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10.蒼龍
番と見初めた相手を傷つけられて、黙っていられる狼はいない。
「フェンリルッ! よせっ!!」
だから、この制止は無駄だと分かっていた。
それでも、デイビーは友へ叫ばずにはいられなかった。クラーケンに単身で立ち向かうなど、死にに行くのと同じだ。
フェンリルがバアルを追って、竜の腹へ飛び込んだ。
あの傷では、バアルはまず助からない。フェンリルも重傷を負ったのを見た。フランの回復薬はたった一本。
どちらかは、必ず死ぬ。
(オレが諦めてどうすんだボケッ!)
そう自分自身を叱咤して、デイビーは忌々しい魔竜を睨み上げた。
まだふたりを助けられる。クラーケンを早々に始末して、自分の持つ回復薬を彼らに与えればいいのだ。
フェンリルには、ヴァルプルギスで大きな借りがある。あの地獄のような戦場で彼が助けてくれたから、自分は生きている。死なせるわけにはいかない。もちろん、彼の想い人であるバアルもだ。大事な仲間を命懸けで救ってくれた彼に、船長として報いなければならない。
「ふたりとも、このままテメーの腹ン中でくたばっていい奴らじゃねえんだよ!」
貪欲なクラケーンは、デイビーたちも食らおうと伺っていた。これは幸いだった。さすがに海底に逃げられたら後を追えないのだから。幸運はもう一つ、邪魔な幽鬼たちが、魔竜によって船ごと沈められたのだ。幽鬼は魔竜にとって腹の足しにならないからだが、これで魔竜だけに集中できる。
ところが、そのとき……。
クラーケンの動きが突然、止まった。
そして、いきなり苦しみだした。ただの苦しみ方ではない。長大な身を捩じらせ、悲痛な叫び声をあげる。
すると、轟音とともに、蒼い雷が内側から魔竜の身を引き裂いた。
蒼雷は、不思議な生き物の形をしていた。
蛇のように胴が長く、馬のような鬣と鷹のような鋭い爪を持ち、竜に似た顔をしている。
クラーケンよりも巨体なのに、恐怖は感じない。しかし、荘厳な姿には、畏敬を抱かずにはいられない。
デイビーはその姿を文献で見たことがあった。ゆえに、誰よりも驚いた。
「龍だ……!」
東方に古くから伝わる神性存在。ヴァルプルギスの際には、タカアマノハラにて紅と蒼の双龍が顕現し、あのサタンを倒したという。
蒼龍が天に向かって昇っていく。
周りを包んでいた霧が晴れ、空と海に覚めるような青が戻る。
船乗りたちは呆然と空を見上げていた。
「──デイビー!」
よく知る声に呼ばれ、デイビーはハッと我に返った。
慌てて船の下を注意深く覗き込んだ。
「こっちだ、こっち! 頼む、引き上げてくれ!」
海面からこちらを見上げていたのは、フェンリルとバアルだった。
※※※
フェンリルたちは毛布を被って甲板の端に座って休んでいた。
少し離れた場所で、船乗りたちが船の修理のため慌ただしく動いている。デイビーの話では、船の損傷は思っていたよりも軽いものだったらしい。
「……お前が夢魔に狙われなかった理由が分かったよ」
フェンリルは、となりのバアルにそう声をかけた。
夢に入るということは、魂に触れるということ。神性存在を宿した魂に触れるなど、魔族にとっては自殺行為に等しい。
「まさかお前が東方の英雄だったとはなぁ……」
サタンを倒した双龍の話は、フェンリルも知っている。
ただし、七獄王と違い、顕現の器が何者であったかは不明だった。
「あのすげえ回復力は、蒼龍の力か?」
「いや……これはサタンの置き土産だ。奴は滅びの直前に、私に不老不死の呪いをかけた」
七獄王に『死』は存在しない。魔界の深淵で、千年かけて滅びた肉体を復活させるという。
「奴は言った。千年後、己が復活した際は、また【私】が相手をしろとな」
「相当嫌われたのか、もしくは気に入られたのか……面倒なのに粘着されたもんだな」
ふと、あることに気づく。
「じゃあ、紅龍の器になった奴も不老不死になったのか?」
「……彼は、サタンとの戦いで死んだ」
「そうか」
「だが、彼がいたからこそ、奴を倒すことができた。それに……今は彼の息子が、紅龍の器として覚醒している」
「息子?」
「ああ、名は大和と言って、とにかく、そう……とても元気な少年でな。一緒にいて飽きない。日向のような明るい性格は、父親譲りだろうな。座学は少々苦手なようだが、機転が利く。剣の腕も悪くない。出会った頃はまだ小さくて、いつも私の後ろを雛鳥のようについてまわって……」
「お前そんな早口で喋れたんだな」
「……!」
「なんつーか……お前がそいつをめちゃくちゃ気に入ってるのは伝わったぜ」
フェンリルは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながら言った。夢中になってしゃべるバアルはとても可愛らしいのだが、知らない男を話題にされるのは面白くない。
指摘されたのが恥ずかしかったのか、バアルは咳払いをして、話を切り替えた。
「数ヵ月前までは、鷹天之原で復興の手伝いをしていたが、ようやく落ち着いてきたから国を出た。呪いの件はごく限られた者しか知らない。だが……歳を取らない私を見れば、いずれ誰かは不審に思う」
「だろうな」
不老不死だと広く知られれば、それが七獄王の呪いの産物とはいえ、バアル自身はもちろん、バアルと親しい者に、多かれ少なかれ災いが降りかかるだろう。世の中には、自分の欲望を満たすために、信じられないほど残酷になれる者たちがいるのだから。
「そして……ブリュンヒルデのギルドでお前に出会った」
「ああ、オレも憶えてる」
「初対面から口説いて来られて、無礼な奴だと思った。ジーク、ロスヴァイセ……行く先々でつけ回されて煩わしいと思っていた。だが……」
「だが……?」
「お前は、世間に疎い私を何度も助けてくれた。今回の仕事も、お前がいたからここまで来れた。礼を言う」
「礼を言われることじゃねえよ。惚れた相手のために働くのは当然だろ」
フェンリルはバアルの手の上に、自分の手をそっと重ねた。彼は拒まなかった。
「バアル……その不死の呪い、解きたいか」
目をまっすぐ見つめて訊ねた。
不老不死とは、呪いであると同時に、人によっては祝福でもある。喉から手が出るほど欲しがる権力者も少なくないだろう。
「当然だ。双龍は輪廻転生を繰り返すことで力を増していく。私が死ななければ、蒼龍は次の器に転生できん。甦ったサタンは以前よりも強大な力を得ているだろう。千年後……奴との再戦で双龍が敗れるようなことがあってはならない」
「……お前が神サマに好かれる理由が分かるわ」
フェンリルは、はぁ~と深いため息をついた。
呆れてしまうほど情が深い。しかし、この高潔で愛情深い男に、自分は心底惚れてしまっている。この男の愛情を独り占めできたら、他に何もいらないほどに。
「卵をコウゲツに届けたら、今度はお前の呪いを解く旅にでも出ようぜ」
「……なに?」
「オレが死んだ後に、お前が他の誰かと再婚するなんてことがあったら嫌だしな」
そう不敵に宣言して、バアルの顔を覗き込む。彼の瞳には珍しく戸惑いの色が見えた。
「私は……」
バアルが口を開く。
「色事は、よく分からない……」
「いいさ」
彼の形のよい唇を優しく舐める。
続けて頬を労わるように舐める。
狼獣人の愛情表現だ。
「オレが一から教えてやる」
腰を抱き寄せ、耳朶を舐めながら囁く。
「バアル、愛してる」
「んっ……よ、よせ……人前だぞ……っ」
「どうせ誰も気にしちゃいねーよ」
「そういう問題では……やめろ、こそばゆい……」
フェンリルは嬉しくて浮かれていた。仕方がない。バアルがようやく自分を受け入れてくれたのだ。今も本気では抵抗してこない。照れているのだ。あのバアルが! 照れた姿のなんと可愛いことか。可愛い。愛おしい。触りたい。もっと触りたい。彼の深いところまで。彼がまだ、誰にも許していないところまで。
(あァ~~、ヤりてェ~~ッ!!)
生真面目なバアルのことだ、仕事が終わるまでは、そういう行為はおあずけだろう。フェンリル自身も、こんな厄介な卵はコウゲツに押しつけて、早く安心したかった。
「なぁ……」
「なんだ」
「この仕事が終わったら、お前を抱かせてくれ」
「……考えておいてやる……」
バアルの濡れた耳が朱に染まる。
フェンリルは、ニヤけそうになるのを懸命に堪えた。
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