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第六話 二

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 帝位五位は神輿の中でこっそり欠伸をした。祝砲の打ち上げは開始の合図だ。

 大広間の中心に帝位二位から五位は並んでいた。階段のように段が上がっていく大広間の奥に、反り返るような屋根を多数の柱が支える寝殿がある。寝殿の左右には三角の形をしている切妻屋根の建物が対のようにあり、寝殿と屋根付きの廊下で繋がっている。槍を握る衛兵らが豆のように小さいのに、寝殿から左右に伸びる建造物は、視界の端から端までを埋めていた。寝殿中央には、寝殿へ直接上がれる階段があった。階段を上ったすぐそこに、御帳台が設置されている。膝ぐらいまでは高さがありそうな台の上に畳が敷かれ、台は四隅に立てた柱から垂らされた布に囲まれる。金色の龍が泳ぐ布に囲まれながら堂々と胡坐をかくのは、白髭を胸まで伸ばし、黒束帯に身を包む先代帝位一位の現皇帝である。射殺してきそうな眼光は、龍眼と呼ばれるほど恐れられている。

 今日は皇帝に〝魏〟を返還する。

 魏とは、崩御された皇帝の妻、つまり先代女帝一位の霊力が納められた石のことで、門の鍵に霊力を与えるために用意されていたもの。先日、石の霊力は空になった。そのため、形見として皇帝に返還することになった。霊力が切れる前に女帝一位となる女性が居れば良かったが、ここ最近の状況では婚活をしている場合ではなかった。先代が残した石は二年近く門の鍵に霊力を与え続けてくれた。死してなお、偉大なお方だと素直に思った。
ゆえ、残り時間は少ない。とっとと二位同士で結婚してほしいものだ、と五位が神輿の椅子に深くもたれたとき、

「まずいですよ五位」

 隣から声が聞こえた。

 ――四位?

 神輿の覗き窓を開ければ、隣で若葉色の髪に束感を作った帝位四位が、普段優し気な垂れ目を大きく見開いていた。暑いのか、こめかみから汗を垂らしている。
 皇帝の前で私語など不敬なものだが、皇帝は表情がわからないほど離れている。小声なら気づかれまい。

「どうした。漏れそうか?」
「そっちは大丈夫ですけど、あのですね、無いです」
「なにがだ」
「魏が」

 こいつはなにを言っているのだと、まじまじと四位の横顔を観察した。四位が腰に回した右手には、魏を収めているはずの黒光りする筒が握られている。

「あるではないか」
「空ですよこれ」
「……ふむ」

 十六夜に意思を通すと、尾がしゅるりと伸び、黒光りする筒まで伸びる。ぽん、と蓋を開けさせ中身を横目に凝視した五位は、「ふむ」と目を逸らし、覗き窓を閉めた。

「短い付き合いだった。四位。墓参りはする」
「ちょちょちょっと待ってください。昨日まで魏を管理していたのは五位ですよ。一緒に打ち首ですよ」
「昨日はあったのに、なぜ中身がなくなる」
「知りませんよ。さっき受け取ったとき、やけに軽いなとは思って」
「どうするのだ」
「どうしたらいいですか?」

 再度覗き窓を開け、四位の奥に並ぶ三位と二位の様子を窺う。二人とも特になにも気にしていないようだ。

「皇帝のありがたいお言葉と、二位のありがたいお言葉を聞いたあと、魏を返還する。時間が無いな。広間の近くにあればいいが。探ってみよう」
「お願いします」

 担ぎ手のあやかしにそれぞれ意思を通す。すれば、尾が糸のように細くなり、それが四本、地を這いながら各地に向かって伸びていく。大広間の両脇に並ぶ女帝や下女らを気づかれずに探る。しかし、尾は四本しかないため、大広間を探るだけでも時間がかかりそうだった。


 ***


 そのころ、女帝百位は、女帝十位が袖から取り出した琥珀色の石をまじまじと見つめていた。透明感のある黄褐色のそれは、宝石であっても不思議ではない石だった。これは、帝位が管理していた先代女帝一位の形見であるらしい。

「で? これ、失くしたらどうなるの?」
「帝位四位と五位、女帝二位と十位が打ち首で、まあ事が治まるかしら」

 さらっと言い流した女帝二位の言葉に百位は苦笑いした。

「な、なんでそんな大事な物がここに」
「さあね。四位様がやけに筒が軽いとおっしゃって。確認したらすでに無かったのよ。四位様はもうお時間だったから、わたくしらで探し回ったけど見つからず。それで、直前に馬車が出たことを思い出して、追いかけて、で、見つけたってわけ」
「なら、早く届けないと」
「もう間に合わないわ。さっきの祝砲、もう始まってる。返還は、皇帝と二位様が一言ずつ交わしたのちに行われる。ここから馬で駆けて……一刻かしら。もう無理よ。大人しく届けて慈悲を乞うしかないわ。見つかっただけましね」

 ――たかが石でそんな。

 貴族、というものが理解できない。人間、誰だって間違いを犯すもの。それでいちいち打ち首にしていたら埒が明かない。しかし、心から愛していた人の形見、失くされたら確かに嫌だろう。ただ、先代の女帝一位も、これで誰かの首が飛ぶことは望んでいないはず。
 それに、あの神輿の男が黙って失態を晒すような真似はしないとも思える。きっと、時間を稼いでいるはずだ。いますべきことは、いかに最短でこの石を届けるかを考えること。

 ――助けられてばかりだし、たまには、わたしだって。

「わかった。わたしが届けてくる」
「え? って、なんで脱いでるの!?」

 羽織っていた袖口が広い着物と裾が長い袴を脱ぎ捨てれば、十位が顔を赤くして叫んだ。二位も呆然とした様子で、衛兵らがざわりとどよめく。
 そんな騒ぐほどではないのに、と百位は裾の短い着物一枚になった。元々、故郷ではずっとこの恰好だった。貴族の中ではこの着物を下着扱いするから恥ずかしいらしい。確かに普段の着物に慣れていると下半身に風が通って落ち着かないが、隠せているし問題はない。こぼれるような立派なものもない。楽で良い。

「な、なにする気?」

 さすがに動揺したような二位に問われ、「走って届ける」と返事した。それが二位には理解できないようだった。

「話、聞いてたの? 馬で駆けても間に合わないと言わなかった? その足で走って間に合うわけないでしょう」

 二位の疑問に、百位はふふん、と薄い胸を張った。

「馬はぐるって回らないと駄目でしょ? だから時間がかかるの。直線で突っ切れば、半刻でいけるわ。石、貸して」

 右手を差し出せば、二位と十位が顔を見合わせていくつも瞬く。やがて二位が頷き、十位は百位に琥珀石を手渡した。



 塀に囲まれた誰かの敷地に忍びこみ、建物の外周を一周する廊下を全力で駆け抜ける。誰かの下女が、きゃっと悲鳴を上げるが、振り返らず突っ切る。塀によじ登って隣の敷地に忍びこみ、次は裏門を勝手に開けた。さらに塀と塀の僅かな隙間に潜り込み、本来は大きく迂回しなければならない大通りを無視して直線で進み続ける。

 抜け道は、馬糞を投げてくる三姉妹を回避するために使用していたものだ。

 最初の門は、塀に隣接していた建物の屋根に梯子でよじ登って飛び越える。管理が甘い。中位区画にはあっさりはいれた。問題は次、上位区画である中心部に入る道が橋一本しか無いことだ。中心部は、深い堀に囲われているため橋を渡るしかない。さらに、衛兵が警戒している門をくぐる。当然、無断でここまで入ってきた以上、通してくれないはず。

 目が眩むほどの澄み渡る晴天、地面から陽炎が立ちのぼるほどの照り返し、さらに加速する鼓動が全身から熱気を生み出す。汗で一枚だけの着物が肌に張り付く。弧を描く橋に差し掛かった。

 橋に衛兵が二人、門前で屋根付きの馬車が六人の衛兵に囲まれている。全員緑色の甲冑を装備している。迷うことなく橋に向かって駆ける。橋の衛兵が百位に気づき、「下女か?」と首を傾げると「止まれ」と両手を広げた。

 衛兵には立ち向かわない。橋の両端の柵、欄干に飛び乗り、片足しか置けない幅で走り抜けた。「はあ!?」と大声を上げた衛兵が「捕まえろ!」と慌てたように叫ぶ。異常に気づいた門前の衛兵たちが一斉に囲もうとしてきたが、大きく踏み込み、衛兵の肩に飛び乗る。知らない誰かの肩を足場にし、さらに馬車の屋根に上ると、そのまま塀に飛び移った。

 門を越えたすぐそこに繋がれていた馬の尻に飛び降りれば、驚いた馬が跳ね飛ぶ。「ごめんっ」と謝りながらも足は止めない。すぐに門裏で駄弁っていた衛兵たちが追いかけてきたが、「足速ッ馬かよっ」と怒鳴る声はすぐに遠くなる。甲冑姿で走るのはしんどいはず。馬は驚かせたし、すぐには追いかけられない。こうして百位は馬で一刻かかる道のりを半刻で駆け抜けたのだった。
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