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第1話 皇帝陛下のプロポーズ
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私の目の前に皇帝が立っている。
世界を滅ぼそうとした悪神《あしきかみ》ザジルを倒し、大陸諸国を統一して、初代皇帝となった男だ。
皇帝フレイズ・アムンタート。
褐色の肌に黒髪、青い瞳。大剣の使い手だが、焔の魔法の心得もある戦士で、悪神ザジルとの最後の戦いでは中心的役割を果たし、世界に平和をもたらした。
「ハルーティ、どうか結婚してほしい」
そんな皇帝がなぜか私にプロポーズしている。
城の謁見の間に呼び出された私は、感謝の気持ちとして宝石とか金貨とか、そういうものをもらえるんじゃないかと期待に胸をふくらませていたのに全然違う話だったから戸惑った。予想外すぎる。
私は胸元のペンダント、神官の証である「ムーンドロップ」を掲げてみせた。雫型をした透明な宝石が窓から差し込む朝日を受けて、まばゆい煌めきを放った。
「お断りします。私はセラム教の神官ですので、異教徒との結婚は許されておりません」
そう言った後、戸惑いのあまりつい笑ってしまった。
陛下のすぐそばに控えていた全身鎧姿の男、フーランディア将軍が目をつり上げた。
「おい、何がおかしい」
金色の髪がふわふわなのと童顔のせいで若く見えるが、私と同じ二十一歳。二十代後半の陛下の近くにいると、余計に幼く見える。
「陛下がまじめに話しておられるのに、笑うなんて無礼だろ」
「ごめんなさい。でも、フーランディアも変だと思いませんか。陛下が私なんかと結婚ですよ。誰が聞いても笑うでしょう。いやもう絶対みんな笑うって」
「それは……まあ……確かにちょっと……。城で一番の変人であるハルーティと陛下が結婚したらおもしろ……いや、陛下のお決めになったことだ、俺に異論はない」
「私は異論があります」
フーランディアの隣で腕を組んでいる男、宰相ルタも口を挟んできた。黒髪に雪のような肌をした男で、今この部屋にいる人間の中では最も年上だ。といっても三十を少し過ぎたぐらいだが。
「ハルーティのどうかしている性格のことはどうでもいんですが、身分が問題です。何の後ろ盾もない、単なる神官でしかないハルーティと結婚しても何のメリットもない。きっと陛下はご乱心、御身に何らかの異常があるのでしょう。呪いか、毒か、あるいは皇帝という肩書きの重さに精神が耐えかねて錯乱したか? まともな時は尊敬に値するお方ですし、ここまでとちくるったことは仰せにならないのですけれどね」
私は同意して頷いた。
「きっとお疲れなんですよ。即位されてまだ半年ほどしか経っていないのですから、毎日さぞお忙しいことと思います。しばらくお休みされたほうがいいのでは。ゆっくり休んで英気を養えば、求婚のことも忘れると思いますよ」
ルタは、「一理ありますね。確かにこのところ息つく暇もないですからね……」と考え込んだ。
黙ってやりとりを眺めていた皇帝が、「ハルーティ」と、私の名を呼んだ。
「なぜ我の求婚にうんと言ってくれぬのだ」
青い瞳を怪訝そうに細める。
「そなたは断るはずがないと思っていた。こんなにも愛し合っているのだから」
愛し合ったおぼえはないのですが……。というか私の話を聞いてました? セラム教の神官なんですよ。異教徒なんですよ。初めて会った日から、そう伝えてますよね?
☆ ☆ ☆
およそ一年前の春、私たちは雪山で出会った。
大陸北部を横断するかのように長く延びる北ボルマール山脈。その中間地点に位置するゼマリウス山は、一年中雪が分厚くつもり、吹雪も多く、訪れる人は少ない。
そんなゼマリウス山の中腹に、セラム教の神殿はある。雪の多い地域のため、石造りの神殿はてっぺんまで雪に覆われてしまい、どこが出入り口なのかわからないほどだ。参拝者のために神官たちは毎朝雪かきをするが、誰も来ない日のほうが多かった。
神殿の入り口に設置された女神セラムの巨大な石像も雪に埋もれてしまうため、その見事なお姿を見られるのは夏の短い間だけだが、夏でさえ人が来ない。「セラム教の神殿を観光するなら夏がオススメです」と結構宣伝しているのに全然人が来ない。それほどにセラム教は人気がないのだった。切ない……。
この雪に沈んだセラムの神殿に私は小さい頃から住んでおり、雪かきなどの雑務の合間に山に入って、悪霊退治を行うのが日課となっていた。セラム教は死の宗教だ。死者の魂を冥界に送るのが主な務めであり、悪霊退治も務めの一つなのだ。私は割とまじめに神官として頑張っているほうなので、悪霊もばりばり退治している。
「打倒! 悪神ザジル」のご一行がやってきたときも、私は雪リスの白い毛皮の防具を身につけ雪ぐつを履き、セラム神官の証であるムーンドロップを首からかけて雪山に入り、セラム神のご加護――つまり神聖魔法で戦っていた。
その日も悪霊を何体か退治して、少し休憩しようと山肌の窪《くぼ》みに入り、毛皮についた雪を落としていたときだった。
大気を切り裂くような叫び声が山に響いた。
何事かと周囲を見回す。今いる窪みのある場所より下のほう、斜面を下った先に開けた場所があって、そこに大げさなほど立派な鎧を着込んだ集団を見つけた。
その集団は剣や杖を構えて、あたりを油断なく窺っていた。戦闘中だろうか。そのわりに敵の姿が見えない。いや、大粒の雪に紛れて見えなかっただけだ。悪霊がいる。それも複数体。白い靄《もや》が宙に浮いていた。
「あらら、大丈夫かな。あの人たちの中に神官がいればいいんだけど」
悪霊は人に取り憑いて、生命力を奪ったり不運にしたりする存在だ。剣は通じないし、神官の神聖魔法でしか倒せない。そもそも神官にしか目視できない存在だ。だから彼らには悪霊の姿は見えないはず。それなのにどうして悪霊の姿に気づいて、剣を構えているのか。それは多分……。
白い靄の色が濃くなっていく。
「幽体化をやめて、実体化する気だ」
やがて靄は、宙に浮く白い塊となった。この状態なら神官ではなくても視認できる。実体化した悪霊は、剣を構えた人々に突進した。剣士がぎりぎりで避けたため、標的を失った悪霊は木に衝突した。すると見る間に木は凍てつき、細い幹からつららみたいな氷の棘が生えた。実体化した悪霊と接触すると、全身が凍り付いてしまうのだ。かするだけで命はない。やっかいだ。
悪霊たちは再び幽体化して、姿を消した。戦士たちは敵の姿を見失い、慌てた様子であたりを見回す。
きっと悪霊はこうやって消えたりあらわれたりを繰り返しているのだろう。戦士たちは対処できずに苦戦している。
「助けにいかないと」
彼らが何者かわからないが、こんな寂しい雪山で悪霊に殺されていい人間などいない、と神官としては思う。私は走り出した。
斜面を下っていたら、褐色の肌の男が悪霊に向かって手を向けたのが見えた。手のひらから大きな焔が生まれ、悪霊めがけて放たれる。方向は良い。だが、焔は悪霊の体を通り抜けてしまい、雪の積もった岩に直撃して雪ごと岩を消失させてしまった。なかなかの火力だ。私が今駆けている斜面のほうに向かってこなくてよかった。あんなのが直撃したら骨も残らないだろう。
風がうなるような音、石つぶてが地面を叩く音、さまざまな魔法の音が聞こえた。しかし、どれも通じない。やはり神官が使う神聖魔法じゃないとダメだ。早く彼らのところにたどり着かねば。雪に真っすぐ踏み込みながら、雪ぐつで蹴って飛ぶように駆け下りる。
吹雪が強くなってきた。悪霊たちが彼らにじわじわと迫る。凍死攻撃を諦め、取り憑くつもりなのだ。ああ、だけど誰も接近に気づいていない。神官のように幽体を見つめる能力が彼らにはない。
雪の積もった岩を力いっぱい蹴りつけ、開けた場所に一気に飛び降りた。
「な、なんだおまえは!」
戦士たちが慌てたようすで私に剣を向けた。それには構わず悪霊を睨む。
女神セラムよ。
私は祈りを捧げる。
どうか力をお貸しください。悪霊を凍らせ、能力を封じ、動きをとめる力を。我が女神セラムよ。
悪霊が褐色の肌の戦士に狙いを定めた。男との距離を一気に詰める。だが、そうはさせない。私は両手を突き出した。
「<こおりつけ>!」
神聖魔法が発動し、悪霊たちを白い煌めきが包んだ。周囲の気温が下がり、吸い込む息が肺を刺す。
女神の慈悲により凍り付いた悪霊たちが、地面に硬い音を立てて転がった。神聖魔法であらゆる能力を封じられ、白濁した塊となった悪霊は、普通の人でも見えるし剣も通じる。
「とどめを」
私が叫ぶより先に、褐色の戦士は手にした大剣で悪霊を貫いていた。
全ての悪霊を粉砕した後、パーティのリーダーらしき男が握手を求めてきた。二十代後半ぐらいだろうか。褐色の肌が吹雪の中で強い存在感を放っている。
「そのペンダント、それに雪と氷の神聖魔法を使ったということはセラム教の神官だな。助かった。サーニスラ神に感謝せねば」
「はっ?」
私は相手の手をはたき落とした。
「セラム教の神官に助けられて、よくサーニスラ神に感謝できますね」
月の女神を信仰するセラム教と、太陽神を信仰するサーニスラ教は不仲なことで有名なのに。
「失礼した」
褐色の肌の男はきまじめな表情になり、姿勢を正して頭を下げた。
「日ごろからサーニスラ神に祈りを捧げているので、つい口から出てしまったのだ。セラム教の神官殿の前で口にすべきではなかった。申しわけない。どうか許していただけないだろうか」
「まあ、いいですけど」
硬い口調も礼儀正しい謝罪も育ちの良さを感じさせた。そのくせさっき少しだけ触れた手のひらはかたくごつごつとしていた。剣の訓練のせいなのだろうか。体つきも、鋼と毛皮を組み合わせた鎧で覆われていてはっきりとは見えないが、大剣を持つのにふさわしいものなのだろうというのがその厚みでわかる。
「フレイズ王子」
全身鎧姿の金髪男と黒髪で色白の男が、私たちを手招きした。
「ちょうどいい窪《くぼ》みを見つけました。吹雪が弱まるまで、そこでしばらく休みましょう。セラムの神官殿も一緒にいかがですか」
その窪みは、多分さっきまで私がいたところだろう。なかなか見る目がある。あそこは風や雪が吹き込まなくて、地面が乾燥していて、たき火も可能なオススメ窪みなのだ。
世界を滅ぼそうとした悪神《あしきかみ》ザジルを倒し、大陸諸国を統一して、初代皇帝となった男だ。
皇帝フレイズ・アムンタート。
褐色の肌に黒髪、青い瞳。大剣の使い手だが、焔の魔法の心得もある戦士で、悪神ザジルとの最後の戦いでは中心的役割を果たし、世界に平和をもたらした。
「ハルーティ、どうか結婚してほしい」
そんな皇帝がなぜか私にプロポーズしている。
城の謁見の間に呼び出された私は、感謝の気持ちとして宝石とか金貨とか、そういうものをもらえるんじゃないかと期待に胸をふくらませていたのに全然違う話だったから戸惑った。予想外すぎる。
私は胸元のペンダント、神官の証である「ムーンドロップ」を掲げてみせた。雫型をした透明な宝石が窓から差し込む朝日を受けて、まばゆい煌めきを放った。
「お断りします。私はセラム教の神官ですので、異教徒との結婚は許されておりません」
そう言った後、戸惑いのあまりつい笑ってしまった。
陛下のすぐそばに控えていた全身鎧姿の男、フーランディア将軍が目をつり上げた。
「おい、何がおかしい」
金色の髪がふわふわなのと童顔のせいで若く見えるが、私と同じ二十一歳。二十代後半の陛下の近くにいると、余計に幼く見える。
「陛下がまじめに話しておられるのに、笑うなんて無礼だろ」
「ごめんなさい。でも、フーランディアも変だと思いませんか。陛下が私なんかと結婚ですよ。誰が聞いても笑うでしょう。いやもう絶対みんな笑うって」
「それは……まあ……確かにちょっと……。城で一番の変人であるハルーティと陛下が結婚したらおもしろ……いや、陛下のお決めになったことだ、俺に異論はない」
「私は異論があります」
フーランディアの隣で腕を組んでいる男、宰相ルタも口を挟んできた。黒髪に雪のような肌をした男で、今この部屋にいる人間の中では最も年上だ。といっても三十を少し過ぎたぐらいだが。
「ハルーティのどうかしている性格のことはどうでもいんですが、身分が問題です。何の後ろ盾もない、単なる神官でしかないハルーティと結婚しても何のメリットもない。きっと陛下はご乱心、御身に何らかの異常があるのでしょう。呪いか、毒か、あるいは皇帝という肩書きの重さに精神が耐えかねて錯乱したか? まともな時は尊敬に値するお方ですし、ここまでとちくるったことは仰せにならないのですけれどね」
私は同意して頷いた。
「きっとお疲れなんですよ。即位されてまだ半年ほどしか経っていないのですから、毎日さぞお忙しいことと思います。しばらくお休みされたほうがいいのでは。ゆっくり休んで英気を養えば、求婚のことも忘れると思いますよ」
ルタは、「一理ありますね。確かにこのところ息つく暇もないですからね……」と考え込んだ。
黙ってやりとりを眺めていた皇帝が、「ハルーティ」と、私の名を呼んだ。
「なぜ我の求婚にうんと言ってくれぬのだ」
青い瞳を怪訝そうに細める。
「そなたは断るはずがないと思っていた。こんなにも愛し合っているのだから」
愛し合ったおぼえはないのですが……。というか私の話を聞いてました? セラム教の神官なんですよ。異教徒なんですよ。初めて会った日から、そう伝えてますよね?
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そんなゼマリウス山の中腹に、セラム教の神殿はある。雪の多い地域のため、石造りの神殿はてっぺんまで雪に覆われてしまい、どこが出入り口なのかわからないほどだ。参拝者のために神官たちは毎朝雪かきをするが、誰も来ない日のほうが多かった。
神殿の入り口に設置された女神セラムの巨大な石像も雪に埋もれてしまうため、その見事なお姿を見られるのは夏の短い間だけだが、夏でさえ人が来ない。「セラム教の神殿を観光するなら夏がオススメです」と結構宣伝しているのに全然人が来ない。それほどにセラム教は人気がないのだった。切ない……。
この雪に沈んだセラムの神殿に私は小さい頃から住んでおり、雪かきなどの雑務の合間に山に入って、悪霊退治を行うのが日課となっていた。セラム教は死の宗教だ。死者の魂を冥界に送るのが主な務めであり、悪霊退治も務めの一つなのだ。私は割とまじめに神官として頑張っているほうなので、悪霊もばりばり退治している。
「打倒! 悪神ザジル」のご一行がやってきたときも、私は雪リスの白い毛皮の防具を身につけ雪ぐつを履き、セラム神官の証であるムーンドロップを首からかけて雪山に入り、セラム神のご加護――つまり神聖魔法で戦っていた。
その日も悪霊を何体か退治して、少し休憩しようと山肌の窪《くぼ》みに入り、毛皮についた雪を落としていたときだった。
大気を切り裂くような叫び声が山に響いた。
何事かと周囲を見回す。今いる窪みのある場所より下のほう、斜面を下った先に開けた場所があって、そこに大げさなほど立派な鎧を着込んだ集団を見つけた。
その集団は剣や杖を構えて、あたりを油断なく窺っていた。戦闘中だろうか。そのわりに敵の姿が見えない。いや、大粒の雪に紛れて見えなかっただけだ。悪霊がいる。それも複数体。白い靄《もや》が宙に浮いていた。
「あらら、大丈夫かな。あの人たちの中に神官がいればいいんだけど」
悪霊は人に取り憑いて、生命力を奪ったり不運にしたりする存在だ。剣は通じないし、神官の神聖魔法でしか倒せない。そもそも神官にしか目視できない存在だ。だから彼らには悪霊の姿は見えないはず。それなのにどうして悪霊の姿に気づいて、剣を構えているのか。それは多分……。
白い靄の色が濃くなっていく。
「幽体化をやめて、実体化する気だ」
やがて靄は、宙に浮く白い塊となった。この状態なら神官ではなくても視認できる。実体化した悪霊は、剣を構えた人々に突進した。剣士がぎりぎりで避けたため、標的を失った悪霊は木に衝突した。すると見る間に木は凍てつき、細い幹からつららみたいな氷の棘が生えた。実体化した悪霊と接触すると、全身が凍り付いてしまうのだ。かするだけで命はない。やっかいだ。
悪霊たちは再び幽体化して、姿を消した。戦士たちは敵の姿を見失い、慌てた様子であたりを見回す。
きっと悪霊はこうやって消えたりあらわれたりを繰り返しているのだろう。戦士たちは対処できずに苦戦している。
「助けにいかないと」
彼らが何者かわからないが、こんな寂しい雪山で悪霊に殺されていい人間などいない、と神官としては思う。私は走り出した。
斜面を下っていたら、褐色の肌の男が悪霊に向かって手を向けたのが見えた。手のひらから大きな焔が生まれ、悪霊めがけて放たれる。方向は良い。だが、焔は悪霊の体を通り抜けてしまい、雪の積もった岩に直撃して雪ごと岩を消失させてしまった。なかなかの火力だ。私が今駆けている斜面のほうに向かってこなくてよかった。あんなのが直撃したら骨も残らないだろう。
風がうなるような音、石つぶてが地面を叩く音、さまざまな魔法の音が聞こえた。しかし、どれも通じない。やはり神官が使う神聖魔法じゃないとダメだ。早く彼らのところにたどり着かねば。雪に真っすぐ踏み込みながら、雪ぐつで蹴って飛ぶように駆け下りる。
吹雪が強くなってきた。悪霊たちが彼らにじわじわと迫る。凍死攻撃を諦め、取り憑くつもりなのだ。ああ、だけど誰も接近に気づいていない。神官のように幽体を見つめる能力が彼らにはない。
雪の積もった岩を力いっぱい蹴りつけ、開けた場所に一気に飛び降りた。
「な、なんだおまえは!」
戦士たちが慌てたようすで私に剣を向けた。それには構わず悪霊を睨む。
女神セラムよ。
私は祈りを捧げる。
どうか力をお貸しください。悪霊を凍らせ、能力を封じ、動きをとめる力を。我が女神セラムよ。
悪霊が褐色の肌の戦士に狙いを定めた。男との距離を一気に詰める。だが、そうはさせない。私は両手を突き出した。
「<こおりつけ>!」
神聖魔法が発動し、悪霊たちを白い煌めきが包んだ。周囲の気温が下がり、吸い込む息が肺を刺す。
女神の慈悲により凍り付いた悪霊たちが、地面に硬い音を立てて転がった。神聖魔法であらゆる能力を封じられ、白濁した塊となった悪霊は、普通の人でも見えるし剣も通じる。
「とどめを」
私が叫ぶより先に、褐色の戦士は手にした大剣で悪霊を貫いていた。
全ての悪霊を粉砕した後、パーティのリーダーらしき男が握手を求めてきた。二十代後半ぐらいだろうか。褐色の肌が吹雪の中で強い存在感を放っている。
「そのペンダント、それに雪と氷の神聖魔法を使ったということはセラム教の神官だな。助かった。サーニスラ神に感謝せねば」
「はっ?」
私は相手の手をはたき落とした。
「セラム教の神官に助けられて、よくサーニスラ神に感謝できますね」
月の女神を信仰するセラム教と、太陽神を信仰するサーニスラ教は不仲なことで有名なのに。
「失礼した」
褐色の肌の男はきまじめな表情になり、姿勢を正して頭を下げた。
「日ごろからサーニスラ神に祈りを捧げているので、つい口から出てしまったのだ。セラム教の神官殿の前で口にすべきではなかった。申しわけない。どうか許していただけないだろうか」
「まあ、いいですけど」
硬い口調も礼儀正しい謝罪も育ちの良さを感じさせた。そのくせさっき少しだけ触れた手のひらはかたくごつごつとしていた。剣の訓練のせいなのだろうか。体つきも、鋼と毛皮を組み合わせた鎧で覆われていてはっきりとは見えないが、大剣を持つのにふさわしいものなのだろうというのがその厚みでわかる。
「フレイズ王子」
全身鎧姿の金髪男と黒髪で色白の男が、私たちを手招きした。
「ちょうどいい窪《くぼ》みを見つけました。吹雪が弱まるまで、そこでしばらく休みましょう。セラムの神官殿も一緒にいかがですか」
その窪みは、多分さっきまで私がいたところだろう。なかなか見る目がある。あそこは風や雪が吹き込まなくて、地面が乾燥していて、たき火も可能なオススメ窪みなのだ。
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