだろう。
 ぼんやりそんな事を考えていたら、不意に肩を叩かれた。

「あ、野里先輩」
「よう」

 サークルの部室の一番日当たりの良い席で、中庭を眺めながら日向ぼっこしていたら、元部長の野里が半分寝ていた俺を起こしたみたいだった。

「珍しいですね、こっちに顔出すなんて」

 この野里こそが俺にVR機器を預けた張本人で、就職が決まるまでは誘惑の多い部室にも極力顔を出さない、なんて言っていたのに。

「もしかして……」
「おう! 決まったぜ!」
「わー、おめでとうございます!」

 六月のうちに決まるなんてすごいですね、とハイタッチしながら褒めると、野里は顔を綻ばせながら少し赤い頬を指で掻いた。

「それでさ~……あの、アレ、お前に預けたじゃん?」

 就職が決まった途端早速か、と苦笑するけれど、気持ちは分かる。俺もそろそろインターンが始まるし、封印しなければと考えていたところだ。

「はい。じゃあ、明日持ってきますね」
「いや、違うんだ」
「え?」
「いや、違わないんだけど。アレ、お前、使ってる?」
「はい。そりゃもう毎日」
「だよな。そうなるよな」

 ウンウンと深刻な表情で頷いた野里は、分かるぞ、と俺の肩を叩いてから、その拳を握って苦悶の表情を浮かべた。

「俺さ、就活中に彼女が出来てさ」
「……」
「インターン行った去年から顔は知ってた子なんだけど。で、その子も一緒の会社受かってさ、けどその子、俺の部屋でめちゃめちゃエロ本とか探して騒ぐ系の子でさ」
「……きっつ」
「キツいって言うな。……で、まあ、そんなだから、『ぱらどり』なんて見つかったらボコボコに壊される未来しか見えないわけよ」

 殴られるわけではないんだ、と思いつつ、じゃあどうしろって言うのか、と思っていたら、先輩は掌を開いて見せてきた。

「五万で買ってくれねぇ?」
「……四万五千」
「お前な、アレ一式で定価十二万だぞ」
「じゃあ無利息、俺の金がある時払いで期限は先輩が卒業するまでで」
「その条件なら七万」
「俺長期連休しかバイトしてないんでキツいです。六万五千円」
「……しゃあねぇな。それでいいや。判子持ってる?」
「はい」

 机の端に乗っていた大量のコピー用紙を一枚抜いて、ボールペンでさらさらと今の条件を書いたものを二枚用意した野里が、俺の判子と自分の判子で割り印して一枚を俺に渡してきた。
 うちのサークルは変わっていて、こんなちょっとしたやりとりでも、こうして書面に残す傾向がある。前に飲み会で聞いたところによると、借りた借りないで揉めて大学まで巻き込んだ騒動になった事があるらしい。それ以来、『借金は書面に残せ』という格言が受け継がれているんだとか。嘘か本当かは分からないけれど。

「……俺も、そろそろ封印しないとなんだけどなぁ」

 ボールペン書きの借用書を自分の財布の中に仕舞いながら俺がぼやくと、野里が「お前、夏のインターンどこか決まってんの?」と聞いてきた。

「ええ。狩屋商事に一週間くらいの予定で」
「うわ、よりにもよってあそこか」

 思いきり顔を顰められ、何か駄目な会社だったのかと不安になる。

「いや、会社自体はデカいし安定してっからうちの大学からも毎年大量にインターン行くんだけど、一週間毎日小間使いとして走り回らされるらしいぞ」
「あー」
「しかも、本社ならまだしも地元が地方だと勝手にそっちの子会社でやらされたりするらしい」
「……それは嫌かな」

 地元に狩屋商事の子会社はあったっけ、と考えて思わず渋面になる。あまり実家には帰りたくないから、出来ればこのまま関東で就職してしまいたい。

「タダ働きは嫌だなー」
「あ、日給いくらでちゃんと出るらしいぞ。そこはしっかりしてるって」
「ならいいや」
「現金なやつ」
「先輩だって、早く払ってもらった方が嬉しいでしょ?」

 そりゃそうだけどな、と言いつつ、またうつらうつらと昼寝を始めようとしていた俺の肩を撫でて、野里は溜め息を吐いた。

「お前、ほんとおっとりしてるっていうかマイペースっていうか……。インターン行って高校生のバイトに混じって働くとか怠いとか思わないの?」
「特に思わないですねぇ」
「細かいことに悩まなそうで羨ましい」
「コツ教えましょうか?」
「お、何よ」
「細かいことで悩まないようにすることです」

 ゴン、と拳で軽く頭を殴られて、「それが出来りゃ苦労しねぇんだよ」とぶつぶつ言われた。







 『夜の公園』ルームでぶらぶらと散歩していたら、ベンチに座っていた見知った顔の男と目が合った。

「イサト、久しぶり」
「こころ」

 背が高くて筋肉質で、髭も体毛も濃い雄っぽい容姿のアバターで、けれど中身は『こころ』って名前が似合う穏やかな人だ。おいでおいで、と手招きされ、彼の隣に腰を下ろした。

「今日はまだ誰も決まってない?」
「はい」
「運が良いな。イサトを捕まえられるなんて」

 暗い夜空を見上げると大量の星と丸い月が瞬いていて、だいぶ田舎の公園だなぁ、なんて考えた。

「毎日インしてるんで、そんなレアじゃないですよ」
「一日に一人しか相手してもらえないんだから、レアだよ」
「別に一人って決めてるわけじゃないんですけどね」
「二時間くらいですぐ落ちちゃうだろ。一人がべったりしたら終わりじゃないか」
「寝る時間は守りたい派なんです」

 いつも夕食と風呂を終えた二十時前後からインして、二十二時にはログアウトしている。一回終わったら次に行きたいのは山々なんだけど、そういえばいつも時間ギリギリまで一人に拘束されている。

「まあ、そう言いつつ俺もイサト捕まえたら時間いっぱいまで甘えたくなっちゃうけどね」
「はあ」

 しばらく話してから、キスをして、抱き寄せられて、まさぐられて。丸きり屋外で、全裸に剥かれてベンチの上で身体を繋げる。上へされて下へされて、何度も対位を変えられているうちに、周囲に人の気配が増えていく。見られていると思うと興奮して、サービスみたいに自分で自分の乳首を弄ってみせると視界に『予約申請』の文字がいくつも飛んでくる。
 楽しい。
 気持ち良くて、それで喜んでくれる人がいて、俺を見て興奮してくれる人がいて。このゲームは最高だ。

「イサト、イサト」
「ん……、いいですよ、中に、下さい」

 ばち、ばち、と肌同士がぶつかって立てる音が激しくなり、内側を擦る肉が一際膨らんで、中で弾ける。息を荒くしたこころは俺の上に覆い被さってきて、萎えた肉をそれでも抜きたくないみたいに腰を押し付けてくる。

「まだ……、ね、イサト、いいよね? もう一回」

 はい、と頷くと、ぎゅっと抱き締められて、またこころはカクカク腰を振り始めた。ああ、気持ちいい。でも、気持ちいいだけ。今日は何日目だっけ、と脳内にカレンダーを思い描いて、緩く息を吐いた。








 こころとのセックスを終えてから、俺は『SMルーム』の扉を開いた。
 身体がモヤモヤして、熱が放出されずに燻っている。就寝時間は過ぎてしまうけれど、このままだと上手く眠れないから仕方ない。
 もう、そろそろ諦めてこちらに居着いてしまった方が潔いかもしれない。どの道来月からは夏休みだからバイトを始めるし、インターンもある。少しログイン間隔を開けなければならないから、どうせヤるならより気持ちいい方がいい。
 ヤジは居るかな、と覗き込んだら、いつも雑談部屋に居る『ユウキ』が俺に向かって手を振った。

「お、イサトちゃん。ヤジ、今お気に入りと遊んでるから今日は戻ってこないかもしれないぞ」
「……そっか」

 残念、と扉を閉めようとした俺を、ユウキが呼び止めて酒瓶とグラスを見せてくる。

「なあ、一杯だけ付き合ってくれよ。バイト代入ったから課金したった」
「ワイン以外だったら、一杯だけ」
「おー、さんきゅーイサトちゃん。今日はみんな出払っちゃってオジサン寂しかったんだぁ」

 雑談部屋は照明の暗いカフェみたいな造りで、左右の壁際に二人掛けのテーブルセットが並んでいる。突き当たりまで行ったことはないけど、土日でも人が座れないことは無いらしいから、かなり奥行きがあるらしい。
 扉から入って三列目くらいのテーブルで一人で飲んでいたユウキの向かいに座ると、パ、と俺の分のお猪口がテーブルの上に現れた。

「バーチャルとはいえ、『森伊蔵』が一瓶千円は破格だよなぁ」
「やっす」
「苦学生にはアイテム一個に千円は高いけどな~」
「ご相伴預かれて光栄です」
「イサトちゃん可愛い。いっぱい飲んでいいぞ」

 はあ、と返事しながら、現実では飲めない高級酒に有り難く口をつけた。
 舌が痺れる。正直味音痴なので、普通の日本酒とどう違うのか分からない。やたら匂いが良いというのだけは分かるけれど。

「どうよ、イサトちゃん」
「……すごく高い味がします」
「だよなーだよなー! 俺もわっかんねぇの! いつも飲んでる安酒の方が酔えるじゃん!? って感じ」
「それはガブガブ飲むからじゃないですか?」
「それだ」

 ゲラゲラと笑ったユウキは空になった俺のお猪口にまた注いできて、俺も遠慮なく飲む。こういう酔い方をする人を、よく知っている。

「ユウキ、今日はもう誰ともしないで飲んで落ちるだけですか?」
「ん~? まあ、そうかな。どうせ誰も俺とヤりたがらねぇし……」

 自嘲するみたいな笑い方に、腰を上げて彼の顎を掴んで口付けた。ポカンと見開いた目が俺を見つめているのに、「お酒のお礼」と囁いた。

「あ……はは、そっか、イサトちゃん、義理堅いねぇ」
「もっと飲ませてくれたら、もっとしますよ」
「…………マジ?」
「はい」

 ユウキとはマトモに話すのも初めてだけれど、良くない酔い方をしているのだけは分かる。分かってしまったら、放ってはおけない。

「イサトちゃんって、ヤジの固定じゃねぇの?」
「固定?」
「ヤジとしかしねぇんじゃないの」
「他のルームでは他の人ともしてます。SMっていうか、ヤジのセックスが好きだからここに来てるだけで、……SM自体はそんなに好きじゃないけど」

 だから、するならあんまり痛くしないで下さいね、と。酒のお代わりをお猪口を差し出して強請ねだったら、ユウキはうーんと唸ってから、頷いて酒を注いでくれた。

「俺、手加減無しにぶっ叩いたりするからここでも嫌がられるんだけど、イサトちゃん相手なら加減してみる」
「……絶対ですよ」

 気持ちいいだけでは満足出来なくなってしまったけれど、痛いだけなんて絶対嫌だ。
 二人でちびちび酒を飲んで、しばらく他愛もない話をしてから、先にユウキが立ち上がった。

「えーっと……行こっか、イサトちゃん」
「はい」
「なんか、フツーのセックスするの久々だから緊張する」
「普通にするんですか?」
「え、だって痛いのイヤでしょ?」
「ほんのすこーしなら、大丈夫ですよ」

 ヤジとするようになってから、それより以前に比べれば痛みに強くなったと思う。
 殴られたりは嫌ですけど、とユウキの表情を窺うと、じっと俺を見つめた彼が頬を掻きながら「我慢するよ」と呟いた。
 加減してくれればいいだけなのに。そんなに難しいことなんだろうか。マゾの気持ちなら少しは分かるかもしれないが、サドの方はサッパリだ。叩いてくれと言われれば出来るけれど、自分で抑えがきかないほどになるというのは想像し辛い。

「イサトくん!」
「……あ、ヤジ」

 プレイルームへの扉を出したユウキの後についてそこに入ろうとして、後ろから手首を掴まれた。名前を呼ばれて振り向くと、ヤジが嬉しそうな顔で立っていた。

「イサトくん、今日はここに来る日じゃなかったよね? メッセージくれれば待ってたのに」
「あ、いや」
「まだ時間は大丈夫? 少しでいいんだったら、今から」

 俺の手首を引いて扉の向こうに行こうとするのを阻止されて、ごめん、と謝る。

「ヤジ、今日は俺、ユウキとするので」
「……は?」
「悪いなヤジ、イサトちゃん借りるぞ」

 目を丸くして、ヤジが驚く。俺を後ろから抱き締めたユウキがヤジの手を俺の手首から剥がして、ひらひらと手を振った。

「え……ちょ、待ってイサトくん、怒ってるの?」
「怒る?」

 何にだろう。特に何かされた覚えは無いし、そもそも俺は滅多なことでは怒らないのだけれど。
 キョトンと首を傾げた俺に、何故だかヤジの方がショックを受けたみたいに頬を引き攣らせた。

「な、なんでユウキと?」
「お酒奢ってくれたから」
「それくらいいつでも奢るよ? 俺としよう?」
「いえ、先にユウキと約束したので」

 また今度、と頭を下げると、ヤジは珍しくその笑顔を崩して俺の後ろのユウキを睨みつけた。

「壊さないで下さいよ。イサトくんがインしなくなったら恨みますからね」
「分かってるって」
「……イサトくん、また明日」
「いえ、今日来たので次はまた四日後に」
「また明日」
「……はい」

 ユウキから俺に視線を移したヤジはまたいつも通りの笑顔で、しかし圧に押されて明日の約束を取りつけられてしまった。
 それじゃあな、と扉を閉めたユウキがくくく、と喉を鳴らして笑って、それから俺をベッドへ連れて行った。

「あいつがフラれんのとか初めて見た」
「フッてはないんですが……」
「ありがとね、イサトちゃん。少しだけ元気出た。……俺とするから、って言ってくれて、ありがとう」
「はあ」

 理由は分からないけれど、落ち込んでいたらしいユウキが笑うのを見て少しホッとした。モテ男のヤジより自分が選ばれたことで、少しは気分が浮上したらしい。これくらいでいいなら、俺でも何か力になれるなら嬉しい。

「優しくして下さい、ユウキ」
「うん。今日は本当に、出来そう」

 窓に格子の嵌められた物騒な部屋の簡素な木製の軋むベッドで、しかしユウキは予想外に優しく抱いてくれた。彼のラストスパートだけ、後ろから肩に噛み付かれて乱暴にされたけれど、その痛みでやっと俺の熱が外に吐き出せた。
 終わってすぐ寝入ってしまったらしいユウキは俺を抱き締めたまま背後に乗って動かず、暫くしてからシステムに強制ログアウトされて消えていった。

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