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第一章 天に真の武有り

七神流は神の武なれば

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 その様子を愛情深く見ていた月女はわざとらしく咳払いをすると、

「姫様。まだ、後片付けがございます。ちゃっちゃっと終わらせてしまいましょ。この先直ぐに温泉宿の宿場町ですよ。早く湯あみがしとう御座います」

 と片手で顔を仰いで見せた。
 月女の優しい笑顔が億姫にじんわりと沁みこむ。
 笑顔で立ち上がる億姫だったが、何かに気付いて、直ぐに目を伏せた。

「月女、如何やら皆をすっかりと怖がらせてしまったようです。早く此処を立ち去りましょう」

 億姫の目線の先には茶店が在り、人で溢れかえっているのに、しんと水を打ったように二人に視線を集めて静まり返っている。
 月女は、固唾をのんでいる茶屋の皆の衆にお淑やかにそして優美に会釈をすると、

「皆様。ご安心ください。我等は真武七神流七神家の者。この街道筋を鎮めに参りました」

 大きくはっきりと告げると、億姫に向き直り、

「姫様。しっかりとご覧くださいませ。我等の武のその誇りが何処にあるのかを」

 そう言って、茶屋を白魚のような指先をそろえて示した。
 そこには、驚きと喜びの表情が次々に生まれていた。
 茶屋の中からどっと大きな歓声が沸いてゆく。
 百合の花の傍に佇む童も笑顔になっており、月女はぱちりと片目を瞑ってみせた。

「やったぁ、すげぇ……七神流だっ」

「ありゃあ神武装術だよ」

「おねぇちゃんたち。かっこいい」

 神武装術。何処かから現れる魔物と戦う為に、神々が、か弱き人を憐れんで授けてくれた武である。
 霊力を持たない者用の樞兵装、神気霊気妖気などを読み取り手繰りこれを操り術とする奏術士、自身の躰を拠り所として神の力が宿りし武神具を意のままに振るう神武装の装武士。

 何れも扱える事が適うものは少ないが、特に装武士は数が少ない。
 霊力に加えて心技体が備わり、神々に認められないと武神具を手に出来ず、装武士にはなることが適わないのだ。 
 それ故に人々に怖れと同時に憧れも抱かせる。それが装武士であった。

「初めて見たぞ。七神装武士っ」

 皆が興奮した様子で二人の美女に駆け寄ってくる。
 大勢がわいわい燥いでいる中、月女と目線を交わした薬売りが、誰に気付かれることも無く、そっと姿を消した。

「ちょっと娘さん。今のはどこで覚えたんだい」

「こんな別嬪さんが、装武士とはいやぁすごいねぇ」

 あれだけのことがあったのに、誰も怖がらず、笑顔で駆け寄って来る。

「み、皆様。私の事が怖くは無いのでしょうか?」

 戸惑う億姫に、茶屋の人々が代わる代わる笑顔で声を掛ける。

「だって、七神流の装武士様だろ? 明日死んでも誰も気にしねえような俺たちの、頼りになる守り本尊様に、罰当たりなことを考えるヤツなんざぁ、この神州にはいやしねえよ」

「嗚呼、全くだよ。お嬢さん、ありがとうね。痛くはなかったのかい?」

 茶屋の客が美女二人を取り囲みワイワイしていると怒声が響いてきた。

「ふざけんじゃないよっ。めでたいもんか」

 茶店の女店主が泣きそうな顔で怒鳴っている。

「緋炎袴組の奴らにこんな事しちまったら、皆終わりじゃあないか。あんたら旅の人と違ってあたしらここに根を張って生きているんだ。この後なにをされるか……」

 怯えている女店主に旅の飛脚が笑って肩をたたく。
 気丈なのかよくわからない女店主は、旅姿の飛脚に怒鳴りつけた。

「人が生きるか死ぬかって悩んでいる時にニヤケてんじゃじゃないよっ。このへっぽこ」

「へっぽこは酷ぇや。いいかい、よっく聴きな。あの娘さん達、いやあのお人たちがここに来たからにゃもう安心だ。なんせありゃぁ七神流の本家直参だよ。まさかの真武七神流本家。あの紋様は間違いねぇ。間近で見物たぁついているなんてもんじゃない」

 女店主はびっくりして目を見開いた。

「七神流本家って、あの降魔伏滅の七神流のそれも直参なんて……こんな田舎道に」

「そうだよ。有り得ねぇことが起きたんだよ。だから安心しろっていったろ。一人七武のあれだぁ、鬼も魔物もなんでもござれの装武士の大元締めで神武装術の本家本元。ゴロツキサムライに役に立たねぇ代官なんざ屁でもねぇよ。七神様が出たって言やぁ、化けも馬鹿も逃げ出すよ。ここの街道筋も枕高くして安心できるってもんだ」

 飛脚の男はありがてぇありがてぇと云いながら娘たちを取り囲む賑やかな輪に戻っていった。
 女主人は、

「そうかいあの七神流かい。しかも直参……夢物語じゃぁ無いんだねぇ」

と呟くと、申し訳程度の奥の間に祀っている、質素ながらも、丁寧に磨き抜かれている二つの位牌を眺めた。

「あたしのことを心配して連れて来てくれたのかい。父ちゃん、坊。父ちゃんの店と坊の大好きな団子、歯を食いしばって守って来た甲斐があったよ。あの娘さんたちのお蔭で今度こそ……ありがとう……」

 億姫は、街道に佇む男の子と目を合わせると、女主人に何やら告げようとしたのだが、月女が肩に手を置きそっと首を横に振り窘めた。
今度は感謝で小さく手を合わせる女店主の眼は少しばかり濡れていた。袖で拭うと顔をぱっとあげて、

「こらっあんたたちっ。大事な娘さんたちにそれ以上触ってんじゃないよ。あんたたちみたいのがよってたかると汚れちまうだろっ」

 これまた賑やかな輪の中へ押し入っていった。涙ににじんだ顔が笑顔でほころんでいる。
 仏壇には竹の一輪挿しに、たおやかにいけられた百合の花が、喧騒をよそに美しく佇んでいた。
 道端に裂いている百合の花は明るい夏の陽射しに、生き生きと誰にもさえぎられることなく輝いている。
 
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