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覚醒剤編

第2話 クビの理由

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「皆さんはどうして警察をクビになったんですか」

 ある冬の午後、ユウゲキ不動産には珍しく全社員がそろっていたので、良い機会だから気になっていたことを尋ねてみた。
 私はここに勤務して4年になるが、これまでそういった話を聞いたことはなかった。だって普通に退職しただけだって話だったし、それ以上のことを掘り下げる必要を感じなかったのだ。しかし、クビとなれば話は別である。

「クビってことは何か悪いことをしたんですよね? 何をしたんですか?」
 皆さん、呆れたといわんばかりの顔で私を見つめてきたので、私はちょっと不安になった。何かおかしなことを言ってしまっただろうか?

「ノゾミンたら、シラフでそういうことを言っちゃうなんてビックリちゃん。普通気まずくて簡単には聞けないわよ」
 冷たくなった空気を和ませるかのように佐藤さんがころころと笑った。
「す、済みません」
 うう、また失敗してしまったようだ。私はどうもデリカシーというやつがないらしい。人間関係難し過ぎる。
「でも、ノゾミンのストレートなところ嫌いじゃないわ~」
「本当に……済みませんでした……」
 私が両手で頭を抱えていたら、佐藤さんが、「私の場合はね」と、話し始めた。
「内緒で副業してたの。セクキャバで働いてたのよね。でも声に特徴あるからすぐバレちゃって。ほら、美少女声でしょ?」
 佐藤さんは私に仕事の指示を出してくれる直属の上司で、不動産管理関係の業務を担当している。お家賃に関する仕事も佐藤さんの担当だ。年齢は40代らしいが、もっと若く見える。ジャンガリアンハムスター感のある可愛らしい女性だ。その上、アニメに出てくる美少女のような声の持ち主なので人目を引きやすい。隠れて副業をするにしても接客業はまずかっただろう。

 ちなみにセクキャバとは、女性が半裸だったり性的なサービスをしたりするので、キャバクラといいながらも性風俗店のような存在である。性的なサービスが行きすぎてしまうと経営者だけでなくキャバ嬢まで逮捕されるという事態になりかねない法的に黒寄りのグレーな店だ。副業が禁止されている警察官の副業先としては不適切きまわりなく、クビも致し方ないのかもしれない。


 机の上に肘を突いて両手を組み合わせていた月村さんが、「俺は、たび重なる遅刻と無断欠勤」と、落ち着き払った様子でクビの理由を告白した。
「ええ……?」
 そんな信じられない理由で警察をクビになる人が実在するとは。せっかく公務員になれたのにもったいなさ過ぎる。

 銀縁眼鏡をかけたペンギンこと月村さんは、表情の変化と口数の少ない男性だ。年齢は私より二つ年上の28歳だったと思う。宅建の資格を持っていて、賃貸契約に関する仕事が主な担当だ。

「あれっ、でもユウゲキ不動産では、月村さんは遅刻魔じゃないし、無断欠勤もないですよね?」
 ほかに経理関係も担当しているから、私のお給料も月村さんが振り込んでくれているはずだが、そちらも遅れたことは一度もない。
 月村さんは眉一つ動かさず、
「警官だった頃はゲームにハマってたせいで仕事どころじゃなかったけど、もう飽きたから今はやってない」と、淡々と説明してくれた。
 なるほど。改心したのではなくて、ゲームに飽きただけと。


「俺はさ」
 花ノ瀬はなのせさんは立ち上がって、胸を張った。
「同僚の財布からちょっとお金借りちゃってさ」
「それは窃盗と言うのでは?」
 私が間髪入れずに指摘すると、なぜか嬉しそうに笑った。
「いや、借りただけ」
 お調子者のロバ男、花ノ瀬はなのせさんがお金を扱う業務を外されている理由がやっとわかったが、さすがにそれを口に出して言うのもはばかられて、なんとも返答に困ってしまった。
 花ノ瀬さんはお客さんの内見案内や内装業者との窓口を主に担当している。30代前半で、髪の毛がロバ色だ。

 弊社でキャバクラをリフォームして間取りを変えるときは、花ノ瀬さんが内装業者とお客様とやりとりしながらデザインをかためることになっている。そのリフォーム案で許可されるかどうかを警察の生活安全課に聞きにいくのが私の仕事だ。正直、花ノ瀬さんが警察に行ったほうが話が早いのだけれど、ホストみたいに香水臭い上に、言動もチャラいので警察では塩対応である。特に生活安全課の相談窓口にいる柴犬こと先﨑さんは、こういう男にはやたら冷たかった。たとえホストであってもはきはきと礼儀正しく挨拶をする男性に対しては優しいのだが、あいにく花ノ瀬さんは、軽く会釈して「どもっ、今忙しい感じ?」などと前髪をイジリながらタメ口で話しかけるタイプである。

「俺は金は盗んでないんだよね。返すつもりだったんだし、借りただけ」
「絶対嘘ですよね」
「わかるぅ? ノゾミンは取り立ての鬼サボテンだもんな。血も涙もないところ、女検事っぽくてイイよっ」
 犯歴を告白しているとは思えないほどノリが軽い。
「というか、なんですか女検事って」
「あ、知らない? きつい人多いんだよ、女検事って。小さいミスも絶対許してくれないっていう。ちょっとメッセージ返すの遅れただけで彼氏を死ぬまで問い詰めて、報連相の大切さを説教する彼女みたいな感じよ」
 なんなんだ、それは。かなりの偏見、いや、私怨が入っていないだろうか。花ノ瀬さんが起訴されたときは女検事だったのかな。


「私はサイバー犯罪」
 目つきの鋭い鷹のような女性、物件オーナーとの窓口担当の田尾たおさんは、社長の次に偉い人だ。年齢は30代後半ぐらいだと思う。小さな顔に華奢な印象の眼鏡をかけ、グレーのスカートスーツに身を包んだ姿は、知的さと優雅さととっつきにくい威圧感を見る者に与える。漫画に出てくるキャリアウーマンみたいな感じだ。ユウゲキ不動産の人間は全員グレーのスーツを着ることになっているけれど、一番さまになっているのが田尾さんだ。
 私がユウゲキに入社して間もないころは、怒られたわけでもないのになぜか怖くて目を合わせることもできなかった。もちろん今はさすがにそんなことはない。怖いけど頑張れば目を合わせるぐらいはできる。

「サイバー犯罪って、具体的にどういうやつなんですか」
「ネットにパワハラ上司の悪口を書き込みまくった」
 思ってたサイバー犯罪とは大分違った。誹謗中傷ってサイバー犯罪になるんだっけ? ネットだからサイバーで合ってるのか?
「でも意外です。田尾さんはクールなイメージでしたから、そういう感情的な犯罪とは無縁の人かと思っていました」
 田尾さんはぎろりと私を睨み、きっぱりと言い放った。
「パワハラ、セクハラ、私刑、やむなし」
「過激!」
 法を無視する精神、警察官に向いてないにもほどがある。


 そのとき社長が社長室から出てきた。白いマグカップを持っている。珈琲のおかわりをつくりにきたのだろう。陽気なゴールデンレトリーバーみたいな、おじさんとおじいさんの中間のややおじいさん寄りの社長に、私はすかさず問いかけた。
「社長はなんで警察クビになったんですか」
「不倫がバレたから!」
 笑顔で即答してくれた。唐突な質問だったのに。さすが社長。反射神経が良い。
「警察って不倫したらクビなんですか?」
「一般的には自主退職。クビになるのはレアケース」と田尾さん。それを受けて、佐藤さんが頷いた。
「社長は捜査一課の刑事だったから、普通より厳しかったんじゃないかしら? あと不倫の内容よね」
「不倫の内容」
「そう。社長のはダメな不倫だったのよ」
 どういうアレなのか。許される不倫と、許されない不倫があるとでもいうのだろうか。世の中というのはまったくわけがわからない。
「俺の不倫相手は犯人だったんだよね。もう別れたけど。あいつ、元気にしてるかな」
 何がどこでどうなると刑事と犯人が不倫する事態になるのだろう。


「みんなの大体の事情はこんなところね。どう? お仕事辞めたくなっちゃった?」
 佐藤さんから問われて、私は首を振った。
「まさか。聞かせてくださってありがとうございます。皆さんの事情を聞いてしまった私のデリカシーのなさを責めることなく、隠すようなこともせず、普通のことみたいに話してくださって、とても嬉しかったです。私、ますますユウゲキが好きになりました」
 素直な感想を口にした私に対して、なぜか佐藤さんは眉毛を八の字にした。
「ノゾミンはちょっと単純ちゃんかも……すぐ丸め込まれそう」
「えっ」
「悪い男に騙されそうな感じするよな、ノゾミンって。気をつけろよっ」
「ええっ」
 わ、私って悪い男に騙されるタイプなの? チャラ男に言われるととても説得力があって嫌すぎる。

「そんなことより、ノゾミン、最近キャバクラのお家賃滞納が急増しているのよね。何か聞いてない?」
 そんなことよりって。私にとっては悪い男に騙されるかどうかはかなり重要な話……いやいや、今は仕事の話を優先しなければ。

 最近急増している滞納の件だ。
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