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第十夜 夜雷 - ③
しおりを挟む「違う?」
遠慮なく真っ直ぐに問われて、見つめられた。
何を、安達は聞きたいのだろう?
まさか一之瀬との関係に気づいたわけではないと思うが、千紘は慎重になって考えた。
それに、直接聞いたことはないけれど、一之瀬に同僚以上の好意を持っているかもしれない安達の心中を察すると、申し訳ない気もして返答に困る。
「……個人的に、添削とかしていただいています」
芹沢に言ったような言い訳を、安達にもした。
それを聞いても、安達はまだ腑に落ちないと言う態度だ。
「うーん、それだけ?」
「……はい。他の学生より話す機会は多いかもしれません」
「元々顔見知りだった、ってことはないのよね…?」
「…はい。どうしてですか」
「一緒にいる時、嬉しそうに見えるから」
「尊敬していますし、直接お話できることってあまりないので」
「ううん。舛森君じゃなくて」
「えっ?」
俺…じゃない?
「一之瀬先生が。嬉しそうなの」
「…先生が?」
「うん」
安達の返事に、千紘は顔が赤くなる。
「…そう…なんですか…」
「この間の食事会、舛森君が頬いっぱいに頬張るのを見てリスみたいだって、声出して笑っていたでしょう?」
「はい」
「ああいう笑い方、見たことない」
「……」
「舛森君は、一之瀬先生にとって特別なんだなーって、思ったの」
「そ…それは」
「それだけじゃなくて、舛森君いると楽しそうなのよね」
そっか。そうなんだ。周りからそう見えていたんだ。
(嬉しい…)
純粋にそう思った。
「本当なら、光栄ですね」
「一之瀬先生のためにも、ちゃんと勉強頑張るのよ」
「そうですね。そうします」
安達が席を立った後も、千紘はしばらくそこから動けなかった。
手の付けられていないコーヒーが乾いてきて、早くも黒い輪になってカップの内側にこびり付いていた。
あの笑顔の向こうに隠された一之瀬の過去。
思いを馳せると、胸が切り裂けそうだった。
今まで自分が悩んできたことが、とても小さなことに思える。
そんな小さなことを口実に、勉強から逃げ出そうと考えていた自分が恥ずかしくなった。
こんな自分では頼りにならないのがわかる。だから一之瀬も連絡をくれないのだろうと思う。
思い返せば、話した事だってほとんどないのだ。
(俺は水樹さんのことを、何も知らない……)
千紘は途方に暮れた。
どうして自分なんかの事を好きだと言ってくれたのか……。
そんな不安を話してみる余裕も、考え出す暇さえもないくらい、想いが通じたと思ったらすぐに離れてしまったと感じた。
一之瀬の顔が、言動が脳裏によぎる。
いつも他人を優先する一之瀬。
そうだ、一之瀬は千紘に対してそういう考えをする人ではない。
あくまでも自分の気持ちの整理がつかないと他人には向き合わない、そういう人だ。
他人のせいにしたり、頼ったりするのではなく、自分で抱えてしまう。
思い当たって、余計に心配になった。
(もう少し、少しだけでも…俺が大人だったなら…)
微力ながらも、支えになれたかもしれないのに。
一之瀬のことがわかったつもりでいても、自分に対する後悔は波のように後から後から押し寄せる。
好きだって言われたこの自分には、今何も誇れるものはないのだ。
♢
深夜、スマホが鳴った。
考え疲れて、机の上でそのまま寝てしまったらしい。
飛び起きて、慌てて着信を見た。
一之瀬だった。
千紘は通話ボタンを押すのさえも、もどかしく感じた。
「水樹さんっ」
電話に出る音量ではない声で、慌てて名を呼ぶ。
「千紘?」
「はい! 千紘です」
またしても勢いよく言った千紘の声を聞いて、向こう側で小さく吐息のような笑い声が聞こえた。
相手の出方を待っていると、いつもよりも暗いトーンで謝罪が聞こえた。
「……悪かった。連絡しなくて」
「いえ、いいんです」
「千紘……」
「はい」
沈黙が流れる。
「何も、聞かないでいてくれるんだな」
「信じてますから。何か理由が、あるんでしょう?」
「……」
電話をしたもののどう伝えたらいいか言い辛そうにしている雰囲気が伝わってきて、思わず千紘は口に出してしまった。
「ごめんなさい、本当は聞きました。安達さんから。今日、休講だったから心配になって。通話も繋がらないし、事務所に掛けちゃいました」
「…そうか、なら話が早い。千紘は全く気にする必要はない。聞いたなら、事情は知ってるだろう」
それには千紘は答えず、今自分が感じたことをぶつけた。
「大丈夫ですか、水樹さん」
千紘のその質問に、今度は一之瀬が答えない。
そして、唐突に千紘の名を呼び、言った。
「千紘……、俺のことは…忘れてくれ」
何を言われたか理解できず、千紘は聞き返す。
「え?」
すると一之瀬は二度は言わず、続く言葉を放った。
「一方的で申し訳ない。このまま今は続けていくことができない」
「水樹さんっ」
必死に千紘は叫んだ。
「前記試験の前に、こんな電話をしてすまない。でも離れる前に、ちゃんと言っておきたくて。大人気ないけど」
「……これからどうするつもりですか」
「わからない。今は何も」
千紘は何も言えなくて、思いつかなくて、子供のような駄々をこねた。
「俺のこと、好きだって言いました」
「……言った。今だって、好きだ。……だからだ」
「全くワケわかりません」
「君には輝く将来がある。大丈夫。通りすがりの俺のことなんてすぐ忘れる」
「ひどいです」
「そうだな」
「水樹さん!」
「悪いな。声が聞けてよかった。元気でな」
「ちょっと、待ってください!」
千紘の叫びも虚しく、機械音が電話口から漏れた。
(どうして…だよ……)
「……ッ」
唇が震えて、声が漏れた。
目尻から、静かに滴が流れ落ちた。
「ぅゔぁ~!」
苦しい胸を押さえながら大きく叫ぶと、千紘は泣き崩れた。
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