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闇賭博編
第9話 虎か獅子か
しおりを挟む「実は、弊社が所有する賃貸物件にお住まいの大学生が、家賃を滞納しておりまして」
「ほお」
「事情を聞きましたら、こちらで借金をして、その返済で首が回らなくなっていると言うんです」
これには男は何も言わない。
「1000万円の借用書にサインさせられて、その手数料として100万円を取られたとか。それもこの屋敷の中で」
「へえ、そうなのか。全然知らなかったよ。もしかしたら、うちの者たちが勝手にやったのかもしれないね」
知らぬ存ぜぬで突っぱねるかと思いきや、あっさり認めるようなことを言う。逃げも隠れもしないということか。何が狙いだ?
私はまっすぐに男を見つめた。
「単刀直入にお尋ねします。あなたはヤクザなんですか」
男もまたまっすぐに私を見返してきた。
「違うよ」
「失礼ですが、組の名前を伺っても?」
男は苦笑した。
「違うって言ってるじゃないか。ぼくはヤクザみたいに見えるかい。見えないだろう」
「私には限りなく黒に近いグレーに見えるのですが。では、質問を変えましょうか。あなた方は早田さんにヤクザだと名乗ったと聞いています。どこの組だと言ったんですか。そこははっきりさせましょう。よその組の名をかたったとなれば、ただじゃ済まないですよ」
男は大げさなくらい大きなため息をついた。
「巳一会だ。きみでも聞いたことぐらいはあるだろう」
たしか九州をなわばりにしているヤクザだ。このあたりでは滅多に聞かない、ニュースぐらいでしか知らない名前だった。
「巳一会がどうしてこの街に? このあたりは縄張りじゃないですよね」
「それはきみには関係のない話だ」
「いや、それがそうでもなくて。私はユウゲキ不動産のものですから、こういう話にはおおいに関係があるんです。立場上、繁華街の治安維持に協力しないといけないことになっています。ユウゲキの名前はご存じですか」
男は肩をすくめて、毛布を身体にかけ直した。
「ユウゲキね、聞いてるよ。警察を辞めた連中が始めた会社で、不動産屋のくせにえらそうに街を仕切ってる傲慢な連中」
私は思わず顔をしかめた。
「傲慢って」
「警察のコネがあるのをいいことに、さも自分たちに権力があるかのように勘違いして振る舞っているんだから傲慢と言ってもいいだろう」
「そこまで人のことを言うんだったら、こっちも言わせてもらいますけどね、気弱な一般の学生なんかに闇賭博で架空の借金を背負わせるあなたは一体何様のつもりですか」
「何のことだかわからないね」
むむ。
「あなたがバカラの元締めなんでしょう」
「だから、わからないって。うちの者たちが勝手にお金を貸したりしたかもしれないけど、そんなの個人間の貸し借りだろう? ぼくは何も知らないし関係がない。バカラなんて知らないよ」
そんなわけがないのだ。こんなに厳重に守られた屋敷に住んでおいて、ヤクザを名乗っておいて、早田さんを家に連れてきておいて、賭博行為には手を出していないだなんて、到底信じられない。
でも、この男は、闇賭博は否定するが、使用人が金を貸したことだけは否定しないようだ。しかし闇賭博と金貸しはセットであり、賭博で負けた学生に金を貸したということは、イコール、闇賭博の元締めであることを意味する。少なくともつながりはあるはずなのだ。
警察は闇賭博をかなり厳しく取り締まる。組織だって闇賭博をやる連中は、賭け事自体が目的なのではなく、闇賭博を利用してカモを見繕うのが目的だからだ。軽い気持ちで賭博に手を出した人を借金漬けにして、薬を売らせたり、詐欺の受け子にしたり、違法な性風俗店で働かせたりするのが定石だ。
闇賭場では別の犯罪、それも黒い組織絡みのものが発生するからこそ、警察は闇賭博を非常に警戒するということを、私はこの業界で働くようになって初めて知った。ただの賭け事じゃないのだ。
このパジャマ姿のイケオジは間違いなくバカラの元締めだろう。だが、今の私にはそれを証明することはできない。金は貸したがバカラは知らないと言われてしまったら、何も反論できなかった。
「もうこのさい何でもいいです。ヤクザでもそうじゃなくても、バカラの元締めでもそうじゃなくても、どっちでもいいですから、早田さんが書いた1000万円の借用書と100万円を返してもらえませんか」
「借用書と100万? 両方を?」
男は冷たい目で私を見つめていたが、やがて独り言のように、「欲張りだねえ」と、呟いた。
むむ。私としては上司の仕事のやり方を真似ているだけなのだが。とりあえず欲しい物は全部言っとけっていう。
男はため息をついて首を振った。その瞬間、柔和な空気が消えた気がした。表情は変わらないのに、まとう空気だけが変わったかのよう。それは目のせいだろうか。黒く深く、鮫にも似た捕食者の目が、じっと私を見ている。
試されている、と感じた。ここでひるむかどうかを見られている。
「欲しがりすぎは身を滅ぼすよ」
むき身の刃を突きつけられたようで、背筋がぞくりとした。
「きみは知ってるかな。ユウゲキは夜の虎って呼ばれてるんだ。獅子は腹がいっぱいのときは殺しはやらない。だからヤクザは獅子だ。だが、虎は違う。腹がいっぱいでも獲物を見れば殺す。ユウゲキは虎だ。欲が深すぎる」
あくまでも男の語り口はソフトなのに、言いようのない恐怖を感じる。獲物を見れば殺す虎とはあなたのことではないのか。そう言いかけて、言葉を飲み込む。盛り場でチンピラに絡まれても怖いだなんて感じたことのない私が、今はっきりと怖がっていた。自分でも信じられない。目の前のパジャマの男には、どこにも怖い要素なんてないのに。
おびえを気取られないよう、私はあえて微笑みを浮かべて、軽い口調で切り出した。
「じゃあ、ひとまず100万円だけでも返してもらえませんか。うちとしては3カ月分の家賃さえもらえれば文句はないので。あ、もちろん返していただけるのなら警察にも言いません」
「はは、虎は欲深いだけでなく品もない。きみには美学というものがないのかな」
男が笑うことで、少し恐怖感がやわらいだ。
「もう帰ってくれ。話は終わりだ」
どうやら交渉決裂のようである。ここで粘ったところで良いことはないだろう。というのは言い訳で、私は今すぐにでもこの館を出ていきたくてたまらなかった。
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