その当て馬はラスボスに溺愛されてます

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36:たった一つのほしいもの

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 気がつけば、伯爵邸の自室に戻っていた。
 ゼノンの影による移動だ。けれど今は便利に思うことも、助けられた安堵の気持ちさえも湧いてこない。アイラに突き付けられた現実が胸を刺し、いつまでも血を流し続けているかのよう。
 力が抜けてへたり込みそうになったエンリを支えたのは、ゼノンの腕だった。
 ゼノンの腕に包まれていると気づいたのは、その抱擁がきつくなった瞬間だった。抱えられていたことを思い出し、エンリははっと足に力を入れる。
「エンリ」
 耳元で名を呼ばれるが、今はその声を聞くのがつらい。エンリはそっと肩を押して顔をそむけた。
「……ごめん、大丈夫。気にしてるわけじゃない」
「気にしてるだろ」
 低く沈んだ声。けれど言い訳を許さない指摘に言葉が詰まる。
「……わかってた、ことなのに。……聖女候補にはっきり言われると、さすがに」
「わかってないよ、エンリ。何がわかったの。あんなのでたらめだよ」
 ゼノンの声は静かだが、押さえつけたような苛立ちがある。エンリが肩を震わせると、彼はさらに背を抱く腕に力を込めた。
「でも、ゼノンのことも、セルシオ兄さんのことも……」
「あの女には怪しい情報源があるだけ。神聖な予言とは別物だよ。そんなのに惑わされないで」
 ゼノンはきっぱりと否定する。けれどアイラは知っていたのだ、子どもの頃の伯爵家の状況を。誰でもいいからと願ったエンリの寂しさを知っていた。
 そうしてこの先のことも──知っている。
「……お、れが、誰にも」
「エンリ」
 強い声に遮られて言葉を飲んだ。心臓がどくどくと打つたび痛みを訴えて、息をするのも苦しい。
 ゼノンの大きな手がエンリの両頬を包みこむ。眼鏡を外した彼の赤い瞳が、まっすぐにエンリを見下ろした。
「いい加減知らないふりはやめよう。ねえ、俺の気持ち、まだ届かない? 今でも言わされたと思ってる?」
 吐息を感じるほど近づくゼノンの瞳に追いつめられる。何度も自問し、そのたび蓋をした。答え合わせから逃げ続け、そのくせ彼の好意だけは失えないなどと都合よく甘えている。
 エンリは震える唇で息を呑み、逃げるように視線を逸らした。
「あんな女のせいで、俺の言葉を受け入れてもらえないなんて」
「……っ」
 否定したいわけじゃない。視線を落としたまま首を振るが、うまく声にならない。
「エンリは努力して伯爵にも認められた。俺のおかげって言うけど、エンリはいつも自分の意見を持ってる。自分の努力も疑うの?」
「……そんなつもりじゃ……」
 努力はしてきたのだ。エンリは妖精が見えず剣も上達しないが、領地の役に立つよう地道な勉強を続けている。ゼノンに助けられて、けれど父とは自分の言葉で会話ができる。
「誰にも愛されないなんて、嘘だよ。家族は君を大切にしてる。俺も、……ねぇ、エンリ」
 頬から手が離れ、背中と腰に回った腕がエンリを強く抱きしめる。ゼノンは耳に唇を押し当て、熱く囁いた。
「好きだよ。エンリだけ。俺の世界にはエンリだけがいればいい」
「ゼ、ゼノン……!」
 爆発しそうな胸の痛みに、エンリはぎゅっと目を閉じた。アイラの棘も溶かすほどの熱に頭がくらくらする。
 エンリも本当はわかっている。ゼノンは出会った頃の少年のままではないことを。エンリを優先してくれるが、彼は自分の意思を持っている。言葉も感情も知らない少年ではなく、闇ギルドで強かに戦う青年だ。
「信じてくれるまで言うよ。信じてくれたあとも言う。だから安心して受け止めて。エンリ、……愛してる」
 あまりに真っ直ぐすぎて、エンリの顔が一気に燃え上がる。耐えきれず、思わずゼノンの口元を手で塞いでいた。
「……わかった……! もう……っ」
 だがその手のひらに息が触れ、つつくように舌で舐められ肩が跳ねる。慌てて手を離すが、深みを増したゼノンの瞳に見つめられて、咎める声も出てこない。
 遅れて、手のひらからぞくりと体の芯まで疼くような衝撃が駆け抜けた。
「本当?」
「……」
 後戻りを許さない眼差しがエンリを絡めとる。
「エンリ、好きだよ」
 あの日から変わらないゼノンの好意。虚しさを自覚させたその言葉は、いつしかエンリを満たす言葉になっていた。
「……ずっと、そうならいいのに、って……」
「うん」
「そうかもしれない、と、思うこともあったけど。それも俺が植え付けた感情で。ゼノンをそんなふうにしてしまって……。嬉しいけど、罪悪感もあって」
 利己的な感情を自覚するたび苦しかった。弱々しく呟くエンリに目を細め、ゼノンは柔らかな微笑みを浮かべる。
「いいんだよ、それで。俺を作るのはエンリでいい。エンリの手から離れたら、死んでしまうから」
「なにを……」
 このタイミングで、またそんな大げさなことを。眉をひそめるエンリの言葉を奪うように、ゼノンがこつんと額を合わせて囁いた。
「愛してる」
「──、あ……」
 今度こそ、その言葉がすとんと胸を打った。膨れ上がるのは、まぎれもない歓喜だ。
「ああ……エンリ。俺のことを思って苦悩してくれた? 俺にはそれこそが愛だよ。たまらなく嬉しい」
「そんな、ことで……」
「そんなことじゃない。エンリも俺のことだけを見て、考えて。他には必要ないよね? 伯爵たちでさえ……ううん、家族愛はエンリが寂しがるから我慢する。でもそれ以外は──」
 ゼノンはエンリの手をそっと握り込んだ。エンリのすべてはゼノンに拘束されて、けれどそれがとても心地いい。
「友人、従者、恋人。あとは何がほしい? 俺が全部あげるから」
 溺れそうな執着に唇が震える。
 昔からそうだった。ゼノンだけがエンリを肯定して、エンリの欲しい言葉をくれる。その態度にも視線にも誤魔化しはなく、まっすぐな瞳でエンリじゃないとだめだと言う。
 だからエンリもゼノンだけ。幼い願いを掬い取ってくれたゼノンだけが、ずっとエンリにとっての特別だった。
「ゼノンが……」
「うん」
 赤い瞳がとろけるように細められる。自分の名前が出たことを、心から喜んでいる。
「ゼノンが……ほしい」
 友人や恋人なんて関係性ではなく、ゼノンがいい。
 エンリが望む、たった一つのほしいもの。息が止まるほどきつく抱きしめられ、同じ強さで返しながら熱く潤む目を閉じた。
 それはとっくにエンリのものだったのだと、ようやく心から認めることができたのだ。


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