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第11話 ピンチとヒーロー登場の予感? 聖域なんて聞いてない!
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私の背後に面した回廊から、野太い声がした。
「泉の方角から声がすると思ったら……。あやしい奴! いったい何者だ。この泉が聖域であることは、知っているのであろうな」
……はい?
この泉が聖域だなんて、いま知ったんですが……。
私は、ティコティスの、うさぎさんらしい丸いしっぽのついたおしりに自分の手をそえたまま、声がした方向を振りかえる。
私のうしろにいたのは人間の男だった。
男は、ひとりだけじゃない。……1、2、3、4、5。
せんぶで5人もいる。
全員が黒づくめの服装だ。
西洋の魔術師が着ているような長いローブをまとっている。
フードを深くかぶっていて、口元はかろうじてみえるものの、どの顔もよくみえない。
でも、みんな、ゴツくて、いかつい体格をしているのはわかる。
……こういっちゃなんだけど、着ている服装のせいで、かなりあやしげな集団にみえる。
たとえば、黒魔術に手をそめているとか……、とにかくオカルトな雰囲気。
(この世界、本当に平和な場所なの?)と、疑念を抱いてしまう。
そうこうしているうちに、男たちは距離をじりじりとつめてきて、私は彼らに囲まれた。
――ひええっ。このゴツいお兄さんたち、やっぱりなんだか怖いよ。
あたりにピリピリした空気が立ち込めるなか。
さっき私をあやしい奴と言った人とは別の人が興奮気味に言う。
「いったいどうやって、ここに入った?」
気がついたら、この中庭の泉のそばにいたって言っても、信じてもらえるだろうか。
――そして、こんなときになんだけど、彼らの言葉がちゃんと理解できるのは、不思議なうさぎさんであるティコティスがくれたチョーカーのおかげだろう。
この世界とも、私がいた世界とも、ちがう異世界からやってきたというティコティスが持っていたアイテムは、とても高性能な自動翻訳機みたい。
洋画の吹き替え版をみているときのような、なめらかで自然な発音。
頭に直接言葉が入ってきて、母国語として理解できているかのよう。
こんなに高性能な翻訳アイテムとは思ってなかった。
てっきり、テレビに例えるなら海外ニュースの二重音声のように少し遅れて日本語が聞こえてくるとか……そういうしくみなのかなと思っていた。
同時翻訳可能だともティコティスは言っていたはず。
私の話も自然にこの世界の言葉に聞こえるのなら――。
『気がついたら、この中庭の泉のそばにいた』って、きちんと伝えてみようかな。信じてもらえるかは、わからないけど。
そう思い、口をひらきかけたとき。
男のひとりが、私に向かって悲鳴のような声をあげる。
……ん、なぜ私をみて、悲鳴?
理由はわからないものの、男の大きな声におもわずティコティスにふれていた手を離す。
「む、娘……。わたしは、みてしまったぞ。貴様、あろうことか…… 聖兎さまの 臀部をわしづかみにし、揉みしだいていたな……。いまさら手をひっこめても遅い。この目でしかとみたぞ。なんたるハレンチな――」
へ? な、何それ? 意味わかんない。
いや、『臀部』が、おしりを意味してるのは知ってるよ。
……聖兎さまっていうのは『聖なるうさぎ』って意味で、ティコティスのことを言っている。ティコティスは自分のことを『セイジュウ』だって言ってたから、あれは『聖獣』っていう意味だったんだろうなってのも、見当つくけど――。
なんで私が初対面の男の人から、ハレンチ呼ばわりされなきゃいけないの!?
べつにさわりたかったから、さわったわけじゃないのに……。
私は、はっきり反論した。
「ヘンな言いかたしないでください! 私、わしづかみにして揉みしだいたりなんか、してませんっ!」
すると、まだ口を開いていなかった男が問いかける。
「……では、お前は聖兎さまの臀部に、いったい何をしたというのだ」
「手で押しただけです。揉んでなんていませんってば!」
男5人は顔をみあわせる。
「手で押しただと? こやつ、聖兎さまの体にふれたと認めたぞ。みたところ、着ている服は珍妙で、巫女の証である巫女装束ではないな。聖なる泉に立ち入る資格を持つ巫女ならまだしも、聖兎さまにふれるとは……」
ちゃんと日本語に翻訳されているものの、ファンタジー用語連発だ……。
どうやら、ここに入ってもいい資格を持つ巫女さん以外の者(つまり私)がいるので、彼らはザワザワしているらしい。
そもそも、この人たちは何者なの?
ゲームにでてくる魔術師みたいな格好をしていて、ティコティスを聖兎さまと呼んで神聖視してるっぽいけど。
……彼らが何者だとしても、いまのこの状況、私にとってかなり不利かも。
私は彼らに不審者だと思われてる。
べつに私はあやしい者じゃない――と彼らにうったえようとした刹那。
光の中からティコティスの声が聞こえた。
「……おーい! この娘さんは、ぼくを助けてくれようとしただけだよ~」
ティコティスが私の無実を証明してくれようとしたのだろう。
私が彼のフォローにお礼を言うよりもはやく、黒装束の集団のひとりがつぶやく。
「おお、まばゆき光の中から聖兎さまのお声が……」
感激のあまり、ひとりごとをつぶやいてしまったという雰囲気だ。
いま、たしかにティコティスの声が聞こえてきたけど、ティコティスの顔も上半身も光の中のはず。
気になった私は、男たちのいる向きに傾かたむけていた頭を正面にもどす。
すると、ティコティスはやっぱり、あいかわらずおしりしかみえてない状態だった。
それなのに、彼らはティコティスの声を聖兎さまの声と識別して、ありがたがっている。
ティコティスは以前にも、この世界にきたことがあるって言ってから、いまではこの世界の人たちの中に彼をあがめている集団があるってところだろうか?
(そういえば、うさぎを神としてまつる風習は、地球にだってあると聞いたことがあるような……。うろおぼえだけど、古代エジプトの女神ウェネトとか。あ、うさぎの像をまつっている神社やお寺なら日本にも複数あるよね)
5人の男たちは、ティコティスの声が聞こえたことをひとしきり感激したあと。ティコティスを飲み込みかけている光に向かって、口々に言う。
「聖兎さま! 泉のほうから、なにやら声が聞こえてきたと思い、急いで駆けつけましたが、聖兎さまがあらわれてくださったとは……」
「聖兎さま! この度はどれくらいの期間、この世界で我らとともに、おすごしいただけるのでしょうか……」
「聖兎さま! 今回はご尊顔からではなく、おみ足から、我らが世界にご出現あそばすのですね。わくわくドキドキ……」
「聖兎さま! ずっと応援してます。ファンです!!」
なんか、ミーハーっぽい人もいるなぁ。
ティコティスは言いづらそうに言う。
「……みんな、ごめんね。今回は、ぼくもう帰らなきゃけないんだ」
「聖兎さま! そ、そんな……我ら一同、聖兎さまとふたたびお会いできる日を夢みて――ひっく、ひっく……」
男たちの泣き声があたりに響く。
うーん、この人たち。うさぎの神をまつる狂信的な信者というよりも、異世界からきたうさぎの熱狂的ファンなのかも?
「ちょこっとだけでいいのです。今日一日だけでも。わずかな時間、我らと語らうお茶会にご参加してはいただけませんか」
うさぎさんを囲んでのお茶会って、またしても『不思議の国のアリス』っぽくって可愛い雰囲気だけど。でも――。
ティコティスが帰りたがっているのは、もとの世界にいた仲間を助けたいからだという理由を知っている私は、いてもたってもいられず、会話に割り込んでしまう。
私はふたたび彼らのほうを向いて言った。
「……あのう、この子にはもう帰らなきゃいけないわけがあるんです。だから、ひきとめてしまうと、そのぶん帰るのが遅くなってしまうんです」
「それは真実か?」
男たちのうちの誰かの問いに、私ではなくティコティス自身が答える。
「本当だよ~」
五人は無言で顔をみあわせる。
ティコティスは話をつづけた。
「だけど、ぼくは――。元の世界にぼくをもどしてくれる光のわっかを通り抜けなきゃいけないのに、中でひっかかっちゃったんだよっ。それをこの娘さんがうしろから押してくれていたところなんだ」
私の言葉なら信じられなくても、ティコティスの言葉なら信じるだろう。
私はホッと安心しかける。
……だけど、「それならば致しかたない」と5人も力を貸してくれ、ティコティスの体を光にすいこませ、無事、彼をもとの世界に送る。これにて一件落着――。
という展開には、残念ながら、ならなかった。
ティコティスの説明を聞き終わった男のうち、ふたりが目くばせをした。
この2名は絶妙なアイコンタクトで、左右に別れ、ティコティスを飲み込みかけている光に向かってに駆けていく。
ひとりはティコティスの右足、もうひとりは左足をめざして、まっしぐらって感じだ。
ふたりは手をまえにつきだし、声をそろえて言う。
「聖兎さま、失礼します」
……え、このふたり、まさか……!
左右から片足ずつひっぱって、ティコティスの全身を光からずり落として、この世界にとどめようとしているの?
私は叫んだ。
「……だ、だめーっ!」
ふたりの男たちの足はとても速いのだけれど、ティコティスとの距離なら、私のほうが圧倒的に近い。
なにせ、ついさっきまでティコティスのおしりにふれていて、てのひらに感触がのこっているくらいだ。
私は両手でティコティスのおしりを押さえると、彼の体をグイッと光のなかに押しこんだ。
すると……さっきはなかった手ごたえを感じた。
少しまえはあんなに難航したのに、今度はゆっくりとだけど、前へ前へと入りこんでくれた。
「……あ! ぼくの体、ちゃんとすいこまれていくっ!」
光の中から、ティコティスのよろこぶ声が聞こえてくる。
それは不思議な光景だった。
ティコティスのちいさな後足は、いまや光の中にあって、すりガラス越しのように、ぼやけてみえるだけ。
こちらに聞こえてくるティコティスの声も、テレビの音量をさげたように、とてもちいさくなっていた。
こころなしか、光自体も、いまはまばゆさが抑おさえられている気がする。
このまま光のわっかは、だんだんと消えていき、ティコティスは自分の世界に到着するのだろうか。
「唯花~! ぼく、またこの世界にくるからね」
「うん、ありがとうね。ティコティス」
光の中から聞こえてきたティコティスの声は、より一層ちいさくなっていたけど、どうにか聞きとれた。
私の声も届いているといいな。
ティコティスの帰還に少しでも協力できたのならばよかった。
どうか、無事にもとの世界につきますように。
彼の仲間が助かりますように――。
そんな、祈るような気持ちで淡い輝きになった光をみつめていると……。
「娘!」
左右両サイドから、大きな声が同時に響く。
声の主は、もちろん黒ずくめの男たちのうちのふたり。
ティコティスの足をひっぱって、無理にでもこの世界にとどめたがったようにみえた人たちだ。
5人の中でも、特にティコティスをひきとめることに熱心だった彼らには、私のとった行動がおもしろいはずないよね。
案の定、ふたりは怒り心頭なご様子。
フードで顔の多くが隠れていてもわかる。
右の人は、わずかにのぞくくちもとを怒りでゆがませたうえに、呼吸があらく肩が上下している。
左の人は、顔を真っ赤にして歯をくいしばり、体をプルプルふるわせている。
なんだか「おのれ、小娘! もうすこしで聖兎さまのおみあしをギュッとにぎることができたうえに、聖兎さまをこの世界にとどめておけたものを……邪魔しおって!!」とでも思ってそうだ。
深くかぶったフードをはずせば、きっと両名とも眉をつりあげてプンプンしているにちがいない。
いらだちをかくせない低い声で、右がわの男が私に聞く。
「そもそも、おまえは何者なのだ」
……えっと。すでに何度もされた質問だけど――。
この状況で私が何者なのか話すのは得策なんだろうか。
答えるべきか迷う私に、今度は左側の男が問いつめる。
「おまえが聖兎さまのお体にふれたことは、聖兎さまを手助けしようとしたためのこと。聖兎さま自身がそうおっしゃっていたゆえ、その件は罪ではない。しかし、おまえが巫女とは思えぬ。ならば、泉のそばには立ち入れないはずだ。巫女でなくとも、この場所に入れるのは――」
わぁ……。また、この「巫女でないのにもかかわらず、この泉に入った」云々の話がはじまった。
長いお説教になったらどうしよう。
気がついたらこの場所にいただけで、決して自分の意思でここに侵入したわけじゃないと言っても、彼らは信じてくれるだろうか。
「……そ、その子はぼくの友達だよー!」
ちいさな声で、光の中からフォローがはいる。
光から聞こえてくる声は、ますます小音量になっている。
もうすぐ彼の声をこの世界で聞くことはできなくなってしまいそうだ。
(ありがとう、ティコティス――)
通信手段が絶たれそうになる直前まで、私を気にかけてくれるティコティスに心から感謝する。
聖兎さまと呼ばれるティコティスの言葉に、彼らも納得してくれた……のならば、よかったんだけど――。
残念ながら、それは甘かった。
黒装束の男のひとりが言った。
「たしかに、本当に聖兎さまのご友人なら、この泉にいたとして、なんの罪にも問われますまい。しかしながら――」
男はいったん言葉をくぎり、はっきりと告げた。
私にではなく、ティコティスに向かって。
「聖兎さまは、以前にも、勝手に泉に入った者が、その罪を問われることのなきようにと――見ず知らずの子どもに『この子はぼくの友達だよ! だからぼくが泉に招待したんだよっ』とおっしゃいましたよね」
光の中から、『そこをついてくるか……。まずいな』と言った雰囲気で、
「……うっ、それは……その……えっと」
と、うろたえる、ちいさな声が聞こえてきた。
見ず知らずの子どもを助けようと、とっさに友達のフリをして切り抜けようとしたティコティスは、えらい。
さらに今回の場合は――。
フリなんかじゃなくて、今日出会ったばかりとはいえ、ティコティスは私のことを友達だって言ってくれた。
――でも。
(いま、ここでティコティスのあわあわした声が聞こえてちゃうと、私、非常に困った事態になるかもしれない気が……)
ティコティスにはもとの世界に帰って、仲間を救う使命がある。
彼の声はかろうじて聞こえるものの、体は、もうこの世界にはない。
不思議な光がティコティスを飲み込んでしまったから。
私がこの局面をひとりで切り抜けなきゃ!
(せっかく言葉が通じるんだ。彼らが納得いくように、説明してみよう)
決意する私に、男のひとりが言った。
「おやさしい聖兎さまを困らせるとは……」
嘆かわしいと言わんばかりにため息をつき、言葉をつづける。
「それだけでも、けしからんことだ。なんにせよ、罪をおかしたこの娘をみすごすわけにはいかないな」
他の4人の男も、「うん、うん。もちろんそうだよね」とばかりに、うなずきあっている。
――みすごすわけにはいかない……? そんなこと言われちゃ、私、右も左もわからない世界で、非常に困るんだけど……。
この男たちに捕らえれてしまったら、私、異世界にトリップして、いきなり罪人になっちゃうの?
私、悪いことなんてしてないのに……。
ここ、平和な国なんだよね。
さっきそう説明されたよ。
でも、平和な国ゆえ、その平和をおびやかす存在は、どんなささいな罪でも重罪とみなす、一種のディストピア的世界だったらどうしよう。
つかまったら、即、牢獄?
ディストピア度が高くて、裁判もせずにいきなり罪が確定しちゃったり……?
裁判はあるとしたって――!
異世界はもちろん、もとの世界にだって弁護士の知りあいなんていないのに。こんなとき、どうすれば……。
私のスマホがネットにつながったとしても、海外での犯罪トラブルならいざしらず、異世界での冤罪に対応してくれる窓口なんてないだろうし。
背中にタラーッと冷や汗が流れる。
男たちのうち、すくなくともふたりは俊足なことは、さっきこの目で確認ずみだ。
万事休す――絶体絶命のピンチ! と、思ったそのとき――。
あたりに凛とした声が響いた。
「その娘に罪はないぞ」
声は、私の正面にある回廊からだった。
ひきよせられるように、視線を走らせると、さっきまで誰もいなかった回廊に、ひとりの長身の男性が立っていた。
館内の部屋から、この中庭へ通じる回廊の渡り廊下へでたのだろう。
この人は、私をとりかこんでいる男たちとはちがい、黒い服ではなかった。
上等そうな紺色の上着を身につけている。17世紀か18世紀くらいのヨーロッパの服装といった雰囲気だ。
フードもかぶってないから、まっすぐな髪は輝く黄金色、りりしい切れ長の目は澄んだブルーだということも、すぐにわかった。
――誰?
彼は悠然と、こちらに歩いてくる。
「泉の方角から声がすると思ったら……。あやしい奴! いったい何者だ。この泉が聖域であることは、知っているのであろうな」
……はい?
この泉が聖域だなんて、いま知ったんですが……。
私は、ティコティスの、うさぎさんらしい丸いしっぽのついたおしりに自分の手をそえたまま、声がした方向を振りかえる。
私のうしろにいたのは人間の男だった。
男は、ひとりだけじゃない。……1、2、3、4、5。
せんぶで5人もいる。
全員が黒づくめの服装だ。
西洋の魔術師が着ているような長いローブをまとっている。
フードを深くかぶっていて、口元はかろうじてみえるものの、どの顔もよくみえない。
でも、みんな、ゴツくて、いかつい体格をしているのはわかる。
……こういっちゃなんだけど、着ている服装のせいで、かなりあやしげな集団にみえる。
たとえば、黒魔術に手をそめているとか……、とにかくオカルトな雰囲気。
(この世界、本当に平和な場所なの?)と、疑念を抱いてしまう。
そうこうしているうちに、男たちは距離をじりじりとつめてきて、私は彼らに囲まれた。
――ひええっ。このゴツいお兄さんたち、やっぱりなんだか怖いよ。
あたりにピリピリした空気が立ち込めるなか。
さっき私をあやしい奴と言った人とは別の人が興奮気味に言う。
「いったいどうやって、ここに入った?」
気がついたら、この中庭の泉のそばにいたって言っても、信じてもらえるだろうか。
――そして、こんなときになんだけど、彼らの言葉がちゃんと理解できるのは、不思議なうさぎさんであるティコティスがくれたチョーカーのおかげだろう。
この世界とも、私がいた世界とも、ちがう異世界からやってきたというティコティスが持っていたアイテムは、とても高性能な自動翻訳機みたい。
洋画の吹き替え版をみているときのような、なめらかで自然な発音。
頭に直接言葉が入ってきて、母国語として理解できているかのよう。
こんなに高性能な翻訳アイテムとは思ってなかった。
てっきり、テレビに例えるなら海外ニュースの二重音声のように少し遅れて日本語が聞こえてくるとか……そういうしくみなのかなと思っていた。
同時翻訳可能だともティコティスは言っていたはず。
私の話も自然にこの世界の言葉に聞こえるのなら――。
『気がついたら、この中庭の泉のそばにいた』って、きちんと伝えてみようかな。信じてもらえるかは、わからないけど。
そう思い、口をひらきかけたとき。
男のひとりが、私に向かって悲鳴のような声をあげる。
……ん、なぜ私をみて、悲鳴?
理由はわからないものの、男の大きな声におもわずティコティスにふれていた手を離す。
「む、娘……。わたしは、みてしまったぞ。貴様、あろうことか…… 聖兎さまの 臀部をわしづかみにし、揉みしだいていたな……。いまさら手をひっこめても遅い。この目でしかとみたぞ。なんたるハレンチな――」
へ? な、何それ? 意味わかんない。
いや、『臀部』が、おしりを意味してるのは知ってるよ。
……聖兎さまっていうのは『聖なるうさぎ』って意味で、ティコティスのことを言っている。ティコティスは自分のことを『セイジュウ』だって言ってたから、あれは『聖獣』っていう意味だったんだろうなってのも、見当つくけど――。
なんで私が初対面の男の人から、ハレンチ呼ばわりされなきゃいけないの!?
べつにさわりたかったから、さわったわけじゃないのに……。
私は、はっきり反論した。
「ヘンな言いかたしないでください! 私、わしづかみにして揉みしだいたりなんか、してませんっ!」
すると、まだ口を開いていなかった男が問いかける。
「……では、お前は聖兎さまの臀部に、いったい何をしたというのだ」
「手で押しただけです。揉んでなんていませんってば!」
男5人は顔をみあわせる。
「手で押しただと? こやつ、聖兎さまの体にふれたと認めたぞ。みたところ、着ている服は珍妙で、巫女の証である巫女装束ではないな。聖なる泉に立ち入る資格を持つ巫女ならまだしも、聖兎さまにふれるとは……」
ちゃんと日本語に翻訳されているものの、ファンタジー用語連発だ……。
どうやら、ここに入ってもいい資格を持つ巫女さん以外の者(つまり私)がいるので、彼らはザワザワしているらしい。
そもそも、この人たちは何者なの?
ゲームにでてくる魔術師みたいな格好をしていて、ティコティスを聖兎さまと呼んで神聖視してるっぽいけど。
……彼らが何者だとしても、いまのこの状況、私にとってかなり不利かも。
私は彼らに不審者だと思われてる。
べつに私はあやしい者じゃない――と彼らにうったえようとした刹那。
光の中からティコティスの声が聞こえた。
「……おーい! この娘さんは、ぼくを助けてくれようとしただけだよ~」
ティコティスが私の無実を証明してくれようとしたのだろう。
私が彼のフォローにお礼を言うよりもはやく、黒装束の集団のひとりがつぶやく。
「おお、まばゆき光の中から聖兎さまのお声が……」
感激のあまり、ひとりごとをつぶやいてしまったという雰囲気だ。
いま、たしかにティコティスの声が聞こえてきたけど、ティコティスの顔も上半身も光の中のはず。
気になった私は、男たちのいる向きに傾かたむけていた頭を正面にもどす。
すると、ティコティスはやっぱり、あいかわらずおしりしかみえてない状態だった。
それなのに、彼らはティコティスの声を聖兎さまの声と識別して、ありがたがっている。
ティコティスは以前にも、この世界にきたことがあるって言ってから、いまではこの世界の人たちの中に彼をあがめている集団があるってところだろうか?
(そういえば、うさぎを神としてまつる風習は、地球にだってあると聞いたことがあるような……。うろおぼえだけど、古代エジプトの女神ウェネトとか。あ、うさぎの像をまつっている神社やお寺なら日本にも複数あるよね)
5人の男たちは、ティコティスの声が聞こえたことをひとしきり感激したあと。ティコティスを飲み込みかけている光に向かって、口々に言う。
「聖兎さま! 泉のほうから、なにやら声が聞こえてきたと思い、急いで駆けつけましたが、聖兎さまがあらわれてくださったとは……」
「聖兎さま! この度はどれくらいの期間、この世界で我らとともに、おすごしいただけるのでしょうか……」
「聖兎さま! 今回はご尊顔からではなく、おみ足から、我らが世界にご出現あそばすのですね。わくわくドキドキ……」
「聖兎さま! ずっと応援してます。ファンです!!」
なんか、ミーハーっぽい人もいるなぁ。
ティコティスは言いづらそうに言う。
「……みんな、ごめんね。今回は、ぼくもう帰らなきゃけないんだ」
「聖兎さま! そ、そんな……我ら一同、聖兎さまとふたたびお会いできる日を夢みて――ひっく、ひっく……」
男たちの泣き声があたりに響く。
うーん、この人たち。うさぎの神をまつる狂信的な信者というよりも、異世界からきたうさぎの熱狂的ファンなのかも?
「ちょこっとだけでいいのです。今日一日だけでも。わずかな時間、我らと語らうお茶会にご参加してはいただけませんか」
うさぎさんを囲んでのお茶会って、またしても『不思議の国のアリス』っぽくって可愛い雰囲気だけど。でも――。
ティコティスが帰りたがっているのは、もとの世界にいた仲間を助けたいからだという理由を知っている私は、いてもたってもいられず、会話に割り込んでしまう。
私はふたたび彼らのほうを向いて言った。
「……あのう、この子にはもう帰らなきゃいけないわけがあるんです。だから、ひきとめてしまうと、そのぶん帰るのが遅くなってしまうんです」
「それは真実か?」
男たちのうちの誰かの問いに、私ではなくティコティス自身が答える。
「本当だよ~」
五人は無言で顔をみあわせる。
ティコティスは話をつづけた。
「だけど、ぼくは――。元の世界にぼくをもどしてくれる光のわっかを通り抜けなきゃいけないのに、中でひっかかっちゃったんだよっ。それをこの娘さんがうしろから押してくれていたところなんだ」
私の言葉なら信じられなくても、ティコティスの言葉なら信じるだろう。
私はホッと安心しかける。
……だけど、「それならば致しかたない」と5人も力を貸してくれ、ティコティスの体を光にすいこませ、無事、彼をもとの世界に送る。これにて一件落着――。
という展開には、残念ながら、ならなかった。
ティコティスの説明を聞き終わった男のうち、ふたりが目くばせをした。
この2名は絶妙なアイコンタクトで、左右に別れ、ティコティスを飲み込みかけている光に向かってに駆けていく。
ひとりはティコティスの右足、もうひとりは左足をめざして、まっしぐらって感じだ。
ふたりは手をまえにつきだし、声をそろえて言う。
「聖兎さま、失礼します」
……え、このふたり、まさか……!
左右から片足ずつひっぱって、ティコティスの全身を光からずり落として、この世界にとどめようとしているの?
私は叫んだ。
「……だ、だめーっ!」
ふたりの男たちの足はとても速いのだけれど、ティコティスとの距離なら、私のほうが圧倒的に近い。
なにせ、ついさっきまでティコティスのおしりにふれていて、てのひらに感触がのこっているくらいだ。
私は両手でティコティスのおしりを押さえると、彼の体をグイッと光のなかに押しこんだ。
すると……さっきはなかった手ごたえを感じた。
少しまえはあんなに難航したのに、今度はゆっくりとだけど、前へ前へと入りこんでくれた。
「……あ! ぼくの体、ちゃんとすいこまれていくっ!」
光の中から、ティコティスのよろこぶ声が聞こえてくる。
それは不思議な光景だった。
ティコティスのちいさな後足は、いまや光の中にあって、すりガラス越しのように、ぼやけてみえるだけ。
こちらに聞こえてくるティコティスの声も、テレビの音量をさげたように、とてもちいさくなっていた。
こころなしか、光自体も、いまはまばゆさが抑おさえられている気がする。
このまま光のわっかは、だんだんと消えていき、ティコティスは自分の世界に到着するのだろうか。
「唯花~! ぼく、またこの世界にくるからね」
「うん、ありがとうね。ティコティス」
光の中から聞こえてきたティコティスの声は、より一層ちいさくなっていたけど、どうにか聞きとれた。
私の声も届いているといいな。
ティコティスの帰還に少しでも協力できたのならばよかった。
どうか、無事にもとの世界につきますように。
彼の仲間が助かりますように――。
そんな、祈るような気持ちで淡い輝きになった光をみつめていると……。
「娘!」
左右両サイドから、大きな声が同時に響く。
声の主は、もちろん黒ずくめの男たちのうちのふたり。
ティコティスの足をひっぱって、無理にでもこの世界にとどめたがったようにみえた人たちだ。
5人の中でも、特にティコティスをひきとめることに熱心だった彼らには、私のとった行動がおもしろいはずないよね。
案の定、ふたりは怒り心頭なご様子。
フードで顔の多くが隠れていてもわかる。
右の人は、わずかにのぞくくちもとを怒りでゆがませたうえに、呼吸があらく肩が上下している。
左の人は、顔を真っ赤にして歯をくいしばり、体をプルプルふるわせている。
なんだか「おのれ、小娘! もうすこしで聖兎さまのおみあしをギュッとにぎることができたうえに、聖兎さまをこの世界にとどめておけたものを……邪魔しおって!!」とでも思ってそうだ。
深くかぶったフードをはずせば、きっと両名とも眉をつりあげてプンプンしているにちがいない。
いらだちをかくせない低い声で、右がわの男が私に聞く。
「そもそも、おまえは何者なのだ」
……えっと。すでに何度もされた質問だけど――。
この状況で私が何者なのか話すのは得策なんだろうか。
答えるべきか迷う私に、今度は左側の男が問いつめる。
「おまえが聖兎さまのお体にふれたことは、聖兎さまを手助けしようとしたためのこと。聖兎さま自身がそうおっしゃっていたゆえ、その件は罪ではない。しかし、おまえが巫女とは思えぬ。ならば、泉のそばには立ち入れないはずだ。巫女でなくとも、この場所に入れるのは――」
わぁ……。また、この「巫女でないのにもかかわらず、この泉に入った」云々の話がはじまった。
長いお説教になったらどうしよう。
気がついたらこの場所にいただけで、決して自分の意思でここに侵入したわけじゃないと言っても、彼らは信じてくれるだろうか。
「……そ、その子はぼくの友達だよー!」
ちいさな声で、光の中からフォローがはいる。
光から聞こえてくる声は、ますます小音量になっている。
もうすぐ彼の声をこの世界で聞くことはできなくなってしまいそうだ。
(ありがとう、ティコティス――)
通信手段が絶たれそうになる直前まで、私を気にかけてくれるティコティスに心から感謝する。
聖兎さまと呼ばれるティコティスの言葉に、彼らも納得してくれた……のならば、よかったんだけど――。
残念ながら、それは甘かった。
黒装束の男のひとりが言った。
「たしかに、本当に聖兎さまのご友人なら、この泉にいたとして、なんの罪にも問われますまい。しかしながら――」
男はいったん言葉をくぎり、はっきりと告げた。
私にではなく、ティコティスに向かって。
「聖兎さまは、以前にも、勝手に泉に入った者が、その罪を問われることのなきようにと――見ず知らずの子どもに『この子はぼくの友達だよ! だからぼくが泉に招待したんだよっ』とおっしゃいましたよね」
光の中から、『そこをついてくるか……。まずいな』と言った雰囲気で、
「……うっ、それは……その……えっと」
と、うろたえる、ちいさな声が聞こえてきた。
見ず知らずの子どもを助けようと、とっさに友達のフリをして切り抜けようとしたティコティスは、えらい。
さらに今回の場合は――。
フリなんかじゃなくて、今日出会ったばかりとはいえ、ティコティスは私のことを友達だって言ってくれた。
――でも。
(いま、ここでティコティスのあわあわした声が聞こえてちゃうと、私、非常に困った事態になるかもしれない気が……)
ティコティスにはもとの世界に帰って、仲間を救う使命がある。
彼の声はかろうじて聞こえるものの、体は、もうこの世界にはない。
不思議な光がティコティスを飲み込んでしまったから。
私がこの局面をひとりで切り抜けなきゃ!
(せっかく言葉が通じるんだ。彼らが納得いくように、説明してみよう)
決意する私に、男のひとりが言った。
「おやさしい聖兎さまを困らせるとは……」
嘆かわしいと言わんばかりにため息をつき、言葉をつづける。
「それだけでも、けしからんことだ。なんにせよ、罪をおかしたこの娘をみすごすわけにはいかないな」
他の4人の男も、「うん、うん。もちろんそうだよね」とばかりに、うなずきあっている。
――みすごすわけにはいかない……? そんなこと言われちゃ、私、右も左もわからない世界で、非常に困るんだけど……。
この男たちに捕らえれてしまったら、私、異世界にトリップして、いきなり罪人になっちゃうの?
私、悪いことなんてしてないのに……。
ここ、平和な国なんだよね。
さっきそう説明されたよ。
でも、平和な国ゆえ、その平和をおびやかす存在は、どんなささいな罪でも重罪とみなす、一種のディストピア的世界だったらどうしよう。
つかまったら、即、牢獄?
ディストピア度が高くて、裁判もせずにいきなり罪が確定しちゃったり……?
裁判はあるとしたって――!
異世界はもちろん、もとの世界にだって弁護士の知りあいなんていないのに。こんなとき、どうすれば……。
私のスマホがネットにつながったとしても、海外での犯罪トラブルならいざしらず、異世界での冤罪に対応してくれる窓口なんてないだろうし。
背中にタラーッと冷や汗が流れる。
男たちのうち、すくなくともふたりは俊足なことは、さっきこの目で確認ずみだ。
万事休す――絶体絶命のピンチ! と、思ったそのとき――。
あたりに凛とした声が響いた。
「その娘に罪はないぞ」
声は、私の正面にある回廊からだった。
ひきよせられるように、視線を走らせると、さっきまで誰もいなかった回廊に、ひとりの長身の男性が立っていた。
館内の部屋から、この中庭へ通じる回廊の渡り廊下へでたのだろう。
この人は、私をとりかこんでいる男たちとはちがい、黒い服ではなかった。
上等そうな紺色の上着を身につけている。17世紀か18世紀くらいのヨーロッパの服装といった雰囲気だ。
フードもかぶってないから、まっすぐな髪は輝く黄金色、りりしい切れ長の目は澄んだブルーだということも、すぐにわかった。
――誰?
彼は悠然と、こちらに歩いてくる。
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