君が見ている私たち

創研 アイン

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身心知様

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 夏休みの学校は蝉のうるさい鳴き声が響く。
 教室では俺の様なバカが一つの部屋に詰め込まれ、補習を受けさせられている。
 このうだるような暑さの中、英語教師から発せられる訳の分からない呪文地獄から解放された俺は、オカルト部がある部活棟にだらだらと足を運ぶ。
 今日の活動は一昨日の調査で撮った写真の解読作業と、みころし様についてわかっていることの確認をすると昨日送られたメールに書いてある。
 俺は里奈ちゃんの体調が気になりながらも、部室の扉を開ける。
「よーっす」
 中古のエアコンからぬるい風が扇風機でかき混ぜられ、外よりもましな温度になっていた。
「おぉ時宗、補習お疲れ」
「お疲れ様です。赤城せんぱい」
 里奈ちゃんは元気そうだった。
 俺はいつも通りの席に腰を下ろす。
 長机には資料や写真が広げられていた。
「里奈ちゃんは一昨日、大丈夫だった?」
「はい大丈夫です。昨日は心配かけてすいませんでした。もう元気になりまいたよ」
 里奈ちゃんの笑顔は太陽のように明るかった。
「時宗、良いニュースだ。ご神体に彫ってあった文字の解読が終わったんだ」
 目を輝かせながら藍が自慢気に言った。
「本当か」
「あぁ、これを見ろ」
 解読された文章は漢字が多く、意味どころか読むことすらままならなかった。
「え~と」
 藍が呆れた顔で解読した文章を読んだ。
「この文章にはこう書いてあるんだ‥‥‥

 君は繭を覗くが、善なる繭への干渉せずに観察のみを行った。
 滅するは身に鬼を住まわせる繭だけなのだから。
 身が屍になるまで君が見ている事を忘れてはいけない。

 と、まぁこんなことが書いてあるわけだが、意味は理解できたか?」
「いや、全然わからない」
「ですよね~。藍せんぱい、これってどういう意味なんですかね?」
 藍がまたもや呆れながらも少し微笑んで言った。
「それを、これから解明するんじゃないか」
 新たに増えた謎深まる文章に藍の目は輝いていた。
「藍せんぱい、楽しそうですね」
「当然だ、今回の調査は時宗が持ってきた噂と違って、調査しがいのある内容だからな」
 藍は俺の顔を見て、訴えるような嫌味口調で、そう言った。
 確かに前回の俺が持ってきた『放課後の廊下に響き渡る笑い声』はろくでもない結果だった。
 その名の通り、誰もいない放課後の廊下に時々、気味の悪い笑い声が聞こえるというものだったのだが、その正体は演劇部による自作自演であり、発表する劇の宣伝だったらしい。
 藍は調査前に張り切っていた分、真相にたどり着いたときのショックはかなり大きかったようで、あの時見せた、がっかりした顔は今でも忘れられない。
「はいはい、あれはオカルト要素ゼロのしょぼい内容でしたよ」
「まぁまぁ、今は文書の意味を解明しましょうよ、それが『みころし様』の噂を解明することに繋がりますし」
 里奈ちゃんがいつものように俺たちの中に割って入り、なだめてくれた。
「そうだな、まずは今わかっている『みころし様』について改めて確認することが必要だな。よし時宗、今までに、『みころし様』についてまとめたこのレポートを読んでくれ」
 藍がオカルトノートを俺に押し付けるように渡す。
 いつもなら反論するのだが、そうすると、里奈ちゃんが気を遣って代わろうとするだろう。彼女は病み上がりなので、今は我慢して俺が読むことにした。
 ノートを開くと綺麗な字が今までの活動を事細かに記録している。
 前回の調査についても最後までしっかりとまとめられていて、ろくでもない調査だと言いながらも最後までやり通す、藍の性格は結構好きだ。
「赤城せんぱい? 何で笑ってるんですか?」
「気持ち悪いやつだな、さっさと読め」
 俺は「はいはい」と言いながら、みころし様について書かれたページを開くと、全ての漢字の横に振り仮名が書かれていた。
 これは俺が読むこともあると思った藍が優しさで書いたのだろうけど、少し馬鹿にされている気もして、複雑な気持ちになった。
「え~と、『みころし様』は、人(ひと)の心(こころ)を覗き見て(のぞきみて)、不浄(ふじょう)な心(こころ)を持(も)つものを殺(ころ)してしまう存在(そんざい)。『みころし様(さま)』はお化け(ば)や妖怪(ようかい)というより神様(かみさま)のような存在(そんざい)だと推測(すいそく)される。理由(りゆう)としては、三森(みもり)公園(こうえん)の場所(ばしょ)は昔(むかし)、三森(みもり)神社(じんじゃ)があった場所(ばしょ)であり、公園(こうえん)の近(ちか)くにある林(はやし)にはご神体(しんたい)が奉(たてまつ)られているからである。また、『みころし様(さま)』の存在(そんざい)は子供(こども)への教育(きょういく)に使(つか)われたり、犯罪(はんざい)の抑止力(よくしりょく)にもなっていた……」
 改めて読んでみると、みころし様という神様は変わったところが無い存在だと思った。
「何で犯罪の抑止力になっていたんでしたっけ?」
「それは、悪いことをしたり、考えたりすると『みころし様』に殺されると教えることで犯罪を未然に防いでいたってことだな」
 藍が里奈ちゃんの質問に楽しそうに返答する。
「なるほど、ありがとうございます」
 疑問が晴れた里奈ちゃんはスッキリした顔でお礼を言う。
「さて、今わかっていることを踏まえたうえで、文章の解明をするとしよう」
 俺たちは目の前にある資料を見つめた。
 藍は資料に赤ペンで線を書くと、険しい表情をしながら親指の爪を噛んだ。
 しばらく部室は蝉の鳴き声が聞こえるだけの静かな空間だった。
 資料とにらめっこして十分過ぎた頃、最初に手を挙げたのは意外にも里奈ちゃんだった。
「私、今思ったんですけど、この繭って人の心のことですよね? だったら、レポートに書いている事とほとんど変わらないんじゃ‥‥‥」
「あぁ、そうなんだ」
 里奈ちゃんの軽い声とは対照に藍は重たい声で同調した。
「えっ、どういうこと?」
 二人とも理解した様子だったので俺だけが分かってないという疎外感を抱く。
「赤城せんぱい、あのご神体に彫られていた文章だと分かりにくい部分が多いので私なりにわかりやすく読んでみますね。『神様は心を覗くが、良い心には干渉せずに観察のみを行った。殺されるのは自分に悪事をたくらむ心だけなのだから。自分が死んでしまうまで神が見ている事を忘れてはいけない』って感じですかね」
 里奈ちゃんは俺にわかりやすいように教えてくれた。解説し終わると額から流れた汗をハンカチで拭った。
「そう、つまり、人の変わりゆく心を繭に見立てたり、人に潜む不浄な感情を鬼としているんだ。しかし、『君』を神様と訳したのか……」
「何か、間違ってますか?」
 里奈ちゃんが首を傾げる。
「間違ってはいない……『君』とは自分が仕える者に向ける言葉だからな、神に使われたっておかしくはないと思うぞ、主君とか君主とか言うだろ。まぁ、今では相手を呼びかける際に使われることが多いがな」
 そうは言いながらも、どこかで何かが引っかかっている表情だった。
「藍せんぱい、どうかしましたか?」
「いや関係ないかもしれないが、ご神体の文章を読んで気になることがあってな……」
 軽く深呼吸をして藍は応える。
「何で『みころし様』なんて名前がついているのだろうかと」
「「名前?」」
 俺と里奈ちゃんが『名前』という言葉に不思議そうな顔をした。
「あの文章には『みころし様』の名前が書かれていなかった、『君』のことが『みころし様』を指しているのならば……待てよ」
 資料に書かれている文章を食い入るように目を大きく開き見る。藍のこのスタイルは俺たちにとって見慣れた姿だった。
 俺たちは集中している藍の邪魔をしないように静かにしていると、藍の険しい表情が開放されたように緩む。
「何かわかったのか、藍?」
 俺の質問に、微笑みながらもどこか不安そうな表情を向けた。
「あぁ、と言っても今話すのはまだ推測に過ぎないからな」
いつもの藍なら自信満々に「真実」と言うのだか、今回は自信がないのか『推測』と言う言葉を使った。
「推測か……わかった」
「わかりました」
 藍は深く深呼吸をして『みころし様』の推測ついて語った。
「まず、私が気になったのはさっきも言ったが、なぜ『みころし様』という名前になったかだ。ここでヒントとなるものは『みころし様』の神としての特性だ」
「人の心を読み、不浄な心を持つものを殺す、ですよね」
 里奈ちゃんが自信ありげに答えた。
「そうだ、さっき里奈が言っていたが『繭』は人の心を指している、そして、『身』とは覗かれる人を指していると私は思っている。私の考えが正しいなら、こうなるはずだ」
 藍はノートに漢字でみころし様の名前を書いた。
『身心知様』
「みこころし様?」
「ゴロが悪いから多分、こころの『こ』をひとつ消して『みころし様』となったと言うことだ」
「なんか、無理やり感ありませんか?」
 確かにいつもならもっと納得いく説明をしてくれるだが、今回の推測は何となくしっくりこない説明だった。
「なんて言うかあまりにも安直というか、神様の特徴をそのまま当てはめたみたいな感じがしないか……」
 俺の意見に、藍はその言葉を待っていたように薄笑いを浮かべる。
「やっぱり、そう感じるだろ?」
 藍は新たな切り返しを用意していた。
「「えっ?」」
「時宗が言った通り、あまりにも安直すぎるんだ。それに『みころし様』の特性に関してもどこか取ってつけたような感じがする。これは神様に祀り上げたということで」
 とめどなく溢れてくる、藍の言葉に俺らは混乱した。
「藍、結局何が言いたいんだ?」
 俺は藍の話を切った。
「ゴホン、つまり、我々が調べ上げたことが『みころし様』の真実ではなく、偽物ではないかと言いたかったんだ」
「偽物……ってことは今までやって来たことが無駄だったってことか?」
 藍の思いがけない言葉に、体を脱力感が包む。
 すると、藍が俺の額に軽くデコピンをした。
「バカ宗、それは違うぞ。偽物と気づけたことが真実を知るための第一歩なんだ」
「そうですよ、まだまだ調べる時間はあるんですし、がんばりましょうよ、赤城せんぱい」
「それに、こんな手ごたえがあるのは久々だからな。楽しみだ」
 藍は深まる謎に興奮している様子だった。
「はぁ、わかったよ。それに一昨日の視線のことも気になるしな」
「里奈が感じた視線か。それも解明しないとな」
 藍が新たに増えた疑問をノートに書きこんだ。俺はふと里奈ちゃんの方へと目をやると一昨日のことを思い出したのかだろうか、少し暗い顔をしている。
「里奈ちゃん、無理してない?」
「何がですか?」
 いつもと変わらない微笑みは温かく、作り笑顔とは思えなかった。
「いや、何でもないならいいんだ」
「頭使ったら糖分が欲しくなったから買って来るけど、お前たちは何か飲みたいものあるか?」
 藍は飲み物代を受け取り、部活棟の一階にある自販機に行った。
 部室には俺と里奈ちゃんの二人きりになる。
「相変わらず、集中しているときの藍せんぱいはかっこいいですよね~」
「あぁ、そうだな」
 さっきまで外から聞こえた蝉の声は聞こえず、エアコンの風が当たり、資料の一部分を持ち上げる音が部室に響く。
「赤城せんぱい、『みころし様』っていったい何者でしょうか?」
 里奈ちゃんは資料を見ながら俺に尋ねた。
「えっ」
「さっき、藍せんぱいが言っていたことって神様としての『みころし様』は偽物という意味ですよね、じゃあ本当は何なんですかね」
 里奈ちゃんの表情がしかめ面になった。
「神様じゃないなら、幽霊とかじゃね?」
「それは違うと思います」
 俺の適当な返答に里奈ちゃんは力強い口調で応えた。
「なんでだ?」
「幽霊って肌寒い感じがするんですけど、あの時に感じた視線は生々しいというか、まるで人間が見ているような……ッッ⁉」
 里奈ちゃんは俺の方を真っすぐに向くと手の力が抜けて、資料が落ちる。
そして蛇に睨まれた何ちゃらのように動けなくなってしまっていた。
「里奈ちゃん!?」
「あ、すいません。私なんかぼーっとしちゃって、やっぱり暑いからですかね、あはは」
里奈ちゃんは資料を拾って、笑って見せる。しかしその笑いはどこか嘘っぽく、何かに怯えているように見えた。
 そんな里奈ちゃんにどう声を掛けたらいいかわからず、俺は黙り込んでしまった。
 すると、部室の扉がガラリと音を立てて開いた。
「戻ったぞ~。お前らどうしたんだ、黙り込んで……まさか時宗がまた、くだらんことでも言ったか?」
 藍が三本のペットボトルを抱えて戻って来た。
「あはは、違いますよ、ねぇ赤城せんぱい」
 可愛いしぐさで藍に言う。
 いつもの里奈ちゃんがそこにはいた。
 藍は抱えたペットボトルをお釣りと一緒に渡す。
 里奈ちゃんは藍の肩を軽く叩いた。
「藍せんぱい、なんかまた体調が良くないので、早退しても大丈夫ですか?」
「それは大丈夫だが、一人で帰れそうか?」
 藍が心配そうな表情で聞いた。
「大丈夫です。飲み物ありがとうございます。それじゃ、お先に失礼します、お疲れ様でした」
 里奈ちゃんは荷物をまとめてそそくさと帰ってしまったが、それは何かから逃げるようにも見えた。
 いつの間にかさっきまで静かだった蝉が鳴き、夏の暑さを思い出させるような日差しが部室に差し込んでいる。
 俺は飲み物をのどに流し込んだ。夏の暑さの中で冷たい液体が体中に浸透する感覚は心地よかった。
 蝉のうるさい鳴き声にも負けない大きな音で藍の携帯が鳴った。藍は携帯を見ると、少し驚いていたが、ゆっくりと抑えきれないくらいの笑みを浮かべている。
「急用を思い出したから、ちょっと帰る。部室の戸締り頼むぞ」
 藍は、部室の鍵を俺に渡して、駆け足で部室から飛び出した。
 いつもなら部室に俺だけ残ってもやることがないので、二人と一緒に帰るのだが、今日は補習で出された課題を済ませてから帰ることにした。

 参に続く
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