100日後に死ぬ彼女

変愚の人

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「アイ」のメールから1週間。私は動けずにいた。


あれがブラフなのかは分からない。そもそも、「強硬手段」とは何なのか。
脅迫として警察に連絡した方がいいとも考えた。だが、その場合エバーグリーン自由ケ丘のことも説明しないといけないだろう。それはリスクがあるように思えた。

丸井たちにこっそり電話か何かで連絡を取ればいいとも思った。通信傍受なんて、できるはずもない。
だが、盗聴の可能性は?一度、明美に不倫を疑われてこじれたことがある。人間不信の、あの女のことだ……ゼロではない。

私は書斎で天井を仰いだ。

会社では何とか平静を演じきれた。どんな時も冷静で温厚という「水元敬士」というペルソナを身に付けて、もう20年以上になる。
それが嫌になる時もあったが、今回ばかりはありがたかった。多分、私の異変には誰も気付いていないだろう。

妻や息子との不仲も、ある意味幸いだった。こうやって書斎に引きこもっていても、何の関心も示されないからだ。
真実は、墓場まで持っていく。そう、心に決めている。どんなにそれが淀んだものであっても、平穏に優るものはない。家族に余計な詮索をされずに済んでいるのは、僥倖だ。


だからこそ、だ。まだ猶予があるうちに、そして周囲が私の異変に気付く前に、どう「アイ」に対処すべきか考えないといけない。


私はジャケットを羽織った。廊下ですれ違った明美が私を睨む。

「また仕事?」

「いや、散歩だ。1時間しないうちに戻る」

「家事も何もしないで……いい加減にしなさいよ」

なら今更家事を手伝うと言って聞き入れるのか、と口まで出かかってやめた。もう明美とは、ほぼコミュニケーションが成り立たない。
離婚は簡単だ。だが、離婚歴があるのは、出世の妨げになる。来春には執行役員になることが固まっている以上、それはできない相談だ。

私は息を一つつき、「遅くはならない」とだけ言い残した。

*

休日のみなとみらいは、いつでも混雑している。特にカップルと家族連れの姿が多い。
みなとみらいのランドマークである大観覧車には、今日も長蛇の列ができているようだった。私があれに乗ったのは、もう何年前になるだろう。
ワールドポーターズを抜け赤レンガ倉庫の方に向かう。大道芸人のジャグリングに人だかりができていたが、私はそれに目をくれず海を目指した。

思索にふけりたい時にこうやって横浜港を何のあてもなく散歩するのが、この10年ほどの習慣になっていた。書斎にこもるよりは、余程健康的だ。
彼方に風力発電の羽根が見えるベンチに、私は腰を下ろした。……さて、どうしたものだろうか。

私はスマホを取り出した。ここでなら、盗聴の可能性は万に一つもない。
問題は、誰にかけるかだ。丸井はどうだ?何らかの対処ができるような口ぶりだったが。
……だが、学生時代からどうもあいつは信用しにくい。協力の結果、何かを要求されそうな気がする。
大仏は?あいつもあいつで薄情な面がある。「お前の知り合いじゃないのか、自分で何とかしろ」と言われそうな気がした。
残るは、柳沢。金にうるさい奴だが、逆に言えば後ぐされはない。ただ、2人だけの秘密にするほどの、口の固さはない。

そもそも、エバーグリーン自由ケ丘の件でつるむようになった、腐れ縁だ。信頼できる友人かと問われると、自信がなかった。
……「アイ」についてはブラフと見切って、このままやり過ごすべきだろうか。



その時、私は自分に向けられた視線に気付いた。


「……!?」

20メートルほど離れた所から、少年がこちらを見ている。10歳ぐらいだろうか?親は近くにいないようだ。
目を引いたのは、その格好だ。水色のジャケットに眼鏡。蝶ネクタイこそないが、彼は有名な国民的漫画の主人公によく似ていた。コスプレ、とでもいうのだろうか。

少年は私を鋭い視線で見つめている。何だというのだろう。

私は再びスマホを弄り始めた。他に、秘密を厳守してくれそうな相談相手はいないものか?探偵?どれ程の口止め料が必要なのか……



「おじさん」



急に、目の前で声がした。……さっきの少年??



私はスマホを落としそうになるのをこらえ、できる限りの作り笑顔を浮かべた。

「な、なんだい」

「これ、渡してほしいって」

少年はメモを差し出した。そこには、たった一文が書かれていた。


『私たちは、あなたを見ています アイ』


毛穴という毛穴から、汗が一斉に吹き出る思いがした。さほど暑くもないのに。


「な、何だこれはっ!?」

「僕は託されただけだから」

「コナン」似の少年は、そのまま歩き去ろうとする。私は思わず、彼の手を掴んだ。

「誰に託されたんだ!?」

「痛いな……その人は、ここにはいないよ。僕は、あなたがここに来るだろうことを知ってただけ。その人に会いたいなら、埼玉県に行かないと」

「……!!」


「アイ」のメールにもあった、鶴ケ島市か!?


「君は、ア……いや、その人とどういう関係なんだっ」

「知り合い、かな。じゃあ、親が向こうに待ってるから」

「待てっ!!そもそも、君は何なんだっ!?」

「……ただの小学生、だよ。少なくとも『今』は」

「コナン」似の少年は、そう言うと静かに去っていった。


私はベンチの背もたれに身体を預け、曇天を仰ぐ。……何だ、これは。


あの少年は、多分ただの少年ではない。「アイ」の一派なのか?
そもそも、「アイ」には複数の人間が協力していたのか?このメモを見る限り、それはもはや間違いない。
ならば、それは一体何者なのだろう。少年をメッセンジャーとして使ったり、私の行動パターンを把握していたり、明らかに常軌を逸している。


だが、確実に分かったことがある。それは、「アイ」のいう「強硬手段」は、ブラフではどうもなさそうだということだ。


何分、そうしていただろうか。日が落ち始める頃、やっと私はベンチから立ち上がった。
……もう、これしかない。

*

アイ様

水元です。ご返信遅くなり、大変申し訳ありませんでした。
諸事情勘案した結果、ご相談に乗りたく存じます。
つきましては「カフェ・ドゥ・ポアロ」の住所をお送り頂けないでしょうか。
来週日曜に伺いたく存じます。ご希望の時間をご指定ください。

よろしくお願いいたします。

水元

*

「送信」をクリックし、私は大きな溜め息をついた。もう、後戻りはできない。


「アイ」に会えるまで、あと1週間。その真意だけは、問いただす。



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