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1.ふたりの傭兵
鮮やかな夕焼けが石造りの街並みをオレンジ色に染めあげている。
ここは商業都市ロスヴァイセ東端の裏街道。
エリザとバーレットの前に現れた若い男は、ぞっとするほどの美貌の持ち主だった。長い睫毛に縁取られた切れ長の目。瞳の色は北の果てにある湖を思わせる蒼氷。後ろに束ねられた漆黒の髪は腰に届く長さで、毛先まで艶めかしい。均整のとれた長身を包む黒を基調とした衣装と装備が、高貴な印象を見る者に与える。
騎士崩れの用心棒──正確には元用心棒であるバーレットは、彼が只者ではないことを看破していた。彼も元雇い主が放った刺客。しかも、これまでの追っ手とは明らかに一線を画する。
「ドミニク氏から貴様らを連れ戻すよう依頼を受けている。大人しく従えば悪いようにはしない」
美男子は耳によく通る声で淡々と告げる。
バーレットはエリザを庇うようにして男の前ににじり出た。腰に下げた剣の柄を右手で握り締めながら。
「このまま何も見なかったことにして、通してはくれまいか」
「断る」
「……エリザ、もっと後ろに下がっていろ」
剣を抜き、両手で構える。エリザはバーレットの言葉に従い、急いで物陰に身を隠した。
只事ではない気配を察した他の通行人は足早にいなくなってしまった。
「そうか」
と、短く呟いた男も腰から剣を抜く。
先に仕掛けたのはバーレットだった。振りかぶる刃に躊躇はなかった。殺すつもりでかからなければ勝てない相手だと武人の本能が告げていたから。
しかし……。
自分より一回りは太い腕から振り下ろされた渾身の一撃を、美貌の刺客は片手で受けとめてみせた。
剣を交えたことでバーレットは戦慄する。彼も手練れと呼ばれるに相応しい腕前の持ち主である。手練れゆえに気づいてしまったのだ。この男は怪物であると。
だが、退くわけにはいかない。自分には護らなくてはいけない者がいる。
「──あぁっ……!」
物陰から戦況を見守っていたエリザは、思わず悲鳴をあげた。嫌な金属音とともにバーレットの剣が真っ二つに折られ、彼の肩から血が飛び散ったからだ。呻きながら片膝を崩した彼の太い首筋に、美貌の刺客が剣の切っ先を向ける。
「やめて! その人を殺さないでっ」
エリザが負傷したバーレットのもとへ駆け寄ろうとした瞬間、何者かに腕を引っ張られた。
「おぉっと、危ねぇからお嬢ちゃんはここにいな」
「は、離して……!」
犯人は屈強な狼獣人だった。灰銀色の豊かな毛並みに煌々と冴える金色の瞳。鍛え抜かれた肢体にはしなやかな厚みがあり、逞しい強者の貫禄を湛えている。エリザは必死に抵抗したが、彼の恵体はびくともしない。
その様子を目撃したバーレットが、血を吐くようにして叫んだ。
「頼む、俺はどうなってもいい。彼女のことは見逃してくれ……!」
「それはできねえ相談だなァ。ドミニクの旦那のお目当ては彼女だ」
「あいつのもとに戻るなんて死んでも嫌よ!」
「『死んでも』と来たか。まぁ、気持ちは分からんでもないけどな」
そう言った狼獣人の脳裡には、彼の雇い主であるドミニクの姿が浮かんでいるのだろう。エリザの父を破滅に追いやり、ひとまわり年の離れたエリザを妻として『買った』、あの卑劣極まりない男の顔が……。
「そうよっ、無理やり連れ帰るつもりなら、ここで死んでやるわっ」
「そいつは困るなァ……ならこうしよう。もしお嬢ちゃんが大人しくオレらの言うことを聞いてくれたら、あのデカブツは見逃してやってもいいぜ」
「えっ……?」
「デカブツに関しては『生け捕りが無理なら殺せ』って言われてんだ。あいつは『死んだ』ってオレらが報告すりゃ、旦那も深追いはしないだろうさ」
「駄目だっ、エリザ……俺のことは構うな!」
「なぁ、お嬢ちゃん……」
バーレットの声を遮るように灰銀の狼は長身を屈め、エリザの耳元で悪魔のように囁く。
「あんたはバカじゃねえ。どう見たって詰んでる状況だって分かんだろ……?」
そうして残酷な現実を突きつけ、非情な選択を少女に迫る。
商会に戻れば、あの醜く太った強欲商人の妻にされる。否、妻とは名ばかり。実態は性奴隷と変わらない。男に飽きられるまで、女として、人としての尊厳を踏みにじられ続けるのだ。
……だけど。
このまま無意味な抵抗を続ければ、心優しいバーレットはあの美しい刺客に殺されてしまうだろう。──逃げられないのなら、せめてバーレットだけでも助けたい。『死んだ娘に似ている』からと、自分を憐れみ救ってくれた彼だけでも。悲しみで胸を引き裂かれながら、彼女は彼女にとっての最善の決断を下した。
「……あんたたちに従うわ」
「エリザ!!」
バーレットが悲痛な声をあげる。エリザは狼獣人を睨みつけ、涙を堪えて挑むように言葉を続けた。
「だから、バーレットのことは見逃すと約束して。彼はドミニクのオモチャにされそうになっていた私に同情してくれただけなの」
「いいとも。これで交渉成立だな。さすがは元商人の娘だ、話が早くて助かるぜ」
狼獣人の口角がにたりと吊り上がり、バーレットの顔が絶望に青ざめた。
……ところが、事態は急転する。
「──フェンリル、彼女を離せ」
「へ? ……いやいや、待て待て待て! どういうつもりだ!?」
狼獣人が慌てた声をあげた。
美剣士が己の武器を鞘におさめたのだ。
そして、懐から小瓶を取り出すと、それをバーレットに差し出した。何が起きているか分からず、バーレットは困惑の表情を浮かべる。
「こ、これは……?」
「使え。傷に効く」
「だから待てってバアル! 話まとまったの聞いてたろ!? 何でそういうことすんの!?」
フェンリルの抗議に、バアルは淡々とした態度で答えた。
「ドミニク氏には『新妻を用心棒の男に拐われたから連れ戻してほしい』と頼まれていたが……どうやら彼女は自らの意思で、ドミニク氏から逃げているようだ」
「……それで?」
「今回の依頼は彼の誤解によるものか、あるいは、事情を知っていて嘘をついた可能性がある。後者だった場合は、重大な契約違反だ」
「あ、そういう感じね? たしかにその件に関しては帰ってから話し合わねえとな。けど、この嬢ちゃんは連れてくぜ。じゃねえと報酬が貰えねえからな」
バアルは首を横に振る。彼らのやりとりを見守っていた聡い少女は察する。あの美貌の刺客は、自分たちを助けようとしてくれている。
「私の見解では、どちらにせよ依頼そのものが無効だ。故に彼女を連れていく理由がない」
「オレの見解じゃとりあえず金は貰っとかねえと割に合わねえよ」
「……そんなに金が欲しいなら私が払う」
「大金だぞ? すぐに払えるのか?」
「すぐには無理だ。だが必ず払うと約束する」
「……」
「……」
両者の間に沈黙が流れる。
「…………はぁ~~~~……」
やがて、フェンリルがわざとらしく溜め息をついた。長い長い溜め息だ。それからパッと手を広げてエリザを解放した。
拘束から解放されたエリザは一目散にバーレットのもとへ駆け寄る。彼の斬りつけられた肩を見る。傷は思ったよりも深くない。エリザは安堵の涙を目尻に溜めながらバアルを見上げた。
「ありがとう……っ」
「感謝する……!」
エリザとバーレットの声が重なる。
「仕事だ。礼を言われる筋合いはない」
バアルは素っ気なく返すと彼女たちに背を向けて歩きだした。迷いのない足取りで向かうのは雇い主のもとだろう。
フェンリルがバアルを追いかけ、彼のとなりに並んで歩く。
「無口なお前がずいぶん喋ったじゃねえか。そんなにあいつらを助けたかったか」
「……」
「……なァ、バアル」
狼はにやりと笑って悪戯っぽく耳打ちする。
「お前だから特別に提案するが……金を用意すんのが難しかったら身体で返してくれてもいいぜ?」
「ほざいていろ」
ドミニク邸に向かう傭兵たちの背中を、エリザとバーレット以外にも見守る者がいた。焔のように赤い梟だ。梟はバアルたちをしばらく見つめていたが、やがて大きな翼を広げ、街外れにある森の方へ飛び去っていった。
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