鍵盤上の踊り場の上で

紗由紀

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第5章 Duet

君という残像

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「私ね、合唱祭の前の日に聞いちゃったの。私が義足だって気づいて、それを嘲笑ってる人の声が」
その言葉で、今の水瀬と合唱祭前の水瀬の姿が重なった。きっと、怖かっただろう。自分を蝕む、泥沼の存在に。僕も経験したそれ。もしかしたら、水瀬は僕以上にそれに引きずり込まれたのかもしれない。たとえば、人を、信じられなくなるような。怖くて、逃げたくて。でも逃げられず、現実を見るしかなくなるような。
「それ聞いたらね、怖くなっちゃって。私って、ピアノ弾いてもいいのかな。音楽をしてもいいのかなって」
その気持ちを僕は十分理解出来た。僕だって、同じように悩んだ時期があったから。同じように、ピアノから目を背けた時期があったから。
「でも結局、私には音楽がないといけない。そう気づかせてくれたのは相原くんだよ」
そう言って向けられた笑顔は、何にも変え難いものだった。水瀬にしか出来ない、水瀬だけの笑顔。
ここ最近、わかったことが1つある。
大好きは、そう簡単には壊れない。
心のどこかに、大嫌いの瓦礫の中に、たった一欠片でも「大好き」はある。それは僕だって同じだった。
どんなに嫌いだと感じていても、体は覚えてしまっている。大好きなことをしているときの、喜びや幸福感、充実感を。だから、心のどこかでピアノを求めている自分がいる。
そして、そんな自分がいたからこそ、僕らはきっと出逢えたのだ。僕の心の奥の奥に隠れていた「大好き」を、水瀬が気づいてくれたからこそ、きっと僕らは出逢えた。そう考えると、僕らが出逢ったのは、もしかしたら奇跡に等しい確率だったのかもしれなかった。
水瀬は、きっとこれからも変わらないと思う。いや、変わらないでいてほしい。そう願ってしまうのは、僕が出逢った「水瀬澪」という人物が、あまりにも素敵な人だったから。
僕の好きな水瀬は、明るくて、素直で、ピアノが大好きで。
笑顔が世界一似合う少女だから。
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