金魚の歌

ムラサキハルカ

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 八

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 扉が蹴破られる音を聞くとともに、はっとする。玄関から乱暴に上がり込んでくる気配を感じながら、これまで何をしていたのかを思い出そうとするものの、頭がぼぅっとしていてはっきりとしない。そうこうしているうちに、薄明かりが差す部屋の中で、見覚えのある顔が覗き込んでくるのが見えた。
 アキヒロ、アキヒロ。
 中性的な容姿に浮かんだつぶらな瞳は、今にも泣きそうに揺れていた。なんとなくだけど、こいつに迷惑をかけた気がした。
 聞こえてる。ぼくの声、聞こえてる。ねぇ、アキヒロってば。
 必死に呼びかける声音にどこか微笑ましさを覚えつつも、答えるのが億劫で口を開けなかった。それでも、こちらが反射で瞬きをしたのに女は目ざとく反応したらしく、右手で顔を覆った。
 良かった。本当に良かった。もう、会えないって、本当に心配してて。だから。
 そう口にした女は俺の胸に顔を埋めて動かなくなる。肌と肌が合わさる感触で、おもむろに自分が裸なのだと気が付く。鈍くなっている心はなにも感じていないが、頭の方は一般常識としてこれが恥ずかしい状態なのだと理解している。もしかしたら、徐々に恥ずかしくなっていくのかもしれないな。そんな風に漠然と考えつつ、胸板から伝わる人肌の温さを黙って受け入れる。
 その一方、寝転がりながら小さく首を捻る。何かが違う。そう思った。
 親しい女の気持は伝わってきている。おぼろげながら、相手がこちらを想ってくれているのは理解している。それに実際問題、物理的に温かい。これは、体力気力がごっそり抜け落ちた俺にとっては、何よりも必要な熱のはずだった。
 それなのに、この身体は何かが足りないと感じている。彼女が今してくれていることは、どれもこれもずれている気がした。なのに、何がずれてしまっているのかが、俺にはもうわからない。かつて、この部屋の中でなにかがあったはずなのに、もう、思い出せない。
 アキヒロ。悲しいの。いいんだよ。いくらでも、ぼくが受け止めるから。だから、泣いたっていいんだよ。
 顔を上げた女が俺を見下ろしてそう指摘したのを耳にして、ようやく自らがどのような表情をしているのかを察した。女の潤んだ両目から発せられる心配を受け取りつつ、微かにそれを不満に思う。
 なぁ。
 なに。アキヒロ。なにか欲しいものでもあるの。なんだって、なんだって上げるから、何でも言ってみて。
 俺が答えるのとともに、女の頬に朱が差した。その顔に僅かな期待が籠ったのを確認しつつ、わずかな罪悪感とともに言葉を吐き出す。
 俺の感情を勝手に、括らないでくれ。
 間の抜けた、えっ、という声を洩らす女に対して、枷が外れた俺はゆっくりと言葉を綴っていく。
 悲しい、だなんて、そんな安易に言って欲しくないんだ。
 もう、何を失ったのかすらわかってないくせして、他人に自分の感情を薄らとでも定義されるのに腹を立てる。我ながら勝手だと思ったが、それだけは通しておかなければならないと感じていた。
 女は頷きつつも、釈然としない顔をしていた。その後ろでは誰かが俺達を見ながら話している。きっと大ごとになっているんだろうな。他人事のようにそう考えながら、再びの気だるさに身を任せた。
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