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第五章『ブルー・オン・ブルー/若き戦士たちの挽歌』

Int.76『ブルー・オン・ブルー/『明日』、それが男の最後に賭けるもの

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 現れたボロボロの≪新月≫を一目見て、流石のマスター・エイジも驚き眼を丸くしていた。
『……正気ですか? そのスクラップ寸前の機体で、どうするつもりで?』
 我に返ったマスター・エイジが思わずそんな案じるみたいなことを言ってしまうほどに、目の前に立つ≪新月≫の姿は、痛々しいまでにズタボロだったのだ。
 左腕は肘から下がもげて喪失していて、頭部ユニットも装甲のあちこちが大きく凹み。脚部も膝や足首からいくつかの配線が飛び出していて、しかも機体のあちこちからは焦げ茶色のオイルが漏れ出している。
「へへっ……。あたぼうよ、こちとら退けねえ一線ってのがあるんだ」
 しかし、不敵に笑う彼の、白井の不屈の意志に呼応するかのように、≪新月≫のレンズが半分以上割れ飛んだカメラ・アイのゴーグルが、低く唸るように光る。
「教えてやるよ、色男。男にゃあ死んでも退けねえ一線ってのがあるのさ。それを越えられちゃ、死んでも死にきれねえ」
 白井はそう言いながら、軋む右手一本で抱えるドデカい滑腔砲――――墜落した時に取り落として喪失していたはずの、81式140mm狙撃滑腔砲の砲口を、目の前の≪飛焔≫目掛けて腰だめで突き付ける。
(コイツを拾えたのは、マジでラッキーだった)
 ≪飛焔≫に蹴られて地面に叩き落とされてから、暫くの間白井は意識を失っていたのだ。しかし目覚めて周囲を見渡せば、空の上で落としてしまったはずの狙撃滑腔砲が銃口を下に向ける格好で地面に突き刺さっていて。それを白井は再び拾い上げ、こうして≪飛焔≫とマスター・エイジの前に舞い戻ってきたというワケだ。
 とはいえ、その砲身はノーマル状態よりもかなり短く切断されてしまっている。地面に落ちた衝撃で砲身が凹んでしまっていたから、白井が近接格闘短刀で短く斬ってしまったのだ。
 射程は下がるが、悪いことだらけじゃない。ことこういう市街地での近接戦闘ともなれば、これぐらい砲身が短い方が取り回しやすいというものだ。
 故に、白井はこの一挺に全てを賭け、不利を承知でマスター・エイジの前に舞い戻ってきたのだ。幸いにして、まだ後ろ腰の弾倉ラックには、滑腔砲用の予備弾倉は残っている。
『フッ……』
 そうして≪飛焔≫の前で白井が仁王立ちをしていると、何故かマスター・エイジは至極おかしそうに笑い出し。
『ふふっ……ふふふっ……。面白い、流石は少佐の教え子だ』
 と、彼にとって心からの賛辞を、相対する≪新月≫とそれを駆る白井に向けた。
『しかし、宜しいのですか? 私としては、未来ある若者を見逃したつもりだったのですが』
「未来……ね」
 そうして、白井もまたフッと小さく笑い。「その≪叢雲≫、今からトドメ刺そうとしてたんだろ?」と逆に問い返す。
『ええ、そのつもりでした』
 マスター・エイジがその問いをあっさりと肯定すれば、白井は「じゃあ、俺も退くワケにゃいかねえ」と言った。
「蒼いの。お前は俺を、未来ある若者っつったが……」
 オープン回線で目の前の≪飛焔≫に呼び掛けながら、白井はスッと片手で口にマッチ棒を咥え、
「――――俺が最後に賭けられるのも、その未来って奴なんだよ」
 ニッと不敵な笑みを浮かべながら、再びその右手で操縦桿を硬く握り締める。頭から紅い血が肌を伝う顔で、しかしその瞳は、まだ燃え盛る闘志の炎で満ちていた。
『……貴方は、本当に面白い男だ。敵にしておくには、勿体ない』
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ、蒼いの。お前が味方だったら、どれだけ心強かったか……」
『それはこちらとて同じことですよ、少年』
「違いねえ。くくくっ……」
『ふっ、ふふふっ……』
 そうして、白井とマスター・エイジ、二人の男たちはどちらからでもなく、二人不敵に笑い出す。互いに戦士として認め、心を通わせながら。そこに、言葉などという無粋なものは、もう必要なかった。
『……少年、名は?』
 すると、マスター・エイジがそんなことを白井に問いかける。
「名乗る必要、あるか?」
『君のような男と出逢うのは、本当に久し振りだ。お互い結果がどうなろうと、せめて君の名ぐらいは刻んでおきたい』
「明日を賭けるとはいったが、死ぬ気は無いぜ。どちらかといえば、名を刻むのは俺の方だ。……水くさい真似は止せ、蒼いの」
『私は君への礼儀を尽くしたいだけだ、少年』
 マスター・エイジにそう言われれば、白井もフッと小さく笑いながら肩を竦め。そうして、仕方なしに彼に名乗ってやることにした。
「…………白井彰。刻め、これが俺の名だ。これが、今からお前を殺す男の名だ」
『ええ、承知しました。刻みましょう、この胸に。アキラ、君の名を刻みつけようではありませんか』
「で、そっちは?」
『生憎と、本名の名乗るわけにはいかないのですが……。
 ――――マスター・エイジ。組織の者から、私はそう呼ばれています。本名を忘れ去るほどに、長く』
「……刻んだぜ、マスター。マスター・エイジ」
 そうしながら、白井は狙撃滑腔砲を構え。そしてマスター・エイジは、両手に持つ二振りの対艦刀をそっと構える。
「――――やるか、マスター・エイジ」
『ええ。参りましょうか、アキラ』
 そして、二人の戦いが始まる。己が明日を賭けた、最後の戦いが。
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