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後編
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ある王国の第三王子だったアンプローシウス。
兄王子の勢力に目をつけられたのは、その類い稀な体躯とそれを活かして軍に身を投じたことで得た統率力だった。
言葉が少ない不器用な彼が、兄王子の力になろうと身を引いた先での、能力の開花。皮肉なことに、アンプローシウスの気持ちとは逆に作用した。
その体躯と戦いの中の気迫は、平和を愛するが故のものだった。不器用な己に従ってくれる部下たちを失いたくなくて、必死に戦略を学んだ。罪の無い民を巻き込まないために、多少強引な避難も強行させた。戦果を上げるとしばらくの平穏を得るものの、すぐに争いの火種は燻る。無理な遠征を繰り返すうちに、国力は疲弊し、力ある貴族たちは不利益を回避すべく王宮で勢力争いに必死になった。
ある者はアンプローシウスを持ち上げ、またある者は彼が兄を憎んでいると嘯き、排除しようと動き始めた。
それをアンプローシウスはただ眺めているだけだった。
黙っているだけではお前はいずれ、命を狙われる。慕っていた兄の手で……。だから迂来なくては駄目だ、何度そう諭してもアンプローシウスは動かなかった。
私の訴えは届くどころか、アンプローシウスを哀しませるばかりだった。どうして分かってくれないのか。第一王子を推す者たちの暴挙を放置しているのは、その兄本人なのだ。
「兄が望むのならば、いくらでも臣籍に降りよう。それでも不十分ならば、国のために身を差し出すのが王族の務め」
「ば、馬鹿か、命すら差し出すと? お前はお前が考えるよりも多くの命を背負っているのだ、なぜ簡単にそれらまで諦めてしまえるのか」
これまで救ってきた命、平安の中で生まれた子供たち、そして忌避された女神の神殿とそこに暮らす巫女たち。
その筆頭である私をじっと見る目は、達観しているようでわずかに揺れていた。
「兄上から、取り引きを持ちかけられたというのは本当か、ウルクマ?」
ドキリとして言葉を詰まらせる。
そんな私にアンプローシウスが気づかぬわけがなく。彼は私の腕を取って、背けた顔を引き寄せられた。
藍い瞳の奥から、初めて怒りのような火を灯して見つめられた。
「脅されたのか?」
目を反らせようとしたが許されなかった。だから私はため息をつきながら、真実を告げた。飾らぬ本心を知ってもらえれば、アンプローシウスの心を動かせると考えたのだ。
浅はかにも。
「私が還俗して次の王の後宮に入るならば、女神を最高神として据えて巫女の唄を護ると言われた」
アンプローシウスが驚愕の表情を浮かべる。
「もちろん、丁重にご辞退申し上げた」
嘆息し、私を掴んだままの手を開かせる。
「私は女神にこの身を捧げているのだ、友よ。おまえを意のままに操るための人質になるくらいならば、天の女神の元へ旅立つ覚悟。そう伝えてきた……」
アンプローシウスは目を見開きながら、首を横に振る。
彼の兄の性格は、彼自身が誰よりも知っている。第一王子に逆らったのならば、神殿は間違いなく潰されることだろう。
そんな私の覚悟を見たアンプローシウスは、ハッとして周囲を見回す。
廃れた神殿とはいえ、いつもよりも静かな様子に、すぐに私が巫女と下働きの者たちを避難させていることを察したようだ。
「ウルクマ、俺が何とか……」
そう言いかけたところで、アンプローシウスの腹心の部下が私たちに近づく。
「第三王子殿下、第一王子殿下の配下の軍に囲まれております!」
「……名目は?」
アンプローシウスの問いに、男は苦虫を潰したような顔で答えた。
「巫女ウルクマを引き渡すようにと」
「何故、俺ではなくウルクマを?」
「王家に対する侮辱、第三王子が反逆を企てていると進言し、反逆罪に陥れようとしていると民の間にも噂になっていると……」
「馬鹿な!」
アンプローシウスの怒気に被せるように、私は高らかに笑った。
「……ウルクマ?」
「そう、馬鹿なのよあの男は、誤魔化しようのないくらいに! 能力もない男が、策略だけで手駒の弟を目の敵にする。お前を受け止めるだけの度胸も無い……そんな男のものになるなんてまっぴらって言ってやったわ。その対価がこれなのね」
手に入れられないのならば、決別させた上で殺すつもりだとは。そちらの奸知にだけは長けていることに、なおさら憤りが強くなった。
私はアンプローシウスの腕を払いのけ、彼から後ずさる。
「ウルクマ?」
屈強な戦士でもあるアンプローシウスの顔に、幼子が不安にかられたような色が浮かんだ。
大丈夫、お前には手を出させないから。
微笑む私に、アンプローシウスが手を伸ばした瞬間だった。
ひゅうと何かが空を切る音が聞こえたと思ったのと同時に、背中を押された。
いや、押されたと思った衝撃は、一拍を置いて灼熱の痛みに変わる。
「……ウルクマ!!!」
見下ろした胸元から、赤く染まった刃が突き出ていた。
長槍の穂先を掴もうと無意識に手を添えるも、吹き上がる血が口から吐き出す。再び鼓膜に届く空気を裂く音に、私は血で溢れる気管のせいで、言葉にすることができなかった。
逃げて、アンプローシウス。
おまえは私のように死んでは駄目。
神殿の庭に、無数の矢が雨のように降り注ぐのを、涙でかすむ目で見守るしかなかった。 剣で矢を薙ぎ払うアンプローシウスに、女神よどうか加護をお与えください。
最後の時は、傷を負ったアンプローシウスの腕の中だった。
彼の頬を伝う涙に手を伸ばして、どうか生きて民を救ってほしいと告げた。そして私のことは忘れて、家族をつくり、大勢の人に囲まれて明るい世界で幸せになって欲しいと。
不器用なアンプローシウス。
優しいおまえなら、それが出来ると信じている。
そう、信じてはいたが、これはちょっと……いや思っていたのとはだいぶ違うと思う。
「カルディナは細すぎる、しっかり食事は摂らないと」
スプーンで掬われた木イチゴを、口元に添えられていた。
私が座るのはオルディアス卿の膝の上、ここが神官長のための部屋の一つだとしても、おかしい。
口元を引き結ぶ私に焦れたのか、彼は言った。
「ほら、あーんして」
あーんではない!
喋れないのも忘れるくらいに呆れてツッコミを入れた拍子に開けた口へ、木イチゴを押し入れられた。
美味い…………けれどそうじゃない。
三ヶ月をかけて少しずつ払うつもりだった、裏庭から続く森の澱みを一気に片付けた反動だろうか、足ががくがくと震えてきた私をここに運んだのはオルディアス卿だった。
無理はしなくていいと言って、私を抱き抱えたのだ。
ちょっと、大丈夫だから。
そう慌てる私の心境を読んでいるはずなのに、彼は抵抗する私の腕を自分の肩に回して、あっという間に私の膝の裏に腕を差し入れられ、ひょいと抱き上げられてしまった。
「神官長、カルディナを休ませたい」
「あ、はい、こちらに……」
暴れて降りようとしたのだが、騒ぎを聞きつけた人たちの声が近づいてくるのが分かった。
神殿の裏手にある庭は、澱みの森へ通じるがゆえに、常日頃は滅多に人が訪れることはない。ここで異変があったとなったら、すぐに神官長へと知らせる手筈となっている。恐らく神官長が不在であることで、混乱しているに違いない。
聖堂騎士を引きつれた神官が数人、不安そうな顔で現れた。
「こちらにおいででしたか神官長様、お捜しいたしました。急に神殿の裏手から不吉な暗雲がたちこめたように日差しを遮りました。何か、異変があったのでございましょうか」
オルディアスに抱きかかえられた私を見てから、神官の一人がセテ神官長へと訊ねる。
神官長は森を振り返って目を細める。
澱みはすっかり消え失せ、森は見違えるように木々の枝葉の隙間から、日差しが入り込んでいた。
「いや、大事はない。朝の唄が女神に届いたのでしょう。皆はいつも通り朝餉の支度に戻りなさい。私たちは後で向かいますから」
神官長にそう言われて、皆は動かないわけにはいかない。
そうしてその場をやり過ごした後、私は神官長の使っている一室へと運ばれ、そこでひな鳥のように世話を焼かれるという流れになったのだが……。
「焼きたてのパンケーキもあるんだ、遠慮はいらない、さあ」
遠慮をしているのではない。
そもそも本当におまえはアンプローシウスなのか? それすらも疑問に思えてきた。
だいたい彼はオルディアス卿のように愛想笑いなど無縁の男で……。
「イヴァンと、名前で呼んでくれないかな、カルディナ?」
ぶっとむせ込んで見上げると、色を含んだ甘い表情。
やはりこのオルディアスはあいつではない。ぜっったいに、何かの間違いだ。
「だから俺はイヴァン。あんまり聞き分けが悪いと、きみの恥ずかしがる過去を言い連ねるよ。そうしたら俺が誰か分かるはずだ」
私に恥ずかしい過去などない。
「そうかな、きみがまだ見習い巫女だった頃に、意味も無い修行に付き合わされてたまるかと神殿を抜け出したはいいが、迷子になった末に熊の寝床を奪って、追い出された熊が町に出るようになり、新手の魔獣が出たのかと討伐隊が結成されたのは?」
ぐ、ぐうの音も出ない。
そんなはるか昔の失態は、帝国のどの歴史書どころか、子供の絵本にだって出てこない。
確かにこの無駄に色男のイヴァンは、あの無骨で笑うこともぎこちなかった男だということに。
「納得してくれたのならば嬉しいよ」
微笑みながらまだ給餌を続けられそうになったので、私は心を読まずとも分かるよう、むっとした顔をつくり、彼から匙を取り上げて自ら食す。
そんな私を、イヴァンはとろけるような目で見つめている。
居心地が悪いったらありゃしない。
きっとこの心の声も筒抜けなのだ……そもそもどうして、彼にそのような能力があるのだ。迷惑極まりない。おちおち考え事も出来やしない。女神の餞別とはどういうことだ。
第一、アンプローシウスの魂は五百年の封印の刑を受けると私に言ったのは女神自身ではなかったか。
心の中で不満をぶちまけていると。
私の頭は疑問が次々と浮かび、整理がつかない。するとそれすらも分かっているかのように、彼は語る。
「きみが三百年かけて行った癒やしが、俺の浄化を助けていたんだ。君の力が、二百年という途方も無い時間を、帳消しにしたんだよ」
私のしてきたことが、アンプローシウスのために……なっていた?
「ああ、そうだ。心も記憶も溶けて無くなってもおかしくない闇の深淵で、小さな滴のようにウルクマの唄が時折降り注いだ。俺はそれだけを頼りに、長い時を耐え続けたんだ……それなのに、目覚めた天界には君はどこにもいなかった。だから追ってきた」
拗ねるような表情を見せられるが、頭で理解しようとしても違和感が拭えない。
そんな困惑する私を膝から下ろし、椅子に座らせたイヴァン。何をするのかと思えば、私の前で跪く。
そして細く荒れた手を両手で包んで言った。
「愛している、カルディナ。三百年前からきみを」
私を見上げる紺の瞳は、かつてアンプローシウスが幾度も戦に出る前に私に向け「必ず戻る」と誓った時と同じで、揺らぎが一切ない。
「あの時は、俺さえ我慢をしていれば永遠に共にいられると思い込んでいた。君は女神に生涯を誓った巫女、手に入れて嫌われるくらいなら、俺が耐え忍べばいい。誰にも奪われないと信じていた……だが結果は」
そう、違った。
今も昔も、女神は唄を捧げる巫女に純潔を求める。二十歳を過ぎた私は、既に神に身を捧げることを誓っていた。片やアンプローシウスも三男ではあるが王国の王子。私があの時、生き残っていたとしても結ばれる未来はなかった。
「だが今は違う。今度こそ、きみを手放したくない。どうか俺の気持ちに応えて欲しい……それとも、きみは俺を許さない?」
許す?
私がアンプローシウスに許しを請うことはあっても、おまえに咎があるだろうか。
そう首を捻っていると。
「ウルクマの亡骸に愛を誓いながら、俺は血で血を洗う争いに身を投じ、何の感情も沸かない女を抱いて子を成した。君を裏切ったと誹られても仕方がない」
唇を噛むイヴァン。
そんな彼の口元に手を伸ばし、撫でる。そしてため息をつきながら心の中でこう呟いた。
確かにな、と。
するとイヴァンは目を大きく見開き、傷ついたような表情を浮かべる。
馬鹿だな、相変わらず。
私が願ったのだ、生きろと。人として生きるとは、人の住む中で暮らし、子を成し、寿命を迎えるということだ。それを成し遂げてくれたからこそ、イヴァン・オルディアスは生を受けたのではないのか。
「カルディナ……ありがとう」
がばりと大きな腕で抱きしめられ、慌ててイヴァンの顔を抓る。
「照れているのか?」
早合点をするな馬鹿者。若い女性に対してそのように不埒に抱きつく者は、私の最も嫌いな部類だ。
本当にこのイヴァンが、あのアンプローシウスだなんて、詐欺にあっているようだ。
もはや心のひとりごとが通じている前提ではある、不思議な状況にも慣れてそう告げると、イヴァンは笑った。
「最初は……生まれてから十年ほどは大変だったよ。だが前と同じ轍だけは踏まないよう、必死に訓練したんだこれでも」
訓練でその浮ついた不埒者になったと?
「不埒と言われると心外だが、俺はきみにしか愛を囁いたりしない。それに元はきみが俺に言ったことだ。もう少し人と話し、自分を知ってもらい、人間関係に気を配らないと身を滅ぼすぞと。そして実際には、きみを失った。今こうしてきみに会えたのも、努力して自分を理解してもらって得た地位のおかげだ。俺がこのように変われたことに関しては、悔いてはいない」
自分を、変えた……努力で?
「ああ、きみを見つけるために。子供の頃は酷いものだったよ、あの頃の俺と変わらず、挨拶程度すら何を口にしていいのか分からなかった。だが兄が……今の俺にも兄がいるんだ。彼が不器用な俺を理解し、たくさんの事を教えてくれた」
照れた様子でそう語るイヴァンに、私はなんだかほっとしたというか、安堵する。
そうか、兄と仲良く暮らしていたのか。
「ああ、いずれ紹介するよ。きっときみを歓迎してくれる。両親も、兄も、優しくていい人なんだ。だから……俺と結婚しよう、カルディナ」
朗らかに家族のことを話す彼を見ていて、自然と目から涙が溢れる。
幸せに生きていてくれた?
その問いに、イヴァンは黙って頷く。そして。
「きみが一緒なら、もっと幸せになれる。だから共に生きよう、今度こそ」
どうしてか涙が止まらない私の頬を、イヴァンが優しく拭う。
その間にも、彼は懸命に話しかけてくれる。
聖堂騎士を目指したのは、どこかで祈りの唄を捧げている私を捜すのに、一番の近道だと思ったこと。それからほどなく、懇意にしていた神官たちから、時折現れる不思議な巫女の存在を知り、調べていたと。ちょうど隣町の巫女が、中央神殿に推挙されることになり、その迎えの道中で私の存在を知ったことを。
「ここに来る前は、あまり期待を持ちすぎないよう己を戒めていた。けれど、会ってすぐにきみがウルクマだとすぐに分かった」
どうしてだろう、私の見た目はイヴァンのようにかつての姿とは似ても似つかない。
唯一同じなのは、黒い髪くらい。
「ああ、そんなの簡単だ。だってきみのひとりごとは、だれよりも強く、はっきりと、そして容赦なかったからね」
は?
唖然としていると、彼は思い出したようにくっくと笑う。
「俺はきみ以外にも、周囲の心の声が聞こえるんだ。けれどもきみの『声』は、かつてのウルクマと同じようにはっきりとよく通る。そして毒舌だ」
そういえば、食堂で最初に会った時に、私は何を考えていただろうと思い返す。
愛想のいい騎士の十分の一でも気配りができていたら、アンプローシウスの未来、この国の在り方は変わっていたろうに。そう考えた気がする。
と言うことは……本当に、最初から?
「ウルクマに叱られているようで懐かしさしかなかったよ」
じゃあその後も何度も私を見つけては側にいたのは、確かめるため?
「しつこくて嫌われていたのも知っている」
苦笑いを浮かべるイヴァンを見て、私は観念するしかなかった。
しつこいのは私も同じ、いやそれ以上だ。
ずっと、アンプローシウスの魂のことばかり考えて、数え切れないほどの生を繰り返してきた。
「俺も、きみのことばかり考えていたよ」
イヴァンが私の頬を両手で包み、額を合わせてくる。
言葉にならない想いが、涙になって溢れる。
そんな私の額に、イヴァンの唇がそっと触れる。
「二人で、あの時失った時間を生きよう」
私は頷く。
でも私は、まだやり残したことがある。
まだ全土の浄化が済んでいない。それだけは、女神との約束だから。
「そうだな、それも一緒にやり遂げよう。目標ができたな」
いやしかしイヴァンは聖堂騎士で、自由のきく身分ではなく……。
なんて呟きをする間もなく、喜ぶイヴァンの腕の中に囲われていた。
それから彼の行動は電光石火、神官長を通して私の身分を巫女の地位から外し、一時的に中央神殿の所属する聖堂騎士つきの世話係に据えてしまった。
私は世話係の役目で聖堂騎士の移動に同伴し、各地の澱みを浄化して回ることにした。以前とは待遇もよく、健康を管理される中での浄化は、洗練されていく。
いや、私を誰よりも大切に扱うイヴァンの存在が、私をそうさせたのだと思う。
恋人であることを公言し、かいがいしく面倒を見てどこにでも私を連れ歩くイヴァンを見て、周囲の者たちはどちらが世話係なのかと言い出す始末。
そうして浄化が終わる頃には問答無用でイヴァンの婚約者になっていた。
そんな聖堂騎士と声なし巫女の恋物語は、ナバロニア帝国の平和が続くかぎり語り継がれることになった。
始まりとその後の恋物語。どちらも同じ人物のことであることは、誰も知らない。
兄王子の勢力に目をつけられたのは、その類い稀な体躯とそれを活かして軍に身を投じたことで得た統率力だった。
言葉が少ない不器用な彼が、兄王子の力になろうと身を引いた先での、能力の開花。皮肉なことに、アンプローシウスの気持ちとは逆に作用した。
その体躯と戦いの中の気迫は、平和を愛するが故のものだった。不器用な己に従ってくれる部下たちを失いたくなくて、必死に戦略を学んだ。罪の無い民を巻き込まないために、多少強引な避難も強行させた。戦果を上げるとしばらくの平穏を得るものの、すぐに争いの火種は燻る。無理な遠征を繰り返すうちに、国力は疲弊し、力ある貴族たちは不利益を回避すべく王宮で勢力争いに必死になった。
ある者はアンプローシウスを持ち上げ、またある者は彼が兄を憎んでいると嘯き、排除しようと動き始めた。
それをアンプローシウスはただ眺めているだけだった。
黙っているだけではお前はいずれ、命を狙われる。慕っていた兄の手で……。だから迂来なくては駄目だ、何度そう諭してもアンプローシウスは動かなかった。
私の訴えは届くどころか、アンプローシウスを哀しませるばかりだった。どうして分かってくれないのか。第一王子を推す者たちの暴挙を放置しているのは、その兄本人なのだ。
「兄が望むのならば、いくらでも臣籍に降りよう。それでも不十分ならば、国のために身を差し出すのが王族の務め」
「ば、馬鹿か、命すら差し出すと? お前はお前が考えるよりも多くの命を背負っているのだ、なぜ簡単にそれらまで諦めてしまえるのか」
これまで救ってきた命、平安の中で生まれた子供たち、そして忌避された女神の神殿とそこに暮らす巫女たち。
その筆頭である私をじっと見る目は、達観しているようでわずかに揺れていた。
「兄上から、取り引きを持ちかけられたというのは本当か、ウルクマ?」
ドキリとして言葉を詰まらせる。
そんな私にアンプローシウスが気づかぬわけがなく。彼は私の腕を取って、背けた顔を引き寄せられた。
藍い瞳の奥から、初めて怒りのような火を灯して見つめられた。
「脅されたのか?」
目を反らせようとしたが許されなかった。だから私はため息をつきながら、真実を告げた。飾らぬ本心を知ってもらえれば、アンプローシウスの心を動かせると考えたのだ。
浅はかにも。
「私が還俗して次の王の後宮に入るならば、女神を最高神として据えて巫女の唄を護ると言われた」
アンプローシウスが驚愕の表情を浮かべる。
「もちろん、丁重にご辞退申し上げた」
嘆息し、私を掴んだままの手を開かせる。
「私は女神にこの身を捧げているのだ、友よ。おまえを意のままに操るための人質になるくらいならば、天の女神の元へ旅立つ覚悟。そう伝えてきた……」
アンプローシウスは目を見開きながら、首を横に振る。
彼の兄の性格は、彼自身が誰よりも知っている。第一王子に逆らったのならば、神殿は間違いなく潰されることだろう。
そんな私の覚悟を見たアンプローシウスは、ハッとして周囲を見回す。
廃れた神殿とはいえ、いつもよりも静かな様子に、すぐに私が巫女と下働きの者たちを避難させていることを察したようだ。
「ウルクマ、俺が何とか……」
そう言いかけたところで、アンプローシウスの腹心の部下が私たちに近づく。
「第三王子殿下、第一王子殿下の配下の軍に囲まれております!」
「……名目は?」
アンプローシウスの問いに、男は苦虫を潰したような顔で答えた。
「巫女ウルクマを引き渡すようにと」
「何故、俺ではなくウルクマを?」
「王家に対する侮辱、第三王子が反逆を企てていると進言し、反逆罪に陥れようとしていると民の間にも噂になっていると……」
「馬鹿な!」
アンプローシウスの怒気に被せるように、私は高らかに笑った。
「……ウルクマ?」
「そう、馬鹿なのよあの男は、誤魔化しようのないくらいに! 能力もない男が、策略だけで手駒の弟を目の敵にする。お前を受け止めるだけの度胸も無い……そんな男のものになるなんてまっぴらって言ってやったわ。その対価がこれなのね」
手に入れられないのならば、決別させた上で殺すつもりだとは。そちらの奸知にだけは長けていることに、なおさら憤りが強くなった。
私はアンプローシウスの腕を払いのけ、彼から後ずさる。
「ウルクマ?」
屈強な戦士でもあるアンプローシウスの顔に、幼子が不安にかられたような色が浮かんだ。
大丈夫、お前には手を出させないから。
微笑む私に、アンプローシウスが手を伸ばした瞬間だった。
ひゅうと何かが空を切る音が聞こえたと思ったのと同時に、背中を押された。
いや、押されたと思った衝撃は、一拍を置いて灼熱の痛みに変わる。
「……ウルクマ!!!」
見下ろした胸元から、赤く染まった刃が突き出ていた。
長槍の穂先を掴もうと無意識に手を添えるも、吹き上がる血が口から吐き出す。再び鼓膜に届く空気を裂く音に、私は血で溢れる気管のせいで、言葉にすることができなかった。
逃げて、アンプローシウス。
おまえは私のように死んでは駄目。
神殿の庭に、無数の矢が雨のように降り注ぐのを、涙でかすむ目で見守るしかなかった。 剣で矢を薙ぎ払うアンプローシウスに、女神よどうか加護をお与えください。
最後の時は、傷を負ったアンプローシウスの腕の中だった。
彼の頬を伝う涙に手を伸ばして、どうか生きて民を救ってほしいと告げた。そして私のことは忘れて、家族をつくり、大勢の人に囲まれて明るい世界で幸せになって欲しいと。
不器用なアンプローシウス。
優しいおまえなら、それが出来ると信じている。
そう、信じてはいたが、これはちょっと……いや思っていたのとはだいぶ違うと思う。
「カルディナは細すぎる、しっかり食事は摂らないと」
スプーンで掬われた木イチゴを、口元に添えられていた。
私が座るのはオルディアス卿の膝の上、ここが神官長のための部屋の一つだとしても、おかしい。
口元を引き結ぶ私に焦れたのか、彼は言った。
「ほら、あーんして」
あーんではない!
喋れないのも忘れるくらいに呆れてツッコミを入れた拍子に開けた口へ、木イチゴを押し入れられた。
美味い…………けれどそうじゃない。
三ヶ月をかけて少しずつ払うつもりだった、裏庭から続く森の澱みを一気に片付けた反動だろうか、足ががくがくと震えてきた私をここに運んだのはオルディアス卿だった。
無理はしなくていいと言って、私を抱き抱えたのだ。
ちょっと、大丈夫だから。
そう慌てる私の心境を読んでいるはずなのに、彼は抵抗する私の腕を自分の肩に回して、あっという間に私の膝の裏に腕を差し入れられ、ひょいと抱き上げられてしまった。
「神官長、カルディナを休ませたい」
「あ、はい、こちらに……」
暴れて降りようとしたのだが、騒ぎを聞きつけた人たちの声が近づいてくるのが分かった。
神殿の裏手にある庭は、澱みの森へ通じるがゆえに、常日頃は滅多に人が訪れることはない。ここで異変があったとなったら、すぐに神官長へと知らせる手筈となっている。恐らく神官長が不在であることで、混乱しているに違いない。
聖堂騎士を引きつれた神官が数人、不安そうな顔で現れた。
「こちらにおいででしたか神官長様、お捜しいたしました。急に神殿の裏手から不吉な暗雲がたちこめたように日差しを遮りました。何か、異変があったのでございましょうか」
オルディアスに抱きかかえられた私を見てから、神官の一人がセテ神官長へと訊ねる。
神官長は森を振り返って目を細める。
澱みはすっかり消え失せ、森は見違えるように木々の枝葉の隙間から、日差しが入り込んでいた。
「いや、大事はない。朝の唄が女神に届いたのでしょう。皆はいつも通り朝餉の支度に戻りなさい。私たちは後で向かいますから」
神官長にそう言われて、皆は動かないわけにはいかない。
そうしてその場をやり過ごした後、私は神官長の使っている一室へと運ばれ、そこでひな鳥のように世話を焼かれるという流れになったのだが……。
「焼きたてのパンケーキもあるんだ、遠慮はいらない、さあ」
遠慮をしているのではない。
そもそも本当におまえはアンプローシウスなのか? それすらも疑問に思えてきた。
だいたい彼はオルディアス卿のように愛想笑いなど無縁の男で……。
「イヴァンと、名前で呼んでくれないかな、カルディナ?」
ぶっとむせ込んで見上げると、色を含んだ甘い表情。
やはりこのオルディアスはあいつではない。ぜっったいに、何かの間違いだ。
「だから俺はイヴァン。あんまり聞き分けが悪いと、きみの恥ずかしがる過去を言い連ねるよ。そうしたら俺が誰か分かるはずだ」
私に恥ずかしい過去などない。
「そうかな、きみがまだ見習い巫女だった頃に、意味も無い修行に付き合わされてたまるかと神殿を抜け出したはいいが、迷子になった末に熊の寝床を奪って、追い出された熊が町に出るようになり、新手の魔獣が出たのかと討伐隊が結成されたのは?」
ぐ、ぐうの音も出ない。
そんなはるか昔の失態は、帝国のどの歴史書どころか、子供の絵本にだって出てこない。
確かにこの無駄に色男のイヴァンは、あの無骨で笑うこともぎこちなかった男だということに。
「納得してくれたのならば嬉しいよ」
微笑みながらまだ給餌を続けられそうになったので、私は心を読まずとも分かるよう、むっとした顔をつくり、彼から匙を取り上げて自ら食す。
そんな私を、イヴァンはとろけるような目で見つめている。
居心地が悪いったらありゃしない。
きっとこの心の声も筒抜けなのだ……そもそもどうして、彼にそのような能力があるのだ。迷惑極まりない。おちおち考え事も出来やしない。女神の餞別とはどういうことだ。
第一、アンプローシウスの魂は五百年の封印の刑を受けると私に言ったのは女神自身ではなかったか。
心の中で不満をぶちまけていると。
私の頭は疑問が次々と浮かび、整理がつかない。するとそれすらも分かっているかのように、彼は語る。
「きみが三百年かけて行った癒やしが、俺の浄化を助けていたんだ。君の力が、二百年という途方も無い時間を、帳消しにしたんだよ」
私のしてきたことが、アンプローシウスのために……なっていた?
「ああ、そうだ。心も記憶も溶けて無くなってもおかしくない闇の深淵で、小さな滴のようにウルクマの唄が時折降り注いだ。俺はそれだけを頼りに、長い時を耐え続けたんだ……それなのに、目覚めた天界には君はどこにもいなかった。だから追ってきた」
拗ねるような表情を見せられるが、頭で理解しようとしても違和感が拭えない。
そんな困惑する私を膝から下ろし、椅子に座らせたイヴァン。何をするのかと思えば、私の前で跪く。
そして細く荒れた手を両手で包んで言った。
「愛している、カルディナ。三百年前からきみを」
私を見上げる紺の瞳は、かつてアンプローシウスが幾度も戦に出る前に私に向け「必ず戻る」と誓った時と同じで、揺らぎが一切ない。
「あの時は、俺さえ我慢をしていれば永遠に共にいられると思い込んでいた。君は女神に生涯を誓った巫女、手に入れて嫌われるくらいなら、俺が耐え忍べばいい。誰にも奪われないと信じていた……だが結果は」
そう、違った。
今も昔も、女神は唄を捧げる巫女に純潔を求める。二十歳を過ぎた私は、既に神に身を捧げることを誓っていた。片やアンプローシウスも三男ではあるが王国の王子。私があの時、生き残っていたとしても結ばれる未来はなかった。
「だが今は違う。今度こそ、きみを手放したくない。どうか俺の気持ちに応えて欲しい……それとも、きみは俺を許さない?」
許す?
私がアンプローシウスに許しを請うことはあっても、おまえに咎があるだろうか。
そう首を捻っていると。
「ウルクマの亡骸に愛を誓いながら、俺は血で血を洗う争いに身を投じ、何の感情も沸かない女を抱いて子を成した。君を裏切ったと誹られても仕方がない」
唇を噛むイヴァン。
そんな彼の口元に手を伸ばし、撫でる。そしてため息をつきながら心の中でこう呟いた。
確かにな、と。
するとイヴァンは目を大きく見開き、傷ついたような表情を浮かべる。
馬鹿だな、相変わらず。
私が願ったのだ、生きろと。人として生きるとは、人の住む中で暮らし、子を成し、寿命を迎えるということだ。それを成し遂げてくれたからこそ、イヴァン・オルディアスは生を受けたのではないのか。
「カルディナ……ありがとう」
がばりと大きな腕で抱きしめられ、慌ててイヴァンの顔を抓る。
「照れているのか?」
早合点をするな馬鹿者。若い女性に対してそのように不埒に抱きつく者は、私の最も嫌いな部類だ。
本当にこのイヴァンが、あのアンプローシウスだなんて、詐欺にあっているようだ。
もはや心のひとりごとが通じている前提ではある、不思議な状況にも慣れてそう告げると、イヴァンは笑った。
「最初は……生まれてから十年ほどは大変だったよ。だが前と同じ轍だけは踏まないよう、必死に訓練したんだこれでも」
訓練でその浮ついた不埒者になったと?
「不埒と言われると心外だが、俺はきみにしか愛を囁いたりしない。それに元はきみが俺に言ったことだ。もう少し人と話し、自分を知ってもらい、人間関係に気を配らないと身を滅ぼすぞと。そして実際には、きみを失った。今こうしてきみに会えたのも、努力して自分を理解してもらって得た地位のおかげだ。俺がこのように変われたことに関しては、悔いてはいない」
自分を、変えた……努力で?
「ああ、きみを見つけるために。子供の頃は酷いものだったよ、あの頃の俺と変わらず、挨拶程度すら何を口にしていいのか分からなかった。だが兄が……今の俺にも兄がいるんだ。彼が不器用な俺を理解し、たくさんの事を教えてくれた」
照れた様子でそう語るイヴァンに、私はなんだかほっとしたというか、安堵する。
そうか、兄と仲良く暮らしていたのか。
「ああ、いずれ紹介するよ。きっときみを歓迎してくれる。両親も、兄も、優しくていい人なんだ。だから……俺と結婚しよう、カルディナ」
朗らかに家族のことを話す彼を見ていて、自然と目から涙が溢れる。
幸せに生きていてくれた?
その問いに、イヴァンは黙って頷く。そして。
「きみが一緒なら、もっと幸せになれる。だから共に生きよう、今度こそ」
どうしてか涙が止まらない私の頬を、イヴァンが優しく拭う。
その間にも、彼は懸命に話しかけてくれる。
聖堂騎士を目指したのは、どこかで祈りの唄を捧げている私を捜すのに、一番の近道だと思ったこと。それからほどなく、懇意にしていた神官たちから、時折現れる不思議な巫女の存在を知り、調べていたと。ちょうど隣町の巫女が、中央神殿に推挙されることになり、その迎えの道中で私の存在を知ったことを。
「ここに来る前は、あまり期待を持ちすぎないよう己を戒めていた。けれど、会ってすぐにきみがウルクマだとすぐに分かった」
どうしてだろう、私の見た目はイヴァンのようにかつての姿とは似ても似つかない。
唯一同じなのは、黒い髪くらい。
「ああ、そんなの簡単だ。だってきみのひとりごとは、だれよりも強く、はっきりと、そして容赦なかったからね」
は?
唖然としていると、彼は思い出したようにくっくと笑う。
「俺はきみ以外にも、周囲の心の声が聞こえるんだ。けれどもきみの『声』は、かつてのウルクマと同じようにはっきりとよく通る。そして毒舌だ」
そういえば、食堂で最初に会った時に、私は何を考えていただろうと思い返す。
愛想のいい騎士の十分の一でも気配りができていたら、アンプローシウスの未来、この国の在り方は変わっていたろうに。そう考えた気がする。
と言うことは……本当に、最初から?
「ウルクマに叱られているようで懐かしさしかなかったよ」
じゃあその後も何度も私を見つけては側にいたのは、確かめるため?
「しつこくて嫌われていたのも知っている」
苦笑いを浮かべるイヴァンを見て、私は観念するしかなかった。
しつこいのは私も同じ、いやそれ以上だ。
ずっと、アンプローシウスの魂のことばかり考えて、数え切れないほどの生を繰り返してきた。
「俺も、きみのことばかり考えていたよ」
イヴァンが私の頬を両手で包み、額を合わせてくる。
言葉にならない想いが、涙になって溢れる。
そんな私の額に、イヴァンの唇がそっと触れる。
「二人で、あの時失った時間を生きよう」
私は頷く。
でも私は、まだやり残したことがある。
まだ全土の浄化が済んでいない。それだけは、女神との約束だから。
「そうだな、それも一緒にやり遂げよう。目標ができたな」
いやしかしイヴァンは聖堂騎士で、自由のきく身分ではなく……。
なんて呟きをする間もなく、喜ぶイヴァンの腕の中に囲われていた。
それから彼の行動は電光石火、神官長を通して私の身分を巫女の地位から外し、一時的に中央神殿の所属する聖堂騎士つきの世話係に据えてしまった。
私は世話係の役目で聖堂騎士の移動に同伴し、各地の澱みを浄化して回ることにした。以前とは待遇もよく、健康を管理される中での浄化は、洗練されていく。
いや、私を誰よりも大切に扱うイヴァンの存在が、私をそうさせたのだと思う。
恋人であることを公言し、かいがいしく面倒を見てどこにでも私を連れ歩くイヴァンを見て、周囲の者たちはどちらが世話係なのかと言い出す始末。
そうして浄化が終わる頃には問答無用でイヴァンの婚約者になっていた。
そんな聖堂騎士と声なし巫女の恋物語は、ナバロニア帝国の平和が続くかぎり語り継がれることになった。
始まりとその後の恋物語。どちらも同じ人物のことであることは、誰も知らない。
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