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第十四日目 払暁に鍵 - ②
しおりを挟む「遅くなって、ごめん」
千香はいかにも仕事帰りという雰囲気で、丈長めのタイトスカートのスーツ姿で颯爽と現れた。
「待った?」
コートを仲居さんに預けると、カウンター席にいた千紘の隣に座って言った。
「待った。ホントにごめんだよ。どうしろっていうんだよ、まったく」
千紘は小声で千香に囁いた。
千香が予約してくれていたのは、高級てんぷら店だった。
いきなりカウンターに案内され、目の前では職人さんがジュワーッといい音を立て、てんぷらを上げているので、場違いな感じがして仕方なかったのだ。
「だって、てんぷら食べたかったんだもん」
千香は答えながら、首元のスカーフを外してバックの持ち手に結んだ。襟の弁護士バッチも裏返して留める。
「じゃあ、店じゃなくて外で待ち合わせるとかしたらいいだろ」
「そんな時間のロス、もったいない」
「……そうですか」
なんとなく、男と長続きしない姉の片鱗を見た気がした千紘だった。
「いらっしゃいませ」
仲居さんが熱いお絞りを千香に手渡した。
千香が千紘に聞く。
「何飲む?」
「生ビールで」
「ふたつお願いします。それと予約したコースで」
「かしこまりました」
運ばれて来た生ビールのグラスを、千香が千紘に向かって掲げた。
「では、千紘の合格を祝して乾杯!」
「ありがとう」
大きな声で言われて頬が熱くなった。
「なにか、お祝いですか?」
目の前に、おいしそうに揚がった海老の身と頭と足つきの胴体を次々と置きながら、年配の大将らしき人が話しかけてきた。
「はい、弟が司法試験に合格したんですよ」
にこにこ笑顔で千香が答える。
姉の外向きの笑顔が恥ずかしくって仕方がない。
心底喜んでくれているのだろうけど、照れて素直になれない千紘だった。
「それはすごいですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「将来が楽しみですね」
「ええ」
千香がお礼を言い、また満面の笑顔で頷き返す。
隣の千紘は、穴があったら入りたいくらいだった。
「こちらはお好みのお塩でお召し上がりください。すぐに次が揚がります。止めたい時はおっしゃってください」
「はい、ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
こういう会話があるから、カウンターは苦手なのだ。
人と接する機会があまりない千紘には社交的な会話は無理だった。
「姉さん、あまり言わなくても……」
「いいじゃない。お祝い事はみんなに祝ってもらうべきよ」
ポリポリと音を立て、千香は抹茶塩をつけた海老の足を頬張った。
「美味しい!」
言いながらビールと交互に千香は堪能している。
それ以上は千紘は何も言えず、仕方がないので黙々とそれに習い、頂くことにした。
天ぷらは揚げたての一瞬が命。父、光一の教訓だ。
「本当だ…うまい!」
思わず声が出て頬が落ち、先ほどまでのことはどうでもよくなってしまった。
「お母さん、泣いてたわよ」
「え?」
千香が飲みながら言った。
「電話したら、ちょうど千紘の電話の直後だったみたい」
「そう……」
母の顔を思いだす。
「年の離れた末っ子弟はまた違うのねぇ。感慨ひとしおなのよ」
「姉さん……」
からかわれているのだろうけど、母親のことを考えると、どう対処していいものやら、千紘は戸惑った。
「幸せ者ねぇ」
「まったくです」
自然と頭が下がった。
「そしてまた、果報者と実感するモノがここに!」
千香がバックから、薄い桃色の小さめの洋型封筒を取り出した。
「何、これ?」
受取りながら聞く。
「まあ、開けてみて」
開くと、封筒と同じ薄い桃色の紙が入っていた。
紙にはただひとつ、住所が書いてある。
「長岡市……」
はっとして、千香を見た。
「これって」
「うん、一之瀬さんの実家の住所」
千香は得意げな顔だ。
「姉さん……」
「合格祝いよ。これがホントの」
千紘は紙を見つめた。
「……調べてくれたんだね」
まったく思いもかけない千香の気遣いに、千紘は感慨深く呟くように言う。
「かわいい弟のためにね。今年、これが無駄にならなくてよかったわ」
「またそういう憎まれ口を」
「だって、来年なら、また調べ直さなきゃならないじゃない? どこかに行っちゃうかわからないし」
静かに頷きながら、千紘は言った。
「そうだね……ありがとう」
千香は目を輝かせ、千紘の返事はわかってますとばかりに聞いた。
「もちろん、行くよね?」
「行く」
力強く、千紘は頷いた。
「すごすご帰ってきちゃダメよ。ちゃんと伝えてくるのよ。今の自分を全部」
「うん」
にわかに緊張してきた。
「カードは揃ったね。お迎えが一回で成功するといいけど」
「えっ…? 用意しておいて、それはないんじゃない? もっと…応援するとか」
「なに甘えたこと言ってんの。相手は誰だかわかってるんでしょうね」
「もちろん…」
わかってる。めちゃくちゃ手強い。きっと。
「扉をこじ開けるくらいの、心持ちで行かないと」
「…はい」
素直に千紘は頷いた。
「さあ、渡すものは渡してやること終わったし、飲むか~! すみませーん、ビールおかわりで!」
千香は仲居さんに手を挙げてお願いした。
改めて、手元のカードを見る。
こんなに早く手に入るとは思わなかった。
これで、千香にはしばらく頭が上がらないだろうことは確実だ。
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