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1.王女と異世界と転生使い
Remember-36 “流転者”/三人三脚の勝算は ⭐︎
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『ユウマ……大丈夫か?』
「……さっきよりは、幾らか。まだ肩とか指先がブルブルするし」
指先をほぐしながらベルの心配そうな声に応える。膝上に置いたガラスに映る彼女の表情はとても不安げだ。
……まあ、さっきまで死ぬ直前みたいな顔色だったのだから彼女の反応はもっともだ。ガラスの中でオロオロしたりウロウロしていたり……まあ、当の本人以上にこの事態に慌てていたというか。
『私がガラスの中じゃなかったら、揉んだりして癒やしてあげられたけれど』
「こんな状況で呑気にマッサージして貰うのもな……あー、クソ。痺れってどうすれば消えるんだ……?」
『うーん、治療法とかはないと思う。重傷度によるけど、その様子なら放っておけばいずれ治る筈だ』
「げ、何もしなくても治るのは助かるけど、今すぐに治せないってのは困ったな」
腰に差していた斧を握ってみると、さっきよりはずっとマシになっていて、普通程度になら握ることが出来た。これ以上力強く握るのは難しそうだが。
逃げてきた直後は力加減が全く出来ない上に、勝手に指が動いて落としてしまう程に重傷だった。ベルの言う通りに放っておけば治るのは間違いない様子。
「それで本題だが……どうやって戦えば良いんだ。あんな化け物、何をどうすれば死ぬのか分からない」
……まさか、一人の人間があんな鋼鉄の巨大な怪物に成るとは思いもしなかった。人間なら首を、四足歩行の獣でも胴体を断つだの穿つだのすれば致命傷になる。だけど、アレをどうにかする有効打が一つも思い浮かばない。
『シャーリィの戦い方はどうだろう。彼女も生物とは違う、巨木のような怪物を相手にしていただろう?』
「シャーリィの、戦い方……」
斧の刃を指先でなぞりながらシャーリィの荒れっぷり……もとい、戦い方を思い出す。怪物を中身から燃やし、半身を拳で殴り砕き、短剣で首を抉り砕く……
「うーん、キツそうだなぁ!」
『あっ、諦めた目してる』
下手すりゃ俺の方がこんがりバッキリボキッといきそうである。つか逝くわ。もう少し参考になる戦い方を見せて欲しかったよシャーリィさんや。
『……いや、冷静に考えるとシャーリィは木の怪物で、ユウマは金属の怪物……頑丈さではこっちの方が圧倒的に上だな』
「何か……このままじゃ駄目だ。普通の真っ当な手段じゃ敵いっこない」
……なら、あの怪物と戦える武器はただ一つ。俺の“形を与える魔法”を使えば……使えば……使え、ば……
「……こんなの、宝の持ち腐れじゃないか」
そもそも俺の魔法はシャーリィのような直接攻撃に使うような魔法じゃない。きっと使い方次第で化けるに違いないが、当の本人が記憶喪失なのが問題で――
「火……そうだ、シャーリィは火で怪物を焼き殺した。あんな感じに、鋼鉄だって火で焼いてしまえば、燃えることはないけどドロドロに溶けるんじゃないか……?」
『……いや、そんな簡単な話じゃ無い。シャーリィの魔法の火がどれ程の火力かは分からないが、ただの火じゃ熱が足りない。鍛冶屋のような数千度を超える炎が要る』
「ッ、じゃあ打つ手は何も無いのかよ……」
冷静にどうしようもないと告げられて、俺はうなだれながら希望を落とした。
失敗した。打つ手はもう無い。このままではベルもシャーリィも、騎士兵の人達――いや、それだけじゃなくて、王国に住んでいる人々までもが危険に晒されるかも知れない。
それだけは嫌だ。どうしてもそれだけは駄目だ。この現状の突破口への希望を失ってしまったけど、意地でも立ち上がらないと。
「ベル、どんな手段でも良い。力を貸してくれ。何でも良い。どんな作戦でも、やり方でも良い。お前の知恵を貸して欲しい」
『……私は、ユウマを危険に晒すような案は出さない』
「…………つまりは、あるんだな。俺の身を危険に晒すけれど、この状況をどうにかする案は」
『ッ、駄目だ! 一番初めに約束しただろ! 私は――』
「俺が、俺自身の死に意味を見出して欲しくない、だろ? ……覚えているさ。ベルのお馬鹿め。アイツを刺し違えてでも倒したいって俺が思ってると勘違いしているな? そんなこと、初めから考えちゃいないよ」
心配性な彼女を安心させるように、できる限りの優しい口調でベルに語りかける。
……約束は二つともちゃんと覚えている。俺はこの子を信じている。そして、そんなこの子を悲しませるような――事を成す為に自分の命を対価として使わない事を、誓っているんだから。
「何も悪い結末にはさせないさ。だから教えてくれ、ベルの案を」
『…………』
「……大丈夫だよ。どんな無茶ぶりな案でも、空想みたいな案だっても良い。俺が“形”にしてみせる」
『……ユウマ』
静寂、のちに遠くから響く破壊の音。残された時間はそう多くない。
少しの間を経て、瞳を瞑ったままだったベルは、何かを決意した表情で俺を見た。
『……一つだけ、私の知っている。ユウマの魔法で、シャーリィ以上の熱を、あの鋼鉄を焼き切るほどの高熱を作り出す方法を』
「……!」
『原理はプラズマ切断の要領……いや、そう言っても伝わらないだろうから、指示は随時私がする。ユウマは……』
「……ああ、ベルの指示を疑わずに実行してみせる」
彼女の表情がようやく少しだけ柔らかくなる。こんなにも俺を想ってくれる彼女を疑うだなんて、そんなこと初めから考えられない。
ガラスから出られない彼女の考え、策を、俺が体で形にする。出会った時からずっと続けてきたことだ。
『ユウマ、あの怪物がムチのように振るった黒い縄は覚えているな?』
「ああ、中に金属が詰まってたアレだな。狙いは雑だけどあんな巨大な縄が直撃したらひとたまりもない」
『……いや、驚異はそれだけじゃ無い。ユウマが感電した原因はアレにある。電気コード……つまりは、あの縄を介して電撃を流している。アレが金属の建物に命中したから、ユウマは感電したんだ』
「電気、コード……」
確かに突然の電撃に襲われたのは、あのムチが振るわれた直後だった。電撃が巡っている建物の柵を素手で掴んだから、あの時俺は感電したんだ――
『だが、逆にアレを利用すれば逆にユウマにも電気を使う事が出来る。それが重要な点だ』
「確かに、ベルホルトの雷も、俺が感電した時も電撃に“形”を与えることができた。俺の魔法ならベルの考えていることはできるかもしれない」
『……でも、最終的には――あの怪物の鋼鉄を焼き切るためには、至近距離にまで近づく必要がある。その為の足止めも必要になる。できそうか?』
「……やってみる」
『ああ。頼むぞ。まずやらないといけないことは、怪物のケーブルを取り押さえて分解し、利用できる状態にする。そして二つ目が、近づくための怪物の足止めだ』
あの巨大なムチが叩きつけられた瞬間に、この斧を使って引き裂き分解する。そして、怪物の足止め。
……なるほど。中々に難しいし、きっとまだ工程には続きがある。だが、あの怪物を止めるにはそれしかない――
『――ッ!?』
「! っとと……アイツ、根こそぎ破壊してでも探し出す気か……!」
唐突に、鉄板や窓ガラスが割れ砕ける音と衝撃が建物ごと俺の体を振るわせた。どうやら、そう遠くないところにまで近づいてきたらしい。
体調は完全ではないが、感電の痺れは回復しているので応戦することは出来る……が、まだ真っ向から戦う気はない。
今はまず、この場所から移動して建物の中を逃げなければ――
「ギガアア██████アア――――!!」
隠れていた部屋から抜け出して、室内の廊下を走り抜けようとした瞬間、その行き先が横から吹き飛ぶように破壊された。
「ぐッ!? め、目の前……!?」
金属製の壁や天井を破壊しながら、ベルホルトの成れの果て――機械仕掛けの怪物が目の前に立ち塞がる。
『ユウマ駄目だ引き返せ! ここは渡り廊下だ! 支柱が壊されたら――』
「ッ、マズい、滑り落ちる……!」
渡り廊下を支える鉄柱が壊されたのか廊下が徐々に斜めに傾き、俺の体は怪物の方へ少しずつ滑り落ちていく。
まだ踏ん張りが効くが、このまま廊下が急斜面になるまで傾いてしまえば怪物の懐へ放り出されてしまう……いや、この渡り廊下自体が崩壊して、三階相当の高さから瓦礫と共に落下する可能性なんかも――
「ぐうぅぅうううう……だ、駄目だ……ッ!」
床が固い金属だからなのか俺自身が弱っているせいなのか、斧を斜面に突き立てようにも上手く刺さらない。弾かれるばかりでその間に体はどんどん滑り落ち、斜面の下で俺を感電死させようと待ち構えている怪物に近づいて――
「ゴァアアアア――█████████ッ!?」
「え……?」
突如、怪物の発する苦痛の叫び声と同時に斜面の傾きがガクン、と急に止まった。斧を斜面に突き立てながら張り付き続けるとなんとか体が止まってくれた。
『! あの怪物、体に氷が張り付いてる! 機械の関節部分が氷に覆われて……!』
「床も凄く冷たい……まさか」
窓に結露していた水滴も一つ一つが凍りつき、吐息が白く空に溶ける。俺の知っている限り、こんな真似が出来るのは一人だけ……!
「シャーリィ! シャーリィどこにいる――うおおッ!? 横からシャーリィ!?」
「――ッ、こんな非常時に何よその呑気な反応は!」
俺が大声を上げた直後、窓ガラスが割れて小さな陰が飛び込んできた。
鋼と錆の暗い色の中で栄える銀色をなびかせながら、初めて異世界で出会った時のように少女が俺の手を取り引っ張り上げる。
あの時と違うのは、頬や腕に擦り傷や土の汚れが目立ち、左右の髪を留めるリボンが片方無くなっていること。それとあの時は驚きと不安を感じていたけれど、今は喜びと安心が胸に満ちている。
『シャーリィ! 体調は大丈夫なのか!?』
「ええ、もう大丈夫。期待しても良いわよ。とにかく屋根に逃げるわ! 走って!」
上り坂の廊下を駆け上がり、シャーリィが先頭を切って金属の扉を蹴り破る。
蹴り飛ばされて宙に飛んだ扉に目もくれず、シャーリィは俺の手を離して先に屋根に飛び乗った。俺も続いて跳躍しシャーリィの隣に着地する。
「ハァ……助かった。正直危なかった」
「駆けつけたら貴方が殺される直前で、本当にもう……ッ、心配したじゃないバカ!」
「めっちゃすまん、本当に助かった。バカじゃない」
『そこはキッチリ訂正するのか……』
俺がさっきまでいた建物を見下ろすと、地面から伸びた巨木のような氷柱が折れかけた渡り廊下を持ち上げるように支えていた。急に傾きが止まった理由はあの氷柱のお陰なのだろう……本当にシャーリィ様々である。
「それで、あの怪物は……」
「ベルホルトだ。魔道具で自爆して……流転させちまった」
「……そう。でもあんな金属の体になるなんて聞いてないわよ! どうすりゃ良いのよあんなデカブツ」
「そこは大丈夫なんだ。足止めする手段も、あの体に致命傷を与える手段もベルが思いついてくれた! ただ、問題があって……どうやって近づくかだ」
『ユウマ、近づくってどれぐらい?』
「俺の手が届く距離。間違いなく化け物の攻撃範囲内だな……あと地面の上じゃないと」
危険な距離まで建物を使わずに近づく……それだけで難易度が跳ね上がっている。本当にそこだけが問題なのだが、問題がデカすぎる。
「ユウマ、本当に近づきさえすればなんとかできる?」
「近づきさえすればって、そう簡単な話じゃないぞ。ノコノコ近づいたらズドーンって叩き潰され……」
「ふーん、それならあの怪物の至近距離に連れてってあげる」
「な、何ぃ?」
ニヤリと笑みを浮かべてシャーリィは自信たっぷりにそう口にする。そんな不可能に近いことを言ってのけるシャーリィに色々と問い詰めてみたかったが、一度咳払いをして冷静になる。
『シャーリィ、そんなことが可能なのか!?』
「でもそれが私の限界かなぁ……だからこんな私の代わりに、あの大馬鹿者を止めてあげて」
「……ああ。こんなの人が成って良い姿じゃない」
アイツは最期に悪魔に魂を売っても良いとか、そんなかっこつけたことを言っていた。だが、あんな見るに堪えない醜い姿は同じ人間として同情する。
「ッ……!」
……良いだろう、ベルホルト。お前に同情して、俺は今、初めて人を殺す――!
「ユウマ、ここで一番高い場所は?」
「高い場所……あそこの煙突なんかはどうだ」
「うん、あれだけ高けりゃ十分。行くわよユウマ!」
「……へ? 煙突に? まさかあれを登るとでも――ああ行くのか登るのか本当に!?」
俺の問いなんてお構いなしにシャーリィは俺の手をぐいぐい引っ張っていく。体に張り付いた氷を砕きながら立ち上がる怪物など目にも留めず、屋根の上を走り出す。段差や建物と建物の隙間を、お互い息ぴったりに飛び越して駆け抜ける。
「後ろッ! どうなってる!?」
『怪物が立ち直ったぞ! 関節部を固めた氷も粉々になってる! まだこっちに来てないけど……』
「シャーリィ! こっちの建物だらけな場所じゃなくて向こうの更地に行きたい! この建物だと俺達は不利だ」
「りょーかい、心配しなくて良いわよ!」
一瞬だけ後ろを振り返ると、怪物が体のパイプから蒸気を噴き出しながら吠える姿が見えた。
対面した時はあんなに絶望的で心細かったのに、今ではどんな恐ろしさでもねじ伏せてしまえそうなぐらいに心強い。
手を引かれながら屋根の上を軽快に駆け抜け続けると、あんなに遠かった煙突の根元にいつの間にか到着していた。俺の腕でギリギリ抱きかかえることが出来そうな太さの煙突には金属製の梯子が細くてっぺんにまで伸びている。
「登るのは任せた! 背中は私に任せて」
「うわっ!? なんだ急にッ」
『ん!? えっ!? 見えないんだけどシャーリィ何をしてるんだ!?』
「ッ……あーもう! 大人しくしてって! 私なりに考えがあるのよ! 慌てないでよ!」
何を考えているのかシャーリィは俺の背中に回ると俺の首に腕を回し、細い両足で脇腹を挟み込んだ。ぴったりと彼女の全身が背中に密着して、この場に似合わない感想を言うとちょっと柔らかくて心地良い。
「良いから梯子を登って頂戴! あの怪物は私が足止めするから!」
「ッ、分かったよ!」
もうどうにでもなれ……! 鉄格子のような梯子を握り締め、滑り落ちないように気をつけながら素早く登り出す。
シャーリィがしっかりとしがみついてくれているお陰で登りにくさを感じることはない。そもそも彼女自身が軽いから、俺が転生している中なら背負っていないも同然の負担だ。
「手が滑る……げっ、錆びまくりじゃないか……」
「あ、やっぱり」
「オイ待てまさか、手が錆びだらけになりたくないから背中にしがみついたんじゃないよな」
「ち、違うわよ! ってかいいから早く登る! 足止めは出来てもあんな化け物相手じゃ時間稼ぎしか出来ないんだから!」
なんとも言い難い心情を唸り声で訴えながら梯子を登る。背中からは呪文を詠唱する声と火薬が燃えるような派手な音が聞こえてくる。背後がどんな状況になっているかは分からないが彼女を信頼して任せることにした。
そうして、湿った錆の粉が手のひらにびっしりと張り付いた頃には煙突の頂点は目の前に迫っていた。煙突の穴に足が落ちないように気をつけながら二本足で――未だに背中にシャーリィを張り付かせながら――立ち上がった。
「シャーリィ、それでどうすりゃ良い」
「貴方、刃物を持ってたわよね。それを貸して。私の短剣はボロボロに歪んじゃってて使えないの」
「あんな使い方すればなぁ……包丁で良いなら」
「ありがとう。んじゃ、そこから飛んで」
「…………は?」
やっとこさ煙突の上に到着して告げられた言葉は、そこから投身しろというトンデモもないものだった。思わず素の声が漏れる。
『シャーリィ、今“飛べ”って言ったのか?』
「ええ。そこから思いっきり勢いをつけて飛び出して!」
「おま――シャーリィ俺に死ねと!? あ、違うか、一緒に死ねと!?」
「違うし言い直しても同じだし! 死なないし私が死なせないわよ! 大丈夫だから!」
流石にそんなことを指示する意味が分からない。てっきり近づいてきた怪物の背中に飛び乗るのかと思っていたのだが……
「せめて何をするのかを教えてくれ!」
「何をするって……あー、もう! 説明が難しいしそんな暇ないし面倒くさい! 大丈夫だから、信じて!」
「えーあー……分かった」
『分かるの!?』
信用しろと言われたらまあ、信じるしかない。そこまで言うほどの自信があるのだから、きっと彼女がなんとかしてくれる……筈。さもなくば即死案件である。
「……飛び方に指定は」
「私が良いって言ったら。勢いはあればあるだけ良い。あと地面と水平に飛び降りて」
「三つも注文しやがって……」
腹から地面に飛び込めと背中の王女様はお望みだ。彼女のことを信じても流石に恐怖がジワジワと込み上がる。片足を踏み出そうとするだけで背筋が震える。
――そんな背中で、シャーリィは包丁を首に添えていた。普段とは違って、俺がやるような刃物を使った転生の手順。
新緑色をした瞳で首元の包丁を見つめながら、シャーリィは刃物を軽く引き抜き、転生した。
「ッ……! 良いわユウマ! 行って!」
転生と同時に、シャーリィは声高らかに号令を飛ばした。早く行けと言わんばかりに――おいやめろ馬鹿! 背中を叩くんじゃない! 分かった行くから!
「どうにでもなれ、都合の良い感じに……!」
頬を両手で叩き、本能が告げる危険信号に対して聞こえないふりをする。
そして嫌な寒気を噛み殺しながら、つい最近もこんな感じに飛び降りたっけなぁ、なんて我ながら呑気な事を考えながら霧と鉄に向かって強く飛び出して――
足が地面を離れた途端、体は見えないロープで引っ張られるように下へ下へ落ちていく。ただでさえ冷水のような温度の空気は氷雪のように肌に刺さる。
きっとまばたき程度の一瞬だというのに、情報が怒濤の勢いで脳に流れ込む。時間が膨張でもしているのだろうか、迫る地面も怪物も、急かされている呼吸も長くゆったりとしたもののように感じる。
「見てなさい、これが私の“本当の”転生よッ……!」
そんな希釈された時間の中、首元で小さく呪文のように呟かれた言葉と深い呼吸だけがハッキリの耳に届いた。
地面に向かって引き込まれる筈の体は、突然謎の浮力を受けて強く浮かび上がる。風の流れも変わって、まるで空の中を滑るような感覚を覚えた。
「……こ、これは」
「万全だからってこれやると疲れるのよねッ……」
首元に回されたシャーリィの腕から発せられる燐光よりも強い光が背後からあふれ出ている。冷たい色をしているのにじんわりとした暖かみを感じた。
……彼女の背中。まるで噴水から噴き出す水のような歪な形をしているが、そこには二枚の羽が生えていた。
『シャーリィこれは!?』
「あーもう! 説明すると長くなるんだってばさ! それは後! 今はアレ!」
「グォオオ――██████!!」
機械の怪物は鉄骨やトタン板など御構い無しに腕で薙ぎ払い足で踏み潰して迫り来る。鼓膜を突き破りそうな声量の咆哮を上げながら、上空を飛んでいる俺たちを撃墜しようと腕を叩きつける――!
「ッ、うわ!?」
「っとと……そんなデカい図体じゃ、私たちは捕まらないわよ!」
怪物の腕が迫る直前、空気の流れを受けてシャーリィの羽がフワリと大きく動き、怪物の攻撃を華麗に避ける。
……いや、避けたんじゃない。どちらかというと彼女の意思とは関係無しに勝手に避けた感じがする。
『そうか……風圧だな。怪物の起こす風圧を受け止めて避けているのか』
「ふふん、馬鹿デカいことが仇になったわね。悔しかったら細い得物でも持ってきなさいな」
ベルの言葉を肯定するようにシャーリィは鼻で笑うと、俺たちを見上げる怪物に向かって煽りのような言葉を投げかける。今絶対背中で悪い顔してるぞこやつ。
そんなシャーリィの言葉を聞いて理解したのかは分からないが、怪物は背中から伸びる鞭――電気コードを振るってくる。
「ちょ――それは困る!?」
「ッ、軽い攻撃なら俺が……!」
重くて大きな腕の一撃はどうしようもないが、あの電気コードぐらいの重さの攻撃なら俺の魔法でも対処出来る。手元に集めた空気を放出してムチのように迫る電気コードの一撃を逸らした。
「ッ……凄い! 凄いじゃないユウマ!」
「そ、そうか!?」
「ええ! 私と貴方、最高のコンビよ!」
「お、おおう。あー、よっしゃあ最高!」
『絶対何も考えてないだろユウマ』
いや、まあうん。ご名答である。今雑に喜んだ。
俺たちは上空を滑空して建物が立ち並ぶ地帯から少しずつ離れて行き、拓けた地面だけの場所にへと近づいていく。怪物も俺たちを追って目的地に誘導されていく。
「私は囮になるから、ユウマはアイツにケリをつけてきて!」
「助かる。囮ってくれるなら俺も上手くいく」
「任せなさいっての!」
成功するかは置いといて、援護があるのはとても心強い。俺は怪物の動きを見逃さないように警戒しながら、横目で着地地点に目星を付ける。
「ユウマ。地面に降りる時、下から私に向けて風を当ててくれない?」
「風を? 分かった……そろそろ降りる」
「ええ。幸運を!」
シャーリィはそう言いながら、何時でも俺を手放せるように備える。一方俺も空気を手元で圧縮して準備を終えた。
そして小さく合図を送ると、シャーリィは俺の胴に回していた華奢な腕を迷いなく解いた。
「ッ……ほら!」
「ほ――っと、ありがとね!」
宙に投げ出されると同時に、俺はシャーリィに向けて空気をやや弱めに放射する。
シャーリィの不定型な羽が俺の風を受け止めると、シャーリィの体はぶわりと勢い良く浮上し、宙返りして高度と速度を上げた。
滑空した時の勢いが残っている俺の体は斜め下に落ちていく。大の字で風を受け止めながら間もなく来る衝撃に備えた。
「くッ――、ふぅ……」
足と膝で衝撃を受け止め、顎を自分の膝に打ち付けないように上半身を踏ん張って持ちこたえる。
右手の掌底は地面を抉って泥だらけになり、左手は少し擦り剥いたが大丈夫。微塵も気にならない。
「……待ってろ、ベルホルト。今楽にしてやる」
両手を擦るように叩き合わせて泥を落とし、右手に斧を持って左手を地に着けたまま怪物を見上げる。圧倒的な大きさと迫力に気が遠くなってしまいそうなのを、気合いで踏み留まる。
『こんな大きな相手、どうやって足止めを……』
「……ベルホルトが自爆した時、俺はこの周辺で倒れていたんだ。地面に耳をべったり張り付くようにさ」
意識を下――地面の奥深くに集中する。何もかも曖昧な試みだが、確かに“ある”のだから出来るはずだ。
「で、その時に確かに“音”が聞こえたんだ。流れる音だ……多分、この下には水が流れている」
『水がこの地面の下に……?』
最初は気がつかなかったが、この場には空気だけではなく、水が存在している。森林の土ほど大量ではないが、地面の中に――俺の魔法が届くであろう範囲に――流れている。
ならば俺の魔法、俺だけの使い方であの怪物を止める事が出来る……!
「ッ……!」
何の障害もない空気中なら問題ない。だが、土砂の中に混ざって水を動かすというのは中々大変だ。無理をしている代償か、頭と目の奥がギリギリと痛む。これ以上やり過ぎると目玉が飛び出すんじゃないかと錯覚してしまう程の激痛だ。
……それでも、こんな事が出来るのはきっと俺だけで。こんな事をしているのはきっときっと、“今”の俺だけ。
ならば、意地でもやってみせる――!
「ガアアァアアァア――████████████ッ!?」
可聴域を通り越した空を響かす咆哮。機械仕掛けの怪物の下半身はあっという間に足、腰と沈んで埋まった。馬鹿力が目立つ相手だったが、流石に埋められてしまえばお得意の力を発揮することも出来ないだろう。
『地面が水みたいに……!?』
「ぐ……っ、汲み上げた水を地面ごと揺らした分、頭も揺れる……うぐぐぐ、しっかりしろッ自分……!」
魔法で地下水を上へ上へと持ち上げて沼にしただけじゃない。泥沼を振動させるように動かして、怪物の足を沼の中へ強引に引き込んだ。
泥のような水と固形物の混合物は、振動を与えると形を維持する力を失う。地面は液体になったかのように支える力を失い、上に乗っている物を地中に引き込むことだってある。
そして実際、怪物を地面の中へ引き込んだ。ついでに水に形を与えてゼリー状にしているため普通の地面よりも頑丈に固まっている……!
『動きが止まった! 確かにこれで“足止め”は出来た!』
「次はあのムチだな……さあ、かかってこい!」
直後、俺に向けて電気コードが先端に火花を散らしながらムチのように迫る。
――それを寸でのところで回避し、電気コードを上から踏みつけるように取り押さえる。先端の剥き出しの金属部分ではなく、分厚いゴムで覆われた部分を触れるなら感電しない。
「ッ、シャーリィ! 少しの間気を引いてくれ!」
「ええ! 煙幕焚くわよ!」
「頼む!」
これからの作業は少しばかり無防備になるが……シャーリィが居てくれて助かった。思えば俺一人だとこの時点でどうなっていたことか。
「depict、duplication――laguz、kano、Hagall!」
怪物を中心に――俺は巻き込まないようにしながら――シャーリィは以前と同じ魔法で霧の煙幕を張る。怪物の視界を塞いだことでこちらを捉える事が出来なくなったところを、シャーリィが上空で眩い閃光をチカチカと、自分の居場所を主張するみたいに発していた。
霧の中でもその閃光が見えているらしく、怪物の体から出ている電気コードの何本かはシャーリィ目掛けて当てずっぽうに振われ――っととと、俺が今手にしている電源コードも振われそうになったが、力で強引に取り押さえる。
「っ、感電上等……! するつもりは無いけど……!」
コードを左手で押さえつつ、俺は電源コードを斧で半分に引き裂いた。分厚いゴムの皮膜は固いが一度切れ込みが出来れば容易く裂けてくれる。
『ユウマ、感電に気をつけろ!』
「大丈夫だ! 電撃への形を与え方はベルホルトとの時に把握した! 電流が俺の方に流れないように形を整えてある……うっかりしたら感電どころじゃ済まないのは間違いないけどな」
ポケットの中でベルの息を呑む音が聞こえた。
……思えば、今俺はベルの命も危険にさらしている。だったら尚更失敗は出来ない。緊張しない程度に気を引き締めて電源コードをある程度の長さまで半分に裂き、中から金属線を露出させる。
『その金属線を斧に巻き付けろ! その方が取り扱いがしやすいだろう』
「ッ、これで良いのか!?」
『ああ。電気は一方通行で流れる物じゃない。スタート地点から放出され、様々なルートを通ってスタート地点に戻る。このループ――閉回路がなければ、そもそも電気は流れない』
「ん、んん??? つまり、えっと、どういう訳だ!?」
『……今、電撃の通り道は、怪物の電源部から金属線を通じてその斧で止まっている。そして、電撃の戻り道は地面を通じて怪物の体を通って電源部へ――つまり、今は電気の通り道の途中に空間があって、流れが途絶えた状態だ』
「えっと、つまり今コレは安全なのか?」
『いいや、もしも電気がユウマの体を通り抜けて地面に流れれば、あっという間に感電して黒焦げだ。油断はしないで形を与える魔法に集中しろ!』
「ッ、ああ!」
魔法で俺の体内に電撃が流れ込まないようコントロールしつつ、電気の流れを遮断した状態にしている。
これならコントロールが上手くいっている限りでは、確かに俺が感電することは無い。だがここからどうするんだ……!?
『だけど、通り道が途絶えた状態でも電気が流れることがある……本物の雷が空から地面に落ちるみたいに、電気が空間を強引に通過するんだ。その空気の中を強引に通過する瞬間――その放電に晒された空気はプラズマに変化して熱を持つ』
「! 細かい原理は分からないが、その熱で焼き切るんだな!?」
『ああ。その際生じる熱は例える比較が無い程の超高温になる……! その斧と怪物の装甲を近づけて、その現象を再現する。そしてその隙間に空気を噴出させろ!』
「言葉じゃ上手く分からないから、感覚頼りでやってやる……!」
ガラ空きになっている怪物の背中に飛び乗り。電撃を帯びた斧を構える。
……近づければ、空間を強引に通過して電撃が流れ出る。そして空気を噴出させる。それから、高温が発せられるなら熱のコントロールも必要になるか。
つまり、電撃、空気、熱の三つへ同時に意識を割く必要がある……!
(ッ、覚悟はしてたし、やってみせると宣言はしたが……とんだ無茶を強いてくれたな……!)
文句のような思いを奥歯で噛み殺しながら、あらゆるコントロールに精神を集中させる。
一歩でも誤れば、全てが終わる。今まさに、俺は自分の出来る限界という壁にぶち当たっていて、そしてそれをぶち破る必要がある……!
「やって……やる……ッ!」
電線を巻き付けた金属製の斧と、金属製の怪物の装甲。その両者を近づける。
バチバチ、と空間を突き抜けて怪物の装甲に吸い込まれていく電撃の流れ。嗅いだことの無い奇妙な匂いが漂う。
その隙間――空間を突き抜ける電撃に向けて、手元で圧縮していた空気を噴出させた瞬間――鮮やかな閃光が目を焼いた。
吹き付けた気体が、まるで濃縮された光と熱に変貌した。驚異は異常なまでの熱だけじゃない。鋼鉄を焼き切る際に生じる光までもが襲いかかる。光に吹き飛ばされる、なんて錯覚は初めてだ。
「ッ、クソ……!」
シャーリィの燐光を上回る閃光で失明しないように目を逸らしながら、精密かつ慎重に斧を動かして装甲に穴を開ける。
……いける。眩しくてほとんど様子が分からないが、ベルの無茶な立案通り、怪物の電撃を利用して怪物の体に穴を開けることに成功した。
(でもまだだ……! もっと大きな穴を開けないと……そして、熱いッ!)
空気の操作で体が高熱の風に晒されないように工夫しているが、上手く逃がしきれなかった熱で肌がジリジリと痛みを感じている。
もしかしたら手に火が付いているかもしれないが、手元で発している閃光で視界が焼けて、もうどうなっているか分からない。電気コードを巻き付けた斧を握る感覚しか分からない。それでも一歩間違えれば、俺は間違いなく黒焦げの炭になる。
気分はまるで修行僧だ。雑念が脳に入ることを一切許されない数十秒感。意識を三つに、それも均等に割き続けなければならない緊張感。
「ッ……ぅぉおおお――――ッ!!」
それは後先考えない無茶で無責任な戦い方。万が一の事態を恐れる心に固く蓋をして、自分自身を賭けの道具として使う。
……自分の知らない自分は出来るのだろうか。自分より魔法を完璧に使いこなしていたに違いない前の俺は、こんな真似が出来るのだろうか――
「――――!?」
ガゴン、と四角形に切断した金属が落ちて重く響く金属音を鳴らす。電気の流れを止めて、閃光で焼けた視界を瞬きで無理矢理回復させようと試みる。
「なん……だ、これは……!?」
機械の表面を切断した後は、中身を滅茶苦茶に切断するつもりだった。幾ら鋼鉄の怪物だろうと、体内から切り裂かれればこの怪物は停止するだろう――そう思っていた矢先、思いもしない光景が飛び込んできて、俺は思わず手にしていた斧を投げ捨てた。
『どうかしたのかユウマ……!?』
「コイツ……いや、まさか……」
いや、迷っている場合じゃない。迷って後悔するのはもう御免だ。俺は恐る恐るも怪物の中心部に上半身を突っ込み、両手を伸ばし、“中身”を掴んで引きずり出してその場から飛び離れた。
……それと同時に。まるで電池を引き抜かれたおもちゃのように、機械の怪物は一瞬で抵抗も攻撃も止めて、ついに動きを完全に止めたのだった。
「……さっきよりは、幾らか。まだ肩とか指先がブルブルするし」
指先をほぐしながらベルの心配そうな声に応える。膝上に置いたガラスに映る彼女の表情はとても不安げだ。
……まあ、さっきまで死ぬ直前みたいな顔色だったのだから彼女の反応はもっともだ。ガラスの中でオロオロしたりウロウロしていたり……まあ、当の本人以上にこの事態に慌てていたというか。
『私がガラスの中じゃなかったら、揉んだりして癒やしてあげられたけれど』
「こんな状況で呑気にマッサージして貰うのもな……あー、クソ。痺れってどうすれば消えるんだ……?」
『うーん、治療法とかはないと思う。重傷度によるけど、その様子なら放っておけばいずれ治る筈だ』
「げ、何もしなくても治るのは助かるけど、今すぐに治せないってのは困ったな」
腰に差していた斧を握ってみると、さっきよりはずっとマシになっていて、普通程度になら握ることが出来た。これ以上力強く握るのは難しそうだが。
逃げてきた直後は力加減が全く出来ない上に、勝手に指が動いて落としてしまう程に重傷だった。ベルの言う通りに放っておけば治るのは間違いない様子。
「それで本題だが……どうやって戦えば良いんだ。あんな化け物、何をどうすれば死ぬのか分からない」
……まさか、一人の人間があんな鋼鉄の巨大な怪物に成るとは思いもしなかった。人間なら首を、四足歩行の獣でも胴体を断つだの穿つだのすれば致命傷になる。だけど、アレをどうにかする有効打が一つも思い浮かばない。
『シャーリィの戦い方はどうだろう。彼女も生物とは違う、巨木のような怪物を相手にしていただろう?』
「シャーリィの、戦い方……」
斧の刃を指先でなぞりながらシャーリィの荒れっぷり……もとい、戦い方を思い出す。怪物を中身から燃やし、半身を拳で殴り砕き、短剣で首を抉り砕く……
「うーん、キツそうだなぁ!」
『あっ、諦めた目してる』
下手すりゃ俺の方がこんがりバッキリボキッといきそうである。つか逝くわ。もう少し参考になる戦い方を見せて欲しかったよシャーリィさんや。
『……いや、冷静に考えるとシャーリィは木の怪物で、ユウマは金属の怪物……頑丈さではこっちの方が圧倒的に上だな』
「何か……このままじゃ駄目だ。普通の真っ当な手段じゃ敵いっこない」
……なら、あの怪物と戦える武器はただ一つ。俺の“形を与える魔法”を使えば……使えば……使え、ば……
「……こんなの、宝の持ち腐れじゃないか」
そもそも俺の魔法はシャーリィのような直接攻撃に使うような魔法じゃない。きっと使い方次第で化けるに違いないが、当の本人が記憶喪失なのが問題で――
「火……そうだ、シャーリィは火で怪物を焼き殺した。あんな感じに、鋼鉄だって火で焼いてしまえば、燃えることはないけどドロドロに溶けるんじゃないか……?」
『……いや、そんな簡単な話じゃ無い。シャーリィの魔法の火がどれ程の火力かは分からないが、ただの火じゃ熱が足りない。鍛冶屋のような数千度を超える炎が要る』
「ッ、じゃあ打つ手は何も無いのかよ……」
冷静にどうしようもないと告げられて、俺はうなだれながら希望を落とした。
失敗した。打つ手はもう無い。このままではベルもシャーリィも、騎士兵の人達――いや、それだけじゃなくて、王国に住んでいる人々までもが危険に晒されるかも知れない。
それだけは嫌だ。どうしてもそれだけは駄目だ。この現状の突破口への希望を失ってしまったけど、意地でも立ち上がらないと。
「ベル、どんな手段でも良い。力を貸してくれ。何でも良い。どんな作戦でも、やり方でも良い。お前の知恵を貸して欲しい」
『……私は、ユウマを危険に晒すような案は出さない』
「…………つまりは、あるんだな。俺の身を危険に晒すけれど、この状況をどうにかする案は」
『ッ、駄目だ! 一番初めに約束しただろ! 私は――』
「俺が、俺自身の死に意味を見出して欲しくない、だろ? ……覚えているさ。ベルのお馬鹿め。アイツを刺し違えてでも倒したいって俺が思ってると勘違いしているな? そんなこと、初めから考えちゃいないよ」
心配性な彼女を安心させるように、できる限りの優しい口調でベルに語りかける。
……約束は二つともちゃんと覚えている。俺はこの子を信じている。そして、そんなこの子を悲しませるような――事を成す為に自分の命を対価として使わない事を、誓っているんだから。
「何も悪い結末にはさせないさ。だから教えてくれ、ベルの案を」
『…………』
「……大丈夫だよ。どんな無茶ぶりな案でも、空想みたいな案だっても良い。俺が“形”にしてみせる」
『……ユウマ』
静寂、のちに遠くから響く破壊の音。残された時間はそう多くない。
少しの間を経て、瞳を瞑ったままだったベルは、何かを決意した表情で俺を見た。
『……一つだけ、私の知っている。ユウマの魔法で、シャーリィ以上の熱を、あの鋼鉄を焼き切るほどの高熱を作り出す方法を』
「……!」
『原理はプラズマ切断の要領……いや、そう言っても伝わらないだろうから、指示は随時私がする。ユウマは……』
「……ああ、ベルの指示を疑わずに実行してみせる」
彼女の表情がようやく少しだけ柔らかくなる。こんなにも俺を想ってくれる彼女を疑うだなんて、そんなこと初めから考えられない。
ガラスから出られない彼女の考え、策を、俺が体で形にする。出会った時からずっと続けてきたことだ。
『ユウマ、あの怪物がムチのように振るった黒い縄は覚えているな?』
「ああ、中に金属が詰まってたアレだな。狙いは雑だけどあんな巨大な縄が直撃したらひとたまりもない」
『……いや、驚異はそれだけじゃ無い。ユウマが感電した原因はアレにある。電気コード……つまりは、あの縄を介して電撃を流している。アレが金属の建物に命中したから、ユウマは感電したんだ』
「電気、コード……」
確かに突然の電撃に襲われたのは、あのムチが振るわれた直後だった。電撃が巡っている建物の柵を素手で掴んだから、あの時俺は感電したんだ――
『だが、逆にアレを利用すれば逆にユウマにも電気を使う事が出来る。それが重要な点だ』
「確かに、ベルホルトの雷も、俺が感電した時も電撃に“形”を与えることができた。俺の魔法ならベルの考えていることはできるかもしれない」
『……でも、最終的には――あの怪物の鋼鉄を焼き切るためには、至近距離にまで近づく必要がある。その為の足止めも必要になる。できそうか?』
「……やってみる」
『ああ。頼むぞ。まずやらないといけないことは、怪物のケーブルを取り押さえて分解し、利用できる状態にする。そして二つ目が、近づくための怪物の足止めだ』
あの巨大なムチが叩きつけられた瞬間に、この斧を使って引き裂き分解する。そして、怪物の足止め。
……なるほど。中々に難しいし、きっとまだ工程には続きがある。だが、あの怪物を止めるにはそれしかない――
『――ッ!?』
「! っとと……アイツ、根こそぎ破壊してでも探し出す気か……!」
唐突に、鉄板や窓ガラスが割れ砕ける音と衝撃が建物ごと俺の体を振るわせた。どうやら、そう遠くないところにまで近づいてきたらしい。
体調は完全ではないが、感電の痺れは回復しているので応戦することは出来る……が、まだ真っ向から戦う気はない。
今はまず、この場所から移動して建物の中を逃げなければ――
「ギガアア██████アア――――!!」
隠れていた部屋から抜け出して、室内の廊下を走り抜けようとした瞬間、その行き先が横から吹き飛ぶように破壊された。
「ぐッ!? め、目の前……!?」
金属製の壁や天井を破壊しながら、ベルホルトの成れの果て――機械仕掛けの怪物が目の前に立ち塞がる。
『ユウマ駄目だ引き返せ! ここは渡り廊下だ! 支柱が壊されたら――』
「ッ、マズい、滑り落ちる……!」
渡り廊下を支える鉄柱が壊されたのか廊下が徐々に斜めに傾き、俺の体は怪物の方へ少しずつ滑り落ちていく。
まだ踏ん張りが効くが、このまま廊下が急斜面になるまで傾いてしまえば怪物の懐へ放り出されてしまう……いや、この渡り廊下自体が崩壊して、三階相当の高さから瓦礫と共に落下する可能性なんかも――
「ぐうぅぅうううう……だ、駄目だ……ッ!」
床が固い金属だからなのか俺自身が弱っているせいなのか、斧を斜面に突き立てようにも上手く刺さらない。弾かれるばかりでその間に体はどんどん滑り落ち、斜面の下で俺を感電死させようと待ち構えている怪物に近づいて――
「ゴァアアアア――█████████ッ!?」
「え……?」
突如、怪物の発する苦痛の叫び声と同時に斜面の傾きがガクン、と急に止まった。斧を斜面に突き立てながら張り付き続けるとなんとか体が止まってくれた。
『! あの怪物、体に氷が張り付いてる! 機械の関節部分が氷に覆われて……!』
「床も凄く冷たい……まさか」
窓に結露していた水滴も一つ一つが凍りつき、吐息が白く空に溶ける。俺の知っている限り、こんな真似が出来るのは一人だけ……!
「シャーリィ! シャーリィどこにいる――うおおッ!? 横からシャーリィ!?」
「――ッ、こんな非常時に何よその呑気な反応は!」
俺が大声を上げた直後、窓ガラスが割れて小さな陰が飛び込んできた。
鋼と錆の暗い色の中で栄える銀色をなびかせながら、初めて異世界で出会った時のように少女が俺の手を取り引っ張り上げる。
あの時と違うのは、頬や腕に擦り傷や土の汚れが目立ち、左右の髪を留めるリボンが片方無くなっていること。それとあの時は驚きと不安を感じていたけれど、今は喜びと安心が胸に満ちている。
『シャーリィ! 体調は大丈夫なのか!?』
「ええ、もう大丈夫。期待しても良いわよ。とにかく屋根に逃げるわ! 走って!」
上り坂の廊下を駆け上がり、シャーリィが先頭を切って金属の扉を蹴り破る。
蹴り飛ばされて宙に飛んだ扉に目もくれず、シャーリィは俺の手を離して先に屋根に飛び乗った。俺も続いて跳躍しシャーリィの隣に着地する。
「ハァ……助かった。正直危なかった」
「駆けつけたら貴方が殺される直前で、本当にもう……ッ、心配したじゃないバカ!」
「めっちゃすまん、本当に助かった。バカじゃない」
『そこはキッチリ訂正するのか……』
俺がさっきまでいた建物を見下ろすと、地面から伸びた巨木のような氷柱が折れかけた渡り廊下を持ち上げるように支えていた。急に傾きが止まった理由はあの氷柱のお陰なのだろう……本当にシャーリィ様々である。
「それで、あの怪物は……」
「ベルホルトだ。魔道具で自爆して……流転させちまった」
「……そう。でもあんな金属の体になるなんて聞いてないわよ! どうすりゃ良いのよあんなデカブツ」
「そこは大丈夫なんだ。足止めする手段も、あの体に致命傷を与える手段もベルが思いついてくれた! ただ、問題があって……どうやって近づくかだ」
『ユウマ、近づくってどれぐらい?』
「俺の手が届く距離。間違いなく化け物の攻撃範囲内だな……あと地面の上じゃないと」
危険な距離まで建物を使わずに近づく……それだけで難易度が跳ね上がっている。本当にそこだけが問題なのだが、問題がデカすぎる。
「ユウマ、本当に近づきさえすればなんとかできる?」
「近づきさえすればって、そう簡単な話じゃないぞ。ノコノコ近づいたらズドーンって叩き潰され……」
「ふーん、それならあの怪物の至近距離に連れてってあげる」
「な、何ぃ?」
ニヤリと笑みを浮かべてシャーリィは自信たっぷりにそう口にする。そんな不可能に近いことを言ってのけるシャーリィに色々と問い詰めてみたかったが、一度咳払いをして冷静になる。
『シャーリィ、そんなことが可能なのか!?』
「でもそれが私の限界かなぁ……だからこんな私の代わりに、あの大馬鹿者を止めてあげて」
「……ああ。こんなの人が成って良い姿じゃない」
アイツは最期に悪魔に魂を売っても良いとか、そんなかっこつけたことを言っていた。だが、あんな見るに堪えない醜い姿は同じ人間として同情する。
「ッ……!」
……良いだろう、ベルホルト。お前に同情して、俺は今、初めて人を殺す――!
「ユウマ、ここで一番高い場所は?」
「高い場所……あそこの煙突なんかはどうだ」
「うん、あれだけ高けりゃ十分。行くわよユウマ!」
「……へ? 煙突に? まさかあれを登るとでも――ああ行くのか登るのか本当に!?」
俺の問いなんてお構いなしにシャーリィは俺の手をぐいぐい引っ張っていく。体に張り付いた氷を砕きながら立ち上がる怪物など目にも留めず、屋根の上を走り出す。段差や建物と建物の隙間を、お互い息ぴったりに飛び越して駆け抜ける。
「後ろッ! どうなってる!?」
『怪物が立ち直ったぞ! 関節部を固めた氷も粉々になってる! まだこっちに来てないけど……』
「シャーリィ! こっちの建物だらけな場所じゃなくて向こうの更地に行きたい! この建物だと俺達は不利だ」
「りょーかい、心配しなくて良いわよ!」
一瞬だけ後ろを振り返ると、怪物が体のパイプから蒸気を噴き出しながら吠える姿が見えた。
対面した時はあんなに絶望的で心細かったのに、今ではどんな恐ろしさでもねじ伏せてしまえそうなぐらいに心強い。
手を引かれながら屋根の上を軽快に駆け抜け続けると、あんなに遠かった煙突の根元にいつの間にか到着していた。俺の腕でギリギリ抱きかかえることが出来そうな太さの煙突には金属製の梯子が細くてっぺんにまで伸びている。
「登るのは任せた! 背中は私に任せて」
「うわっ!? なんだ急にッ」
『ん!? えっ!? 見えないんだけどシャーリィ何をしてるんだ!?』
「ッ……あーもう! 大人しくしてって! 私なりに考えがあるのよ! 慌てないでよ!」
何を考えているのかシャーリィは俺の背中に回ると俺の首に腕を回し、細い両足で脇腹を挟み込んだ。ぴったりと彼女の全身が背中に密着して、この場に似合わない感想を言うとちょっと柔らかくて心地良い。
「良いから梯子を登って頂戴! あの怪物は私が足止めするから!」
「ッ、分かったよ!」
もうどうにでもなれ……! 鉄格子のような梯子を握り締め、滑り落ちないように気をつけながら素早く登り出す。
シャーリィがしっかりとしがみついてくれているお陰で登りにくさを感じることはない。そもそも彼女自身が軽いから、俺が転生している中なら背負っていないも同然の負担だ。
「手が滑る……げっ、錆びまくりじゃないか……」
「あ、やっぱり」
「オイ待てまさか、手が錆びだらけになりたくないから背中にしがみついたんじゃないよな」
「ち、違うわよ! ってかいいから早く登る! 足止めは出来てもあんな化け物相手じゃ時間稼ぎしか出来ないんだから!」
なんとも言い難い心情を唸り声で訴えながら梯子を登る。背中からは呪文を詠唱する声と火薬が燃えるような派手な音が聞こえてくる。背後がどんな状況になっているかは分からないが彼女を信頼して任せることにした。
そうして、湿った錆の粉が手のひらにびっしりと張り付いた頃には煙突の頂点は目の前に迫っていた。煙突の穴に足が落ちないように気をつけながら二本足で――未だに背中にシャーリィを張り付かせながら――立ち上がった。
「シャーリィ、それでどうすりゃ良い」
「貴方、刃物を持ってたわよね。それを貸して。私の短剣はボロボロに歪んじゃってて使えないの」
「あんな使い方すればなぁ……包丁で良いなら」
「ありがとう。んじゃ、そこから飛んで」
「…………は?」
やっとこさ煙突の上に到着して告げられた言葉は、そこから投身しろというトンデモもないものだった。思わず素の声が漏れる。
『シャーリィ、今“飛べ”って言ったのか?』
「ええ。そこから思いっきり勢いをつけて飛び出して!」
「おま――シャーリィ俺に死ねと!? あ、違うか、一緒に死ねと!?」
「違うし言い直しても同じだし! 死なないし私が死なせないわよ! 大丈夫だから!」
流石にそんなことを指示する意味が分からない。てっきり近づいてきた怪物の背中に飛び乗るのかと思っていたのだが……
「せめて何をするのかを教えてくれ!」
「何をするって……あー、もう! 説明が難しいしそんな暇ないし面倒くさい! 大丈夫だから、信じて!」
「えーあー……分かった」
『分かるの!?』
信用しろと言われたらまあ、信じるしかない。そこまで言うほどの自信があるのだから、きっと彼女がなんとかしてくれる……筈。さもなくば即死案件である。
「……飛び方に指定は」
「私が良いって言ったら。勢いはあればあるだけ良い。あと地面と水平に飛び降りて」
「三つも注文しやがって……」
腹から地面に飛び込めと背中の王女様はお望みだ。彼女のことを信じても流石に恐怖がジワジワと込み上がる。片足を踏み出そうとするだけで背筋が震える。
――そんな背中で、シャーリィは包丁を首に添えていた。普段とは違って、俺がやるような刃物を使った転生の手順。
新緑色をした瞳で首元の包丁を見つめながら、シャーリィは刃物を軽く引き抜き、転生した。
「ッ……! 良いわユウマ! 行って!」
転生と同時に、シャーリィは声高らかに号令を飛ばした。早く行けと言わんばかりに――おいやめろ馬鹿! 背中を叩くんじゃない! 分かった行くから!
「どうにでもなれ、都合の良い感じに……!」
頬を両手で叩き、本能が告げる危険信号に対して聞こえないふりをする。
そして嫌な寒気を噛み殺しながら、つい最近もこんな感じに飛び降りたっけなぁ、なんて我ながら呑気な事を考えながら霧と鉄に向かって強く飛び出して――
足が地面を離れた途端、体は見えないロープで引っ張られるように下へ下へ落ちていく。ただでさえ冷水のような温度の空気は氷雪のように肌に刺さる。
きっとまばたき程度の一瞬だというのに、情報が怒濤の勢いで脳に流れ込む。時間が膨張でもしているのだろうか、迫る地面も怪物も、急かされている呼吸も長くゆったりとしたもののように感じる。
「見てなさい、これが私の“本当の”転生よッ……!」
そんな希釈された時間の中、首元で小さく呪文のように呟かれた言葉と深い呼吸だけがハッキリの耳に届いた。
地面に向かって引き込まれる筈の体は、突然謎の浮力を受けて強く浮かび上がる。風の流れも変わって、まるで空の中を滑るような感覚を覚えた。
「……こ、これは」
「万全だからってこれやると疲れるのよねッ……」
首元に回されたシャーリィの腕から発せられる燐光よりも強い光が背後からあふれ出ている。冷たい色をしているのにじんわりとした暖かみを感じた。
……彼女の背中。まるで噴水から噴き出す水のような歪な形をしているが、そこには二枚の羽が生えていた。
『シャーリィこれは!?』
「あーもう! 説明すると長くなるんだってばさ! それは後! 今はアレ!」
「グォオオ――██████!!」
機械の怪物は鉄骨やトタン板など御構い無しに腕で薙ぎ払い足で踏み潰して迫り来る。鼓膜を突き破りそうな声量の咆哮を上げながら、上空を飛んでいる俺たちを撃墜しようと腕を叩きつける――!
「ッ、うわ!?」
「っとと……そんなデカい図体じゃ、私たちは捕まらないわよ!」
怪物の腕が迫る直前、空気の流れを受けてシャーリィの羽がフワリと大きく動き、怪物の攻撃を華麗に避ける。
……いや、避けたんじゃない。どちらかというと彼女の意思とは関係無しに勝手に避けた感じがする。
『そうか……風圧だな。怪物の起こす風圧を受け止めて避けているのか』
「ふふん、馬鹿デカいことが仇になったわね。悔しかったら細い得物でも持ってきなさいな」
ベルの言葉を肯定するようにシャーリィは鼻で笑うと、俺たちを見上げる怪物に向かって煽りのような言葉を投げかける。今絶対背中で悪い顔してるぞこやつ。
そんなシャーリィの言葉を聞いて理解したのかは分からないが、怪物は背中から伸びる鞭――電気コードを振るってくる。
「ちょ――それは困る!?」
「ッ、軽い攻撃なら俺が……!」
重くて大きな腕の一撃はどうしようもないが、あの電気コードぐらいの重さの攻撃なら俺の魔法でも対処出来る。手元に集めた空気を放出してムチのように迫る電気コードの一撃を逸らした。
「ッ……凄い! 凄いじゃないユウマ!」
「そ、そうか!?」
「ええ! 私と貴方、最高のコンビよ!」
「お、おおう。あー、よっしゃあ最高!」
『絶対何も考えてないだろユウマ』
いや、まあうん。ご名答である。今雑に喜んだ。
俺たちは上空を滑空して建物が立ち並ぶ地帯から少しずつ離れて行き、拓けた地面だけの場所にへと近づいていく。怪物も俺たちを追って目的地に誘導されていく。
「私は囮になるから、ユウマはアイツにケリをつけてきて!」
「助かる。囮ってくれるなら俺も上手くいく」
「任せなさいっての!」
成功するかは置いといて、援護があるのはとても心強い。俺は怪物の動きを見逃さないように警戒しながら、横目で着地地点に目星を付ける。
「ユウマ。地面に降りる時、下から私に向けて風を当ててくれない?」
「風を? 分かった……そろそろ降りる」
「ええ。幸運を!」
シャーリィはそう言いながら、何時でも俺を手放せるように備える。一方俺も空気を手元で圧縮して準備を終えた。
そして小さく合図を送ると、シャーリィは俺の胴に回していた華奢な腕を迷いなく解いた。
「ッ……ほら!」
「ほ――っと、ありがとね!」
宙に投げ出されると同時に、俺はシャーリィに向けて空気をやや弱めに放射する。
シャーリィの不定型な羽が俺の風を受け止めると、シャーリィの体はぶわりと勢い良く浮上し、宙返りして高度と速度を上げた。
滑空した時の勢いが残っている俺の体は斜め下に落ちていく。大の字で風を受け止めながら間もなく来る衝撃に備えた。
「くッ――、ふぅ……」
足と膝で衝撃を受け止め、顎を自分の膝に打ち付けないように上半身を踏ん張って持ちこたえる。
右手の掌底は地面を抉って泥だらけになり、左手は少し擦り剥いたが大丈夫。微塵も気にならない。
「……待ってろ、ベルホルト。今楽にしてやる」
両手を擦るように叩き合わせて泥を落とし、右手に斧を持って左手を地に着けたまま怪物を見上げる。圧倒的な大きさと迫力に気が遠くなってしまいそうなのを、気合いで踏み留まる。
『こんな大きな相手、どうやって足止めを……』
「……ベルホルトが自爆した時、俺はこの周辺で倒れていたんだ。地面に耳をべったり張り付くようにさ」
意識を下――地面の奥深くに集中する。何もかも曖昧な試みだが、確かに“ある”のだから出来るはずだ。
「で、その時に確かに“音”が聞こえたんだ。流れる音だ……多分、この下には水が流れている」
『水がこの地面の下に……?』
最初は気がつかなかったが、この場には空気だけではなく、水が存在している。森林の土ほど大量ではないが、地面の中に――俺の魔法が届くであろう範囲に――流れている。
ならば俺の魔法、俺だけの使い方であの怪物を止める事が出来る……!
「ッ……!」
何の障害もない空気中なら問題ない。だが、土砂の中に混ざって水を動かすというのは中々大変だ。無理をしている代償か、頭と目の奥がギリギリと痛む。これ以上やり過ぎると目玉が飛び出すんじゃないかと錯覚してしまう程の激痛だ。
……それでも、こんな事が出来るのはきっと俺だけで。こんな事をしているのはきっときっと、“今”の俺だけ。
ならば、意地でもやってみせる――!
「ガアアァアアァア――████████████ッ!?」
可聴域を通り越した空を響かす咆哮。機械仕掛けの怪物の下半身はあっという間に足、腰と沈んで埋まった。馬鹿力が目立つ相手だったが、流石に埋められてしまえばお得意の力を発揮することも出来ないだろう。
『地面が水みたいに……!?』
「ぐ……っ、汲み上げた水を地面ごと揺らした分、頭も揺れる……うぐぐぐ、しっかりしろッ自分……!」
魔法で地下水を上へ上へと持ち上げて沼にしただけじゃない。泥沼を振動させるように動かして、怪物の足を沼の中へ強引に引き込んだ。
泥のような水と固形物の混合物は、振動を与えると形を維持する力を失う。地面は液体になったかのように支える力を失い、上に乗っている物を地中に引き込むことだってある。
そして実際、怪物を地面の中へ引き込んだ。ついでに水に形を与えてゼリー状にしているため普通の地面よりも頑丈に固まっている……!
『動きが止まった! 確かにこれで“足止め”は出来た!』
「次はあのムチだな……さあ、かかってこい!」
直後、俺に向けて電気コードが先端に火花を散らしながらムチのように迫る。
――それを寸でのところで回避し、電気コードを上から踏みつけるように取り押さえる。先端の剥き出しの金属部分ではなく、分厚いゴムで覆われた部分を触れるなら感電しない。
「ッ、シャーリィ! 少しの間気を引いてくれ!」
「ええ! 煙幕焚くわよ!」
「頼む!」
これからの作業は少しばかり無防備になるが……シャーリィが居てくれて助かった。思えば俺一人だとこの時点でどうなっていたことか。
「depict、duplication――laguz、kano、Hagall!」
怪物を中心に――俺は巻き込まないようにしながら――シャーリィは以前と同じ魔法で霧の煙幕を張る。怪物の視界を塞いだことでこちらを捉える事が出来なくなったところを、シャーリィが上空で眩い閃光をチカチカと、自分の居場所を主張するみたいに発していた。
霧の中でもその閃光が見えているらしく、怪物の体から出ている電気コードの何本かはシャーリィ目掛けて当てずっぽうに振われ――っととと、俺が今手にしている電源コードも振われそうになったが、力で強引に取り押さえる。
「っ、感電上等……! するつもりは無いけど……!」
コードを左手で押さえつつ、俺は電源コードを斧で半分に引き裂いた。分厚いゴムの皮膜は固いが一度切れ込みが出来れば容易く裂けてくれる。
『ユウマ、感電に気をつけろ!』
「大丈夫だ! 電撃への形を与え方はベルホルトとの時に把握した! 電流が俺の方に流れないように形を整えてある……うっかりしたら感電どころじゃ済まないのは間違いないけどな」
ポケットの中でベルの息を呑む音が聞こえた。
……思えば、今俺はベルの命も危険にさらしている。だったら尚更失敗は出来ない。緊張しない程度に気を引き締めて電源コードをある程度の長さまで半分に裂き、中から金属線を露出させる。
『その金属線を斧に巻き付けろ! その方が取り扱いがしやすいだろう』
「ッ、これで良いのか!?」
『ああ。電気は一方通行で流れる物じゃない。スタート地点から放出され、様々なルートを通ってスタート地点に戻る。このループ――閉回路がなければ、そもそも電気は流れない』
「ん、んん??? つまり、えっと、どういう訳だ!?」
『……今、電撃の通り道は、怪物の電源部から金属線を通じてその斧で止まっている。そして、電撃の戻り道は地面を通じて怪物の体を通って電源部へ――つまり、今は電気の通り道の途中に空間があって、流れが途絶えた状態だ』
「えっと、つまり今コレは安全なのか?」
『いいや、もしも電気がユウマの体を通り抜けて地面に流れれば、あっという間に感電して黒焦げだ。油断はしないで形を与える魔法に集中しろ!』
「ッ、ああ!」
魔法で俺の体内に電撃が流れ込まないようコントロールしつつ、電気の流れを遮断した状態にしている。
これならコントロールが上手くいっている限りでは、確かに俺が感電することは無い。だがここからどうするんだ……!?
『だけど、通り道が途絶えた状態でも電気が流れることがある……本物の雷が空から地面に落ちるみたいに、電気が空間を強引に通過するんだ。その空気の中を強引に通過する瞬間――その放電に晒された空気はプラズマに変化して熱を持つ』
「! 細かい原理は分からないが、その熱で焼き切るんだな!?」
『ああ。その際生じる熱は例える比較が無い程の超高温になる……! その斧と怪物の装甲を近づけて、その現象を再現する。そしてその隙間に空気を噴出させろ!』
「言葉じゃ上手く分からないから、感覚頼りでやってやる……!」
ガラ空きになっている怪物の背中に飛び乗り。電撃を帯びた斧を構える。
……近づければ、空間を強引に通過して電撃が流れ出る。そして空気を噴出させる。それから、高温が発せられるなら熱のコントロールも必要になるか。
つまり、電撃、空気、熱の三つへ同時に意識を割く必要がある……!
(ッ、覚悟はしてたし、やってみせると宣言はしたが……とんだ無茶を強いてくれたな……!)
文句のような思いを奥歯で噛み殺しながら、あらゆるコントロールに精神を集中させる。
一歩でも誤れば、全てが終わる。今まさに、俺は自分の出来る限界という壁にぶち当たっていて、そしてそれをぶち破る必要がある……!
「やって……やる……ッ!」
電線を巻き付けた金属製の斧と、金属製の怪物の装甲。その両者を近づける。
バチバチ、と空間を突き抜けて怪物の装甲に吸い込まれていく電撃の流れ。嗅いだことの無い奇妙な匂いが漂う。
その隙間――空間を突き抜ける電撃に向けて、手元で圧縮していた空気を噴出させた瞬間――鮮やかな閃光が目を焼いた。
吹き付けた気体が、まるで濃縮された光と熱に変貌した。驚異は異常なまでの熱だけじゃない。鋼鉄を焼き切る際に生じる光までもが襲いかかる。光に吹き飛ばされる、なんて錯覚は初めてだ。
「ッ、クソ……!」
シャーリィの燐光を上回る閃光で失明しないように目を逸らしながら、精密かつ慎重に斧を動かして装甲に穴を開ける。
……いける。眩しくてほとんど様子が分からないが、ベルの無茶な立案通り、怪物の電撃を利用して怪物の体に穴を開けることに成功した。
(でもまだだ……! もっと大きな穴を開けないと……そして、熱いッ!)
空気の操作で体が高熱の風に晒されないように工夫しているが、上手く逃がしきれなかった熱で肌がジリジリと痛みを感じている。
もしかしたら手に火が付いているかもしれないが、手元で発している閃光で視界が焼けて、もうどうなっているか分からない。電気コードを巻き付けた斧を握る感覚しか分からない。それでも一歩間違えれば、俺は間違いなく黒焦げの炭になる。
気分はまるで修行僧だ。雑念が脳に入ることを一切許されない数十秒感。意識を三つに、それも均等に割き続けなければならない緊張感。
「ッ……ぅぉおおお――――ッ!!」
それは後先考えない無茶で無責任な戦い方。万が一の事態を恐れる心に固く蓋をして、自分自身を賭けの道具として使う。
……自分の知らない自分は出来るのだろうか。自分より魔法を完璧に使いこなしていたに違いない前の俺は、こんな真似が出来るのだろうか――
「――――!?」
ガゴン、と四角形に切断した金属が落ちて重く響く金属音を鳴らす。電気の流れを止めて、閃光で焼けた視界を瞬きで無理矢理回復させようと試みる。
「なん……だ、これは……!?」
機械の表面を切断した後は、中身を滅茶苦茶に切断するつもりだった。幾ら鋼鉄の怪物だろうと、体内から切り裂かれればこの怪物は停止するだろう――そう思っていた矢先、思いもしない光景が飛び込んできて、俺は思わず手にしていた斧を投げ捨てた。
『どうかしたのかユウマ……!?』
「コイツ……いや、まさか……」
いや、迷っている場合じゃない。迷って後悔するのはもう御免だ。俺は恐る恐るも怪物の中心部に上半身を突っ込み、両手を伸ばし、“中身”を掴んで引きずり出してその場から飛び離れた。
……それと同時に。まるで電池を引き抜かれたおもちゃのように、機械の怪物は一瞬で抵抗も攻撃も止めて、ついに動きを完全に止めたのだった。
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