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第十話 七

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 どうしたら良いのかわからなくてとりあえず叫んでみた喉がいがいがした。

 百位は、引きつった顔を右肩から逃がしながら何度も右腕を確認した。腕が白銀に燃えている、ようにしか見えないのだが、熱くもなんともない。袖も焦げたりしていない。どうやら門の鍵が火源みたいだ。頬で肩の炎に触れてみたが、なんだか綿毛にくすぐられるような感触がするだけ。はらりと舞い落ちてきた雪だけは蒸発した。隣の二位は、特に気にする素振りもなくいまだにキセルをぷかぷかさせている。

 さっきも急に目の前に現れた巨大な顔に驚いて反射的に殴っただけだったのだが、この右腕、いや門の鍵は一体どうなっているのだ。鍵の力だとは思うのだが、使い方がわからないし、というか、鍵を握った右手が開かない。人差し指と親指で鍵の頭を握り締めたまま、指が動かない。呪われてしまったのだろうか。

「百位さん!」

 背後から呼ばれて振り返れば、四位が口を半開きにさせていて、十五位が目を丸くしていた。神輿が後ずさり、二人のもとまで寄る。

「二人とも、怪我とかしてない!?」
「だ、大丈夫です、が、その鍵――」

 若苗色の瞳が鍵に釘付けになっている。

「これ、手から離れないのよ、なんとかして」
「い、いや、あのですね、これ、は」

 口をぱくぱくさせる四位は、まるで絶句しているような様子だった。ほんとうに呪われてしまったのだろうか。そんな懸念がよぎったとき、

「あ、あやかしが攻めてくるぞお!」

 衛兵たちが騒がしくなった。

 霊が結界に穴を空けた。大人が立って通れるほどの穴が空けば、錆びた剣を握る骸骨の群れがわらわらと押し寄せてくる。まだ衛兵たちは混乱から抜け出せていない。ここは、一夜たちに――、

「よよよよよよよよ」

 菊花が、神輿を追い越していった。

「しゃあ!」

 血のような赤色が、神輿を追い越していった。

 しゃれこうべが無数に転がる。大太刀の一閃を受け止められるような腕力と、空間が爆発したような衝撃に踏ん張れる脚力なぞ、骨だけの体であった骸骨たちは持ち合わせていなかった。たった一回の瞬きのあと、百近い人骨が散らばり、誰もかもが唖然とした。それは結界の向こうにいたあやかしたちも同じだったようで、襲来したその二人に、霊のあやかしは慌てて結界の穴を塞いだようだった。

「九十三位、さま、九位、さま」

 背に十字傷を刻んだ菊花を背負い、右肩に菊花を咲かせる黒髪の女が、からんころんと下駄を鳴らす。紫陽花の装飾花のような瞳に見入られる。神輿のすぐそばまでやって来た九十三位は、右の大太刀を地に突き刺すと、右膝を刀身に擦るように跪いた。

 刀を地に刺す音がいくつも聞こえて振り返れば、全身黒甲冑の男たちも同様に跪いている。

 それだけではなかった。

 馬から飛び降りてきた緑や青甲冑の衛兵たちも、神輿の上をみるやいなや、みな右膝を地につけ始めた。上半身裸の三位もずがずがやって来たかと思えば、ニカッと歯を見せながら右膝を曲げた。四位も右膝を地につけ、十五位は両手を地につけて頭を下げている。あの戦姫九位も跪き、そして、すぐ隣で胡坐をかいていたはずの二位でさえ、神輿に右膝をつけ、右手を胸に添えていた。

「我が菊は、新たな主に忠誠を捧げよう。この身、朽ちるまで新たな主の刀となろう。それが菊の道。それが余の使命。菊花隊頭領、名は菊ノ律きくのりつ。いまここで、我が主に命を捧げる」

 九十三位が言ったことを理解できなかった。救いの目を、二位に向ける。

「女帝百位殿、五位の想いに、応えた、か?」
「五位様、鸞様、の?」
「鍵は、認めた。真実の、愛、を」
「あ、愛?」
「あなたは、認められた。女帝、一位、として」
「いちい?」

 この帝都に連れてこられた理由はなんだったか。たくさんのことがあって忘れていた。結婚しにきたのだ。帝位と女帝が出会うために帝都に集まった。門の鍵を引き継ぐため、次の一位を門の鍵が選ぶため、婚活なぞをしていたのだ。自分には関係の無い話だったはずだ。最底辺の女帝に、恋するような機会なんてなかったはずだ。なのに、気づいたら、だらしなく焦がれて、気づいたらヒノキの香りを求めて、気づいたら、口づけまでされて。そして気づいたら、遠くなって。それを取り返したいと、彼の、鸞の心を取り返したいと強く願ったとき、この鍵は白銀に輝いた。

 でも、だからこそ、わからない。

「わたしね、まだ、ちゃんと返事してないの」

 聞けたのは、十年前のこと、彼の秘密だけ。

「まだね、わたしのこと、なにも伝えてないの」

 そう、彼の想いも、言葉で聞けていない。

「まだ、なにも担げてないの」

 ただ、抱きしめられて、口づけされて、それだけで去ってしまったから。

「だから行かないと」

 とくとくと鳴る鼓動に応じるように、白銀の炎が火力を増し始める。

 白熊が、龍の首根っこに噛みついた。真緑の血飛沫が上がり、雄叫びのような悲鳴が轟く。けたたましい放電にも動じない白熊は、龍をあやかしの門に押し込もうとしている。

 龍の放電が結界を叩く。ピシッと全体に罅が入る。犇めくあやかしたちが喝采する。

 神輿の上から想い人を見つめた百位は問いかけを投げた。

「帝位四位、門の錠を復活させられますか?」
「僕の血で、必ずや、最後の一滴まで使います」

 四位は青ざめた顔をほころばせた。彼の左手首からの出血は勢いを弱めている。すでに三十枚ほどの呪符が並べられているが、まだ白紙の呪符が二十枚ある。

「のう、四位、血は足りるのか?」

 十五位の銀髪が、四位の左肩にかかる。

「なんとか、します」
「皇帝から聞いたことがあるのじゃが、選ばれし血が混じっているのであれば、霊力が満ちた血で薄めても効果は変わらないと」
「え?」

 袖から取り出された短刀が、か細い右手首を切り裂いた。鮮血がたらりと滴る。「いたい」と唇を噛みしめ瞼をきつく閉じた十五位に、四位が声を荒げる。

「な、なにを!」

 だが、四位の焦りと驚きは十五位の右手に沈められた。ぎゅっと握り合っているのは、裂けた左手首と裂けた右手首で、指を絡ませた二人は肩と肩で寄り添う。

「わっちも、一緒に、頑張る、のじゃ」

 半泣き声に頷いた四位は、白紙の呪符を並べると血濡れの筆を握った。

「百位――、いえ、一位さん。門の錠は僕が復活させます。それと、あそこの熊の錠も合わせて。だから、鍵を、かけてください」

 呪符を書き始めた四位の姿を見納め、次に筋肉隆々の男を見やる。

「帝位三位、開いた門を閉じれますか?」
「この俺様は、力の化身。鬼は、俺様の右腕と左腕。俺様は、力で負けることなどありえない!」

 地面から生えた巨大な赤い腕と青い腕が拳を握った。そして這い上がってきた赤鬼と青鬼は、金棒を担ぎ、虎のような咆哮を上げた。三位は、自身の背丈ほどある大剣の鞘を放り投げると、ぎらりと輝く片刃の大剣を肩に担ぐ。

「俺様の強み、見せてやろう。限界に挑む男の底力を」

 自信に満ちた三位の顔を見納め、次に朱色の瞼を下ろした二位を見下ろす。

「帝位二位、あそこの我儘な熊の動きを封じれますか?」
「某は、霊力だけを斬れる、ゆえ、霊力で動くあやかしを、一瞬だけ、なら、止めてみせよう」

 二位から幽体離脱をするように半透明の武士が現れる。鞘から抜かれた妖刀も武士の体も、神輿の担ぎ棒を貫通しながら歩いていく。

「だが、某が止められる、のは、一瞬だけ、だ。それも、一度、だけ。全てを懸けよ」

 そっと神輿から降りた二位はキセルを吹かし始める。もくもくと広がる煙を見納め、菊の女と赤髪の女を見つめた。

「女帝九位、菊ノ律、あやかしの門までの道、切り開けますか?」
「あん? 作戦は?」

 にやけた九位に聞かれ、しばし考えてみる。が、特に思い浮かばない。

「わかんないから、最短距離中央突破で」

 ぶへっと吹き出した九位が腹を抱えて笑った。ひとしきり笑い終えた九位は、反りが少ない刀を肩に担ぎ、背を向ける。

 罅割れた結界を睨んでいた。

「ま、おれにできることは、敵を斬ることだけだからな。変に考えなくていいなら性に合ってる。やるぜ、おれは。なんとなくしか知らねえけどよ、あの熊、帝位五位か」

 その隣に並ぶは、大太刀を両手に握り、十字傷を刻んだ菊花を背負う背中だった。

「よよ。余の前に立つのではないのよ」
「あ? こっちの台詞だ。あやかしと一緒に吹き飛ばすぞ」
「よよよ。その減らず口、あとで削いでやるのよ」

 二人に付き従うように、黒甲冑の武士たちも刀を構える。そして、神輿の左右には十文字の槍を構えた衛兵たちが隙間を作ることなくずらりと並ぶ。数々の修羅場をくぐり抜けてきたのであろう着古した緑甲冑を装備した男を見定めた。

「最後に、わたしたちが突撃する間、わたしたちが囲まれないように、戦列を維持してくれますか?」

 守備隊長は、胸の甲冑を拳で殴る。

「はっ! 我等帝都守備隊! 全身全霊をかけ、女帝一位様のご命令に従います!」

 すると、白銀の炎がゆらり揺らめき、火の粉を散らした。白銀の火の粉は衛兵たちの十文字の槍に触れると、その穂先が引火し、戦列の槍は、白銀の炎をもつ矛となり、冷気を跳ね返す篝火が衛兵たちの体に熱を与えた。守備隊長が握っていた槍も白銀に燃え、各地から歓喜の声が上がる。

「霊力の、火。これなら、霊のあやかしも斬ることができる……。皆の者! 我らに一位様の加護が与えられた! 怯むな! 突き進めえ!」

 守備隊長の鼓舞に戦列が一歩進む。甲冑に守られた右脚が一斉に踏み出され、地響きが統一感を生み出す。

 男たちの雄叫びに振動するかのように、結界の罅がみしみしと細かくなった。

 あやかしたちの奇声に揺さぶられた結界が、パキ、と限界を伝えた。

 先頭に立った九位が、決戦の火蓋を切る。

「喜べ男共ォ! この帝都で一番おっかねえ女たちは、おめえらの味方だァ!」

 防壁上に展開していた黒甲冑の鉄砲隊が硝煙を吹くのと、あやかしの群れが結界を突破したのは同時だった。

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