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プロローグ

扉の先には

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 徹夜続きの一週間。

 カーテンの隙間から射し込む朝日によって起こされる。
 目を擦りながら重たい瞼を開くと目の前にはパソコンの画面。
 画面上のWordには、支離滅裂――意味不明な文章が打ち込まれていた。
 文章と呼べるのか疑わしいそれは、無意識下の中打ち込まれたものなのだろう。
 先程まで突っ伏していた場所にはキーボード。そのすぐそばには冷めたコーヒー。
 どうやら寝落ちしてしまったらしい。

 さすがに一日二時間の睡眠では身体が持たなかった。
 それでも六日は凌いだ。さすがに七日目にダウンしたのだが。

 目覚めのモーニングコーヒーを啜る。
 酸味が強いのは豆本来の味か? それとも一日経っているからか?
 まあ、どちらでも構わない。元々コーヒーの味なんか分かりゃしないのだから。
 そもそもインスタントコーヒーだから豆本来の味という選択肢は存在していない。

 一気にコーヒーを流し込む。
 苦味と酸味が絶妙にマッチしない。絶妙に不味いコーヒによって意識は完全に覚醒する。
 それと同時に腸内活動も活発になる。その働きは優秀で、すぐさま腸内の異常を感知する。
 ぎゅるるるるぅ、と警報を鳴らす。

「あっ、漏れる」

 腹を押さえながらトイレへと向かう。
 長期戦が見込まれる。何もないのはさみしい。暇だ。
 そこで、普段は乱雑に机の一角に積まれた本の一番上を手に取る。
 薄らと白んだ本の表紙を手で払いながら、扉を閉めた。
 脱力し、一息つくと、トイレに持ち込んだ本を改めて見る。

「はずれだ」

 持ち込んだ本のタイトルは『サルでもわかる経済学』。一応は専門書だ。
 大学の講義のために買わされた教科書だ。
 大学生だと言うのにサル以下という扱いに一時は憤りを覚えたが、講義が始まってみれば何も理解できなかった。教授のサル以下という評価は、あながち間違っていなかったらしい。

 かの有名なノーベル賞にも部門が設けられているような学問なのだ(ノーベルの意図したものではないらしいが)。
 学校嫌い、勉強嫌いの人間に理解できるものではなかったのだ。

 ちなみに彼が専攻しているのは芸術学。さらに細かく区分すると美術、つまりは頭は要らない学問である。
 もちろん頭のいい人間もいれば、頭がよくなければ入れないような専攻も存在する。
 ただ、彼はそういった専攻とは無縁の実技畑だと言うだけの話だ。

 結局、籠っていた十数分の間一度も本を開くことなく、ウォシュレット機能を使った彼――黒羽夜一は本を片手にトイレを出る。

 時計に目をやるとすでに一限目の講義が始まっている時刻だ。
 遅刻は間違いない。だが、行かないわけにもいかない。
 すでに何度か講義をサボり、あと一回出席しなければ単位を落としてしまう。
 仕方がない。久しぶりに大学に行くか。

 夜一は中身も確認せずにリュックを手に玄関へと向かう。
 時間がない中で、ドアチェーンを外すのに手こずり、舌打ちをする。

 やっとの思いでドアを開けると、

「……」

 夜一は首を傾げる。

 全く知らない場所だった。
 コンクリートジャングルであるはずのそこは、石畳によって舗装された道が走っていた。
 周囲の建物も、石造りの西洋建築が建ち並んでいる。

 夜一は、一度自分の部屋へと戻ろうと扉を開ける。

 ――カランカラン。

 ベルの音が鳴り響く。
 夜一の玄関のドアにはベルなどついていない。
 それに中の様子もおかしい。

 部屋の中からかけてきた少女が、穏やかな口調で言葉を紡いだ。

「ようこそ、《ジャンク・ブティコ》へ」
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