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子供の死体
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清潔そうなクリーム色の、冷蔵庫の下半分は冷凍庫だ。開けるとひんやりとした空気が肌に当たる。中に仕切りや、製氷機は無い。冷蔵庫を買った時には、初めからそれらが付属していたが、私は初日に全て取り外した。あるものを入れるためだった。
開いたドアの向こうに、青白い手足が見える。体育座りをするような体勢で、しかし力なく折りたたまれている。半開きの瞼から、生気の無い虚ろな両目が覗く。じっと私を見ていた。彼女は子供の姿のまま、大人になることは無い。
私は彼女に何か言おうとして、唇を開き、やめた。冷凍庫の扉を閉める。その姿は視界から消える。
よく晴れた日だ。暖かで平穏な道角に、でっぷりとした大きな背中が見えた。不格好に歩く姿は、こんな良い天気の日に似つかわしくない。後ろ姿でもわかりやすい巨体は、知人の五藤君だろう。五藤安隆、見た目は醜くとも内面の優しい人だ。
早足で彼の背を追う。もたもた歩く彼を容易に追い越せる。追い越してから振り向いて、彼と顔を合わせると、彼は小さな目をこころなしか見開いて驚いていた。彼の肩が一瞬小さく跳ねる。
「やっぱり五藤君だったね。久しぶり」
「元木さん」
彼は驚きつつも足を進め、私の隣に来る。困惑だろうか、少しの間をおいて、こぼれるような笑顔を覗かせた。久しぶり、と彼は言う。並んでゆっくりと歩く。どこへ行くの? へえ、帰るの。私は少し小腹がすいたんだ、外食したい気分……あなたは?
ファミレスと喫茶店の中間のようなお店がある。洗練された雰囲気というよりはずっとカジュアルで暖かみのある、大型店舗だ。私は五藤君とそこに行き、奥のテーブル席に案内されて、軽食を摂っている。五藤君は「初めて来た」と言って壁に掛けられた絵を見ていた。落ち着くね、と一言こぼしてお茶を飲む。気に入ったようだ。
話していく内に、最近変わったことがあったか、という話題になった。久々に会う友人相手の、鉄板の会話だ。彼は短大を卒業して、今年から社会人だから、今は全く新しい環境に慣れようとしている最中らしい。同い年なのに、私は学生のままでいるのが、少し置いて行かれるようで寂しかった。
「健康診断とか僕、引っかかったこと、今まで一度も無かったんだけどね。なんか会社で義務だって言われた精密検査を受けたら、再検査、再検査って。初めてだよ」
五藤君は不安そうな様子に見えた。
五藤君と私は、高校時代からの付き合いだ。元同級生である。そう長くはない記憶の中で、彼が病気を患っていた期間は無かった。インフルエンザが流行して学級閉鎖になった時にも、彼は直前まで登校していたようだし、卒業式では小中高と無欠席だったことを表彰されていた。彼には病とは無縁だという印象がある。彼自身もそう思っていたのだろう。
「健康すぎるから引っかかってるんじゃない?」
冗談めかして言った。持っていると健康になる菌が発見されるとか。それか単に肥満とか。彼は不安そうな表情を笑みの形に変えた。
他にもいくつかの話題が出て、穏やかな時間は過ぎていく。わたしの大学での研究については、五藤君は目をそらしながら窺うように聞いてきた。
「まだあの研究続けてるの?」
「もちろんよ」
毅然と答えれば、彼は否定の言葉を何一つ言わない。彼以外の多くの人は、こうはいかない。
「……好きなことに一所懸命になれるの、素敵だと思うよ。頑張ってね……」
五藤君は優しい。それに、誠実だ。私は彼のこういう部分を、好ましいと思っている。
切り上げるには良い時間が経った。会計の時に、五藤君が、社会人だから自分が奢ると言った。私はそんなつもりで誘ったわけではない。院まで行くつもりなのだと話した。
「あと何年もずっと奢り続けることになるわよ」
それは嫌だな、と五藤君が笑った。次回は私が払うことにする。交互に出していけば公平だ。
開いたドアの向こうに、青白い手足が見える。体育座りをするような体勢で、しかし力なく折りたたまれている。半開きの瞼から、生気の無い虚ろな両目が覗く。じっと私を見ていた。彼女は子供の姿のまま、大人になることは無い。
私は彼女に何か言おうとして、唇を開き、やめた。冷凍庫の扉を閉める。その姿は視界から消える。
よく晴れた日だ。暖かで平穏な道角に、でっぷりとした大きな背中が見えた。不格好に歩く姿は、こんな良い天気の日に似つかわしくない。後ろ姿でもわかりやすい巨体は、知人の五藤君だろう。五藤安隆、見た目は醜くとも内面の優しい人だ。
早足で彼の背を追う。もたもた歩く彼を容易に追い越せる。追い越してから振り向いて、彼と顔を合わせると、彼は小さな目をこころなしか見開いて驚いていた。彼の肩が一瞬小さく跳ねる。
「やっぱり五藤君だったね。久しぶり」
「元木さん」
彼は驚きつつも足を進め、私の隣に来る。困惑だろうか、少しの間をおいて、こぼれるような笑顔を覗かせた。久しぶり、と彼は言う。並んでゆっくりと歩く。どこへ行くの? へえ、帰るの。私は少し小腹がすいたんだ、外食したい気分……あなたは?
ファミレスと喫茶店の中間のようなお店がある。洗練された雰囲気というよりはずっとカジュアルで暖かみのある、大型店舗だ。私は五藤君とそこに行き、奥のテーブル席に案内されて、軽食を摂っている。五藤君は「初めて来た」と言って壁に掛けられた絵を見ていた。落ち着くね、と一言こぼしてお茶を飲む。気に入ったようだ。
話していく内に、最近変わったことがあったか、という話題になった。久々に会う友人相手の、鉄板の会話だ。彼は短大を卒業して、今年から社会人だから、今は全く新しい環境に慣れようとしている最中らしい。同い年なのに、私は学生のままでいるのが、少し置いて行かれるようで寂しかった。
「健康診断とか僕、引っかかったこと、今まで一度も無かったんだけどね。なんか会社で義務だって言われた精密検査を受けたら、再検査、再検査って。初めてだよ」
五藤君は不安そうな様子に見えた。
五藤君と私は、高校時代からの付き合いだ。元同級生である。そう長くはない記憶の中で、彼が病気を患っていた期間は無かった。インフルエンザが流行して学級閉鎖になった時にも、彼は直前まで登校していたようだし、卒業式では小中高と無欠席だったことを表彰されていた。彼には病とは無縁だという印象がある。彼自身もそう思っていたのだろう。
「健康すぎるから引っかかってるんじゃない?」
冗談めかして言った。持っていると健康になる菌が発見されるとか。それか単に肥満とか。彼は不安そうな表情を笑みの形に変えた。
他にもいくつかの話題が出て、穏やかな時間は過ぎていく。わたしの大学での研究については、五藤君は目をそらしながら窺うように聞いてきた。
「まだあの研究続けてるの?」
「もちろんよ」
毅然と答えれば、彼は否定の言葉を何一つ言わない。彼以外の多くの人は、こうはいかない。
「……好きなことに一所懸命になれるの、素敵だと思うよ。頑張ってね……」
五藤君は優しい。それに、誠実だ。私は彼のこういう部分を、好ましいと思っている。
切り上げるには良い時間が経った。会計の時に、五藤君が、社会人だから自分が奢ると言った。私はそんなつもりで誘ったわけではない。院まで行くつもりなのだと話した。
「あと何年もずっと奢り続けることになるわよ」
それは嫌だな、と五藤君が笑った。次回は私が払うことにする。交互に出していけば公平だ。
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