ファン心理

創研 アイン

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ファン心理

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『皆さんこんにちは、ゲストの__』
 イヤホンから伝わる音声に耳を傾ける。
 時間は午後十二時三十分を少し過ぎた頃、暗い部屋にパソコンの画面の光が眩しい。
『今日は、いつも聞いているこの番組に呼んでもらえて嬉しいです』
 彼女の声は弾んでいて、その喜びが伝わってくるようだ。
 Twitterを確認すると本番前の宣伝と彼女の写真が投稿されていた。ラジオの宣伝に加工盛り盛りの自撮り写真は必要なのかは毎回疑念を感じなくもないが、思わず画像を保存してしまう。今日も今日とて、顔が良い。
 それにしても、彼女の笑顔に心が満たされていくのを感じる。
 さすがはアイドル、と言ったところか。笑顔だけで人を幸福たらしめることができるのだから、天職なのだろう。
 彼女のサードシングルを聴きながら、夜食に用意しておいたおはぎに手を伸ばす。おはぎは彼女の公式プロフィールにも記載されている好きなもので、彼女が出演した作品を見るときは必ずと言っていい程お供にしている。元々甘いものが好きだったので、ファン心理も働き、近所のスーパーのパンコーナーの近くにある和菓子のコーナーに足繁く通うようになった。
 今日もあんの滑らかな舌触りとしっかりとした甘みが、指を動かす。

『そんな今日のゲストさんは趣味の話をすると長いので』
『ちょっと、そんなこと言わないでくださいよ』
『今週のコーナーは、あまり触れられることのないプロフィールを弄っていこう、です』
 番組も後半に差し掛かると、パーソナリティがコーナー企画に進行する。
 このラジオは毎週違ったコーナーをやるらしく、今日は日ごろあまり日の目を見ないプロフィールにスポットライトを当てようという企画趣旨らしい。
『じゃあプロフィールを読み上げていくよ。趣味が読書なのは置いておいて』
『なんでですかー』
 彼女の趣味はあまりにも有名で、彼女の趣味を語らずには彼女のことは語れないも同然だ。しかし、あまり触れられることのない、とあるように、趣味のことが話題に上ることが多く、本人も趣味のことばかり話すことも相まって、それ以外のプロフィールは印象に残りにくく、逆にこれを逆手に取った企画なのだろう。普段語られない情報が聞けるかと思うと、良い企画としか言いようがないのは、アイドルファンの哀しい性と言ったところだろうか。
『好きな食べ物、おはぎなんだね』
『はい! そうですよ』
 公式プロフィールに書いてあることを読み上げていくだけじゃ大した情報は出ないかな、とおはぎに手を伸ばす。
『おはぎってまた、なんというかさ、渋いね』
『あ、今地味って言おうとしませんでしたか? おいしいじゃないですか』
『いやあ、おいしいとは思うよ。え、おはぎはさ、つぶあん派なの? こしあん派なの?』
 パーソナリティの素っ気無い質問に、咀嚼がつい疎かになる。
『私は断然、つぶあん派です!』
 僕の時間は停止した。

 この後の放送は聞いてはいたけれど、何も頭に入ってこなかった。
 彼女がゲスト出演していたラジオを聞いたことは何度もあったが、こんなに衝撃を受ける話を聞いたのは初めてだった。
 僕は大きな勘違いをしていたようだった。
「つぶあん……」
 目の前にあるこしあんのおはぎに目をやる。スーパーで買うおはぎは殆どがこしあんで、こしあんのものを選んで買うほどだった。
 しかし、彼女が好物として挙げていたのは、つぶあん。
 公式グッズ以外にも、同じものを買ったり、身に着けたり、食べたりしたがる行為はファンの中ではよくあることで、彼女のプロフィールを確認して好きなものを食べるようになることは必然と言えよう。
 だが、自分は思い込みのままこしあんのおはぎに手を伸ばしたのだ。
 自らの愚かさを悔いる中、ある一つの疑問がよぎる。
 僕は、これからおはぎを選ぶとき、つぶあんとこしあん、どちらを選べばよいのだろうか?
 個人的な好みで言えばこしあんのおはぎの方が好きだけど、我らが崇拝する彼女はつぶあん派で、単純にあんことして高級なのはこしあんの方なのだ、でもファンとしてにわか知識でやっているとも思われたくないのも確かだ。考え方を変えれば、自分がこしあんのおはぎを食べることによりこしあんのおはぎが世の中から減って彼女がつぶあんのおはぎに巡り合う確率を上げられるかもしれない。しかし需要と供給で考えると、つぶあんのおはぎを買い占めれば、つぶあんのおはぎの方が需要があると供給量を増やすことができ、彼女と同じ物を食しつつつぶあんのおはぎを増やすことができるのではないか? いや、一個人の消費量で変えられるのは精々近所のスーパーのパンコーナーの脇にひっそりと置かれている和菓子の陳列だけか。来週末行われるサードシングル発売記念イベントで彼女と接近したときに聞くわけにもいけないし。こんな下らないことで大事な一瞬を消化したくはない。そもそも、こんなことを止めれば悩む必要がないのではないか? 彼女と同じ物を買うのは、ファン心理と称した完全な自分自身のエゴでしかないのだから。
「うーん」
 完全に思考が堂々巡りに陥ってしまった。
 先ほど聞き逃してしまった後半部分を聞き返そう。彼女の元気な声を聞けば気分も優れるだろう。
 ネットラジオとは便利な物で、かなりの番組がタイムシフトでき、聞き逃しも怖くなければ、好きな回は何度でも聞き返せるのだ。しかし、情報は生き物に例えられるように速さが重要な物だし、Twitterで実況することを考えると、やはりリアルタイムこそが至高、という結論に辿り着き、多少夜遅い時間でもリアルタイム視聴をすることが殆どになる。
 開きっぱなしになっているパソコンを操作し、再びラジオを流す。シークバーを動かし、番組中盤まで時を進める。
『へー、つぶあん派なのね』
 ちょうどよく続きから再生できたようだ。
『次は特技か。特技は……っと、特技はペン回しか。いやまた渋いところ突いてくるね』
『あ、また地味だって思ってますよね! 結構自信あるんですから! 見ててください?ちゃんとペン回し用のペンも持ってきたんですから! えい!』
『おお。おおう。わ、凄いね。いや思ったより凄かったわ。でもさ、ラジオ向けではないよね。みんなに見せてあげたいわ。結構すごいから!』
『あ、確かにラジオ向けではなかったかも――』
 パソコンの画面から目を離し、卓上のペン立てから一本ペンを引き抜く。
 字を書くようにペンを持つと一息。力を入れ、回す。
 カタリ。
 ペンは音を立てて床に落ちた。

 近所の文房具屋にペン売ってるかな。
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