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第四話 お呪い
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頭を振った。川のことなんてどうでもいいじゃないか。もうすぐ受験だし、勉強に集中するためにも、辛い恋なんてさっさと忘れたい。
「さよなら、伊南野紀翔くん」
川面に紙を落とした。
紙は溶けるより先に流されて、黒い水の中に消えた。背後で何かが笑うような気配がした。
どきりとしてあたりを見回す。誰もいない。視線を上に向けると、ススキが風に揺れているのが見えた。時折ざわざわとススキの穂が擦れる音が聞こえる。あれを聞き間違えたのかもしれない。
私は階段をのぼり、ススキ野原へと戻った。立ち去る前に、振木川を振り返った。暗がりの中で、川はただ静かに流れていた。
急な夕立に、慌てて帰宅した。夕立といっても、すっかり日が落ちてしまっていたから、急な夜の雨といったほうが正確かもしれない。
大きな雨粒が頬を打つのに顔をしかめながら、スクールバッグを頭上にかざして夜道を駆けた。
家についたときにはすっかり全身ずぶ濡れで、こぢんまりとした一軒家の狭い玄関で迎えてくれた母から「なんで傘を持ってないの、いつも折りたたみを持っていなさいって言ってるでしょう」と小言を言われてしまった。
髪からぽたぽたと水滴が落ちているのを見た母は、すぐにシャワーを浴びるよう私に命じた。
でも、私は自分のことよりも濡れてしまった制服のほうが心配だった。ひとまず二階の自室に行き、制服をタオルで拭いた。エアコンを除湿にして、風のあたるところに制服をつるした。明日も学校がある。湿った制服で登校なんてしたくない。朝までに乾いてくれたらいいけど……。
そこでスクールバッグも濡れていることを思い出した。私はこちらもタオルで拭いていく。雨水は中まで染みこんでいるようだ。まったくもう、ついてないな。ひとまずバッグの中身を出してしまおう。
教科書、ノート、ペンケース、文庫本などにまぎれて、駄菓子が出てきた。
「何だろ、これ?」
駄菓子なんて買った記憶はない。誰かからかもらったんだっけ? でも、ざらめのついたあめ玉とポテトスナックは、私の好きな駄菓子だ。ということは自分で買ったのだろうか。
わからない。どういうことだろう? ずっと昔に買ったものが、バッグの中で眠っていたのだろうか。
よくわからないが、ひとまず駄菓子のことは置いておいて、バッグを乾燥させることを優先しようと思った。新聞紙をまるめてバッグに詰めたら、早く乾くかもしれない。
一階に新聞紙をとりにいこうと立ち上がったときだった。
ぶちっ、という、何かが引きちぎれるような嫌な音がした。
一瞬、自分のアキレス腱でも切れたのかと思って、ぞっとしたが足は痛くなかった。室内を見渡す。白い照明に照らされた私の部屋。雨の音だけが単調に続いている。
さっきの音はなんだろう。耳を澄ませて、視線を巡らせる。
白木の学習机、クッションを置いた椅子、淡いピンクのベッドカバー、シーグラスの壁掛け時計……。いつもの私の部屋だった。
ぶちり、と、また音がした。クローゼットのほうだ。
壁に埋め込まれるようにして設置されているクローゼットには、私の服がしまわれている。そこに何かいるのだろうか?
私は息をひそめて、もう一度音がするのを待った。
どきどきと心臓が音を立てて、額にじわっと汗が浮かぶ。
ぶうん、という溜息のような音を立ててエアコンが空気を吐き出した。そんなことにもびくついてしまう。
もしクローゼットに不審者が潜んでいたらどうしよう……。
ぶつっ。
まただ。やはりクローゼットから音がした。でも……、クローゼットの中から響いているという感じはしなかった。むしろ、クローゼットの前からしたような気がした。
わからない。聞き間違いだろうか。
私は唾を飲み込んで、クローゼットにそろそろと近寄ると、取っ手を指先だけでつまんで勢いよくあけた。
私の服がいつもどおり並んでいるだけだった。
誰も潜んでなんかいなかった。
ほっとして、大きく息を吐いたとき――。
今度は背後から、何かがちぎれるような音がした。そのとき、目の端で何かが動くのを捕らえた。
勢いよく振り返った。窓ガラスにうつる自分と目が合う。なんだ自分の姿かと安堵する間もなく、ガラスにうつる私の背後で白くて細長い花びらみたいなものが数枚、はらはらと落ちていった。
――花びらが室内を舞っている?
ぎょっとして床に目を向けた。何も落ちてなんかいなかった。
翌日の夜は、何も起こらなかった。
その翌日も。
でも、三日目。小雨が降った夜、私が自室で宿題をやっていたら、背後から何かを引きちぎるような音がした。窓ガラスには時折白いものがうつる。
また――。
私は目をぎゅっとつぶって、引き出しに入れておいた塩を取り出すと、音がしたほうに向かって投げつけるように撒いた。どうか効きますようにと泣きそうになりながら、窓ガラスを凝視する。
再びぶちっという音とともに、窓ガラスに白い花が散った。塩は効果がなかった。
四日目は何も起こらなかった。この日は朝は雨が降ったけれど、午後からは晴れていた。そこで気付いた。あの変な音がするのは、雨が降っている夜だけなのだ。
何かがちぎれるような音とともに、白い花びらが窓にうつるのは、雨の降る夜だけ。
もう怖くて怖くて、私は神社にお参りしてみたり、お経の本を買ってきて部屋に置いたりしてみたけれど、雨の降る夜の異変はおさまってくれなかった。
「さよなら、伊南野紀翔くん」
川面に紙を落とした。
紙は溶けるより先に流されて、黒い水の中に消えた。背後で何かが笑うような気配がした。
どきりとしてあたりを見回す。誰もいない。視線を上に向けると、ススキが風に揺れているのが見えた。時折ざわざわとススキの穂が擦れる音が聞こえる。あれを聞き間違えたのかもしれない。
私は階段をのぼり、ススキ野原へと戻った。立ち去る前に、振木川を振り返った。暗がりの中で、川はただ静かに流れていた。
急な夕立に、慌てて帰宅した。夕立といっても、すっかり日が落ちてしまっていたから、急な夜の雨といったほうが正確かもしれない。
大きな雨粒が頬を打つのに顔をしかめながら、スクールバッグを頭上にかざして夜道を駆けた。
家についたときにはすっかり全身ずぶ濡れで、こぢんまりとした一軒家の狭い玄関で迎えてくれた母から「なんで傘を持ってないの、いつも折りたたみを持っていなさいって言ってるでしょう」と小言を言われてしまった。
髪からぽたぽたと水滴が落ちているのを見た母は、すぐにシャワーを浴びるよう私に命じた。
でも、私は自分のことよりも濡れてしまった制服のほうが心配だった。ひとまず二階の自室に行き、制服をタオルで拭いた。エアコンを除湿にして、風のあたるところに制服をつるした。明日も学校がある。湿った制服で登校なんてしたくない。朝までに乾いてくれたらいいけど……。
そこでスクールバッグも濡れていることを思い出した。私はこちらもタオルで拭いていく。雨水は中まで染みこんでいるようだ。まったくもう、ついてないな。ひとまずバッグの中身を出してしまおう。
教科書、ノート、ペンケース、文庫本などにまぎれて、駄菓子が出てきた。
「何だろ、これ?」
駄菓子なんて買った記憶はない。誰かからかもらったんだっけ? でも、ざらめのついたあめ玉とポテトスナックは、私の好きな駄菓子だ。ということは自分で買ったのだろうか。
わからない。どういうことだろう? ずっと昔に買ったものが、バッグの中で眠っていたのだろうか。
よくわからないが、ひとまず駄菓子のことは置いておいて、バッグを乾燥させることを優先しようと思った。新聞紙をまるめてバッグに詰めたら、早く乾くかもしれない。
一階に新聞紙をとりにいこうと立ち上がったときだった。
ぶちっ、という、何かが引きちぎれるような嫌な音がした。
一瞬、自分のアキレス腱でも切れたのかと思って、ぞっとしたが足は痛くなかった。室内を見渡す。白い照明に照らされた私の部屋。雨の音だけが単調に続いている。
さっきの音はなんだろう。耳を澄ませて、視線を巡らせる。
白木の学習机、クッションを置いた椅子、淡いピンクのベッドカバー、シーグラスの壁掛け時計……。いつもの私の部屋だった。
ぶちり、と、また音がした。クローゼットのほうだ。
壁に埋め込まれるようにして設置されているクローゼットには、私の服がしまわれている。そこに何かいるのだろうか?
私は息をひそめて、もう一度音がするのを待った。
どきどきと心臓が音を立てて、額にじわっと汗が浮かぶ。
ぶうん、という溜息のような音を立ててエアコンが空気を吐き出した。そんなことにもびくついてしまう。
もしクローゼットに不審者が潜んでいたらどうしよう……。
ぶつっ。
まただ。やはりクローゼットから音がした。でも……、クローゼットの中から響いているという感じはしなかった。むしろ、クローゼットの前からしたような気がした。
わからない。聞き間違いだろうか。
私は唾を飲み込んで、クローゼットにそろそろと近寄ると、取っ手を指先だけでつまんで勢いよくあけた。
私の服がいつもどおり並んでいるだけだった。
誰も潜んでなんかいなかった。
ほっとして、大きく息を吐いたとき――。
今度は背後から、何かがちぎれるような音がした。そのとき、目の端で何かが動くのを捕らえた。
勢いよく振り返った。窓ガラスにうつる自分と目が合う。なんだ自分の姿かと安堵する間もなく、ガラスにうつる私の背後で白くて細長い花びらみたいなものが数枚、はらはらと落ちていった。
――花びらが室内を舞っている?
ぎょっとして床に目を向けた。何も落ちてなんかいなかった。
翌日の夜は、何も起こらなかった。
その翌日も。
でも、三日目。小雨が降った夜、私が自室で宿題をやっていたら、背後から何かを引きちぎるような音がした。窓ガラスには時折白いものがうつる。
また――。
私は目をぎゅっとつぶって、引き出しに入れておいた塩を取り出すと、音がしたほうに向かって投げつけるように撒いた。どうか効きますようにと泣きそうになりながら、窓ガラスを凝視する。
再びぶちっという音とともに、窓ガラスに白い花が散った。塩は効果がなかった。
四日目は何も起こらなかった。この日は朝は雨が降ったけれど、午後からは晴れていた。そこで気付いた。あの変な音がするのは、雨が降っている夜だけなのだ。
何かがちぎれるような音とともに、白い花びらが窓にうつるのは、雨の降る夜だけ。
もう怖くて怖くて、私は神社にお参りしてみたり、お経の本を買ってきて部屋に置いたりしてみたけれど、雨の降る夜の異変はおさまってくれなかった。
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