水底のアジュガ 上

泡井 月

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なつかしい鱗

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 変だと思ったんだよ。
 校長が不自然に機嫌良く廊下を歩いてるのが、気持ち悪くて仕方なかった。あの機嫌の良さは、噂通りなら「これからしようと思っている収集のことで頭がいっぱいなとき」か、「揃った美しいコレクションについて思いを馳せているとき」の二通りらしい。
 確かにまあ、顔色の良さというよりは、機嫌の良さだよな。こう、今にもスキップしながら歌い出しそうな感じ。喜びがもう、狂気的な感じ。
 俺は校長が向かうのが校長室以外にないというのは知っていたから(職員室には滅多に入らないと他の教職員が話していたし、もちろん校長室にも同じように、校長以外入室できないからだ)、そのまま後を追わずにまずは職員室に行った。
 職員室に向かうまでに誰かしら教職員にすれ違うはずだから、適当な教職員に声をかけて「校長先生に連れ添っていた生徒の体調が優れなさそうに見えたが自分からは距離があったのでひとまず人を呼んだ」というていでまずは第一段階。
 次にわざわざ遠回りをして、校長室に向かわずに外から事務室へ行く。
 窓から事務室を覗くと、事務のおばさんは噂好きだから、噂話に花を咲かせている。もちろん校長の噂なんかとうの昔から知っているし、生徒の噂よりも信憑性が非常に高い。ので、おばさんに媚びを売る。
 情報を聞き出している間に、校長室に向かうご機嫌な校長を横目に適当な頃合いで事務室を後にする。俺はありがたいことに顔がいいので、第二段階も難なくクリア。
 最後に、校長室へ向かう。
 昼の様子からして、きっと校長の次の狙いは人魚ちゃんだと確信していた。狙いが人魚の鱗か血肉か知らないが、どうせ収集なら全身丸ごと収集するだろう。それなら校長しか入れない校長室に直接来てもらうのがいちばん手間が少ないし、他人にもバレにくい。
 一応俺の人権とプライドと何らかを守るために言っておくが、俺の思考がサイコなのではなく、校長がしそうなことを想定しての思考である。
 しかしまあ、十二分にやばいことは分かっているので、当然と言えば当然心臓はどくどく脈打っていた。
 生徒の噂なんかはせいぜい、「転校生の芹沢来笑はハーフらしい」とか、「人間じゃないかも」とか、「人魚とかだったりして!」みたいな、曖昧かつ信憑性も全く見受けられない噂ばかりだったが、俺は、違う。
 真相を知っている。彼女が何をしたか知っている。彼女が過去に何を犯して何を償いたいのか全部全部知っている。
 そのために美羽を巻き込んだことも、誰よりも知っている。
 だから、助けたいのは美羽だけで、彼女に関してはどうでもよかったのだけれど、美羽のために償いたいと言うのなら、話は別だった。
 先ほど呼んでいた教職員というのは、この高校でいちばんガタイが良く怖いと言われている熊野という体育教師なのだけれど、実際本当に恐ろしいので、職員室に向かうまでに校長室の話だけなんとなく会った別の教師に話しておいた。俺だってあの教師とは授業以外で関わりたくないし、できれば会話したくない。怖い。シンプルに怖い。話したら案外そんなことないのかもしれないが。
「佐藤」
 ──数分経って名前を呼ばれた。声低いな。もう怒ってないか? 俺別に悪いこと何もしてないんだけど。
「ああ、熊野先生。あの、」
「話は聞いてる。校長室だろ。俺も前から気になってたんだ、行くぞ」
 えっ話早っ。俺が驚いている間にさっさと廊下を歩いて先に行ってしまった。
 慌てて後を追い、校長室に向かうと、途中熊野が「噂もたまには信じてみるもんだな」とだけ呟くので、「転入生のことですか?」と返すと、「ああ」と振り向いた。
「お前芹沢──ああ、髪が黒いほうな。転入生じゃなくて。あれと幼馴染なんだってな。心配だろ」
「は、はい」
 話してみれば案外、というのは本当だったらしい。熊野はニッと笑って「絶対守らねえとな」と言って、俺の「……はい」という返事を待ってからまた歩き出した。
「まあ、事の発端は教頭なんだがな。親族を喰い殺されただかなんだかは知らねぇが、生徒を呼び出すほどかね」
「え、そっちは初耳です」
「そうか。でもまあ、最近の校長がおかしいってことは、校内全員が薄々気付いてることだ。もう警察は呼んである。安心しろ」
「マジすか」
「マジ」
 初めて教師に対して、もしかしてめっちゃいい先生じゃね? という感想を抱いた気がした。このままいい感じのロックが流れて、しんみりとした気持ちでエンディングを迎えられそうな感じの。廊下を歩く熊野の姿が流れて、それを笑顔で追いかける俺。で、下にクレジットが流れる。校長室に着いたタイミングで、次回に続く──

 ピーーーーッ、と甲高い大きな音がして、俺の妄想は一瞬で掻き消された。驚きで一旦動きが止まる。なんなら熊野は「なんだ!? 火災報知器か!?」と慌て出したので「校長室の扉、ゴリ押しで開けられますか、先生」と提案した。
「いける、任せろ、──うわっ!?」
「……え」
 ゴリ押しで開ける前に、美羽と人魚ちゃんが勢いよく開いた大きな校長室のドアから飛び出してきた。ドアとその衝撃と、美羽、人魚ちゃんの雪崩に殴られる熊野。そして最後に、呆然としてしまって力なく動けない俺。
「あ、紅成。ライラが校長を眠らせたんだけど、一応先生呼びたいから手伝って」
 ……ん? あれ?
 想定の中では怯えていたり深刻な顔で俺に助けを求めてくる予定だった美羽は、人魚ちゃんの横で、「わたしはこの通りなんでもないのであんたはあんたの仕事をして」と言いたそうな顔をしていた。どうやらあの笛の音の後に、人魚ちゃんが自身の力で校長を眠らせたらしい。周波数だか、歌ったんだか、物理的に捩じ伏せたのか。この状況ではまだ分からないが。
 ただ今言えることは、美羽が今必要としている先生の助けは、美羽が自分で可能性を潰した、というだけだった。
「あー、あのね。その先生、君が今、ドアで殴った」
「え?」
「熊野、呼んだの、俺」
「ガチ?」
「ガチ」
 過去最高に気まずい空気が流れた。熊野はじっとしており動かない。
「どうしよ」
 ──しかしやはり、恐れられているだけあって熊野は強かった。熊野はすぐに起き上がって、「……心配するな、何ともない。それよりお前らは、怪我ないか」と美羽たちの心配をしてくれた。熊野の話では、じきに警察も来るという。
「えっと……物理的な怪我は、ないんですが、ライラが、ちょっと」
「何か言われたか」
「……にわかには信じ難い話を、たくさん」
「危害は」
「あ、標本にしてやるって言われました。殺害予告ですかね」
「って、話せるか、警察に。もうじき来ると思うんだが」
「わたしは問題ないです。ライラは、……休みたいよね」
 人魚ちゃんは疲れきって今にも倒れそうだった。顔が青白く、血の気が引いたような顔。浅くなった呼吸。額の汗。足の生えた人魚の姿の彼女はきっと、まだ俺にも美羽にも話していないことがあるはずだ。
「……こうせいくん」
「ん、何」
「ありがとう」
 ──礼を言われる筋合いは君にはない、と言いたかった。筋合いというか、俺としては、そもそもそんな義理もない。

 俺は君が二歳の美羽の前に現れたときから君をそこそこに恨んでいるし復讐だってしようと思えば大なり小なりいつでもできる力が今なら十二分にあるのだし君だって体が人間になった今なら力で捩じ伏せて何もかもお前のせいだ返せ返せ返せと怒鳴って殴って殺すこともできるのに、俺はそれをしない。
 助けたかったのは君ではなく美羽だ。
 ──でも俺は、それを言わずに、顔にも態度にも出さずに、隠し通せるほど上手く生きられるように育った。

「ふたりとも無事でよかったよ」
 微笑む美羽と、人魚ちゃん。穏やかな安堵の気持ち。この安堵は果たして本当に心からの安堵か。俺の言葉で今だけは穏やかであるのはきっと、この中で美羽だけだ。

 ──瞬間、きらりと光る何かが目に入った。強い日差しでも西陽でもない。それは美羽に連れられてすっかり草臥(くたび)れた人魚ちゃんの首筋から放たれていた光だった。何だ、ともう一度振り返ると、鱗のような何かが光った気がして、さり気なく人魚ちゃんに「俺がおぶってくよ」と声を掛けてもう一度確認した。

 確かに、彼女の首には鱗が現れた。ずず、にゅるり、と皮膚から生えたような、生々しい煌めく鱗。
 人魚伝説がどうとか言う校長の話だと、まぼろしのだとか、虹色の価値のあるなんとか、らしいが。俺にこの価値は理解できない。いや、同じように被害を受けたなら校長も理解できないだろうに、なぜ収集したがるのか、それが復讐になるとでも思っているのか、やはり分からない。
 まあ、鱗なんて生える訳ないだろう。人魚ちゃんは自分の意思で人間に成り代わった訳だし、俺も疲れていたから、やはり気のせいだと目を閉じた。
  
 
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