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03.呪われた絵
しおりを挟む祓い屋都築の事務所はビルの二階にある。その更に上の階、このビルの持ち主である都築利音の居住スペースに、新堂蘭太は慣れた様子で合鍵を使ってあがりこんだ。
「おはようございます」
「おはよう」
返事をしたのはソファで朝読書に耽っていた黒井。蘭太の同僚で、都築の相棒の『はざまの住人』だ。黒髪に褐色肌、ジーンズに黒いパーカーの一見無愛想な青年だが、喋ると途端に親しみやすい雰囲気になる。逆になんで黙ってるとあんなに怖いのか謎だ。蘭太はもう慣れたけど。
手を洗って、朝食作りに取り掛かっている間に、黒井に起こされた都築が寝室から出てきた。
「おはよう、蘭太くん」
「おはようございます、都築さん」
「ああ、いい匂い。今日の味噌汁の具はなんだい」
「じゃがいもと玉ねぎです」
「最っ高……! 天才……!」
「おい利音、邪魔すんな。着替えろ」
キッチンに立つ蘭太の周りをうろちょろしていた都築は、黒井に叱られて渋々離れた。
朝食が出来上がると、黒井が率先してテーブルに運んでくれる。着替えた都築も加わって、三人で食卓を囲んだ。
「いただきます」
マイペースに食べる蘭太と、泣きながら貪る都築と、淡々と口に運ぶ黒井。これがいつもの朝の光景。
『はざまの住人』は食べる必要はないが食べられないわけではないらしく、黒井は「食べる楽しみを知っているので食う」らしい。
その割にいつも淡々と食べるんだよな……。
片付けを終えると身仕度をして、黒井はどこぞへと出かけて行き、蘭太と都築はビル二階の事務所で待機した。
なんの依頼もない日なんてざらにあるし、逆に一日に数件重なったりすることもある。
今日も暇な一日になるかと思われたがーー
「はい。祓い屋都築です」
事務所の電話が、鳴った。
◇◇◇
唐突な告白で申し訳ないが、蘭太は今眼鏡を掛けている。
都築一族に受け継がれる製法で作られたという、あの眼鏡だ。蘭太も祓い屋都築の一員だからと、都築がプレゼントしてくれたのである。それからは寝る時と風呂に入る時以外は常に掛けるようにしている。
で、結局何が言いたいのかというと。
蘭太には黒井が視えている。故に、出かけていた黒井が戻ってきたから事務所のドアが開いたということがわかるのだが、今現在怪奇現象に悩まされ追い詰められて祓い屋の門を叩いた依頼人には誰も何もしていないのに勝手にドアが開き、勝手にドアが閉まったように見えているはずなのである。当然、びびる。
「ひっ! な、なな、なんですかな……!?」
「大丈夫。害はありません」
眼鏡なんてなくてもばっちり黒井が視えているはずの都築は、しれっと依頼人を宥めた。
黒井が都築の座る応接ソファの背に尻を乗せてもたれかかって立ったところで、都築は依頼人をうながした。
「それで、小中さん。お話の続きを」
「ああ、はい。それがーー」
今回の依頼人、小中曰く。
知人から買い取った絵を飾ってから、怪奇現象が続いている。外して倉庫にしまっていても、いつの間にか元の場所に戻されている。気味が悪く手放そうとする素振りを見せると、食器や窓、テレビ等がひとりでに割れる。
「もう、ほとほと困りきっているのです。あの絵は呪われているに違いない。いっそ燃やしてしまおうかとも思いましたが、燃やした後、一体どんな悪影響があるかわかりません。もう、どうしていいかわからんのです」
額に浮かぶ汗を拭う小中の声音は、心底参ったと言わんばかりだった。
「話はわかりました。実際に絵を見せてください。ご都合のよろしい日はーー」
その絵は、一人で暮らすには十分過ぎるでかい一軒家の、広々とした書斎に飾ってあった。一面の書架と向き合う形で、壁に掛けてある。素人目にはその価値のほどはわからなかったが、蘭太から見ても良い絵であるということは感じ取れた。なんというか、色使いが生き生きしている。強い生命力を、描いた者の強固な意志を感じる。
隣に立つ都築も、無言で絵を眺めていた。
「ど、どうですかな、都築さん、その絵には一体どんな呪いが……! 祓えますか? ーーひっ!」
突如開いたドアに、小中が大袈裟なほど飛び跳ねた。
「容疑者」
まっすぐ書斎へ案内された蘭太達とは分かれて小中邸を捜索していた黒井が一言そう告げて、腕を突き出す。小学生と中学生の境くらいの、小柄な愛らしい女の子が、襟首を掴まれてむすっと唇を尖らせていた。
「小中さん」
「ひ、は、はいっ、なんですかな、絵は、絵は……っ」
「ええ、ええ。確かにこの絵は呪われているようです。今からお祓いをいたします。席を外していただけますか」
「は、はいぃっ。今すぐ!」
脱兎の如く逃げ出した小中のドタバタとした足音が聞こえなくなるまで待ってドアを閉めた都築は、黒井から手を離されて立ち尽くす女の子の前に跪いた。
「きみが、この家で悪さをしていたのかい」
女の子はぐっと唇を引き結び、ワンピースを両手で力いっぱい握りしめると、思い切った様子で口を開いた。
「悪いのはあの男! 小中よ!」
「小中さんが何かした?」
「何かしたかですって!? したわよ! とおっても悪いこと! 許せないわ! だって、あの絵は!」
女の子が、勢いよく絵を指差す。
「あの絵は盗品よ!」
蘭太は思わず振り返って呟いた。
「この絵が、盗品?」
女の子曰く。
この絵は元々、小中の知人の男ーー祐星の甥っ子が描いたものだった。病弱だった甥は、人生のほとんどをベッドの上で過ごし、調子の良い日は延々と絵を描いていた。彼は完成した絵には興味がないようで、描きあげた絵は両親が管理していた。その絵を譲り受けた両親の友人から、そのまた友人へ、たまたま知り合ったギャラリストへと知れ渡ってーー彼の絵は高く売れるようになった。しかしその頃には彼の余命は短く、彼の人生の最後に描きあげた絵こそが、今ここに飾られている絵である。この絵は、甥っ子が大好きだった叔父に贈った、最初で最後のプレゼントである。
「この絵は、祐星の手元にあってこそ、真に価値あるものなのよ」
女の子は地団駄を踏んだ。
「それを! あの男! 小中の奴! 祐星の家に飾られてる絵が、とんでもない値段のつくものだと知って! 祐星に売ってくれ売ってくれってしつこくして! 祐星はこれは絶対にいくら積まれても手放せないって何度も断ったのに! とうとう痺れを切らして、盗みやがったわ!」
「なるほど」
都築は頷き、硬く結ばれた女の子の手を握る。
「……そうか。きみは、あの絵を、祐星さんのもとへ、返してあげたいんだね?」
女の子はハッと瞠目し、しおしおと萎れるように目を伏せた。都築の指を小さな手で握り返し、こくんと首を縦に振る。
「祐星、きっと悲しんでいるわ。甥っ子ちゃんからの最初で最後のプレゼントだもの。この絵を、とっても大事にしていたの。売ってくれって輩はね、小中の他にもいっぱいいたのよ。でも、一度だって、一瞬だって、悩みもせず断ってきたわ。私が、……私が! 持って帰ってあげられたらよかったんだけど……でも私、普通の人間には見えないじゃない? 誰にも不自然に見られずにこの絵を運ぶ方法なんて、思いつかなくて……だから、小中が、この絵は呪われてるって、びびって、自分から祐星に返してくれたらいいのにって、ちょっと脅かしてやったのよ……ごめんなさい」
「謝る必要はない」
言ったのは黒井だった。
「盗んだ小中が悪い」
「そうだよ、ちょっとくらい脅かしたって、大丈夫大丈夫」
蘭太も乗ると、女の子はふふっと笑った。都築の手を両手で包んで、意志の強い瞳をまっすぐ彼に向ける。
「あの絵を、祐星に、返してあげて」
「もちろんだとも、お嬢さん」
都築はウインクで応えた。
「お祓いは中断しました。ーーえ? ええ。実はですね、お祓いの準備をすすめていたところ、絵がガタガタ震えだしまして。ーーはい、それはもう、ガタガタと。小刻みに。それでですね、絵から、こう、嘆き……のようなものが、ね、聞こえてくるんですよ。ユウセイ……ユウセイ……と、ね。何度も何度も、ーーそう、何度もです。繰り返し、ユウセイ……ユウセイ……と。で、ですね。ちょっと小中さんにお尋ねしたいんですが。この絵の関係者で、ユウセイという名の男性に心当たりはありませんか? ありますよね?」
祐星宅の玄関先で頭を下げる家主とお別れし、数歩先で待っていた女の子のもとへ歩み寄る。
「ありがとう、都築、蘭太、黒井」
満面の笑みだった。
彼女の望み通り、あの絵が祐星のもとへ返ってきたからだ。
都築にイケメンスマイルで軽く脅された小中は、滝のような汗を流しながら自身の罪を白状し、許しを請うた。それを、都築は「謝る相手が違う」とばっさり切り捨て、その足で本来の持ち主のもとへと絵を返しに行かせた。祐星は最後まで「許す」とは言わなかったが、警察沙汰にするつもりもないと、ただ、戻ってきた甥の最後の絵を二度と奪われまいというように抱えた。
「あの絵が返ってきたから、私もようやく祐星のもとへ帰ってこれた。本当に、本当に、感謝してるわ。ありがとう」
下げられた頭が再び元の位置に戻り、別れの雰囲気が漂いはじめたところで、都築がいつもの問いかけをした。
「ひとつ、聞きたいことがあるんだ」
「何かしら」
「とある『はざまの住人』を捜しているんだ。全身真っ白の、白井、という、男なんだけど。知らないかな」
「シライ……聞いたことないわ」
「……そうか。ありがとう」
白井。
都築が長年捜している男。
都築利音に『呪い』をかけた『はざまの住人』。
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