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15.印章
黒髪の幼子は、やはりあの竜の卵から孵った、シャノンとクエレブレの子どもだった。
「つまり、このガキは一晩でここまで成長して、オレらのベッドにもぐり込んでたってわけか?」
「そういうことになるな」
「……で、なんでコイツは、バアルにこんなべったりしてんだ?」
渦中の幼子は、フェンリルの隣席に座るバアルのまたとなりに、椅子を彼の方へギリギリまで寄せて座っていた。服はとりあえず零のシャツを着せられている。おぼつかない手つきで朝食のスープと格闘している子どもの世話をしているのは、使い魔の紅梟たちである。
「バアルお兄ちゃんは、ここに来るまで、ずっとぼくを守ってくれたし、ここに来てからも、毎日ぼくの様子を見に来てくれたもん」
幼子がにこにこしながら告白した。
喋れたのか……と、フェンリルは内心驚いたが、それよりも先に確認しなければならないことがある。
「たしかか? 様子を見に行ってたってのは」
と、バアルに訊ねた。館での滞在中、ふたりはほとんど一緒にいたが、ずっと一緒だったわけではない。
「……事実だ」
「……どうやら、彼は卵の中から君たちのことを視ていたようだ」
バアルの肯定を受けて、向かいの席のコウゲツが口もとに手を当て、思案顔をつくる。そして、「相談なのだが……」と切り出した。
「君たちがここを発つとき、この子を、君たちに同行させてやってはくれないだろうか」
「おい、いくらなんでもそいつは……」
「フェンリルおじさんっ! ぼく、足手まといにはならないから……いっしょにつれてって!」
「お、おじ……!?」
無邪気な発言に少しショックを受けているフェンリルに、コウゲツが畳みかける。
「この子に多くのものを見せてやりたいというのは、シャノンの願いでもある」
「あんたがやってやりゃあいいだろ。つうか、シャノンはそもそもあんたを頼ってたんだし、それが筋じゃねえのか?」
「……私にはまだ、解決しなければならないことがある」
「へえ……そりゃ親友のガキの面倒を新婚に押しつけるほど大事なことなのか?」
「……」
コウゲツが沈黙すると、となりで話を聞いていた零が、真剣な表情で口を開いた。
「フェンリルさん、バアルさん……オレからもお願いします。これから先、オレと一緒にいることは、その子にとってとても危険なんです」
「あ?」
「十夜さんは、オレに憑依しているアスモデウスを白儀で調伏してる最中です」
「…………冗談だろ!?」
零が右手の手袋を外す。手の甲に赤く浮き出た忌々しい印章を見せられた瞬間、フェンリルは反射的に椅子から立ち上がり、零へナイフを向けていた。手前にあった心許ない果物ナイフだ。銃は部屋に置いてきてしまった。
ほぼ同時に、コウゲツが立ち上がった。右手を前に突き出しながら、フェンリルを見据える。すると、三秒も経たない内に部屋中の刃物がコウゲツのそばへ集まり、フェンリルへ切っ先を向けた。
「武器をおろしてくれ。君を殺したくない」
「オレだって死にたくねえよ。──けど、そんなの見せられて引き下がれるか……!」
七獄王の顕現の器に選ばれた者は、身体のどこかに印章が浮かび上がる。零の手の甲に刻まれていたのは、七獄王の一柱、《色欲》の大魔アスモデウスのものである。
そして、器に選ばれた者が自害、あるいは第三者による殺害で、大魔の顕現は阻止できる。
「ナイフを置け、フェンリル」
そう告げたバアルは、さり気なく竜の子どもを背中に庇っている。
「七獄王のヤバさは、お前もよく知ってるだろ」
攻撃体勢を崩さぬまま、フェンリルはコウゲツを睨みつける。
「コウゲツ……あんただってそれを知らねえわけじゃねえだろ。そんなに弟子が可愛いかよ」
「我が命をかけて護ると誓った大切な存在だ。誰であれ、この子を害そうとする者は許さん」
「あんたのその選択が、大勢の命と尊厳を危険に晒してんだぞ」
「……わかっている。万が一、顕現の兆しがあれば、私が零を……。この役目だけは、誰にも譲るつもりはない」
言葉以上に、研ぎ澄まされた黄金の瞳がすべてを物語っていた。覚悟を決めている者の目だ。心を殺して、大事を為せる者の目だ。このままフェンリルが零に襲いかかれば、コウゲツはフェンリルを殺すだろう。
(クソが……分が悪すぎるっ)
相手は最強の魔術師。しかも、ここは彼のテリトリーで、どんな仕掛けがあるか分からない。コウゲツに執心している零に、自殺する気はさらさらないだろう。
バアルが手を貸してくれるなら話は大きく違ってくるが、彼に戦う意思がないのは明らかだ。
(オレに何かできる領域じゃねえ)
そう頭では分かっている。分かってはいるのだが、父や母、戦場で散った仲間たちの顔が脳裡をよぎる。──もうたくさんだ。あんな悲劇を繰り返したくない。
「──フェンリル。私は、もう大事な者にいなくなってほしくない。それに、お前は私の呪いを解くと言った」
「……!」
「あの言葉は、私を口説くための嘘だったのか?」
フェンリルはハッとした。自分の命より大切な番の言葉を、狼は無視できない。
(オレとしたことが……)
七獄王に対する怒りと恐怖で目が曇っていた己を恥じる。
(……ここで死んだら、それこそ無駄死にだわな)
自己満足で死ぬつもりはない。バアルと生きたい。彼の最期を見届けてから、自分も彼の後を追うのだ。
「本心に決まってるだろ」
そうバアルに答えて、コウゲツに問う。
「勝算は?」
「ある」
「……そういや、お前のそれは色が薄いな」
零の印章を見ながら言った。
「皇帝の印章は、もっと赤黒かった」
「見たのか、実際に」
「まあな」
コウゲツが少し驚いたような顔をしたし、バアルの視線も感じた。それだけ、実物の印章を間近に見る機会があり、かつ生き残っている者の数は限られている。大魔が完全顕現した後ならば尚更である。
「バアル……元帥の印章はどうだった?」
「……赤黒かった。それに、纏う気配がすでに人のものではなかった」
「そうか、オレんとこもだ」
実際、零に告白されるまで、彼がアスモデウスにとり憑かれているとは夢にも思わなかった。白儀が効いているということなのだろう。
「……ったく、分かったよ」
フェンリルはナイフを捨て、両手を上げて降参のポーズをした。コウゲツも手を下ろすと、刃物たちは元の場所へと戻っていった。場に満ちていた緊張感が霧散していく。
「三人で話せるか?」
フェンリルの提案にコウゲツが頷く。
バアルが移動しようとすると、竜の子が椅子からひょいっと飛び降りた。
「ここで待っていろ」
そう告げたバアルを、つぶらな瞳で見上げる。
「バアルお兄ちゃん、帰ってくる?」
「ああ」
「……わかった! ぼく、お兄ちゃんが戻ってくるまでいい子にしてるねっ」
※※※
書斎に移動すると、フェンリルは先の行動を謝罪した。
「さっきは悪かったな」
「お互い様だ」
「……アスモデウスに関してはあんたに任せる。オレが聞きたいのは、あの竜のガキについてだ。あんた……さっきオレが殺気立ったとき、オレじゃなくて、あのガキを警戒してたろ」
バアルも気づいている。だからこそ、黙ってコウゲツからの答えを待っていた。
ふたりの視線を正面から受けとめて、美貌の魔術師は口を開く。
「……あの子は強大な魔力を秘めている。おそらく、魔力の総量ならば七獄王にも匹敵する。今後の環境次第で、世界の守護者になるか、破壊者になるかが決まるだろう」
「おい……ヤバそうなのはなんとなく分かっちゃいたが、そういうレベルかよ……。ますます分からねえ……アスモデウスの件であんたが手一杯なのは分かる。……けど、よくこんなしがねえ傭兵どもにそんなガキを押しつけようと思ったな」
「謙遜を……。恥ずかしい話だが、私には信頼できる者が限られている。君たちはここまでたどり着くことで、その強さと誠実さを証明してくれた。君たちのそばにいれば、あの子はきっと、世界にとって最良の選択をすると思う」
「あんたにそこまで認めてもらえて光栄だけどよォ……」
「これは依頼という形にはしたくない。だが、礼はするつもりだ」
「礼だと?」
「──不死の呪いを解こう」
フェンリルが胡乱な目つきでコウゲツを見る。
「……あんた、前に無理だっつったろうが」
バアルにかけられた呪いの件は、滞在中に相談済みである。自分たちにとって、不死の解呪がどれほど切実な願いかは、彼も十分理解している筈だ。
「あのときは『難しい』と言ったんだ。私が魔術師としての力を失うことを代償にすれば、おそらく呪いを解くことができる」
「……本気か?」
「だから、零をアスモデウスの呪縛から解放するまで待ってほしい。私は彼を救いたい。そのためなら、この力を失っても構わないと思っている」
(……本気なんだな)
フェンリルは認識を改めた。コウゲツに対する零の強い執着は分かっていたが、コウゲツも相当である。
フェンリルはバアルへ顔を向けた。
「お前はどうしたい?」
「私に聞くのか?」
「だよなぁ……」
「……だが、シャノンの依頼のときは、私の独断で決めたようなものだからな……今回は、お前の意思を尊重する」
「え」
それ以前の仕事もけっこう独断で決めてたぞ……とは口にしないフェンリルだ。
(現状、呪いに関しては、頼みの綱はコウゲツだけだしなァ……)
そもそも、ここで断ったらバアルにどう思われるか……。
「お前、ちょっとズルくなったよなァ……」
「?」
ふたりきりの新婚旅行計画は儚く消えたが、しょうがない。
「ガキは連れてく。……約束は守れよ?」
コウゲツが頷くのを見て、フェンリルはため息をついた。ため息ついでに、つい意地悪なことを訊ねる。
「これまで至れり尽くせりだったのは、卵が孵化するまでオレらをここへ留まらせるためか?」
「違う。あの子は予定よりだいぶ早く生まれた。……よほど早く会いたい者がいたんだろう」
そう言って、コウゲツはバアルを見て、ほんの少し目を細めた。
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