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1.王女と異世界と転生使い
Remember-14 収まり所/ボーイ・セパレート・ガール
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……遠くで鳥が鳴いている。
ここからでは見えないが、近くの木に小鳥が止まっているのだろうか。何処かで聞いたことがあるような鳴き声だが、鳥の声の種類には関心がないので俺は何も考えずにさえずりを聞き流しているのだった。
「…………」
清潔でフワフワとした手触りの毛布から重い上半身をやっとのことで起こしたが、そこからは何もせずに俺はボーッと寝室の内装を眺めていた。
そのまま寝ぼけた頭の体操も兼ねて、昨日の出来事をなんとなく思い返す。
確か……ええっと、昨日はギルドで働いている三人の従業員の紹介をギルドマスターにしてもらって……空き部屋を大雑把に改装して寝室を用意してもらって――気がつけば既に夢から覚めていた現在。
それ以外にも色々なことが細々とあった筈だが、妙に記憶に残っていない。
『おはよう、ユウマ。よく眠れたかい?』
「……おはよう。寝る直前に何をしていたのか覚えてないぐらいには深い眠りだった」
『それはまさか、また記憶喪失になったとかじゃないよな?』
「流石にまた記憶を無くすのは勘弁したい……」
自分でも上の空だと分かる挨拶を返しながら、俺はデスクの上に置いてあったガラスを手繰り寄せる。
目は既に冴えているが、どうも意識に活が入らない。ベルが声をかけていなかったら俺はもう一度毛布の中に埋もれていたことだろう。
『まだ眠いのか?』
「いや……目は覚めてる。ただ妙に意識がはっきりしなくて」
『……シャーリィのことが気になるのか?』
「…………」
ああ、そうなんだろうなぁ。なんて他人事のように考える。
シャーリィと別れてから彼女のことが気になって仕方ない。別に彼女に対して夢中になっているとか、そういう訳ではないのだが……あー、なんでなんだろ。自分のことなのによく分からない。上手く表現できない。
きっとこの気持ちを表す“言葉”を忘れてしまったのだろう。記憶喪失は些細なところで大きな影響を与えているようだ。
「……ボーッとしてても仕方ないよな」
『うん、私たちは私たちでやることをやらないと』
軽く頬を叩くと、今度こそ意識に活が入る。まともに回っていなかった思考はやっと働き始めた。
それでようやく周りに意識を向けられるようになったのか、あるいはちょうど今誰かがやって来たのか。戸の向こう側から木製の床が軋む音と軽い足音が聞こえてきた。
『誰か来たみたいだな。それじゃあ、また声をかけてくれ』
「ん、また後で」
他愛のない些細な会話を交えて、俺はガラスをポケットに入れる。戸の向こうから聞こえてくる足音は寝室の前で止まった。
「ユウマ君、起きてる?」
「おはようございますレイラさん。起きてますよ」
「あら、そう。入っても大丈夫?」
「大丈夫です。あー、ちょっと寝癖があるけど」
ノックに続いて聞こえてきた声に俺は寝癖を整えながら返事をする。
すぐに戸は開かれて、赤い三角巾が印象的なギルドの女性従業員――レイラさんがひょっこりと顔を見せた。
「おはよう。よく眠れた?」
「ぐっすりと眠れました」
「良かった。あ、ペーターが賄い料理を作ってたけど、ユウマ君も食べない?」
「……俺、従業員じゃないのにですか?」
「いつも余らせているから大丈夫大丈夫。お金とかは気にしなくて良いわよ。それに、マスターの好き嫌いが激しいから食べてくれる人が欲しいところだったり」
気を遣ってくれているのか、あるいは本当の話なのか。妙に真実味を帯びているせいでイマイチ判断が付けられない。
実際見た目が幼い少女に見える訳もあって、ギルドマスターなら食べ物の好き嫌いとかうるさそうな印象がある。野菜類とか。
「すみません、お世話になります」
「それぐらい良いのよ。それと、仕事を見つけるまでの間なら少しぐらいはお金を貸してあげて良いわよ? まあ、追々返済して貰うけどね」
「あー……必要になった時はお願いします」
「うんうん。遠慮無く、計画的にね」
レイラさんは優しく笑みを浮かべながら頷き、部屋の窓を全開にする。
……外からは草原を駆けた風の香り。建物同士の狭い隙間だというのに、自然の匂いはここまで届くものなのかと感心させられる。
「ああ、そうそう。朝食は人が来る前に食べて貰うと助かるかな。酒場は夕方までやってないけど、ギルドの営業時間は少し早いから」
窓から顔を出して外の空気を吸いながらレイラさんはそう言った。突然ギルドへ転がり込むように住み込み始めて少なからず負担をかけているだろうに、こうして世話を焼いて貰っている事に感謝しかない。
この面倒見の良い感じは、どこかシャーリィの雰囲気と似ているような――
「…………」
「ん? ユウマ君、どうかしたの?」
「……いえ。朝食、頂かせてもらいます」
「おーけー、遠慮せず食べてね。私は二階の掃除してるから、何かあったら呼んでね」
そう言ってさっそく部屋の掃除を始めたレイラさんに一言、二言返事をして部屋を出る。
部屋を出て戸を閉めた途端、何考えているんだと頭をボリボリ掻き毟りたくなって堪らなくなる。
「……はぁ」
『どうしたんだユウマ? 溜め息なんてついちゃって』
「そりゃ……アレだ。自己嫌悪」
『……?』
……本当にどうかしてしまっている。頼りになる存在が離れてしまったことがここまで影響を与えてくるとは思わなかった。
約束を果たしてキチンと別れたというのに、俺は未だに頭の中でシャーリィのことが気になっているらしい。何かとシャーリィと比較してしまう。
「ッ……やる気、入れて、行くぞ、自分――ッ、痛」
『うわっ、今凄い音がしたけど何があった!?』
「……気合いを入れたら両頬が痛い」
■□■□■
廊下を出て、ギルドの表――酒場のある大広間に出る。
昨日の夕方にこの酒場は、溢れかえる程の勢いで人が集まり盛り上がっていたが、酒場をまだ始めていない今の時間帯は恐ろしいほどに静かだ。
酒が入った人間があんなに集まって騒いだのだから、終わった後は竜巻が通過した後みたいに荒れているんだろなー、なんて当時の俺は達観していたが、今ではテーブルも床も特に目立った汚れやゴミは落ちていなかった。
「ユウマ君、朝食ならこっちだよ」
テーブル周りをそんな感じに観察していると、ちょっとだけ頼りなさげな声が静かな大広間に反響することなく聞こえてきた。
ギルドで働いている元々の人数が少ない上に、それぞれが分かりやすい違いと印象を持っている為、声を聞いただけでペーターさんの声だと分かる。
「ペーターさん、今行きま――」
振り返って返事をして――自分の目を疑った。
目もそうだが自分の脳味噌すら疑わしくなったので、俺は目を擦ったりこめかみ辺りを小突いたりしてボケを治そうとする。
そんな俺に見かねたのか、溜め息を吐いてその“信じられない存在”は話しかけてきた。
「どうしたのよユウマ。忘れちゃヤバイことを思い出したみたいな顔しちゃって」
「し、シャーリィ!? え、いやちょっと待って……」
「……一応言っておくけど、見間違いとか幻覚でもないわよ」
ジトッとした視線を向けられながら、口にしようとした言葉を先に言われた。
瞼を擦っていた手を止めて、俺は恐る恐る彼女――シャーリィを見た。彼女はまるでそこにいるのが当たり前のように席に座っていて、大皿の上に並べられた朝食に手を伸ばしている。
ちなみに朝食は二口、三口ぐらいで食べれそうなパンの上に生ハムみたいなものとか野菜とかが乗っているものだった。
「今日はスモッグの報告に足を運んだだけよ。話が済んだら出ていくわ」
「……そう言っている割にはどんどん食べますねシャーリィさんや」
かれこれ既にシャーリィは二個も朝食のパンを食べている。このまま眺めていたら自分が食べる分がなくなりかねなく思えたので慌てて俺も席についた。
「えっと、彼女に朝食を誘ったのは僕だから」
「そうよ。ここでギルドの開店時間を待っていたら、ペーターさんが良かったらってご馳走してくれたの。私も朝食はまだだったから助かるわ~」
ペーターさんが恐る恐ると俺に事情を話すと、シャーリィは三個目を手に取りながらそう言った。
まさかこの人、この賄い朝食を全部平らげる気でいるのか……? 俺もせめて二個ぐらいは食べておきたい。空きっ腹では動きたくても動けなくなってしまう。
俺は上に乗った具材を落とさないように気をつけながら焦げ目のついたパンに噛りつく。パンからはサクッ、と心地の良い乾いた音がした。
「ッ――生ハムと緑色の木の実の塩気に、さっぱりした酸味のあるクリームがパンの触感と合ってて美味い……!」
「それはオリーヴァって実の水煮だよ。いやぁ、賄い料理でそこまで喜んでもらえるのは嬉しいよ」
「ああ、これだよこれ。味の濃いものに味の薄い物。味付けの濃いステーキと素朴なパンみたいに、食卓の基本がこの一口に全て揃っている感じが――」
「……貴方のその料理食べる度に語るのって癖か何かなの?」
美味しさの余りにペーターさんとシャーリィの言葉が耳を通り抜けていく。なるほど、シャーリィが二個も三個も手を伸ばすのも仕方ない味だ。
「……さて、それじゃあ僕は倉庫の方に行ってるから。全部食べても良いから皿はそこに置いといてね」
口にパンが入っているのでペーターさんの話を理解したことを頷いて示した。
残っているパンの数は……なんだ、まだ八個もあるじゃないか。あと二個ぐらい頂こうと思って手を伸ばす――が、その手は横から伸びた別の手に止められた。伸びてきた腕は少しひんやりとしている。
「……止める気はなかったんだけど、こうでもしないと話しかけれそうになかった」
「…………なんかすみません。ちょっと食べることに集中しすぎてた」
コホン、とシャーリィは小さく咳払いをする。こちらも冷静になって姿勢を正して口元のパン屑と油を指先で拭い払った。
「ねえ、ユウマ。ベルは元気してるかしら」
「ベルか? 変わりなく元気だと思うよ。だけどベルがどうしたんだ?」
シャーリィの問いに返事をしながら、まだそう遠くない場所に居るペーターさんに気がつかれないようにベルの様子を伺った。
ポケットの中でベルは頷いて俺の発言を肯定していたが……なんで今ベルのことを聞くんだろう。周囲に人がいたこともあって、昨日の別れの時に話せなかったからだろうか?
「いや、大したことじゃないんだけど。もしかしたらまた変なことで仲が悪くなってるんじゃないかと心配だっただけ」
「もうそんなことはないから大丈夫だよ」
「そう。私が言うまでもないけど、二人とも一蓮托生――まあ、仲が良くても悪くても一緒に行動するしかないんだから」
「そっちも大丈夫。力を合わせて頑張ってみるよ」
「……うん、大丈夫そうで良かった。正直に言うと貴方って見てて不安だったのよね。一人で危険な方にふらふら歩いていきそうな感じがして」
……確かに何も知らずに危ない橋を渡ってしまう真似をしてしまうかもしれない。だがひょっとしてその発言は俺のことを小馬鹿にして――ああ、してるんですね。俺には分かる。だってこの人クスクス笑ってるし。
席を立ち上がってパンをまた一切れ手に取る。食事はもう十分だ。昼は水さえ飲めればなんとかなる。
「……ん、ユウマ。どこかに行くの?」
「王国のいろんなところを回ってくる」
「? また歩き回るの?」
「昨日も歩き回ったけどあれは有名で大きな店ばかりだったから。小さな店に聞き回ってくる。それに、今回は王国の住人にも聞き込みもしてみようかなと」
コーヒーハウスなんかは情報の集まりやすい場所だ。そこで手掛かりが掴めないのなら、コーヒーハウスよりも小さくて目立たない、それで情報も集まるような場所に行けばひょっとすると何か分かるかもしれない。
「別にいいけど、変なところに首を突っ込んだ結果、闇市場で奴隷として売り捌かれていました――なんて、質の悪い冗談みたいなことのなるのだけはやめてよね」
「…………気を付ける」
自然と引き攣る顔を抑えながら俺は噛みしめるように答えた。真面目な顔してそんな恐ろしいことを言うのは卑怯だと思う。のんびりと探していこう、なんて穏やかな考えがシャーリィの忠告で冷えて凍り付いた……が、そんなことで怯えていては何も始まらない。
とにかく、やりすぎない程度にこの王国の細かい部分を探していくことにしよう――
ここからでは見えないが、近くの木に小鳥が止まっているのだろうか。何処かで聞いたことがあるような鳴き声だが、鳥の声の種類には関心がないので俺は何も考えずにさえずりを聞き流しているのだった。
「…………」
清潔でフワフワとした手触りの毛布から重い上半身をやっとのことで起こしたが、そこからは何もせずに俺はボーッと寝室の内装を眺めていた。
そのまま寝ぼけた頭の体操も兼ねて、昨日の出来事をなんとなく思い返す。
確か……ええっと、昨日はギルドで働いている三人の従業員の紹介をギルドマスターにしてもらって……空き部屋を大雑把に改装して寝室を用意してもらって――気がつけば既に夢から覚めていた現在。
それ以外にも色々なことが細々とあった筈だが、妙に記憶に残っていない。
『おはよう、ユウマ。よく眠れたかい?』
「……おはよう。寝る直前に何をしていたのか覚えてないぐらいには深い眠りだった」
『それはまさか、また記憶喪失になったとかじゃないよな?』
「流石にまた記憶を無くすのは勘弁したい……」
自分でも上の空だと分かる挨拶を返しながら、俺はデスクの上に置いてあったガラスを手繰り寄せる。
目は既に冴えているが、どうも意識に活が入らない。ベルが声をかけていなかったら俺はもう一度毛布の中に埋もれていたことだろう。
『まだ眠いのか?』
「いや……目は覚めてる。ただ妙に意識がはっきりしなくて」
『……シャーリィのことが気になるのか?』
「…………」
ああ、そうなんだろうなぁ。なんて他人事のように考える。
シャーリィと別れてから彼女のことが気になって仕方ない。別に彼女に対して夢中になっているとか、そういう訳ではないのだが……あー、なんでなんだろ。自分のことなのによく分からない。上手く表現できない。
きっとこの気持ちを表す“言葉”を忘れてしまったのだろう。記憶喪失は些細なところで大きな影響を与えているようだ。
「……ボーッとしてても仕方ないよな」
『うん、私たちは私たちでやることをやらないと』
軽く頬を叩くと、今度こそ意識に活が入る。まともに回っていなかった思考はやっと働き始めた。
それでようやく周りに意識を向けられるようになったのか、あるいはちょうど今誰かがやって来たのか。戸の向こう側から木製の床が軋む音と軽い足音が聞こえてきた。
『誰か来たみたいだな。それじゃあ、また声をかけてくれ』
「ん、また後で」
他愛のない些細な会話を交えて、俺はガラスをポケットに入れる。戸の向こうから聞こえてくる足音は寝室の前で止まった。
「ユウマ君、起きてる?」
「おはようございますレイラさん。起きてますよ」
「あら、そう。入っても大丈夫?」
「大丈夫です。あー、ちょっと寝癖があるけど」
ノックに続いて聞こえてきた声に俺は寝癖を整えながら返事をする。
すぐに戸は開かれて、赤い三角巾が印象的なギルドの女性従業員――レイラさんがひょっこりと顔を見せた。
「おはよう。よく眠れた?」
「ぐっすりと眠れました」
「良かった。あ、ペーターが賄い料理を作ってたけど、ユウマ君も食べない?」
「……俺、従業員じゃないのにですか?」
「いつも余らせているから大丈夫大丈夫。お金とかは気にしなくて良いわよ。それに、マスターの好き嫌いが激しいから食べてくれる人が欲しいところだったり」
気を遣ってくれているのか、あるいは本当の話なのか。妙に真実味を帯びているせいでイマイチ判断が付けられない。
実際見た目が幼い少女に見える訳もあって、ギルドマスターなら食べ物の好き嫌いとかうるさそうな印象がある。野菜類とか。
「すみません、お世話になります」
「それぐらい良いのよ。それと、仕事を見つけるまでの間なら少しぐらいはお金を貸してあげて良いわよ? まあ、追々返済して貰うけどね」
「あー……必要になった時はお願いします」
「うんうん。遠慮無く、計画的にね」
レイラさんは優しく笑みを浮かべながら頷き、部屋の窓を全開にする。
……外からは草原を駆けた風の香り。建物同士の狭い隙間だというのに、自然の匂いはここまで届くものなのかと感心させられる。
「ああ、そうそう。朝食は人が来る前に食べて貰うと助かるかな。酒場は夕方までやってないけど、ギルドの営業時間は少し早いから」
窓から顔を出して外の空気を吸いながらレイラさんはそう言った。突然ギルドへ転がり込むように住み込み始めて少なからず負担をかけているだろうに、こうして世話を焼いて貰っている事に感謝しかない。
この面倒見の良い感じは、どこかシャーリィの雰囲気と似ているような――
「…………」
「ん? ユウマ君、どうかしたの?」
「……いえ。朝食、頂かせてもらいます」
「おーけー、遠慮せず食べてね。私は二階の掃除してるから、何かあったら呼んでね」
そう言ってさっそく部屋の掃除を始めたレイラさんに一言、二言返事をして部屋を出る。
部屋を出て戸を閉めた途端、何考えているんだと頭をボリボリ掻き毟りたくなって堪らなくなる。
「……はぁ」
『どうしたんだユウマ? 溜め息なんてついちゃって』
「そりゃ……アレだ。自己嫌悪」
『……?』
……本当にどうかしてしまっている。頼りになる存在が離れてしまったことがここまで影響を与えてくるとは思わなかった。
約束を果たしてキチンと別れたというのに、俺は未だに頭の中でシャーリィのことが気になっているらしい。何かとシャーリィと比較してしまう。
「ッ……やる気、入れて、行くぞ、自分――ッ、痛」
『うわっ、今凄い音がしたけど何があった!?』
「……気合いを入れたら両頬が痛い」
■□■□■
廊下を出て、ギルドの表――酒場のある大広間に出る。
昨日の夕方にこの酒場は、溢れかえる程の勢いで人が集まり盛り上がっていたが、酒場をまだ始めていない今の時間帯は恐ろしいほどに静かだ。
酒が入った人間があんなに集まって騒いだのだから、終わった後は竜巻が通過した後みたいに荒れているんだろなー、なんて当時の俺は達観していたが、今ではテーブルも床も特に目立った汚れやゴミは落ちていなかった。
「ユウマ君、朝食ならこっちだよ」
テーブル周りをそんな感じに観察していると、ちょっとだけ頼りなさげな声が静かな大広間に反響することなく聞こえてきた。
ギルドで働いている元々の人数が少ない上に、それぞれが分かりやすい違いと印象を持っている為、声を聞いただけでペーターさんの声だと分かる。
「ペーターさん、今行きま――」
振り返って返事をして――自分の目を疑った。
目もそうだが自分の脳味噌すら疑わしくなったので、俺は目を擦ったりこめかみ辺りを小突いたりしてボケを治そうとする。
そんな俺に見かねたのか、溜め息を吐いてその“信じられない存在”は話しかけてきた。
「どうしたのよユウマ。忘れちゃヤバイことを思い出したみたいな顔しちゃって」
「し、シャーリィ!? え、いやちょっと待って……」
「……一応言っておくけど、見間違いとか幻覚でもないわよ」
ジトッとした視線を向けられながら、口にしようとした言葉を先に言われた。
瞼を擦っていた手を止めて、俺は恐る恐る彼女――シャーリィを見た。彼女はまるでそこにいるのが当たり前のように席に座っていて、大皿の上に並べられた朝食に手を伸ばしている。
ちなみに朝食は二口、三口ぐらいで食べれそうなパンの上に生ハムみたいなものとか野菜とかが乗っているものだった。
「今日はスモッグの報告に足を運んだだけよ。話が済んだら出ていくわ」
「……そう言っている割にはどんどん食べますねシャーリィさんや」
かれこれ既にシャーリィは二個も朝食のパンを食べている。このまま眺めていたら自分が食べる分がなくなりかねなく思えたので慌てて俺も席についた。
「えっと、彼女に朝食を誘ったのは僕だから」
「そうよ。ここでギルドの開店時間を待っていたら、ペーターさんが良かったらってご馳走してくれたの。私も朝食はまだだったから助かるわ~」
ペーターさんが恐る恐ると俺に事情を話すと、シャーリィは三個目を手に取りながらそう言った。
まさかこの人、この賄い朝食を全部平らげる気でいるのか……? 俺もせめて二個ぐらいは食べておきたい。空きっ腹では動きたくても動けなくなってしまう。
俺は上に乗った具材を落とさないように気をつけながら焦げ目のついたパンに噛りつく。パンからはサクッ、と心地の良い乾いた音がした。
「ッ――生ハムと緑色の木の実の塩気に、さっぱりした酸味のあるクリームがパンの触感と合ってて美味い……!」
「それはオリーヴァって実の水煮だよ。いやぁ、賄い料理でそこまで喜んでもらえるのは嬉しいよ」
「ああ、これだよこれ。味の濃いものに味の薄い物。味付けの濃いステーキと素朴なパンみたいに、食卓の基本がこの一口に全て揃っている感じが――」
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美味しさの余りにペーターさんとシャーリィの言葉が耳を通り抜けていく。なるほど、シャーリィが二個も三個も手を伸ばすのも仕方ない味だ。
「……さて、それじゃあ僕は倉庫の方に行ってるから。全部食べても良いから皿はそこに置いといてね」
口にパンが入っているのでペーターさんの話を理解したことを頷いて示した。
残っているパンの数は……なんだ、まだ八個もあるじゃないか。あと二個ぐらい頂こうと思って手を伸ばす――が、その手は横から伸びた別の手に止められた。伸びてきた腕は少しひんやりとしている。
「……止める気はなかったんだけど、こうでもしないと話しかけれそうになかった」
「…………なんかすみません。ちょっと食べることに集中しすぎてた」
コホン、とシャーリィは小さく咳払いをする。こちらも冷静になって姿勢を正して口元のパン屑と油を指先で拭い払った。
「ねえ、ユウマ。ベルは元気してるかしら」
「ベルか? 変わりなく元気だと思うよ。だけどベルがどうしたんだ?」
シャーリィの問いに返事をしながら、まだそう遠くない場所に居るペーターさんに気がつかれないようにベルの様子を伺った。
ポケットの中でベルは頷いて俺の発言を肯定していたが……なんで今ベルのことを聞くんだろう。周囲に人がいたこともあって、昨日の別れの時に話せなかったからだろうか?
「いや、大したことじゃないんだけど。もしかしたらまた変なことで仲が悪くなってるんじゃないかと心配だっただけ」
「もうそんなことはないから大丈夫だよ」
「そう。私が言うまでもないけど、二人とも一蓮托生――まあ、仲が良くても悪くても一緒に行動するしかないんだから」
「そっちも大丈夫。力を合わせて頑張ってみるよ」
「……うん、大丈夫そうで良かった。正直に言うと貴方って見てて不安だったのよね。一人で危険な方にふらふら歩いていきそうな感じがして」
……確かに何も知らずに危ない橋を渡ってしまう真似をしてしまうかもしれない。だがひょっとしてその発言は俺のことを小馬鹿にして――ああ、してるんですね。俺には分かる。だってこの人クスクス笑ってるし。
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「? また歩き回るの?」
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「別にいいけど、変なところに首を突っ込んだ結果、闇市場で奴隷として売り捌かれていました――なんて、質の悪い冗談みたいなことのなるのだけはやめてよね」
「…………気を付ける」
自然と引き攣る顔を抑えながら俺は噛みしめるように答えた。真面目な顔してそんな恐ろしいことを言うのは卑怯だと思う。のんびりと探していこう、なんて穏やかな考えがシャーリィの忠告で冷えて凍り付いた……が、そんなことで怯えていては何も始まらない。
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彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
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