水底のアジュガ 上

泡井 月

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噂は遠くから

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 その日はライラの席の周辺でプチお祭り状態になってから、わたしも巻き込まれ、紅成に助けられたり紅成の追っかけに振り回されたりしながら、なんとか一日を終えた。
 六月に転入となると、すぐにプール開きが始まる─のだけれど、ライラの分の水着はそもそも持っていない。わたしだって正直サボりたい。まあ、それはそれで置いといて。まず、前の学校でプールの授業がなかったからまだ準備が間に合っていないという点と、次にライラの肌の弱さ(人魚的な意味もあるが、人間的に日差しやプールの水に含まれる薬の成分が肌に良くないとかそういうやつだ)を鑑みて、結果として、ライラはプールの授業を全授業分見学ということになった。
 無理矢理な理由付けとして肌の弱さと言ったように思えるが、ライラはどうやら、嘘ではなく本当に肌に何か異常があるらしい。
「具体的に例を挙げるとね」
 ライラは長い髪を片側にすべて寄せて、やわらかい仕草で目を伏せた。
「うん」
 また見惚れそうになる。
「まだ人間になったばかりでしょう? 私。それに、本来の人喰い人魚なら、人間になんかなろうとしちゃいけないのよ」
「え、なんで? 人喰いをやめるために、陸に上がり始めたんじゃなかった?」
 そんな話最近してたじゃん、と何も考えずに言う。ライラはふふ、と笑って続けた。
「じゃあ、ヒントね? 陸と海は──」
「……あ、なるほど。世界が別だから、ばらばらにね。生きていなきゃって、言ってたね」
「そう」
 正解。ライラはさらに続けて言う。
「でも私は、贖(あがな)いをしなければならないお母さまの代わりに人間になってしまった。本来、代役はしてはいけないのだけどね。─ああいえ、後悔はしていないのよ。決してね。決まりを破ってしまっただけよ。私は必要だったと思っているわ」
「……代役もだめなんだ?」
「そう。だからつまり、そういう行いをしている私を、天はお赦しにならないみたいね。だから、まだ人魚として生きていようとする力が、本能的に抑制できないの」
 わたしは「天?」と首を傾げたけれど、ライラは構わずに続けた。
「そうねえ、まずは、……美羽、あなた今、ずばりドーナツが食べたいでしょ!」
「……な、なぜばれた」
「読めちゃうのよ」
「よめちゃう?」
「読めちゃうっていうか、見えちゃうっていうか、聞こえちゃう? ……うーん、難しいわね」
 読めて見えて聞こえちゃうらしい。心の中がってことかな。五感のうち三つも使っていたら、それは確かに制御も難しそうだ。
「私と心が近ければ近い人間の心ほど、手に取るように読み取れてしまうの。美羽なんかは、何も意識しなくても勝手に入ってきちゃうから、困っちゃうわ」
 そんなに困ってなさそうに見えるけどなあ。おかしいなあ。ライラの楽しそうな顔からはとても困っているようには感じられない。思わず「ほんとぉ?」と聞き返すと、ライラは相変わらず「ふふ」と小首を傾げて、上品に、あるいはあざとく笑うだけだった。
 人魚の力として、これから想定できるうちの起こり得ることと言えば、うっかり鱗が生えてきてしまうこと。それは当然驚かせてしまうし、プールに入れないのはこれが理由だった。
 理由は肌だけではない。ライラが歌を歌うと誰もが魅了されて、聴いていたその場の全員が宗教のごとくライラを崇め始めてしまう。海の中でも起こったことだから、きっと陸の上でも起こり得る可能性は十分にある。それはとても困る、とライラは言った。
 それはあれか、オンディーヌとか、ローレライとか、そういったあれなのか、と尋ねると、やはりそうらしかった。ライラの一族である人喰い人魚の存在は、長い長い年月を生きるうちに、様々な伝承を重ねた都市伝説のような存在になってしまったらしい。ようなというか、都市伝説そのものかもしれない。そう思っていた矢先、ライラも同じように言った。
「私たちはいつしか、人間が作り上げた都市伝説そのものになったの。最初は人間が助けてって言ったのよ。それなのに、おかしいでしょう? おかしいことがおかしいって言えないまま、いつしか長い長い時が経って、なりたくもなかった人喰い人魚を、今度はやめなきゃいけない羽目になったの」
 でも、私たちが恨んでいいのは罪だけ。
 人は、恨まないの。

 さみしくて、どうしようもなかった。空っぽの浴槽に身を置いている感じ。湯が溜まっていくのをじっと待っているあの感じ。さみしい。人間は、人魚に救いを求めたくせに、結局要らないと突き放したのだ。

 つまり、ライラの話を聞く限り、人喰い人魚を勝手に作ったのは人間ということだ。罪を食べて贖いとする彼らではあるけれど、元はと言えば人間のせいではないか。怒るべきは人魚たちなのではないか。

 わたしたち人間は、やっぱり怒る資格なんかないよ。
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